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01 違和感と真相

「おのれ、クライシスていこく! きょうというきょうはぜったいににゆ゛る゛さ゛ん゛!」

「フハハハハ! 今日こそが貴様の最後だ、RX!」


 随分と古い特撮ヒーローの人形で、ごっこ遊びに興じている大人二人。片方はメガネを掛けた中年。塩野だ。

 もう片方は青年といった歳頃だろうか。精悍な顔つきであるにもかかわらず、やけに幼い印象を与える。話す言葉も微妙に舌足らずで、肉体と精神のちぐはぐさが違和感を生む。

 実際、青年の方は遊びに夢中になっているのが見て取れる。浮かべる笑顔も、ひどく幼い。


 そんな光景が、相田雅之の部屋で朝っぱらから繰り広げられている。


「……どういうこと?」


 理解がまるで追いつかない。相田は、目の前にいる少女に真顔で尋ねた。


「少しの間、一日だけでいいんです。彼を……戒斗を、預かってください」



 小柄な少女はその美しい銀髪を深々と下げる。ショートカットの髪がサラリと揺れて、重力に引かれ落ちる。慌てて相田は彼女の頭を上げさせた。


「いやいやいやいや、うん、分かったから。……とにかくさ、こうなった経緯っていうのか、その辺りの事情を色々と説明してもらわないことには、なんとも……」


 そこまで言って、相田は視線を移した。困惑顔の少女、長月遥の背後でヒーローごっこを続ける彼の名は、戦部戒斗。またの名を「黒の執行者」。その手の界隈では名の知れた傭兵であるはず、なのだが。


「そこから先は僕の出番だね! よぉし網屋君、タッチ交代だっ」

「あいあい。フハハハハハ、そこまでだブラックサン! 今日こそは貴様の命、貰い受ける!」


 手にしていたソフトビニール製の人形を網屋に渡すと、塩野は遥の隣に移動した。

 相田の部屋は基本的に低い位置での生活である。祖父の家にいた頃の感覚がいまだ抜けず、フローリングの上に簡易版の畳を敷いてちゃぶ台を置いているのだ。椅子はあるにはあるが部屋の隅に置いたままだ。

 塩野はそのちゃぶ台に両肘をつくと、身を乗り出すようにして喋り始めた。


「まずは簡単に言うね。戒斗君は先日、解体屋からの攻撃を受けた」


 相田は血の気が引くのを体感した。解体屋、と言っても車や建物の解体ではない。塩野の言う解体であるからにはただひとつしかなく、彼の本業である「人間の精神を言葉で崩壊させる」方の解体だ。


「攻撃を食らったのは一昨日の晩。気絶した状態の戒斗君を遥ちゃんがこっちに連れて来てくれたんだ。外傷もなく、体調の変化もなかったため一晩様子を見て、目が覚めたらこの有様」


 戒斗を見つめる遥の視線は、困惑と後悔に満ちている。もっと早く対処していれば、なんとかなったのではないかという可能性の後悔だ。

 そんな遥の顔を、塩野は突然両手で挟んだ。そのまま頬をぷにぷにと押す。


「んもー、はーるーかーちゃーん! 言ったっしょー? 遥ちゃんのせいじゃないし、遥ちゃんはやれること最大限にやってるって。そんな悲しい顔、しないっ! 遥ちゃんが悲しい顔してると、シズキンも悲しい! 泣いちゃう!」


 なされるがままの遥。困惑が別の方向へ転換しただけだ。塩野はニッコリと笑って見せると、両手を離した。


「がんばろ。ね?」

「……はい」


 塩野が言わんとしていることはよく分かる。故に、遥も微笑んだ。塩野は満足気に頷いてから、相田に顔を向け直す。


「見たまんま、戒斗君は完全に幼児退行をやっちゃってる。解体屋の精神攻撃を喰らった結果だろうね。今の精神年齢は……そうだねぇ、大体五歳ぐらいってとこかなぁ」

「未就学児、っすね」

「んだねー」

「塩野先生が、チョチョイのチョイっといつも通りに解体で解決、って訳にはいかないんですか?」

「それが出来たらそれに越したことはないんだけどねー。現実問題、困ったことにそう都合よくはいかないのよ、コレが」


 塩野は振り向いて戒斗の顔をしげしげと眺めながら、言葉を続けた。


「遥ちゃんにもまだ詳しくは説明してなかったから、今のうちに話すね。まず、解体屋がよく使う幼児退行のやり方は二つあって、一つは『巻き戻し』って言うんだ」


 戒斗は呑気に遊び続けている。網屋も手慣れたもので、それに根気よく付き合っていた。弟の面倒を見ていた昔の姿を、相田は思い出す。


「対象の記憶を、目的の年齢の頃にまで戻してしまう。これをやると、その時代の記憶にある人物や景色しか分からなくなる。要は主観的に見て逆タイム・スリップって感じかなあ。彼から見たら、突然未来の時間軸に放りだされた感じに思えるだろうね」

「記憶の遡行、というものですか」

「おっ、遥ちゃんよく知ってるね。これは対象から過去の情報を引っ張りだすのにも有効だから、知名度高いかもしんない。……で、本題。僕ら解体屋がこの技を攻撃として使う時は、遡行した状態で止めちゃうのさ」


 物騒なことを当たり前のように話す塩野。彼の説明は淡々と進む。


「もう一つは『フィルタリング』ってやつ。行動に対して制限をかけて、行動の発露を捻じ曲げる。幼児退行の場合は、行動に対して『幼児化』っていうフィルターをかけるわけだ。この場合だと、記憶は現状のまんま。有り体に言っちゃうと赤ちゃん返りだね。これを、外部から強制的に行うのが、フィルタリング」


 ここまで一気に話すと、塩野は長い溜息をついた。


「……で、ここからがマズいの。戒斗君、この両方を喰らっちゃってる」


 相田と遥は思わず顔を見合わせた。当然、二人とも困惑に満ちた顔だ。視線は次に塩野へと突き刺さり、次の説明を急かす。


「今の戒斗君は、自分のことを『体だけ大人になってしまった』ような感じだと思ってる。確か、遥ちゃんにもそう言ってたよね?」


 無言で頷く遥。肯定を確認してから、塩野は続ける。


「そこだけ見れば巻き戻しに思えるんだ。だけど戒斗君は、遥ちゃんと、そんでもって相田君のことだけは、幼児化した今でもはっきり覚えているんだよね」


 それは嫌でも分かる、と相田は心の中で呟く。呼び鈴が鳴ってドアを開けるなり、「わあ、まさゆきだ!」と飛びついてきた戒斗に面食らったのがつい二十分前の出来事だからだ。


「多分、彼に掛けられたフィルターは面倒なことに、複数の階層が重なった多層構造になってる。しかも、そのフィルターひとつひとつにがっちり鍵も掛かってるんだ。その行動こそが正しい、そうせねばならないっていう条件付けっていうのかな。コイツが僕らの言う鍵。彼の場合はこれがひどく複雑なかたちで、しかも何重にも重なってるわけ。僕が外すこともできなくはないけど……まあ、今日明日でどうこうってのは無理だね」

「どれくらい、かかるんですか。やるとしたら」

「どんなに短くても、最低一週間。もしアレなら、大体一ヶ月は見てもらわないと」

「そんなに、ですか」

「かなり腕の良い奴にブチ当たっちゃったみたいだね。こんな複合型は余程の天才か努力の鬼か、そうでなけりゃ変態さんじゃなきゃ出来やしない芸当だよ」


 塩野がそこまで言う相手とは何者か。相田の疑問を読み取ったかのように、塩野は答えを出した。


「ま、本場アメリカ辺りから遥々お越しくださった本職マンだろうねえ。解体業じゃなくて、錠前屋かもしんない」

「錠前屋? なんすかそれ」

「記憶に鍵を掛けて、安全な領域を作っておく専門の人達。洗脳とか解体とか食らった際、外部からの一定行動によってすぐに解除できるようにするの。僕の同業者とか、色々ヤバイお金持ちなんかはよく、こういう防犯用の鍵掛けてるんだ。安全面に対する施錠じゃなくて、こういう制限系の施錠もアリっちゃアリだね」


 だが、感心している場合ではない。塩野は矢継ぎ早に情報を繰り出す。


「さらに言えば、錠前を開けるための鍵を、掛けた本人の声紋にしてあるから厄介極まりない。実に古典的だけど、でも有効な手段ではある。時間を稼ぐには一番手っ取り早い手だね」


 時間を稼ぐ、という発言に反応した遥の、わずかな表情変化を塩野は見逃さない。


「もしかして、心当たりあるんだね? そうでしょう、遥ちゃん」

「……はい。残念ながら」

「だよねー。そうじゃなきゃ、そもそもこんな厄介な事にはならないもんね」


 長い溜息をついて、塩野は背中を丸めた。言葉にして吐き出した情報の分、体がしぼんでしまったかのように見える。

 しかし、塩野はすぐに体を起こした。彼が重視するのは速度だ。弛緩したまま時間が流れてゆくのをぼんやりと眺める趣味はない。


「この状況を解決する、最も手っ取り早い方法はただひとつ。戒斗君に鍵を掛けた張本人を探し出して、そいつ自身に開けさせること。これが一番確実性があるし、現実的で君ら好みでしょ?」

「そうじゃなけりゃ、俺が呼ばれた意味無いですからね」


 と、網屋が口を差し挟む。意識が逸れた隙に、網屋の持っている人形は戒斗の人形から攻撃を食らって倒れ伏した。「ぬうわ、やるなブラック・サン」などと言いながら網屋は遊びに戻ってゆく。


「相手の居場所は、遥ちゃんの方で大体掴んでるみたい。殴り込むなら網屋君と遥ちゃんの二人がいれば必要十分。でもねえ、今の戒斗くんをそこに連れてく訳にはいかないからさ」

「で、俺んとこに連れてきた、と」

「そゆことだね」

「それにしても、何で俺なんですか」


 相田の質問は随分と曖昧で、茫洋としている。何で、という言葉がその原因だ。その疑問がありとあらゆる部分に引っかかってしまう。それでも、塩野は丁寧にその「何で」に答えを出してゆく。


「知らない人より、記憶の片隅にでも残ってそうな人の方が断然良いかなって思って。まあ、その賭けは見事にジャック・ポットを決めたわけだけど。……戒斗君、残念ながら今はちびっ子だから、知ってる人じゃないと不安になるでしょ」

「うーん、なるほど」


 口から出てきた台詞とは裏腹に、相田はまだ何か引っかかっているような顔付きだ。仕方ないといえば仕方ない。


「あとは……何で相田君、かあ。んっとね、多分だけど、相田君は『おともだち』としてフィルターをくぐり抜けたんだと思う。これはあくまでも憶測だけどね。遥ちゃんは『だいすきなこ』って感じ。小さい子の身近にいる存在だね。『だいすきなこ』は、まあ、人によるけどさー」


 限界まで噛み砕いた説明に、相田は黙ったまま軽く頷いた。


 初めて会った時、自分よりも歳上なのかと思った。車の趣味が合う奴だった。先輩と同じ界隈に肩まで浸かってる人種だった。

 それが、今はどうだ。面影すらない。ほぼ何も知らぬ幼子だ。

 こんな目に合わされる可能性がある、それが彼らの住んでいる世界なのだと分かっていても、それでも込み上げてくるのは怒りだ。あとは、遣る瀬無さ。


「大体、分かりました。要は、戦部君とここで留守番してればいいんですね?」

「うん。ちゃちゃっと行ってちゃちゃっと済ませてくるから、おりこうさんで待っててちょーだい」

「……恩に切ります。出来る限りは、急ぎます故」


 遥の声は硬い。それに対して相田は、ただ「よろしくお願いします」としか返せないのだった。

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