後編
朝起きても、藤森明は憂鬱だった。
学校に行きたくない。五木猛夫の秘密をしゃべったのが気にかかる。それでも稲田香には会いたかった。サボテンのことなど、もっともっと話したい。こんな気持ちは初めてだ。
香は、ポロッコを猛夫の店で買ったとは誰にも言わない、と約束した。だったら問題ないじゃないか。そう自分に言い聞かせた。
机の上でポロッコが朝日を浴びている。片手を「やあ」と上げた形状で、われ関せずといった顔つきだ。
明はふとんから出た。洗面所で顔を洗う。水は冷たく、気分がすっきりした。部屋に戻り、ポロッコを机から下ろしてトートバッグに入れる。
軽い朝食をとって家を出ると、わざと香の自宅の前を通って学校に向かった。イチイの生垣の向こうに温室が見える。明は生垣から伸び上がって、家のほうをのぞいてみた。
「きみ、のぞきは犯罪だよ」
あっ。振り返ると、香が立っていた。日差しを浴びて、セーラー服がまぶしい。肩にかけたボストンバッグから突き出ているのは……。
「じょうご?」
明はカバンを指さした。
「これ。そう、じょうご」
「なんか、変」
「サボテン男に言われたくないね」
明は、トートバッグから顔をのぞかせるポロッコを見た。確かに変だ。
「ほら、学校に行くよ。のぞき魔を連行する。罰として花壇に水をあげること。無期懲役だからね。わかった」
香が、明の制服の腕をつかんで引っ張る。校門に沿った塀の角まで来て、香の友達の姿が見えた。香は明の腕を離すと、
「先に行ってるよ」
そう言って軽快に駆けだした。すぐに振り返る。
「きみ、園芸部に入りなよ。放課後、学級花壇で待っているから」
香のスカートがひるがえった。
校門近くの友達に大きく腕を振り、駆けていく。明は突っ立ったまま見送っていた。胸がおどっているのが不思議だった。
放課後になると、明は学級花壇に行ってみた。
渡り廊下を挟んだ校庭の反対側に、花壇が広がっていた。ジャージを着た園芸部員が四五人いて、花に水をやっている。その奥には小さな畑地があった。
香が明に気づき、じょうごを持った手を振った。
「きょうから入部した藤森くんです」
香が明を引っ張って来て、他の部員に紹介する。
明のトートバッグにサボテンの鉢植えが入っているのを見て、よほど園芸好きなんだと、部員たちは思ったようだ。なかには明と同じクラスの女子もいて、彼女だけは変な表情をしていた。火星のサボテンだと打ち明けるのはやめた。香もポロッコの紹介はしなかった。
園芸部員は全部で十五名いて、その多くが他の部とかけもちをしているという。部活は週二回だが、集まりが悪く、出れる生徒だけで活動しているそうだ。
「実を言うと男手が欲しかったのよね」
香が明に軍手を差し出した。
春夏に立派な作物を実らせるため、これから畑の土づくりをするという。畑地のそばに置かれた台車には、袋詰めにされた肥料があった。
「学校で出た生ごみを処理して、わたしたちで作ったの」
香がそう説明した。
軍手をはめていると、香からシャベルを手渡された。
明は農作業をするはめになった。その場にいる男子部員は他に一人だけだ。彼は眼鏡をかけ、漂白したように肌が白く、ひょろりと痩せている。肉体労働が得意そうではない。二人でずいぶん深く穴を掘らされた。
つぎに袋から肥料をあけ、かきまぜて土壌になじませる。これが重労働だった。それでも香に応援されると、明はやる気がわいた。眼鏡の男子が黙って作業を進める。慣れているらしく、動きがこなれていた。
土づくりを終えるころには日が暮れていた。
初めての農作業で、明はくたくたになった。明日は筋肉痛になるだろう、と予想できた。身体は疲れ切っていたが、気持ちは充実していた。
「部長。ご苦労さまでした」
香が、眼鏡の男子にタオルを差し出す。
ええっ。部長だったの、と明は驚いた。
部長から「来週までに入部届けを出すように」と言われ、明は「わかりました」と頭を下げた。これで入部は確定した。部長だと教えてくれればいいのに、と明は香に目つきでうったえる。
香が、いたずらっぽく笑う。
部員と校門で別れると、明は香と帰途についた。
「冬に咲く花って、たくさんあるんだね」
明は、花壇に植えられていた色鮮やかな花を話題にした。
「そう。冬にはアネモネ、カトレア、パンジー、ビオラなんかを植えつけるの。ポロッコは、どんな花を咲かせるのかな」
トートバッグのサボテンに香が目を向けた。
「どうだろ。本人に訊かないとわからないよ」
「じゃあ訊いてみてよ。わたしには直接話してくれなくても、明くんを間におけばポロッコと会話できるかもしれない」
「そうだね。やってみるよ」
とは言ったものの、ポロッコのテレパシーは一方的で、明の問いに答えてくれるとは限らなかった。きょうは朝からずっと黙りこくっている。
香が興味津々で鉢植えを見つめている。
明は香の期待に応えたかった。
「頭に大きな赤い花が咲くんだって」
明がそう言うと、香の顔が輝いた。
明は、香とポロッコの間に立ち、通訳するふりを続けた。
「火星人の人生の目的は、自分の頭に花を咲かせることなんだって。それはぼくらが学校に通い、社会人になり、結婚して子孫を残すのと同じなんだそうだよ」
これは以前、ポロッコから聞いた話だ。
「ポロッコは、いつ人生の花を咲かせるの」
「それは……」
本人に尋ねてみなければわからない。明は言葉につまった。ポロッコでさえ、その時期を知っているかどうかは疑問だ。
「ポロッコは人生の花をなかなか咲かせずにいるんだ。それでひどく悩んでいる。だから、いつ開花できるかはわからないそうだよ」
明は、自分が引きこもった経緯になぞらえて語った。
「そうか。だからポロッコはきみとしか話さないんだね。人生に思い悩んでいる者どうし、意気投合したわけだ」
香は勝手にそう解釈したようだ。
言われてみると、まんざら外れていない気がしてきた。ポロッコがファーストコンタクトの相手に明を選んだ理由が、それで説明がつく。
「わたしのささやかな夢はね。花屋さんになることなの。明くんは?」
「ぼくは宇宙飛行士になりたい」
明は思い切って打ち明けた。
「壮大な目標だね。だったら中学でつまずいてちゃだめだよ」
香に励まされ、明は小さくうなずいた。
学校に通う不安が消えたわけではない。猛夫の脅しはやはり気がかりだ。その心配よりも、香に会いたい気持ちのほうが勝った。
「また明日。花壇の水やりを忘れないでね」
「わかった。放課後、花壇の前で待っているよ」
明は香と約束すると、彼女の自宅の前で別れた。
園芸部は火曜日と土曜日で、きょうの部活はない。花壇の水やりは毎日行っていて、集まれる部員は参加することになっていた。
明の帰りの足取りは軽くなった。明日の放課後が楽しみだ。
翌日、午後のホームルームが終わると、香が先に席を立った。明に目配せして教室を出て行く。明は、はやる気持ちをおさえた。教科書や筆記用具をカバンにしまい、窓枠からサボテンの鉢植えを取る。
「明くん」
狩野先生に呼ばれた。
明の学力を調べるので教室に残っているように言われた。テストの結果いかんでは、放課後に補習をするという。
明はため息をついた。部活どころではなくなりそうだ。
テストのできは最悪だった。一昨日の数学の授業で、ポロッコは明の数式の知識を利用して、その応用である二次方程式を解いた。しかし、明の知識外の問題にはまず無力だった。英語はおそらく十点も取れないだろう。狩野はテストの結果について、ご両親と面談すると言った。
学力テストはやはりだめだった。翌日から補習が始まった。
放課後、明は教室にひとり残って授業を受けた。三ヶ月分のブランクを取り戻さなければいけない。せっかく入った園芸部は参加できそうになかった。ここでくじけてはだめだ。宇宙飛行士になりたい、と香に話した。それは現実の目標として、明の心に強く意識された。
窓から差し込む夕日で、サボテンが赤く染まっている。
ポロッコに話しかけられ、明は学校に通いだした。そしてポロッコを通じて、香と親しくなれた。ポロッコとともに人生の花を咲かせよう――。
明は心に決めた。
一週間がたち、明はしだいに学校に慣れていった。
香をきっかけに、クラスメートがちらほらと話しかけてくる。明は積極的に応えるように心がけた。サボテンを持ち歩いているのは、明が園芸部だからと、周囲の人は理解しているようだ。
猛夫とは、できるだけ接触しないようにした。
このところポロッコが黙りがちなのが気にかかる。明から声をかけても、たいがい返事はなく、向こうからのコミュニケーションを待つばかりだ。
その日は園芸部の活動があり、畑に植えたキャベツを収穫する予定だ。五時間目の授業を受けながら、明は補習をすっぽかせないかと考えていた。ポロッコはいつも通り窓枠の指定席に置いてあった。
物理の先生が、惑星の運動について授業をしている。五十歳くらいの痩せた男で、身にまとった白衣に、不健康そうな浅黒い顔が際立っていた。
授業の余談で、火星探査の話を聞かされた。
火星の探査に始めて成功したのは、1976年の米国のバイキング一号で、同年、二号機によって火星の表面映像が撮影された。2004年には、同じく米国のローバー「スピリット」と「オポチュニティ」が火星に降り、様々な実地調査を行なった。水の痕跡が発見されたのもそのときだ。
「それで火星に生物はいたんですか」
生徒のひとりが手を上げて質問した。
「いるわけないでしょう」先生は断言した。「火星にかつて水があったからって、いまも生物がいるという証拠にはならないですからね。火星は砂と岩だらけの錆びついた星なんです」
「違う。火星にだって高等生物は住んでいる」
明は思わず立ち上がっていた。
クラスメートの注目に気づき、顔を伏せる。かつて仲間外れにされた記憶がよみがえった。いまさら引き下がれない。こっちには証人だっているんだ。
ちらりと窓枠のポロッコを盗み見る。
「火星の地下にはまだ水があります。南極の極冠に氷の張っているのだって撮影されているんです」
明は主張した。
「それで、その高等生物はどうやって暮らしているの?」
先生の顔には興味深げな嘲笑があった。
明は、ポロッコから聞いたとおり、二酸化炭素とわずかな水で生活していると話した。体に貯水機能があり、少ない水分でも大丈夫なんだと付け加えた。
「まるで火星人から聞いたみたいだね」
先生は、明の言葉をまったく信用していない態度だ。
「火星人は本当にいるんです」
明は繰り返した。
「だったらどうして、米国のローバーは発見できなかったのかな」
「火星人は、ふだんは砂にうもれています。砂の下から、そのローバーが走りまわっているのを見たそうです」
「だから、それを誰から聞いたの?」
「それは……」
「きみの話だと、火星人というのは植物に似ているみたいだね。こんどはきみが大切にしている、そのサボテンが実は火星人だなんて、言いだすんじゃないの」
先生の指摘に、明は唇を噛む。
ポロッコの正体を言おうか言うまいかと迷った。
椅子を押す音がして、隣の席の香が立ち上がった。香は真剣な表情で、窓枠のポロッコを指差している。
「あれは火星のサボテンです。名前はポロッコと言います」
香にためらいはない。さらに言葉を続け、
「ポロッコは明くんとテレパシーで通じ合っています。わたしはふたりが意思を疎通する現場を見ました。明くんを通じて、ポロッコと言葉を交わしたこともあります。そのテレパシー能力が火星のサボテンである証拠です」
香は、はっきり言い切った。
明は逆にすくんでしまった。香の言葉で聞いてみると、やはり荒唐無稽に思えてくる。ポロッコがもう何日も沈黙していて、明の不安はいや増した。
教室は静まり返っていた。
香が胸をそらして立ち、先生を凝視している。明は座ることもままならず、机に両手をついた姿勢で中途半端に腰を浮かせていた。
ふいに猛夫の笑い声が響いた。
沈黙はやぶれ、うしろの席の猛夫に視線は集中した。
「なにが火星人だ。おおかたサボテンからテレパシーを受け取るふりをして、園芸部の女の関心をひいているんだろ。色気づきやがって」
「違う。ぼくはそんなつもりじゃ……」
明はそのあとが続かなかった。猛夫の言葉の半分は事実だ。ポロッコの通訳をよそおい、香との仲立ちをしたのは間違いない。
「だったらテレパシーの証拠を見せてもらおうぜ。その火星サボテンになにか質問して、テレパシーで答えてもらうんだ」
どうだ、とばかりに猛夫が教室をねめまわす。
誰も、窓枠の鉢植えに向かって質問する生徒はいなかった。
「じゃあね」
口を開いたのは、物理の先生だった。
「火星から地球へはどうやって来たの。地球のロケットでは、地球と火星がもっとも近づいたときでも、到達に半年はかかる。火星のロケットについて、そのサボテンに教えてもらいたいね」
質問は明に向けられていた。窓枠に視線を送る。ポロッコはサボテンのふりを決めこんだようで、なんの思考も伝えてこない。
明の焦りはつのった。
どうしてだよ。どうしてなにも応えない。
「誰か、火星サボテンのテレパシーを感じたやつはいるか」
猛夫が嘲るように訊く。
「地球を訪れた方法は企業秘密なんだ。ポロッコはそう言っていた」
明はしかたなく自分で答えた。
猛夫は一瞬ぽかんとし、すぐに大笑いをはじめた。
「宇宙規模の大嘘つきやろうだ。言うにことかいて企業秘密ときたぜ」
「違う。ロケットで来たんだ。ロケットは」
明は視線を下げ、
「あの鉢が、ロケットなんだ」
語尾はおのずと弱くなった。そんなわけ……。
「そんなわけねえだろ。おおかた、どこかで拾ってきたんだ」
猛夫の気勢はあがった。
「五木くん」
ふいに香が呼びかけた。
「藤森くんはポロッコをあなたの店で買ったのよ」
香の言葉に、猛夫の顔が硬直した。
「火星のサボテンが、どうして地球のあなたの店にあったのか、五木くんなら知っているんじゃない」
香が鋭い視線を猛夫に向けている。教室の誰もが固唾をのんでいた。香がなにを言おうとしているのか、わからないからだろう。明にはわかった。
「うるせえっ」
猛夫が両手を机に叩きつけて立ち上がる。
「五木フローラ」
香の暴露に、猛夫の顔がみるみる赤くなる。
教室のあちこちから囁きが聞こえはじめた。
その花屋を知っている生徒もいて、やっぱり、という声もあった。猛夫はクラスの誰にも両親の仕事を話していなかったようだ。猛夫の取り巻きは知っていたかもしれないが、口止めされていたのだろう。静かに笑いが広がっていく。
「ああ、そうだよ。親に連れられて花の仕入れに行ったとき、おれが市場で見つけたサボテンだ。火星のサボテンなもんか」
言葉の途中から、猛夫が向かってきた。
明は、自分の口にサボテンを突っ込まれるかと身がすくんだ。
「こいつが火星人で、この鉢がロケットだと。ふざけんなよな。飛べるもんなら、飛んでみろ」
猛夫が鉢植えをつかみ、窓を開け放った。
「やめろっ」
冷たい風が吹き込み、明の心臓は凍りついた。
猛夫は一瞬ためらったけど、ポロッコを窓から落とした。
明は猛夫を押しのけ、窓からのぞきみた。二階下のテラスで、鉢が割れ、土が飛び散っている。ポロッコの血しぶきが広がっているようだ。
「ポロッコ」
明は教室から廊下に飛び出した。階段を駆け降り、校舎を出て、テラスに沿って走る。心臓が激しく脈打った。
教室の窓の下で、ポロッコの胴体はふたつに割れていた。「やあ」と上げていた片腕は見るかげもなく、粉々だった。
明は、ポロッコの残骸にかがみこんだ。棘が刺さるのもかまわず、拾い集め、胸に抱える。体が熱く脈打ち、目頭がにじんだ。
ひとしずく――こぼれた涙を、ポロッコの棘が受け止める。西日にきらめく水滴が、やけに哀しげだった。
震える背中に視線を感じた。
二階の教室の窓から、猛夫の顔がのぞいて、すぐ消えた。
「明くん」
テラスの向こうから香が呼びかけた。明を心配して追いかけてきたのだろう。明は答えず、用務員室にビニール袋をもらいに行った。
テラスに戻ると、明はポロッコのかけらを集めはじめた。テラスの石畳に影が伸びてくる。香かもしれない。彼女が声をかけられずにいるのは、明の背中が全てを拒否しているからだろう。
明は振り返らないまま、ビニール袋を提げて校門を出た。
ふだんより早い帰宅に母親がなにか言ったが、無視して部屋に閉じこもった。ビニール袋を開くと、ポロッコの残骸を前に、膝を抱えて座った。ポロッコが話しかけてくることは、ついになかった。
日が沈みかけたころ、階下でチャイムが鳴った。
ほどなく母親が上がってきて、五木くんだという。明は「会いたくない」と言って、膝を抱え込んだ。
階段を駆け上がる音がした。明はすぐに鍵を閉めようとしたが、遅かった。ドアが開け放たれ、猛夫が飛び込んできた。
「サボテンを貸せっ」
猛夫は軍手をしていた。明の返事も待たず、ポロッコのふたつに割れた胴体のうち、大きいほうを取り上げた。
明は猛夫の腕に飛びついた。
「やめて。それだけは」
「そんなんじゃねえ。これはおれが見つけたサボテンだ。親には、そんなの千円でも売れないと言われたが、無理に仕入させた。腕を「やあ」みたいに上げていて、挨拶されているように思えたんだ」
「ポロッコをどうするつもりなの」
明には猛夫の意図がわからなかった。
「水道を借りるぞ。サボテンの断面を洗うんだ。傷口はきれいだし、なかの繊維が傷んでいる様子もない。この大きいほうだったら再生できるかもしれない」
明は潤んだ目を向けた。
「そんなこと、できるの?」
「ばかやろう」
猛夫にどなりつけられ、明の身体はすくんだ。
「おれは花屋のせがれなんだぜ」
猛夫が照れくさそうに笑った。
* * *
ぼくはいま宇宙船の操縦席に腰かけている。前方のスクリーンでは、漆黒の闇を滲ませて、赤い球体が渦巻く。
「アキラ」と呼びかけられた。
青い船内服を着た、ブロンドの女性が立っていた。クルー同士はフランクリーに呼びあおうと決めてあった。
「ようやく火星ですね」彼女の言葉は英語だ。
ぼくは、この宇宙船のチーフパイロットをやっている。日本人宇宙飛行士の、いままでの実績がかわれての大抜擢だった。
「ぼんやりしていたみたい」
女性宇宙飛行士が言った。
「中学生のころを思い出していたんだ」
大学卒業後、ぼくはアメリカに渡り、宇宙飛行士の講習と訓練を受けた。そうして長年の夢をかなえ、人生の花を咲かせたのだ。
ときは2030年だ。
NASAは原子力ロケットの開発、実用化に成功し、世界初の有人火星飛行計画が実現された。国際宇宙ステーションを飛び立って180日がたつ。火星にはすでに居住用モジュールと必要な物資が送られている。火星脱出用のロケットも設置済みだ。火星の軌道には、地球帰還用の宇宙船が周回している。明は火星に560日間滞在し、様々な調査や実験を行なう予定だ。
ふたたび中学時代に想いを馳せる。
割れたサボテンは鉢に挿し木された。「そのうち根づく」と猛夫はうけあった。ぼくは、いびつになったポロッコを、一晩中、見守っていた。
『明くん。そんなに悲しまないで』
そのとき『声』が聞こえた。
「ポロッコ」
ぼくは鉢植えに飛びついた。
『そのサボテンは、本当はぼくじゃないんだ。ぼくは火星人でもないし、同じ銀河系の仲間でもない。もっと遠く、きみたちがアンドロメダと呼んでいるなかの、一惑星がぼくの住む星なんだ。だましていて、ごめんね』
――えっ?
ポロッコの言う意味が理解できなかった。
『ぼくはアンドロメダから、きみたちの太陽系にテレパシーを飛ばした。明くんの思考をとらえるのに成功し、話しかけてみたんだ。きみが花屋を通りかかったときだよ。サボテンのふりをしたのは、ぼくの姿にそっくりだったから。火星人だと嘘をついたのは、地球の隣人をよそおったほうが、ぼくを受け入れやすいと考えたからなんだ。ぼくは無事に故郷の星にいるから、もう心配しないで』
それでポロッコは、地球に来た手段を答えられなかったんだ。来てさえいなかったんだから。ぼくにしかテレパシーを送れなかったのも、そのせいだ。地球から二百三十万光年離れたアンドロメダから、ぼくをとらえただけでも奇跡に近い。さらに他の誰かと交信するなんて無理な話だ。
ポロッコは、頭に花を咲かせるのが人生の目的だと言っていた。それにつまずいていたから、同じように挫折していたぼくの思考をとらえた。
――人生に思い悩んでいる者どうし、意気投合したわけだ。
中学時代に、香がそんな意味の話をしていたのを思い出した。彼女の推測はまさに当たっていたんだ。
ポロッコと地球人の人生はまるで異なるだろう。しかし、人生のかけがえのない目標に向かって懸命に努力する点では同じなんだ。
ポロッコが開花をテレパシーで伝えてきたのは、ぼくが高校生のときだ。その知らせは、ぼくの宇宙飛行士になる意思を決定した。
『明くん。ついに花が咲いたよ。ぼくの頭いっぱいに咲きほこっているんだ。けれど、枯れてしまうのはあっというまで、きみの住む惑星が太陽を一億周するぐらいしかもたないから、早く見に来てね』
かならず見に行く。
人類はようやく火星に到達できたところで、太陽系を突破し、銀河系を超えるのはまだまだ先の話だ。それでも人類は、きっとたどりついてみせる。
ぼくはかたく約束した。
終
たむらぱんさんの曲「回転木馬」から、壮大な宇宙に花を咲かせるイメージをいただきました。楽曲のほうはスケールの大きなサビメロが印象的です。アルバム「ブタベスト」に入っています。




