第一話 青春ヒヒヒ
最初の感想は『まぶたが軽い』だった。
それはいわゆる比喩表現のそれではなく、本当の意味で軽かった。
「今の記録は?」
「わからへんよ、測りないし、まあでもさっきよりは跳んでたんとちゃう」
「そうか、よし、じゃあもう一度、おらああああああああっ――――」
目の前に広がる、見たこともない大草原に、目を奪われんとするより先に、有り得ないくらいの跳躍力で、垂直跳びを5mも6mも跳び上がるトモカの姿が目に入る。近くには一緒になってはしゃぐリサと、それを座りながら見守っているカナとリンコがいる。
「えーっと……ここどこ?」
隣で横たわっていたアカネが、一番最後に起き上がってきて、私に尋ねた。
「さあね、まあ教室じゃないことは間違いないけど」
気を失う前、私たちは確かに高校の会議室にいたはずなのだが、現在目の前に広がる世界は、私たちが暮らしていた街からは考えられない程の大自然だ。田舎の自然なんてレベルではなく、見渡す限り人工物などは存在しない、手付かずの木々や緑に覆われている。
しかしながら、これほどの不思議状況に陥っても、私を含め誰一人として、大してたじろいでいないのは、知った顔が近くに居るからなのか、もしくは6人が6人とも、そういった性格の人間が集まっているからなのか。
「おっ、やっと起きたか」
私とアカネが目を覚ましたことに気づいた4人が、だらだらと集まってきた。
「まあ、あんたらに聞いても分かんないとは思うけど、一応聞いとくわ……ここどこ?」
「おお、なんや、けっこうな言い方やな、うちらをみくびってもらっちゃあ、困るで姉ちゃん」
「へー、じゃあ、ここがどこか説明できるの?」
「もちろんや、ゆうたれリンコ!」
リサは自慢げにのたまっているが、結局はリンコまかせのようだ。
「いや、私もそんなはっきりとは言い切れないけど…………そうね、たぶん異世界」
「異世界?」
「うん、まあ異次元とか平行世界とか言ってもいいけど、そこらへんは大して区別ないから」
「異世界って……まさか現実主義者のリンコの口から、そんなファンタジーなセリフが飛び出すとは思わなかったよ」
「あらそう?でもこれかなり現実的な結論だから――――私たちが会議室にいた時に、ブラジル近くに落下したと思われる隕石……あの隕石内の空洞部分に未知のエネルギー物質が存在してたのは、さすがに知ってるわよね?」
「ああなんか『世界が滅ぶかもしれない』っていうあれだろ?テレビのオカルト特番でもよく取り上げられてた」
「そう、世間ではそんな都市伝説的な広まり方をしてたけど、一部の優秀な科学者の間では、そのエネルギー物質について、もっと科学的な考察がなされていたの――――まあ、あくまで予想の範囲だから一般にはあまり出回ってないのだけど……で、その予想ってのが、隕石が落下して、中のエネルギー物質が放たれたときに、”次元転移災害”が起きるのではないかってこと」
「次元転移災害?」
「まあ、わかりやすく言えば、ワープとか神隠しとか、そんな話…………別次元に存在するとされる、異世界や平行世界といった類の世界に飛ばされるんじゃないかって―――」
「マジかよ……じゃあ地球にいた人間は、あの隕石の落下によって、みんなこの世界に飛ばされてきたってことなのか?」
「――――いや、たぶん私たち6人だけ」
「6人だけ?へっ?なんで?」
「私たちがこっちに飛ばされる直前のこと覚えてない?教室の床が一瞬光ったと思ったら、今度は真っ黒に覆われて、今この状況になったでしょ?……あの時、私は教室の床全体を見渡したんだけど、端っこの方は普段の床と変わっていなかったの――――あの大会議室の大きさからして、暗闇に覆われてた範囲はだいたい直径20mの円くらい……つまり今回の隕石と同じくらいの大きさだった」
「じゃあちょうど隕石が落ちた範囲にいた人間だけが飛ばされたってこと?……でもさあ隕石が落下するのってブラジルだろ、なんでうちらの高校がその範囲内なんだよ?」
「……日本の真裏はブラジルって話、聞いたことない?まあ正確に言えば、ブラジル付近の太平洋上なんだけど……今回の隕石の落下予想地点は、ズバリその太平洋上、もっと細かい予想だと、私たちのいた地域のぴったり真裏辺りなんじゃないかと言われていたの――――次元を変えるほどのエネルギー体なら、物質なんてものは貫通して当たり前だから……地面や、マグマ、マントルなんかを貫通して、ちょうど地球に直線を引くように、私たちの位置にぶち当たったんじゃないかしら」
「ちょっと待ってよ、私たちのいた高校の会議室が、隕石の落ちた場所のちょうど真裏って……そんなウソみたいな確率、本当に有り得るの?」
「本来なら有り得ないわよ、12,000kmもある地球上でたった直径20m程の範囲にぴったり入るなんて……私だって、そんな無限大でも割り切れない程の確率、科学者を志すものとして、信じるわけにはいかないけど――――でも、実際いまその状況にあるわけだから、そう納得する以外仕方がないでしょ?」
「…………マジかよ、異世界って」
そんな突拍子もない話、にわかには信じられないが、リンコの言う通り、実際に私たちは現在進行形で体験しているわけで、夢の中でもない限り、リンコのこの説明を信じるより他はなかった。
「えーっと、じゃあさ……もうついでに聞いちゃうけど、これって元の世界に戻れたりすんの?」
「私に聞かれても知らないけど―――――まあ普通に考えて無理なんじゃない」
「…………だよねえ」
例えば、突然、異世界の精霊が現れて、『私の世界を救って~』というような、ファンタジー的な展開でのこの状況だったら、最終的に元の世界に戻るなんてことは、ごく当たり前なことなのだろうけど、こんな科学的な原因での異世界転移だと、まず地球への帰還なんて、不可能だろう。
「まあ今いるこの世界が、物凄く科学が発展してたりとか、魔法だとかそんな類の非現実的なものが存在して、異世界への移動方法が確立されているなんて可能性も十分考えられるけどね。……ただそれなら、以前から地球にはこの世界の人間がもっと来ていたはずだから……まあ無いと考えるのが無難かな」
リンコは、私たちの世界には二度と帰れないという結論を、まるで他人事のように言ってのけた。
「…………まあ、ならしゃあないか、こっちで生きていこうぜ」
トモカはさも当たり前のように納得した。
女子高生達が片道切符で異世界に飛ばされる。普通であれば、ここは元の世界に戻れない悲しみや、これからの不安などを憂いて、泣き叫び、絶望する場面ではないのだろうか。
「せやな、まあ、人生こんなけったいなことも、起こるっちゅうことやな」
「よし、じゃあどうする?とりあえず今から」
「セオリー的には街を探すんじゃない?こういう場合」
トモカに続いて、リサ、カナ、アカネも同調した。
「いやいや、切り替え早くない?みんな、いいの?もう家族とかに会えないんだよ?」
「だって、しょうがないだろ、帰れないなら。両親は悲しむかもしれないけど、まあうち兄妹いるし、私くらい旅立ってもなんとかなるでしょ」
「あはは、うちなんか5人兄妹だからね」
私の投げかけにトモカとアカネが答えた。
「だいたい女の子っちゅうのは、最後にはどっか嫁ぐもんやねんから、それが早まっただけやろ」
「そうだよユキ、もう18にもなってまだ親が恋しいの?」
「恥ずかしいやっちゃで」
リサとカナには、なぜか怒られてしまった。私の方が絶対に一般的なはずなのに。
「まあまあ、ユキは私たちとは違って、箱入り娘なんだからしょうがないじゃない」
リンコは一人だけ私をフォローしてくれたのだが、彼女の表情は、普段とはいっそう異なり、明らかに目を輝かせている。彼女の知的好奇心の前には、元の世界への懐郷など、頭の片隅にも無いようだ。
「いや、別に箱入り娘じゃないけど……まあみんな前向きなら心配いらないか」
立場上、何となくみんなを諭してはみたけれど、実のところ、私自身も、悲しみや不安などはあまりなく、これからのこの異世界を冒険するワクワク感の方が、気持ちの大部分を占めていた。
リンコの言う通り、確かに私は幼い頃より、家族から「蝶や花や」と育てられてきた。私もその期待に応えるべく、祖父の元で剣道を、祖母の元で華道や茶道を習い、小学生の頃から、級長や生徒会長といった役職に就いてきた。特別仲の良い友人以外には、それこそ家族にさえも、私は真面目で、清楚なお嬢様と思われているだろう。
しかしながら本来の私はまるで正反対な性格の持ち主だ。この6人でいる時の私は、もっとズボラで不真面目だし、なにより根っからのオタク気質で、家族には隠れて、家ではアニメや漫画にどっぷり浸っている。
(そんな私が、異世界冒険なんてファンタジー展開……心が躍らないはずないじゃないか)
「あとこれも一応確認しておきたいんだけど、なんかここ”体”変だよね?」
「体が変なのではなくて、重力が軽いのよ、さっきのトモカの跳躍を見る限り、地球の7~8分の1ってところじゃない?」
リンコが答える。なるほど、だから体がこんなにも軽いのか
「マジかよ、じゃあここなら私、世界新出せんじゃね?ちょっと記録計ってよ!」
「いいけど、なんのためによ、もう帰れないのに」
「そもそもストップウォッチがないじゃん?」
「スマホについてるだろ、いいから計ってよ、陸上をやってるものとして計らずにはいられないだろ」
「時間は計れても、距離が測れないでしょ」
その会話を聞いて。私はやっとスマホの存在を思い出し、制服のポケットに手をのばした。
「電波は通じてないよ、当たり前だけど」
「ああ、やっぱり、じゃあ、あんま意味ないね」
「そうね、ただカメラや音楽なんかは、この世界の文明レベルによっては貴重なものになるかもしれない」
「なるほどね、じゃあ電源切っといた方がいいね、充電なんて出来ないだろうし」
「そもそも人なんか住んでるのか、ここ?」
「さあね、まあでも酸素もあって地球に近い生態系のようだし、人類がいても不思議じゃないよ、そもそも平行世界の定義上で言えば、地球と似たような進化を遂げてるはずなんだけど」
「いや、いるでしょ絶対、ていうか異世界来たんだからいないと困る!魔法もあってもらわないと困るし、エルフやドラゴンもいてもらわないと困る!」
「うわあ、出たよ厨二脳、エルフとかいねえよそんなの」
「はあ?なんでそんなの言い切れんのよ、いたらどうすんの?」
「いたら土下座してやるよ」
全く異世界にきたというのに、夢のない友人達だ。
ただ私自身も本心ではそんな妄想の産物が実在するとは思えない。
(というか、本当に人類がいなかったらどうしよう……これから6人でサバイバル生活になっちゃうな)
「まあとりあえず、歩こうよ、ここにいてもしょうがないし」
「そうだね、街とかあるかもしれないし」
「よしっ、じゃあ競争だ!」
「せんわ、アホ、疲れるだけやろ」
そんなこんなで私たちは、あてもなく歩き始めた。これから先への不安もあるが、今はこの非日常体験に胸が高鳴っている。知らない世界で、見たこともない大自然を友人達と歩いている。そんな状況に私は自然と顔がにやけてしまう。
しばらく歩き続けていると、なにやら人為的なにおいのする『道』のような場所を発見した。
「これはさすがに人の手が入ってるぽいね」
「おっじゃあ、やっぱり人類がいるってこと?」
「うーん、そうだといいんだけど……ただ舗装されている訳じゃないから、何とも言えない」
「原始人っぽいのが出てくるかもな、猿の惑星みたいな」
そんな話をしている時だった。右手側の20m先くらいにある茂みの方から『ザザザッ』という物音が聞こえてきた。私たちはとっさに振り向き緊張を走らせる。
「&%#♪×¥●△$◎☆♯♭※!?」
そこには中学生くらいの体格で、見たこともない布の服を着た、白人のような整った美しい顔も持つ男の子が立っていた。そしてその子の耳は、長く斜め上に立っており、いわゆる漫画でいう所の『エルフ耳』という奴だった。
「おい、アカネ、エルフいたぞ!…………土下座」
「………………はい」
アカネの頭を足で踏みつける。
こうして私たちは第一村人ならぬ、第一異世界人を発見した。