どん底からの下克上(後編)
福島競馬場のバーデンバーデンCに出走したインビジブルマンは、単勝19.0倍の7番人気だった。
1番人気は逗子一弥騎手騎乗で、単勝2.1倍と圧倒的な人気を集めたシュガービート、2番人気はフルーツバスケットの7.0倍だった。
やがて発走時間になり、ファンファーレがなると、各馬は続々とゲート入りしていった。
そして全馬がゲートに入ると、いよいよレースがスタートした。
『発走しました。おっと1頭が大きく出遅れた。出遅れたのは…。』
アナウンサーがゼッケンを見ると、何と5番の馬だった。
『あーーっと!出遅れたのはシュガービートだ!』
同時に会場からは悲鳴にも似た、大きな叫び声が上がった。
一方で、インビジブルマンは好スタートを切り、私は出ムチを一発入れて、一気に先頭に踊り出た。
『先頭に立ったのはインビジブルマン。内には1番のナルリョボリョ。外にはリヴィンラビダロカ。』
『フルーツバスケットは中段より後ろにいます。となりにはスキンヘッドラン。』
『最後方からシュガービート。これで16頭です。』
アナウンサーが一通り馬名を読み上げた頃には、先頭を走っている私達はすでに3コーナーを回り切っていた。
(ここまでは順調に来ているわ。外によれることもなく内を順調に回っているし、これならいけるかも。)
私はオープンクラスのレースに初めて騎乗したこともあって、今まで経験したことのないプレッシャーを感じながらも、確かな手応えを感じていた。
(むしろ、インビジブルマンの方が私よりも落ち着いていたのかもしれません。)
『先頭はインビジブルマン。リードは1馬身半程。すぐ後ろにはナルリョボリョとリヴィンラビダロカ。』
『フルーツバスケットが順位を上げていく。スキンヘッドランは少し後退。』
『シュガービートはまだ後方のままだ。果たして届くのか?』
私達は相変わらず先頭のまま、最後の直線に姿を現した。
(さあ、ここからスパートよ。頑張って!)
私は懸命にムチを振るい、馬を走らせた。
脚音からして、すぐ後ろには何頭もの馬が迫っているようだった。
(お願い!最後まで持って!私に一度くらいスポットライトを浴びさせて!)
私はそう心の中で叫びながら、死に物狂いでムチを振るい続けた。
『先頭はまだインビジブルマン!リードは1馬身!ナルリョボリョは後退!』
『すぐ後ろにはリヴィンラビダロカ粘る!外からはフルーツバスケットが追い込んでくる!』
『シュガービートは届かないか!?まだ中段!』
『インビジブルマン、このまま逃げ切るのか!?』
アナウンサーが叫ぶ中、ゴールめがけて走る私の視界には、インビジブルマンの後頭部以外は何も見えなかった。
いつしか多くの馬達や騎手達が前方にいる光景に慣れきっていた私にとって、それはどこか懐かしく感じられた。
(…いつ以来かしら…、こんな光景…。本当に私がこんな夢を見ていいのかしら…。未勝利線でさえ下位に沈んでばかりいた私が、こんなオープンレースで先頭だなんて…。)
私は懸命にスパートしながらも、一瞬そんなことを考えてしまった。
(いや、こんなところで感傷に浸ってはダメ!まだレースは終わってないの!それに、1着を取れるのなら取れる時に取らなきゃダメ!2着以下は全て負けなんだから!)
素早く気持ちを取り戻した私は、あと少しに迫ったゴールめがけてインビジブルマンを走らせた。
『リヴィンラビダロカ迫る!フルーツバスケットも来た!』
『リヴィンラビダロカ!インビジブルマン!フルーツバスケット差し切るか!?今ゴールイーン!!』
ゴールした瞬間、私はこれまで感じたことのないような興奮を覚えた。
(やった!勝ったわ!勝ったわ!これが大舞台を勝つっていうことなのね!)
勝利を確信した私は、そう心の中で叫びながらムチを高々と振り上げた。
1着を取ること自体、実に1年半ぶりだ。もう2度と味わえないと何度も思っていたこの喜びを、こんな大舞台で体験できるなんて…。
この喜びは、言葉では何て表現したらいいのか、分からなかった。
でも、言葉では表現できない喜びってこういうものを言うのかなと、私ははっきりと実感していた。
しばらくしてターフビジョンには、確かにインビジブルマンが半馬身のリードをつけて先頭でゴールに飛び込むシーンが映し出された。
(良かった!どんな辛いことがあってもあきらめなくて。いつかきっと報われる日が来るって信じ続けて、本当に良かった。)
私は涙を流しながら関係者エリアに戻っていった。
「おめでとう!弥富さん!」
相生調教師はもらい泣きしそうな表情で出迎えた。
「ありがとうございます…。この恩は…、一生忘れません…。」
私はそう言うと、相生調教師の前で顔をくしゃくしゃにしながら泣き崩れた。
かたわらでは、インビジブルマンの馬主さんである、木野求次さんと娘の可憐さんが
「弥富さん、おめでとう。今まであきらめずにがんばってきて良かったね。」
「まさにどん底からの下克上だね!このことは一生の宝物だね!コングラチュレーションズ!」
と言いながら、私を祝福してくれた。
(どん底からの下克上…。何ていい響きなんだろう…。)
その言葉は私の心に大きく響き渡った。
レースは2着に4番人気のリヴィンラビダロカ、3着にフルーツバスケットが入り、人気を集めたシュガービートは追い込むも6着までだった。
選んだ馬が惨敗し、手放した馬が勝つという皮肉な結果になった逗子騎手は、悔しさをあらわにしていた。
しかし私の姿を見ると、「おめでとう。」とひと言ねぎらいの言葉をかけてくれた。
私は記念撮影の時になっても、人目もはばからずに顔をくしゃくしゃにしていた。
かたわらにいる相生先生、調教助手の野辺山さん、木野求次さん、可憐さんの4人は優しい目で私を見つめていた。
「良かったな。君の騎手生活にやっと夜明けがやってきたぞ。」
相生先生は記念撮影を終えて引き上げる時、馬と一緒に歩く私の肩にそっと手を置いて言った。
「ありがとうございます。これで騎手を続けていく自信がつきました。」
私は目を真っ赤に腫らしたまま、微笑みを浮かべてそう返した。
日曜日の夕方、仕事を終えてから携帯を見ると、すでに何通ものメールが届いていた。
その中には小野浦君や椋岡先輩からのものも含まれていた。
「ヤト!おめでとう!僕もナゴヤドームだけでなく、ナゴヤ球場でのウエスタンリーグの仕事も得られるようになった。生活はまだまだ厳しいけれど、あきらめずにがんばっていくからな。」
「伊予子さん、快挙おめでとう!これから騎乗依頼が増えて忙しくなるぞ!そのチャンスを逃すなよ!こちらも毎日勉強しながら、杖がなくても転ばずに歩けるように、リハビリがんばるよ。」
彼らは自分達の近況を踏まえながら、私を祝福してくれた。
私は他にも父である根室那覇男をはじめとする、たくさんの祝福に包まれ、最高に幸せな気分になった。
週明けに発売された競馬雑誌には、私とインビジブルマンが写っている写真と共に「弥富騎手、最高の下克上!!」という見出しが出ていた。
(下克上かあ…。これまで500万下までしか勝ったことのない私が、一気にオープンクラスのレースを勝ったのだから、確かにそうね。それにしても「最高の下克上」っていい響きね。また下克上を狙ってみたいわね。できれば、インビジブルマンと一緒に…。)
私は満面の笑みを浮かべながらそのページを見続けた後、その雑誌を持ってレジへと向かっていった。
あの時のできごとは、今でもはっきりと覚えています。
まるで夢でも見ているんじゃないかという錯覚さえ感じましたが、まぎれもなく現実に起きたことでした。
あのできごとは、恐らく一生忘れることはないでしょう。
皆さんも、人生の中で一生忘れられないような大きな感動を味わう時がきっとやってくると思います。
その時に、そのチャンスを逃さないように頑張ってほしいと思います。