表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/7

03 認識と前知識

 泣き疲れたのか、しばらく経つと戒斗は畳の上に転がってしまった。うつらうつらと船を漕いでいる。


「おおい、そこで寝ると体痛くなるよ」

「ウン」


 帰ってくるのは生返事。


「上にベッドあるから、そっち行きなよ。立てる?」

「ウン」


 メゾネットの上を指差してやると、戒斗はふらふらと立ち上がった。果たして階段をうまく登れるだろうかと心配になる。おぼつかない足取りで階段へと向かう戒斗に、これは支えねばなるまいかと相田が立ち上がったその時だ。

 階段に一歩足をかけた戒斗が、ふと、こんな事を呟いたのだ。


「なんで、さいしょ、っていったんだろ」


 ごく小さな呟きであったが、はっきりと聞こえた。言葉にしたことで余計に気になったのか、戒斗は振り向いて相田に問う。


「おれ、さいしょ、っていったよね。さいしょにみて……って」


 戒斗は確かにそう言っていた。「最初、遥が俺のこと見て」と。その「最初」とは何か。もしかしたら戒斗の意識の水面下では、事実の認識ができているのではないか……


「なんで? さいしょってなに? だって、はるかはずっといっしょにいて、それで……」


 倒れるように崩れ落ちる。膝をつき、頭を抱え込んだ。髪を掻き毟る。顔は苦悶に歪み、口からは絞り出すような叫びが漏れる。


「ああ……うああぁああああ!」

「戒斗ッ!」


 慌てて駆け寄り肩を掴む。双眸から流れる涙は悲しみではなく、苦しみから生まれていた。


「あたま、が……!」


 戒斗はそこまでしか言えなかったが、それで十分に状況は伝わる。網屋と遥が昼食を用意している間に塩野が説明した、その通りの事態であったからだ。


 もしかしたら、かなり激しい頭痛の症状が出るかもしれない。仕掛けられたフィルターがずさんなものであれば、違和感や現実との違いによって真実に肉薄することがある。そこからの崩壊を防ぐためによく使われる手は、痛みを発生させることである。


 まさに、塩野の言っていた通りの出来事が目の前で起こってしまったのだ。

 塩野が用意してくれた鎮痛剤の粉薬は台所に置いたままだ。即効性だと言っていたから大丈夫だろう。早く取りに行かねばと立ち上がろうとしたが、戒斗に手を掴まれてその場から動けない。

 制御が効かないというのもあるのか、掴まれた手は痛い。掌はじっとりと汗をかいていて、震えている。


「や、だ……いかないで……」

「大丈夫、薬取ってくるだけだから。すぐそこだから。頭イタイの治る薬、飲んで寝ちゃおう。な?」


 肩で息をしている。下手をすれば痛みのあまり嘔吐するかもしれない。


「ちょっとだけ頑張れ。すぐだから。できる?」


 あまりの激痛に震えながら、それでも戒斗はなんとか頷いてみせた。

 小さい割には随分と我慢強い子だ。自分がこの立場であったなら、ひたすら泣き喚いて暴れるしかできないだろう。

 それとも、と、相田の頭の中で随分と冷静な部分が囁く。それこそが、仕掛けられた錠前のほころびなのではないか。完全に幼児退行しきっているとは思えない。酷く歪な型に無理矢理押し込められているような、そんな印象。


 強く掴み続ける手をなんとか引き剥がして、相田は台所へと走った。走ると言っても所詮一人暮らし用の部屋だ、数歩程度のものである。

 戒斗に背を向けた瞬間、痛みによる絶叫が響き渡る。緊張の糸はとうの昔に切れているのだ、仕方ない。とにかく相田は出来うる限りの速さで薬と水を用意し、戒斗の元へ走った。

 本人に渡して飲ませる、などと悠長なことをやっている場合ではない。半ば強引に口を開けさせると舌の上に粉薬を乗せ、コップの水を流しこむように飲ませる。粉薬の苦さに顔をしかめた戒斗だったが、相田はあえてそれを無視した。己が幼い頃、こうやって祖父から薬を飲まされたのを思い出す。


 次に、戒斗の体を無理矢理担ぎ上げると階段を登った。この時ばかりはメゾネットタイプの間取りを恨む。それでもなんとか上に連れてゆくと、問答無用でベッドに転がしてしまった。掛け布団を肩まで掛けてやると、戒斗はそれを抱き枕のように抱え込んで体を縮める。

 相田自身はベッド脇の床に座り込んだ。


「とにかく寝る。いい?」


 黙って頷くのが精一杯の戒斗。相田はゆっくりと息を吐きだして、ベッドの脇にもたれ掛かった。


 鎮痛剤は即効性である上に強力であるので、次の服用は最低でも六時間あけろと念を押されている。また、痛みが発生した状況をよく覚えて、できればその状況を再現しないように、とも。

 相田には全く自信がなかった。戒斗は、いや、この幼い戒斗は聡明だ。わずかな違和感にも気付くだろう。だが、六時間はあまりに長い。かと言って、あの尋常ではない痛がり様を放置するわけにもいかない。


 戒斗の気配に意識を集中させ続けていたからだろうか。寝息が聞こえてくる頃には相田自身も眠くなってきて、少しだけならと目を閉じた。苛む不安から、目を逸らすように。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ