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02 テレビとおにぎり

 三十分時間をくれ、と言い出した網屋が、大きなタッパーいっぱいにおにぎりを詰めて戻ってきたのがきっかり三十分後。塩野、網屋、遥の三人は相田の部屋から去り、後に残されたのは大学生と幼児のような高校生の二名。

 まだ時間は午前中。さて、これからどうしたものか。


「戦部君さあ、何か……」

「かいと」

「へ?」

「かいとってよんでいいよ。おれも、まさゆきってよんでるから」


 そう言って、えへへ、と笑う。そうだ、小さい頃は苗字で呼ぶということなどほとんどなかった。忘れてはいけない、相手はまだ幼稚園児なのだ。


「分かった。じゃあ、戒斗って呼ぶ」

「うん!」


 屈託のない笑顔。今の戒斗はいつもの戒斗ではない。つい忘れてしまう。相田は一つだけ溜息をついて、空気と一緒に諸々を排出した。

 あれはいつだったか、中学生の時だ。職業体験で駅ビル内の保育園に行った時を思い出せ。小学校の通学班で、網屋の弟の環があっちこっち行ってしまうのを追いかけ回した、その時を思い出せ。

 いいか、相手は、幼児だ。


「戒斗はさ、何かしたいことある?」

「そとであそびたい」


 男児としてはごく自然な回答であった。しかし、現状が現状である。塩野から外出は控えた方が無難だと釘を刺されているし、この「巨大幼児」を外に出したらどうなるか知れたものではない。


「外はダメ。残念」

「えー」

「塩野先生も遥ちゃんも言ってたろ? お家の中で留守番しててねって」

「だけどさあ、そとすっげーいいてんきだよ」

「ぐっ……ま、また今度な。今日は部屋の中で遊ぼう」


 と言ってはみたものの、おもちゃは塩野が咄嗟に買ってきた特撮ヒーロー人形しかない。仕方ないのでなんとなくテレビをつける。テレビはニュースを見るか、レンタルしてきた映画のたぐいを見る程度にしか使わない。昨今のテレビ放映はどんなものだか、実はよく分かっていない相田である。


 よく分からない時はとりあえず、順番にチャンネルを見てゆけば良い。ということで、かなり早い段階でやってくる地方局をつけた時だ。

 映し出されたのは、これまたかなり古い刑事ドラマであった。派手な爆破やらカースタントやら男気溢れる展開が盛り沢山の、きっと今なら作れないだろう作品だ。


「うっわぁー古いのやってんなぁ。と言うか相変わらず攻めてるな地方局。好きだけどさ。大好きだけどさ」


 半端な時間に某関東系巨大地方局で流れている、どうしてそんなのを選んだとしか言いようのない映画を喜々として鑑賞してしまう相田としては実に喜ばしい事態なのだが、果たして幼児相手に通用するのか。いや、するまい。流石に無理があるので、今後は忘れず録画しておこうと心に決めてチャンネルを変えようとした。が、しかし。


「これ、みる!」


 戒斗の目は輝いていた。これ以上ないほどに。


「……見る?」

「うん」

「渋い趣味だなこの幼児! ん、渋いカウントでいいのかな?」


 疑問を抱いている暇などない。画面に映し出された車に、まず相田が絶叫する羽目になるからだ。


「うわあああ! マシンRS! 動く司令室!」


 正直、車であれば何でも好きな相田であるが、速かったりカッコ良かったり、もしくは何か機能がついていたりするとますます大喜びしてしまう。「搭載されている機能と性能は全て余すことなく発揮させたい」という悪癖を抱えている相田にとって、フィクションの機能盛り沢山車両は憧れであるのだ。

 勿論、ケレン味も含めての話だが。


 いやいや、自分ばかりが喜んでどうする。本来の目的は……と隣を見ると、ごく普通に喜んで見ている戒斗の姿があった。


「お喜びいただいているようで、結構です……」


 確かに、車関連の趣味が似通っているとは思っていたが、この反応はどう見るべきなのか。幼児状態になったから喜んでいるのか。そうでなくとも喜ぶような人物であるのか。それとも、小さい頃に親御さんと一緒に見ていたのか。どれが正解だろう。

 もしかしたら、全部。そんな言葉が頭の中に写植文字で浮かんできて、相田は少しだけ泣きそうになった。そんな検索予測は要りません。結構です。


 とりあえず細かいことは忘れよう。今はこの巨大な爆発音とテンションの上がる演出に集中すべきだ。戒斗が大人しくしてくれていることに感謝しながら、相田は寝転がった。



 一時間はあっという間に過ぎ去る。その後も再放送の時代劇を喜々として視聴した戒斗と相田であったが、気がつけばもう昼近い時間になっていた。両者の腹が不平不満を訴え出し、意識は網屋の残したタッパーへと注がれる。


「ちょっと早いけど、食っちゃうか」

「それがよい。じい、おにぎりをもってまいれ」


 先程まで見ていたものの影響か、戒斗の喋り方が妙に時代がかっている。「俺、じいやなの?」と苦笑しながらタッパーをうやうやしく差し出すと、戒斗は「ウム、たいぎである」と受け取った。

 受け取るその瞬間、一瞬ではあるが、何とも言えない表情になったのを相田は見逃さなかった。違和感を感じたような、そんな顔だ。

 いや、今だけではない。戒斗は何度もその表情を浮かべていた。


「……どした。何か、気になる?」


 戒斗はすがるような視線を相田にぶつけるが、それでもすぐに首を横に振った。


「ううん、なんでもない。おにぎりたべよーぜ」


 そう言いながらタッパーの蓋を開ける戒斗。今はまだ、触れないでおいた方が良さそうだ。相田は、心の奥底で呟いた。


 タッパーに詰め込まれた大量のおにぎり。一枚、走り書きのメモが添えられている。


『遥ちゃんも手伝ってくれたものなので、ありがたく食うこと。中身は全部違う具材。当たりもあるよ!』


 網屋の文字だ。最後の一文が気になって気になって仕方がない。わざわざ『当たり』などと書いてきたということは、彼の性格からしてお察しである。

 当たり。当たり、とな。タッパーにズラリ並んだおにぎりは全てラップでくるまれており、海苔を巻いたもの、巻いていないもの、混ぜ込みタイプのものと様々だ。見た目だけで判断しても良いものか。あの三十分間でどこまで仕込んだか。いや、戒斗がこの状態なのだ、あまりにもヒドイものは仕込んでおるまい。いやしかし、先輩のことだ、どうなっているやら……


「まさゆき、たべないの?」


 ぐるぐる回る不穏当な考えに埋没する寸前、戒斗の声が意識を破った。


「あ、ああ、食べるよ……ってちょっと待ったぁあ!」


 何も知らない戒斗は、素直におにぎりを一つ手にとっている。


「待った! とにかく、お願いだから待ってえええ……」

「これ、ほしかったの?」


 昨日の残り物を利用した天むすを抱えていた戒斗は、笑顔で相田に差し出す。


「じゃああげる!」

「おお、ありがとう。じゃなくて! それはいいの……多分」


 もしかして、中にわさびが大量混入しているとか。いや、まさか。相田は、網屋と、そして遥の善意に賭けることにする。少なくとも遥は妙なことをしないだろうし、網屋が暴走しそうになっても止めてくれるに違いない。


「あのね、このおにぎり、当たりが入ってるんだって」

「あたり! いっこだけかな」

「……個数!」


 ほぼ悲鳴である。当たりの個数に関しては何も書かれてはいないのだ。何となく一個だけだろうと思っていたのだが、そうだ、複数ある可能性が否定出来ないではないか。

 相田の血の気が引くが、戒斗はお構いなしだ。幼児の思考回路ゆえの純粋さが仇となる。迷いもせずに他の一つを取り、ラップを剥いてかぶりついた。


「すごーい! しゃけ、でかいのはいってた!」


 網屋の得意技、焼鮭を真っ二つにして握り込んでしまうおにぎりを引き当てた戒斗は、それはそれはもう喜んで食べている。

 相田も、腹をくくるしか無いと覚悟を決めた。もしも戒斗が当たりを引き当ててしまったなら、あとでたっぷり先輩に問いただせば良いし、自分が引き当てても問いただせば良い。

 透明なラップでくるんであるので、大まかに方向性は分かる。コーンとツナの混ぜ込みは子供向けだろうから取らない。海苔の隙間からほんの僅かに昆布が見えているものがあるが、多分しそ昆布であろう。焼きおにぎりは醤油味と推測。

 そうやって眉間に皺を寄せて見つめているうちに、相田は一つの真実を発見した。

 大きさが、違う。ほんのわずかではあるが、大きいものと小さめのものとに分かれているのだ。


「そうか、手の大きさだ」


 遥と網屋、両者の手の大きさを比べた場合、当然網屋の方が面積は広い。と、いうことは。

 相田は大きさ別におにぎりを揃えてしまう。気持ち小さめのものは全て戒斗の前に並べた。これは多分、遥が握ったものだ。彼女のことであるからきっと、戒斗の好物を揃えてきているに違いない。

 そして、自分側に寄せた大きめの方。こちらこそが「網屋謹製・当たり入りおにぎり」であろう。さあ、一体どれが「当たり」だ……。


「ええい南無三!」


 結局は考えても仕方ない。口に入れば皆栄養だ、おこめはとってもおいしいです!

 海苔が巻かれていない、真っ白なおにぎりを選んだ。もう何を選んでも同じだと、何の対策も心の準備もせずに勢い良くかぶりつく。


 後から思えば、せめて匂いくらいは嗅いでおくべきだった。


 人間というものは、食べ物の見た目と、元来持っている味の記憶とが合致しないと混乱を起こす。それを、相田は身を持って知ることとなる。


「……甘ぁッ?!?!」


 塩むすびかと思って口にしたそれは甘かった。表面はかすかに塩っけがあるものの、中に入っている具材はおかずの甘さではない。明確な甘さに覚えがあるものの、頭が追いつかなかった。

 咄嗟におにぎりを割ってみる。真ん中に入っていた具材は、上品な紫色をしたペースト状の物体。


「うっわ、先輩、中にあんこ入れやがった……!」


 甘味の正体は、なんと粒餡であった。おにぎり表面にごく控えめにまぶされた塩分が、粒餡の甘さを余計に引き出している。だが、まずいという印象はなかった。寧ろアリだとすら感じてしまう。

 頭の中が疑問符で一杯になったところに、覗き込んだ戒斗の一言が炸裂した。


「それ……おはぎのぎゃくだね」

「そうだ、おはぎだコレ」


 冷静に考えれば、おはぎの外側と内側が反転しているだけである。味そのものに違和感を感じなかったのはそのためだ。しかもわざわざ普通のおにぎりと塩加減を変えている。


「ひとくちちょーだい」

「ん、半分やるよ」


 先ほど割った半分を戒斗に渡すと、残りの半分は一口で食べてしまう。戒斗の方は一口食べるなり、けらけらと笑い出した。


「おはぎだー! はんたいおはぎだー!」


 この、どうしようもないイタズラのためだけに、網屋はご丁寧におにぎりを握ったのか。それを思うと相田も笑いがこみ上げてくる。それを見ていた遥は、一体どんな顔をしていたのやら。


「ホント先輩、くだらねぇなぁ」


 空気が漏れるように笑い声が口からこぼれて、ようやく自分が、肩の力を抜いて笑っていることに気が付いた。そのためのいたずらなのだと、気が付いた。




 しかし。神という奴がもしいるのなら随分と残酷だし、運命とかいうものがもしあるのなら随分とむごいものだ。

 異変は、それほど間を置かずに現れた。




 咀嚼回数を増やすことで食べるスピードをかなり抑えている相田が六個目、戒斗の方は三個目を食べ終えた時だ。

 遥の作ったおにぎりを見つめて、戒斗の動きが止まった。困ったようにおにぎりと相田を交互に見つめ、戒斗は少し泣きそうな顔になる。


「もういっこ、たべられそう」

「いいんだよ、好きなだけ食って」

「うん……」


 恐る恐る手を伸ばして塩むすびを取ると、ラップの包みを開けずに両手で抱え込む。しょんぼりとうなだれて、絞り出すようにこう言った。


「……なんで、こんなにいっぱい、たべられるんだろ」


 この一言に、相田は頭を鈍器で殴られたような気すらした。


 そうだ。今の戒斗は「四歳から五歳程度の幼児」である。それは身体感覚も同じことであって、実際の身体とのギャップはそう簡単に埋められるものではない。しかも、大人の意識のまま子供の体になったのならともかく、戒斗はその逆。意識は子供のまま。冷静に判断などできようはずもないのだ。

 幼児ならばせいぜい二個が限界。何の疑問も抱かずにいられるほど、幼い戒斗は愚かではなかった。


「おもいものだってもちあげられるし、あるくのもはやいんだ。ねえ、まさゆき……おれ、ホントにおとなになっちゃったんだね」

「戒斗……」

「なんで、おとなになっちゃったんだろ。おっきくなってうれしかったけど、でも、さいしょ、はるかがおれのことみて、なきそうになってた。なきそうなかおしてた」


 言葉に水分が混ざる。戒斗は袖で何度も目をこすり、涙がこぼれ落ちるのを阻止する。

 戒斗が何度も感じていた違和感。子供の体と感覚では有り得ない、大きさや強さ。せめて遥の前では弱音を吐くまいと耐えていたのだろう、だが限界だった。うつむいて隠した顔、食いしばった歯の隙間から、溢れる嗚咽。恐怖と、不安と、ありとあらゆる心を苛むものに押し潰されそうになりながら、それでも彼はこの瞬間まで耐えたのだ。

 相田はただ黙って、うつむく戒斗の頭を撫でた。泣くな、などと言う気は無い。大人にだって言う気は無い。子供ならなおさらだ。大人だろうが子供だろうが、誰だって泣きたい時に泣けば良いのだ。

 遥が作った塩むすびを宝物のように抱えたまま、戒斗は声を殺して泣いた。

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