表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/7

04 陶器の肌とダイヤの刃

「塩野先生」


 呼ばれて、塩野は顔を上げた。

 彼の周辺にはいくつもの死体が転がっている。もちろん、塩野の手柄ではない。「親玉以外は皆殺しにしてもいい」と事前に打ち合わせしてあった、その結果がこれだ。

 無数の穿たれた痕。体の一部を失った骸。赤く染まった部屋。容赦のない死が溢れ、飽和していた。


 網屋と遥は二手に分かれて、この貨物船へと侵入していた。塩野と行動を共にしていた網屋が目標の位置にまで辿り着くと、既に遥が決着をつけた後であった。


「確保しました」


 塩野に呼びかけたのは遥だ。その彼女の足元に女がいる。容赦なく背中を踏みつけ、首にあてがう刃が皮膚を薄く裂いて血を流す。両腕は後ろに回され、紐で拘束されていた。割れた状態で床に落ちている眼鏡は彼女のものなのだろう。

 細身のパンツスーツを着た、東洋人と思わしき女性。一見すると若く思えるが、近くで見ると案外歳を取っている。塩野とそれほど変わらない程度だ。


「見ぃつけたあ」


 塩野はまるで子供の鬼ごっこのようにそう言った。表情はどこまでも笑顔だが、その内側にある殺気に似た何かを隠そうともしない。笑顔ではあるが、善意に満ちたものではなかった。

 女は塩野の顔を見るなり、遥を振りほどいて逃げ出そうとした。が、叶うはずもなく寧ろ頭を蹴り飛ばされ、さらには踏みつけられてしまう。衝撃と痛みに顔を歪めて呻き声を上げるが、遥は氷の如く無表情である。

 塩野の背後にいた網屋が「おお怖い怖い」とおどけ混じりに小さく呟く。かく言う網屋も、ここに至るまでの道程で大量に死体を作った張本人であるので、人のことはあまり言えないだろう。


 塩野は女の元まで歩み寄ると、しゃがみこんで顔の位置を近付ける。自分の声が、確実に相手の耳に届くように。


「初めまして。その目、僕のことご存知みたいだね? いやぁ嬉しいなあ、自分がそんな有名人だったとは知らなかったよぉ、僕ちゃん」


 必死に顔を背け塩野と目を合わせないようにする女。だが、そのささやかな抵抗もすぐさま瓦解する。


「こっちを見て」


 低く、ひとこと。大きい音を聞いた時、人は思わず振り向いてしまうことが多い。それと同じような状態で女は塩野を見た。遥と網屋もだ。塩野の言葉には何か、生理的な部分に訴えかける強制力がある。


 今の塩野は、手加減をする気も、周辺に配慮する気も、無い。


「ガッカリだな。余程の天才か努力家か、って期待してたんだけど。やっぱり、ただの変態さんだったか」


 背後にいる網屋からは見えないが、女と遥からは塩野の表情がよく見えた。侮蔑と軽蔑。それほど極端に表情は変化していないはずなのに、否応無しにそうとしか受け取れないのだ。

 塩野の解体は、既に始まっていた。


「おやおやー? もしかして、意識高い系の変態さんかなぁ。うっわ、メンドクサそうなお人だことねえ」


 女の顔がますます強張った。塩野が様子見で放った弾が、思った以上にヒットしたようだ。何か言おうとしたが、女は言葉を寸前で飲み込んだ。


「おっ、えらいえらーい。基本に忠実だね、本場仕込みだね。さすが、僕の後輩ちゃんって訳か」

「どうしてッ」


 ついに声が出た。塩野は満足気に頷くと、上着の内ポケットから録音用のICレコーダーを取り出す。


「はーい、ありがとうございます! 貴重な生声、頂きました! ん? その顔は、答え合わせしてほしいって感じだね?」


 録音中を示す赤いランプを見て、女の気配がごくわずかに変化する。それを塩野が見逃すはずはない。


「ダメだなチミぃ。基本に忠実なら、ゼミで教わったことは全部きっちりこなさなきゃさあ。面白いくらいに丸分かりだよー? 『私の声紋を録っただけでは何もできまいフハハハハハ』って君の声、効果音付きで聞こえてきたよ。あれ、フハハハハじゃないか。オホホホホ、か。どう思う網屋くーん」


 突然話題を振られた網屋は、


「え、ああ、オホホホホよりウフフ、的な感じですかね。ウフフって笑い声上げちゃうワタシいい女よ、っていうか。ウフフって言っちゃうのよみたいな。あー、すんません忘れて下さい。自分で何言ってんのか分からなくなってきた」

「いややい、いいセン行ってるよ網屋君。やっぱ男って単純な生き物だからさ、ウフフオホホって言葉にして笑う女の人より、ただ普通にニコーッてしてくれる子の方が色んな所にグッと来ちゃうよね。ま、僕の個人的な趣味だけどさ」


 話の内容は随分と軽いが、塩野の表情は話題に伴っていない。そんな目で見ないでくれと懇願したいが、自分から目を逸らすことができない。侮蔑の感情をぶつけられ続けるという、これは一種の拷問に近い。


 その後しばらく女の顔を黙って見つめていた塩野だったが、軽く溜息をつくと、その場に胡座をかいて座り込んでしまった。


「もういいや、なんか面倒臭くなってきちゃった。だから単刀直入に聞かせてもらうね。戒斗君に仕掛けたフィルターの最終ロック、どこに隠したの?」

「聞かれてハイそうですか、なんてすぐに答える馬鹿、本当に居るとでも思う?」

「何言ってんのさ。君に選択権なんて無いんだよ」


 語気が強くなった。侮蔑という皮膜が破れ、内側から何かが出てくる。


「時間短縮をしたいから、わざわざ君をとっ捕まえに来たの。別に君がどうなろうと、僕らは知ったこっちゃないの。この状況で格好付けてる余裕があるなら、もっと頭を働かせてみたらどうだい? お・馬・鹿・さぁん」


 愚者に対して抱く苛立ちが棘のように突き刺さり、女の顔を歪ませた。


「こんな状況下でもいちいち格好つけてたりしちゃうから、誰のママにもなれないんだよ。アレでしょ? 貴女のなりたいママってさ、理想上のママでしょ? だったらなおさら格好つけてる場合じゃないよねえ。こういうのって、どっちかってえと包容力が求められるよね。貴女が求めてばっかりじゃ、独りよがりでどうしようもないじゃないのさ。でしょ?」


 一挙にまくしたてて、塩野は一旦大きく息を吸った。この場にいる誰もが、彼の言葉が作り出すテンポに巻き込まれ耳を傾ける。そこには強制力があった。耳を塞ぎたくともできない、そこまでの強制力が。


 この状況自体が、塩野の意図による舞台設定であるとも言える。

 周辺には死体が転がり、女の味方は誰一人として存在しない。

 血の匂いが鼻を突く。

 塩野達の立てる音以外は何も聞こえない。

 視覚、嗅覚、聴覚の三つが同時に彼女の不利な状況を訴えかける。更に追加される、遥に捻じ伏せられることによる触覚への刺激。

 上手く行けば味覚も加えられるかもしれない、と、塩野は考える。


「相手に求めて、でも自分からは何もなし。それで何回、いや、何十回失敗した? 独りよがりな欲望で、何人を使い潰した? 戒斗君もそうやって消費して、身勝手に使い潰すつもりだったの?」


 違う、と言いかけた女の言葉をふさぐ塩野。勿論言葉でだ。


「違わないでしょうよ。もしかしてさぁ、使い潰しちゃう自分ステキ、ちょっと悪女のニオイ、とか思ってたんでしょ。ホラ図星だ。視線を逸らそうと必死だね? 呼吸が随分乱れているよ? 君さあ、この業種のくせにさあ、ホンット耐性無いんだね? 今までどんな仕事の仕方してきたの? ねえねえ、今どんな気持ち?」


 ふと言葉を切って、顔を覗き込むと、塩野はにこやかに笑いながらゆっくりと言い放つ。


「なんかさあ、素人みたい」


 噛み締めた女の唇に、僅かに血が滲んだ。これで味覚まで完了した。彼女に飽和するほど与えられる敗北のイメージ。このまま自分がへし折ってしまっても構わないが、もっと確実にこの女性を屈服させておきたかった。そのためには、とどめを刺してもらわなければならない。

 少し、言葉を引き出してやる必要がありそうだ。


「戒斗君のさ、どこらへんが良かったの? やっぱ顔? 割と男前だもんねぇ彼。どう見たって引っ張りだこだもん」


 彼女は否という答えを出す。それ以外に選択肢はない。


「……私は、彼の過去を全部見たわ。全部、全部ね……。彼には愛を、愛情を注いであげる必要があるのよ。他の誰でもない、この、私が」


 ホイ来た。案の定だ。


「あんなに孤独で、辛くて、悲しいばかり背負ってきた子はいないわ。誰かが包んであげなきゃ。そうでなければ、きっといつか壊れてしまう……何もかも忘れて、子供に戻ってしまうくらいがいいの。だって……こんなの、辛すぎるでしょう?」


 あーあー、聖母か何かのつもりだ。ゲンコツの一つも食らわせてやりたいが、まだ我慢。網屋君が「ド畜生が」って呟いたけど、まあ仕方ないよね。


「彼にとって最も穏やかな世界で、これ以上血を見ずに生きること……これこそが彼にとっての救い、魂の救済なの。そんなことぐらい、簡単に分かるでしょうに。どうせ貴方も見たんでしょうよ、彼の『中身』を! だったら分かるはず。貴女も、そこの貴女もよ!」


 呼ばれた遥は無表情のまま、ちらりと塩野に視線を向ける。塩野は「いいよ」と返事。


「……もう、我慢ならない」


 絞り出すような、いや、抑えきれず零れ落ちるような一言だった。声には怒りが滲み、暴力という形になって具現化する。網屋がそれに気が付いた時にはもう遅い。遥は思い切り女の脇腹を蹴り飛ばしていた。女はテーブルに激突し、無様な嗚咽を漏らす。

 それだけなら、網屋は止めはしなかっただろう。しかし、遥は腰に差した愛刀『十二式超振動刀・陽炎』を躊躇いなく抜き放ったのだ。


「やめるんだ!」


 咄嗟に背後から腕を抑える。遥がその気になれば、これ程度の拘束など簡単に振り解けるのは分かっている。それでも網屋は、遥の腕を抑えこんだ。その行為自体に意味があり、それを汲んでくれると願ったから。

 振り向く遥。その瞳には殺意が満ちる。どうしようもない程の怒りに突き動かされ、叫ぶ。


「邪魔をしないでください。殺しはしません、でも……腕の一本や二本は貰い受けるぐらいのことを、この女……!」

「だから、落ち着けって!」


 吐き出さなければ抑え切れない。遥はなおも叫ぶ。


「貴様に、貴様に彼の、戒斗の何が分かる! 分かりなんてするはずが無い! 何も知らず、ただ無理矢理ほじくり返しただけの貴様如きが、……貴様が如き下衆な女が、私の男を理解出来るなどとと思うなよッ!!」


 網屋の手により力がこもって、遥はようやく落ち着きを取り戻した。刀を納めるが怒りは止む気配もなく、寧ろ、より大きくなる。

 塩野は黙って見ている。研ぎ澄まされてゆく言葉を、待つ。


 遥は女の顔を見つめた。そしてゆっくりと、遥の「言葉」が紡ぎ出される。


「……ええ、貴方の言う通りかもしれない。哀しみだらけの人生……。でも、それを良しとしたのもまた、戒斗自身。貴女のように道半ばで遮ることも、今までの全てを無かったことにすることも、私には出来ない。それは、戒斗そのものを否定することになるでしょうに」


 己よりずっと若い少女が発する、揺るぎない言葉。女は気圧されながらも振り向く。真っ直ぐな瞳と視線がぶつかって、意識の片隅に芽生えるその感情は『自覚への恐怖』だ。


 さあ、遥ちゃん。その人に楔を打ち込むのは、貴女の役目。そのダイヤモンドのような、美しく透明に輝く強い意志と言葉こそが、彼女を切り裂く刃。

 塩野は無言で言葉の続きを促した。構わない、全て言っても、と。


「私に出来ることといったら、彼の傍に居ることぐらい。全部包み込むなんて、とても出来やしない。……だけど、私は誓った。この身は彼の矛となり、楯となり、そして楔であろうと。万が一にでも戒斗が道を踏み外すのなら、私は刺し違える覚悟がある。ただ無条件に甘やかして、許容して………そんな程度を愛だと思うのなら、随分と可愛そうな人」


 女の顔はみるみる青褪めて、指先は震え始めている。

 白く輝く月光に照らし出されて、この女の虚飾に満ちた舞台は今、幕を下ろす。


「貴女は、決して彼を愛してなどいない。貴女が欲しいとすれば、それは好き勝手に弄れるただの人形。……貴様のような下衆な女に、戒斗を渡すとでも思うか。もし指一本でも触れてみろ、その命、無いものと知れ…………!!」


 憤怒。決意。覚悟。己の半分も生きていない少女が放つ、確固たる意思。

 それを真正面から喰らって女はついに自覚してしまった。己自身のみすぼらしい姿を。欲にまみれた自我を。小さい人間性を。

 指先の震えはもう止まらない。その震えを見られてはならぬと、自身を戒める意思も無い。打ち込まれた楔から裂ける表層意識はもう修復できない。


「さーて、と。んじゃま、君の中身、全部僕の前にさらけ出してもらっちゃおうかな!」


 その必要が無いので、塩野の顔からは笑みが消えていた。


「あーそうだ、今のうちに言っておくね。僕さあ、身内の深層心理覗きこむなんて趣味の悪いこと、やらないんだ。残念でしたあ」


 女には分かった。塩野の言葉は死刑宣告だ、と。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ