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幸せってなんだっけ

作者: 神在月

 8月も終わるというのに、朝から雨。どうも雨の日はやる気が起きない。

 それに、昨日からカミさんは友人と旅行に出かけて留守。一人だと何だかだらけて、よけいにやる気が出ない。

 朝寝坊して、起きてからはPCと睨めっこしながら、趣味の写真の画像編集をやっている。

 秋にかけてコンテストやら展示会やら詰まってるので、それの作品づくりなんだけど、全く煮詰まらない。

 そんなこんなで、昼間っからビールまで飲んでる。明るいうちから飲むビールは、実に背徳的だ。

 などと言ってるうちに、2本目も空いてしまった。


 キッチンに3本目を取りに向かった時、廊下に人影が見えた気がした。

 今日は家には自分一人しかいないはず、カミさんが帰ってくるのは明日だから、おかしい。玄関の鍵は昨夜きちんと閉めたはず。

 酔っ払って幻でも見たか……

 冷蔵庫からビールを取り出して、居間へ戻るついでに廊下を見たら信じられないものが目に入った。

 目の覚めるような美女が、一糸まとわぬ姿で立っている。

 一旦目線を外し考えてみた。

 不審者が侵入したのか。それとも飲みすぎて、幻を見たか……

 こんなもの見るなんて欲求不満なのか。それにしても、幻にしては鮮明すぎる。


 視線を戻して、もう一度改めて見てもやっぱりそこにいる。よく見ると均整のとれたプロポーションも素晴らしく、何だかすごく得した気分だ。

 ただ、それは廊下の床から10cmくらい宙に浮いていた。

「え……」

 俺はビールを握りしめたまま、へたり込んだ。声を出したかったけど、声が出ない。

 超常現象的な事は一切信じてなかったけど、実際見てしまうと理解できないぶん混乱する。容姿は本当に素晴らしく綺麗なんだが、どう見ても浮いてる。

「な、何者だ……」

 辛うじて声が出たけど裏返ってる。

「……」

 その美女のようなものは、何か答えたようだが、何を言ってるのかいまいちわからない。

 唖然として眺めていると、つつつと歩きもせず、空中を滑るように近づいてきた。近くで見ても人間にしか見えないのだが。やはり、自分が知ってる物理法則を無視してると、ちょっと恐怖の方が強い。

 少し後ずさりしたが、あっさり手の届く距離まで近づいてきたそれは、右手で俺の額に触った。


「言葉はかなり変わったのですね」

 涼やかな声でそれが喋った。

「私はあなたを幸せにするためにここに現れました」

 そう言うと、俺の横をすり抜けて、居間の方へ入っていった。

「あなたが望むことなら、なんでも叶えましょう」

 俺が振り返ると、微笑みながらそう言った。

 ベタなエロ漫画ならここから先は18禁描写になるだろう。正直なところは、俺も道具が役に立つのなら、そうなってたかも。

 だが、残念ながら50過ぎの妻帯者の俺は理性が邪魔をして、押し止まった。

 ……というのは建前で、実際はどうもリアルEDらしい。薄々、そんな気もしてたけど、これだけの美女を目の前にして、役立たずってのは、男的にはちと凹む……

 まあそれは人間ではなさそうだし、恐怖のためと言い訳したいけど、どうなんだろう。


「なんでも叶えてくれるんですか?」

 恐る恐る確認してみた。

 それは、にっこり笑ってうなずいた。

 望みを叶えるって行ってるけど信じていいのか。まさか誰か、俺を嵌めようとしてるとか。

 でも、あれ浮いてるしな、作り物には思えないし、人間なら浮遊はできないし。とりあえず信じてみるか。

 それにしてもなんでもって言われてもな……、世界征服って面白そうだけど、後がめんどくさそうだ。ハーレム作っても、そんなに女好きってわけでもないし、維持費とかかかったら大変だ。不老長寿なんてのも、ただ生き続けても返って苦痛になりそうだし。

 やっぱり簡単なのは金だな、億万長者ならとりあえず死ぬまで苦労はないかも。金で幸せが買えるわけではないが、金があった方がないよりはいいだろう。

「では、大富豪にしてください」

「ダイフゴウ……?」

 それは、微笑みながら小首を傾けた。

「え、っと大金持ちです」

「オオガネモチですか……?」

 どうも理解してなさそうだ。

「オオガネモチとはなんですか?」

「金をたくさん持ってる人のことですが、金ってわかりますか?」

 それはにっこり笑って首を振った。

 金を知らないのか、ってどう説明すればいい。貨幣経済の事から説明しないといけないのか。でも、それは俺には無理だ。

 そうだ。

 俺は財布から1000円札を取り出した。

「こんな奴がお金です」

 それの手の届くところまで札を突き出した。

「これがお金なんですか、お金と言っても金属ではないのですね」

 いかにも珍しいものでも見るように、裏表を丹念に見ている。

「それが欲しいんですが……」

 そう言ってから思い直した、1000円札じゃ増やしてもらっても、もたかが知れてるし、面倒だ。

「いや、ちょっと待って下さいね」

 考えてみたら、昨夜帰りに飲んだので、万札が財布にない。

「少しここで待っててください」

 俺は部屋着のまま財布を握って、隣のコンビニまで走った。

 コンビニが近くにあってよかったと、今日ほど思ったことはない、ATMで1万円を振り出して。ダッシュで部屋へもどった。


 それは部屋であぐらをかいて座って待っていた。でもやはり床から浮いてる……

 久しぶりに本気で走ったので息が切れる、俺は万札をそれに渡した。

「そ、そ、それと同じものが欲しいんです」

「何枚くらいあればあなたは幸せになれますか」

 何枚、百や千じゃもったいない、せっかくの機会だからここは思い切って。

「1万、いや10万枚ほど」

「本当にそれで貴方は幸せになれすまか」

 それは俺に問いかけてきた。

「はい、お願いします」

 もちろん、躊躇なく答えた。

 それは少しがっかりしたような顔で、目の前の床に万札を置き、それに左手の指を添えて何か呟いた。

 その途端、床から万札が噴水のように吹き上がってきた。部屋中万札が飛び交い、床にみるみる溜まっていく。

 俺は声もなくそれを見守っていた。なんたる壮観、とても現実とは思えない。

 こんなことなら札束が準備できればよかった、なんてことを考えながらその光景を眺めた。

 ちょうど手元に一枚とんできたので、その万札を改めて見てみた。

 どう見ても本物にしか見えない、透かしもあるし、ホログラムも綺麗だ、それにご丁寧にピン札ではなく使用済み紙幣だ。

 ん…………


 ここで、嫌な予感がした。

 もう一枚手に取って比べてみる。

 なんというか、二枚目の札も折れ目が全く同じ、それよりまずいことに紙幣の通し番号も同じ。本当に完全に同じものが二枚ある。

 念のためもう一枚手に取ってみたが、やはり全く同じだった……

「ストップ!!!!止めてくれ」

 この声が聞こえたようで、札のシャワーが止まった。

「どうされましたか?」

 それは少し不思議そうに、半分万札に埋もれて問いかけてきた。

「通し番号って分かりますか」

「…………?」

 聞くだけ無駄のようだった。やり直してもいいけど、通し番号のことをうまく説明できる自信がない。

「思い直しました、やはりこれでは私は幸せになれそうにありません」

「やはりそうですか」

 なんかちょっと満足げに、それは答えた。

「申し訳ありませんが、これ消してもらうことってできますか」

 それは右手の人差し指を上に刺して何か呟いた。その途端あれだけあった万札が、すっと消えた。


 あっけにとられていたが、我に戻って、最初の一枚を探したが、部屋のどこにもない。

「最初の一枚どこに行ったか分かります?」

 探しながらそれに聞いてみた。

「あれでは幸せにはなれないとおっしゃったので、一緒に消しましたが」

 おう……なんてこった、あれだけ騒いで1万円の損か……

 待て待て、まだ何か手はあるはずだ、現金が無理なら宝くじはどうだ、と思ったがお金がわからないものに、宝くじの説明をすることなど、俺にはやっぱり無理だ。

「例えば、未来がどうなるかとかわかるんですか」

 とりあえず聞いてみた。

「未来はこれから創られるもので、私にもそれを知ることはできません」

 何か予想通りの答え。当りくじの番号や当り馬券を聞くことも無理ってことか。


 何か一万円損してちと落ち込んで、考えに行き詰まった。

 そもそも、幸せって何だろうね。

 カミさんと二人、子供はいないけど、気ままな今の生活って不幸か?

 決してそんなことないな、確かに経済的には決して恵まれてる方でははないけど。不幸なほど困窮してるわけではない。

 まあ、将来に不安はあるけど。

 それにしても、何でも希望を叶えると言われた割には制約多いな。


 いろいろ考えてみたが答えは見つからない……

「希望って何でもいいんですよね。」

「はい」

 と言っても、もう少し一般常識っていうか、なんというか俗物的なことをわかってくれるとありがたいけどな。

 そういや、最近歳のせいかあちこち体調が良くない。カミさんも同じようなこと言ってたし、何にしても体が資本だ。

「俺と俺のカミさんを健康にして欲しいんですが、できますか」

 それは満足げににっこり笑うと、俺の方に手をかざして、何か呟いた。

 その途端体の周りがわずかに暖かくなったような気がした。

「貴方は確かに病んでましたが、全て取り除きました、貴方の連れ添いの方の病も取り除きました。二人で幸せにお過ごしください」

 それだけ言うと、それはすっくと立ち上がって、俺の目の前からすっと消えた。


 ふと、我に帰ると何故居間のこんなところに立ってるのかわからなかった。

「そうだビール取りに来たんだ」

 呟いてキッチンへ向かおうと足を踏み出したら、缶ビールを蹴飛ばした。

 何でこんなところに落ちてるんだ?

 拾ってみたら温くなりかけていた。意味がわからず、そのビールを冷蔵庫に入れ、代わりを一本取り出した。

 そういえば、今朝はぐたぐたしてて、まだ新聞も見てない。

 ビール片手に、玄関まで行って取ってきて。新聞を居間で広げて、一面から目を通した。


 大見出しは今接近中の台風の記事だった。まあそのせいで朝からこちらもぐずぐずした天気なんだろうな、と思いつつ。次の見出しを見ると、紙幣の偽造対策を急がないといけない、というような記事が中段にあった。

 そういえば、最近専門家にも区別がつかないほど精巧な偽札が作られた事件が、何件か続いてると、ネットのニュースにもあった。

 まあ、偽札偽造なんてリスクの高いものは、自分には関係ないからいいか。

 ビールの栓を開けて、一口飲んだ。


 やっぱり昼間から飲むビールは背徳的だ。

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― 新着の感想 ―
[一言] こういうの好きです。 安倍公房か、カフカっぽくて面白いです。
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