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みーてーるーだーけー

 連日の曇り続きが嘘のような快晴。

 溜まった洗濯物を片付け、早めに夕食を仕込み、掃除機をかけ換気をする。

 煩わしい物が失せた室内に、まだ肌寒い風が入り込み、ぴしっと空気を引き締めた。

 大きく深呼吸をすると冷たい空気が肺に満ち、清涼感が体を吹き抜けていく。

 なんて清々しいんだろう。今日は良いことありそうだ。


 穏やかな午後の昼下がり。

 コーヒーを飲みながら鈴カステラをつまみ、放送時間に合わせる為やたらカットされたB級映画を見る。

 幸せだ。

 家事をあらかた終えた後のこの一時は、夫が帰宅する少し前の六時半まで続く。うるさい小姑もいない二人暮らしなので、いくらソファでごろごろしてもいい。というより、ごろごろしていないと気が保たない。

 夫が帰宅してからのことを想像すると、少し気落ちする。

 いつも通り会社の愚痴から始まって、酒が進むと自虐に走り、最後は私に当たり出す。酒を出さなければいいだけなのだが、控えさせようとすると酷く寂しそうな顔をするのがほっとけなくて、結局許してしまう。

 これは確かに私が悪いと思う。けれど、子供が出来ないのは私のせいではないと思う。そういう風に生まれついてしまったんだから、どうしようもない。

 ……子供。子供か。色々な病院を回り、やはり無理だと判断してから早五年。私はもう諦めたけれど、夫はまだ未練があるのだろう。私に当たる内容はいつも不妊に関する話題だから。

 子供が出来れば、夫も喜んでくれるのだろうか。

 子供がいたら、今みたいに彼が荒む事はなかったのだろうか。

 ……考えても時間の無駄か。それはどうあがいても、私には手の届かない話。

 今はそれより休憩休憩。私はコーヒーを一口すすると、天井から画面に目を移す。昼のロードショーは終わり、ニュース番組が始まっていた。いつの間にか、結構な時間が過ぎている。

 でも、別に構わない。私は考え事でぼうっとする事の多い性分なため、一応録画もしているのだ。

 HDDレコーダーから先程の映画を再生する。そして早送りで見ていた場面まで進めていると、不意に、外からの声が気になり、レースのカーテン越しに窓の向こうを覗き見た。


 ランドセルを背負った子供たちが、うちの粗末なコンクリート製の門前で騒いでいる。

 男の子がふたり。女の子がひとり。小さな体で大きな声を上げて、性別関係なく笑い合い、仲良く楽しそうにしていた。青春真っ盛り、懐かしさを覚える光景。

 その様子をしばらく眺めていると、何故か、沸々と怒りが湧いてきた。

 理由は分からない。けれど、あの子達が笑っている姿がとても気に入らない。笑い声が耳触りで仕方ない。わざわざうちの前でたむろっている事が何より気に食わない。

 映画を一時停止し、リモコンを置いて玄関へ向かう。かかとを潰して靴を履き、苛立ちをぶつけるように引き戸を開け放つ。ガンッ! と大きな音を立てて開けた視界には、きょとんとした顔の男の子たちと、びくっと体を縮こませた女の子がいた。

 せまい敷地を大股四歩で渡りきり、子供たちの前に立ち塞がる。


「……ごめん。少し静かにしてくれないかな? 人の家の前で騒ぐのはあまり感心しないよ」


 私が無意識に睨みつけながらそう言うと、女の子はすぐさま「ごめんなさい」と小さな声で謝りつつ頭を下げた。しかし、男の子達は何も言わずにこちらをじっと見つめている。

 ただただ無表情。先程まで笑い合っていたのが嘘のように、そこには何もなかった。

 それを間近で見た私の心に浮かんだのは、苛立ちの影から這い上がる言い知れない不安。

 なにかおかしい。

 私はなにか、間違えたのだろうか。

 姿の見えない不安に目を凝らそうとしていると、彼らの様子に気付いた女の子が、「ほらっ!謝りなさいよ!」と強引に二人の頭を下げさせる。男の子たちは何するんだとしばらくもがいたが、女の子の方が強いらしく、諦めて二人とも謝罪した。その「ごめんなさい」には、叱られた子供のふてくされたような感情があり、少し安心した。先程のは気のせいだったんだろうか。

 そのまま門の前で彼らを見送る。角を曲がって消えたところで、ふっと息を吐き家に入る。

 見ず知らずの子供を叱るなんて、今までしたことはなかった。直前に考えていた夫への不満から、彼らに八つ当たりしてしまったのではないか。そうだとしたら、可哀想な事をしたかもしれない。

 でも、他人の家の前で騒ぐのが褒められた事ではないのは確かだ。子供は小さい頃に学んだ事を忘れないというし、良い機会だったのかもしれない。

 さて、飲みかけのコーヒーが冷めてしまうし急ごう。私がごろごろ出来る時間は限られているんだから。


 次の日。今日も雲ひとつない快晴。

 いつものように二人分の朝食を用意し、夫を見送り、洗濯機を回している間に掃除機をかけ、洗濯物を干し、夕食の準備。そこからニュース番組を見て時間を潰し、コンビニ弁当やカップラーメンで昼食を取り、お昼のバラエティ番組や午後の映画を見ながらごろごろする。

 平常運航。いつも通り。昨日が少しおかしかっただけで、私の日常は何も変わらない。

 そう、思っていた。


 今日の映画は中々面白かった。

 鏡に映った相手しか襲わないはずの怪物が普通に人を襲い始めたり、いつもは捕まえた相手を必ず惨殺していたのに、いざヒロインを捕らえるとすぐにキャッチ&リリースし始めたりと終盤かなり雑だったが、全体としてみればホラーしていて楽しめた。しかし、B級映画によくある、一番盛り上がるはずのラストを雑に仕上げてしまう傾向は何なのだろう。キャッチボールを楽しんでいる最中に、ボールを明後日の方向へ投げられそのまま川へ沈められるようなやるせなさを覚えた。

 もうちょっと頑張ってほしかったな、と思いながら席を立ち、三杯目のコーヒーを入れに行こうとするが、目端に映り込んだ違和感に立ち止まる。


 窓を見る。窓の向こうを見る。

 門の前に、男の子がふたり立っていた。

 何をするでもなく突っ立って、こちらを見ている。

 昨日叱った子供だ。今日は女の子はいないようだが、何か用なのだろうか。

 しばらく薄いカーテン越しに彼らを観察していると、ある事に気付いた。

 笑っている。

 にやにや、にやにや。笑っている。

 もしかして、昨日の仕返しになにかイタズラをしかけたんだろうか。そして、それに気付かない私を馬鹿にしているのか。気付いて騒ぐ私を想像して笑っているのか。この際どっちでもいい。

 昨日と同じように踵を潰して靴を履き、乱暴に引き戸を開け放ち、無言で大股四歩。

 あからさまに不機嫌な表情を浮かべているだろう私を前に、男の子達は尚もにやにや笑って微動だにしない。

 舐められている。最近の子供に過保護気味な世論に守られ、手が出せないと思っている。びびって何も出来やしないと馬鹿にしているんだこいつらは。だから、にやにやにやにや笑って身じろぎもせず、「出来るもんならやってみろ」と煽っているんだ。ガキが舐めやがって。私だって、やろうと思えば簡単にお前らを――。


 ……私は今、なにを考えた?

 沸騰しかけた頭が、急激に冷えていく。

 あのまま思考を続けていれば辿り着いていたであろう「それ」を自覚して呆然とする。

 子供相手になにを苛付いているんだ。こんな、小さな子供に。

 私は一度目を閉じ、大きく深呼吸をして気持ちを落ち着かせた後、男の子たちに話しかけた。


 「……何か、用?」


 男の子たちは笑みを崩さず、声を揃えて「別に?」とだけ返す。

 そしてそのまま、こちらをじぃっと見続けた。

 明らかに私を煽っている。わざと怒らせようとしている!

 でも、駄目だ。いけない。私は大人なんだ。私が我慢しないと。

 またイライラしてきた。早くこの子たちをどかさなきゃ。


 「用がないなら帰りなさい」


 「今日は騒いでないよ?」


 「……っ、いいから、帰りなさい」


 五秒にも満たないけれど、酷く長く感じた膠着を破ったのは男の子たちだった。

 何も言わずに身を翻し、すたすたと歩き去っていく。そのあっけなさに少し肩透かしを受けた私だったが、気を取り直して庭中をしらみ潰しに見回る。あれだけにやついていたんだ。絶対になにかしたはず。

 けれども、せまい庭はすぐに調べ終わってしまい、ブロック塀と家の隙間、屋根の上、道路側の門にも異常は見当たらない。何もされてはいなかった。

 彼らはただ、こちらをじぃっと見て笑っていただけ。

 ……それだけ?

 それの、なにが楽しいんだろう? ずっと立って、こっちを見続けて、何が面白かったんだろう?

 彼らのにやついた笑顔が脳裏にへばり付いている。

 なんだか、あの子たちが不気味に思えてきて、私はそそくさと家に戻った。


 それから、男の子たちは毎日やってきた。

 午後の映画が終わる時間、小学校が放課になる時間、彼らはすぐに現れる。

 家の敷地には入らず、二人して門の前に突っ立って、にやにや笑ってこっちを見ている。

 何も言わず、何もしない。ただ、見てるだけ。

 私がそれを注意する。二人は帰る。

 繰り返し繰り返し繰り返し繰り返し。

 私の日常が侵されている。笑われている。見られている。なにがそんなに面白いの。なにがっ!

 日を重ねるごとに頭がぼんやりしてくる。段々叱る声が大きくなっていく。

 映画の内容が頭に入らない。窓の向こうが気になって気になって仕方ない。

 異常が日常に取って代わろうとしている。

 どうして、私がこんな目に……。


 ある日、精神的に疲労していた私は居眠りをしてしまったらしく、既に暗くなった部屋にはオレンジの光が差し込んでいた。テーブルに置いてある長方形のデジタル時計を見ると、そこには六時と表示されていた。

 いつから眠っていたんだろう。でも、久しぶりによく眠れた気がする。

 そうだ。もうすぐ夫が帰って来る時間、夕食の準備をしなくては。

 立ち上がると少しふらついたが、気分は大分楽になっていた。たまにはあの人に私の愚痴も聞いてもらおうかな、などと考えながら何とは無しに窓を見る。

 濃い影と茜色の景色。そこに小さな影がふたつ立っていた。

 あいつらだ。

 今日も来てやがったんだ!

 夕焼けの逆光で顔がよく見えないけれど、笑ってる。笑ってる。あいつら笑ってやがるッ!!

 気持ちの良いまどろみを怒りが一瞬で塗り潰し、私をあいつらの元へ駆り立てようとする。

 でも――。


 あれ?


 足を止める。

 ちょっと待って。なにか、変じゃない?

 ……えっと、あの子たちいつも三時にはここに来てるよね。

 じゃあ、つまり……まさか。

 三、時間? 三時間も微動だにせず、私を笑い続けていたの?

 いつも途中で追い返して、放置したことはなかったけど、そこまで?

 あらためて彼らを見る。

 動かない。身じろぎもしない。

 ただ、黒いなにかがこちらを見ている事だけは分かる。

 怖い。ただの子供のはずなのに。

 顔も見えない小さな影が、得体のしれない化け物に見えてきた。

 私は初めて表に出ずにカーテンを閉める。逃げたと思われても構わない。それよりも、今はあの子達の顔を見るのが怖い。あれを視界に入れたくない。


 ……結局私は、珍しく残業で八時に帰宅した夫に声をかけられるまで、窓の側で縮こまっていた。

 夫は私の様子を少し怪訝そうにしていたけど、それよりもとっとと休みたかったのか「早く飯にしてくれ」と急かした。怒る気力も湧かない私は素直に用意を始める。動いている方が、考えなくていいから。

 夫の愚痴の合間、私は門の前に子供がいなかったかと聞いた。こんな夜中に子供が出歩いてるわけだろ、という彼の言葉に少しも安堵出来ないのは、私が疲れているからなんだろうか。

 どうすればいいんだろう。

 どうすれば、元の日常が帰って来るんだろう。

 頭に浮かぶ選択肢には、「あの子たちを×す」というのが自然とそこにある。

 おかしいはずなのに、明らかにおかしいはずなのに、それがとても手っ取り早い気がしてならない。

 早くどうにかしないと。私が私でなくなってしまう前に。

 こうしている間にも、視線を感じるんだ。笑われているような気がするんだ。

 廊下の影に、テーブルの下に、私のすぐ真後ろに。

 子供が潜んでいるのかも――。


 「なあ、ちゃんと聞いてるのか?」


 夫の不満げな声で我に返る。聞いてるよ。聞いてる聞いてる。


 「部長が息子さんに旅行をプレゼントして貰ったらしいんだよ。ここまで育ててくれたお礼にふたりで楽しんできて、ってさ。いいよなぁ、そういうの。うちにも子供がいたらなぁ……」


 「はっ? 子供なんてどこがいいの!? あんな気持ち悪い生き物!!」


 驚いた顔をする夫は放っておき、さっさと寝室へ行く。

 もう、疲れた。早く寝てしまいたい。何も考えたくない。

 もう嫌だ。



 暗闇の中、目が覚める。

 視線を感じた。

 私の背中をじっと見つめている。

 なにかが、そこにいる。

 きっと笑ってる。にやにや、にやにや、わらってる。

 振り向きたくない。

 嫌だ、嫌だ。

 それを見てしまったら、多分私はもう。

 ああ、嫌だ。振り向きたくない。でも、……いや。いやいや嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌









 あっ。







『○○県警△△署は昨日未明、同居していた夫を電気スタンドで複数回殴打したとして、殺人未遂の疑いで同県同町の専業主婦、××容疑者(三一)を現行犯逮捕しました』


『近隣住民から「ガラスの割れるような音が何度も聞こえる」との通報を受け職員が駆け付けたところ、××容疑者は凶器で夫を殴打している真っ最中だったとのことです』


『また、××容疑者は職員に取り押さえられる際、「私を見るな」「笑うな」などと叫びながら酷く暴れ、興奮・錯乱していたようです』


『付近の住民からは「下校中の児童に対し、××容疑者が大声で怒鳴り散らしていた」との証言を複数得られており、××容疑者は普段から精神状態が安定していなかったものと思われ、今後の追及が――』




 「意外と早かったね」


 「ああ」


 「なによ? アンタたち、何か知ってるの?」


 「知らねえよ。なぁ?」


 「うん。僕らはただ、見てただけ」







 「だよね?」

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