【11】戸惑い
「ゴメンゴメン、急に予定変更になってさ。だって、あんたケイタイ持ってないんだもん」
真穂は笑って尚美の前に立つと
「しょうがないよ。連絡取れないし」
尚美は彼女を自分の席で見上げていた。
一緒に買い物へ行こうと誘われたある土曜日の事だ。
真穂とその仲間と一緒に買い物へ誘われた尚美は、待ち合わせ場所で1時間待った。
結局彼女達は待ち合わせ場所へは来なかった。
「やっぱ、電話で連絡取れないと一緒に行動するのは無理だよね」
真穂はまだ、尚美の前に立っていた。
尚美は思わず声が出そうになってそれを飲み込み、真穂をジッと見上げていた。
「なんか、文句ある?」
沈黙のまま見つめられる真穂は、最後にそう言った。
尚美は黙って首を横に振る。
その日、尚美は圭吾と親しくなり、真穂の故意的な行動は彼女の中では完全に相殺されていた。
真穂は優越の笑みを浮かべて彼女の前から立ち去ると、他の仲間と声を立てて笑った。
友恵は少しだけ、その輪から離れていた。
朝のホームルームで、転校生が紹介された。
圭吾は週が明けると学校へ来た。
一週間以上遅れて来た転校生に、みんな目を見張る。
茶色い短めの頭髪に短い学生服。
女子はブレザーだが男子は黒い詰め襟の制服で、少し丈を短くするのが流行っていた。
もちろん、校則違反なので2年生にならないとそれをしないのが暗黙のルールでもある。
女子がスカートを短くするのと違い、上着の丈を短くする事は周囲に威圧を与える。
不良じみた連中が好むスタイルだから、そう感じるのかもしれない。
圭吾は真ん中の一番後ろに設けられた席へ促された。
出席番号順で並んだその場所は、ある意味彼に相応しい。
周囲の視線が彼を追う。
ホームルームが終わって担任が教室を出て行った後も、圭吾に話しかける者はいなかった。
彼はカバンの中から僅かな教科書を机の中に入れる。
「ねぇ、新入学なのに、どうして転校なの?」
真穂はひとり歩み寄り、圭吾に話しかける。
圭吾は無表情で彼女を見上げる。
「さあ……」
まるでひと事のようだった。
無表情に言って、彼はカバンを机の横に掛ける。
ムカツク視線……。
真穂が最初に感じた印象だった。
真穂に声を掛けられて無表情に応える男はいない。
彼女は小学校時代に、既にそれを悟っていた。
尖った顎と小さくて高い鼻。
マスカラを着けたように黒々とした睫毛。
そしてモデルのように細くて、しなやかに長い脚。
実際彼女は小6の時に、衣料スーパーの広告モデルを経験している。
もちろん地方の小さな会社の広告では在るが、真穂にとって優越感を味わうのに充分だった。
「あたしは嫌だって言ったのにさ」
彼女はそう言って、周囲の連中に微かに顔の映っている衣料品広告を見せつけた。
身近なクラスメイトが広告紙面に載っている。
それだけで充分に持てはやされた。
「やっぱり真穂は違うよね」
当時いつも傍にいた、まど香が言った。
こうして真穂は周囲とは違う自信と優越感を持って中学へ入学した。
――それなのにこの冷めた目は何?
真穂は「そう」とだけ応えて、圭吾から離れた。
尚美は黙ってその情景を見ていた。
圭吾も特に尚美の方を見るでもなく、このクラスで一番会話を交わしているはずなのに親密性は全く感じない。
友恵が見ている。
圭吾に視線を留めていた彼女は、尚美の視線に気付くと小さな苦笑を見せた。
それが何の意味か、尚美には解らなかった。
「あたし、真穂のグループ抜けようかなぁ」
放課後に再び、友恵と帰りが一緒になった。
昇降口で軽く手を振る彼女。
裏門へ向う真穂と晶子と三樹たちだ。
家の方向が全く違うから、友恵は真穂たちと帰らない事が判った。
振り返った彼女は、昇降口で靴を履いた尚美に気付くと、人懐こいふっくらした笑顔で近づいた。
彼女は土曜日の事を気にしていた。
「土曜日はゴメンね。あたしは嫌だったんだ、あんな事」
もちろん、尚美を引っ張り出して待ちぼうけを食らわす悪戯の事だ。
「あの日、午後からイオンに行ったんだ。真穂が、ナオがまだいるかどうか確かめよう。とか言ってさ」
友恵は話し続ける。
「でも、いなくて良かった。ずっと待ってたらどうしようかと思ったよ」
『そんなに御人好しでもない』
伝わらないと判っても、思わず手が動く。
同時に首を横にブンブンと振って見せた。
「そっか」
友恵が頷く。
伝わったかは判らない。
「あの後みんなで買い物したけど、ぜんぜんつまらなくて」
友恵は真穂たちのイケイケの雰囲気に少しついていけないようだった。
それは日頃の彼女を見ていれば何となく判る。
きっと、真穂よりも優しい気持ちが優先して彼女を苦しめるのだと、尚美は思った。
「でもなぁ、あそこ抜けたら入るところないし……」
友恵は制服のポケットから小さなチョコレートの包みを取り出して、ひとつを尚美に手渡す。
一粒一粒が小さな包みに入ったタイプのやつだ。
「グループじゃ……ないと、ダメなの?」
声を出して訊いてみる。
友恵は、尚美のたどたどしい喋りを気にしない。
「だって、いろいろと大変じゃん。グループに属さないとさ」
「ナニが、大変、なの?」
「だから、いろいろ」
友恵はカバンをブンと振り回して蒼穹を扇ぐ。
流れる白い雲を目で追った。
遠く彼方を見つめる、少しだけ悲しい瞳だった。