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大きな代償

 3月。クビを宣告されていた騎手達はついにターフに別れを告げ、新たな騎手達がいよいよデビューの時を迎えた。

 新しいライバル達が登場する中、私はGⅠジョッキーという、今後決して消えることのない肩書きを背負いながら、彼らと闘っていくことになった。

 そんな中、稚内厩舎では稚内平先生がフリンダース・スペンサーさんと連絡を取り、ミリオネアの次のレースを何にするかについて協議をしていた。

「フリンダースさん、ミリオネアの近況なんですが。」

『はい、どうですか?』

「この馬の調子自体は決して悪くないんですが、困ったことが起きているんですよ。」

『どんな困ったことですか?』

「実はGⅠを勝ったことで、出られるレースがかなり限られてしまうんですよ。現段階ですと高松宮記念(GⅠ、中京、芝1200m)くらいしかないんです。」

『Oh, boy. GⅠがだめならGⅡはどうですか?』

「出られないわけではないんですが、59kgを背負うことになります。これはこの馬にとって未知の斤量になりますので、脚の負担が気になりますし、出走しても他の馬達より不利な条件で戦わなければならなくなります。」

『I see. GⅠを勝ったことで頭の痛い問題が発生しましたね。でもタカマツというGⅠレースがあるのでしたら、それに向かっていきましょうか?』

「よろしいですか?」

『はい。よろしくお願いします。』

 この2人の話し合いにより、ミリオネアの次走は高松宮記念に決まった。


 翌日、この馬の調教のために稚内厩舎にやってきた私は、稚内先生からそのことを告げられた。

「そういうわけだ。これからは今まで以上に厳しい状況が待っているが、何とか頑張ってほしい。」

「分かりました。先生やフリンダースさんの期待に応えられるよう、頑張ります。」

 私は元気良く返事をし、ミリオネアと一緒に坂路コースに向かっていった。

 しかし、調教での時計は他のGⅠ馬と比べて明らかに遅かった。

(うーーん、真剣にやったけれど、これではGⅢでも果たして勝てるかどうかになってしまうわねえ。まあ元々GⅢ戦線を戦ってきて、フェブラリーSまで重賞タイトルはGⅢ新潟大賞典しかなかったわけだし。先月はほとんどまぐれでGⅠを勝ったけれど、これからはマークが一層厳しくなる。もう一度勝つことは非常に厳しいでしょうけれど、頼まれたからにはやるしかない。)

 私は今後に対する不安を感じながらも、真剣に高松宮記念を目指した。


 そして3月も約20日が過ぎ、GⅠ高松宮記念を意識する時期が近づいてきた。

 ミリオネアの1週前追い切りを任された私は栗東の坂路コースでミラクルシュートとの併せ馬を行うことになった。

 現在1600万下クラスを走っているミラクルシュートには赤嶺安九伊君が乗り、私とミリオネアはその2馬身後方から追うことになった。

「それじゃ、2人とも頼んだぞ。2頭ともレースが近いんだからな。」

 稚内先生は真剣な顔で私達に言ってきた。

「分かりました。真剣にやります。」

「私も一杯に追っていきます。」

 赤嶺君と私は元気な声で答えた。

(ミリオネア、この馬に先着できなければ高松宮記念では勝負にならないわ。GⅠ馬として出る以上、頑張って走りなさい。)

 私はそう思いながら調教を開始した。

 しかしミリオネアの脚色は鈍く、ほとんど差を詰められないままのゴールになってしまった。

 見事に逃げ切り、手応えバッチリと言わんばかりの赤嶺君とは対照的に、私は顔をしかめながら馬房へと戻っていった。

 その後、稚内先生はミリオネアの調子について、私に色々質問をしてきた。

「本当に一杯に追ったんですが、あまり伸びなかったです。もしかしたらフェブラリーSの反動があったのかもしれません。これではGⅠに出走しても去年のジャパンカップのようになってしまいそうな気がします。」

「そうなるかもしれんな。これではフリンダースさんに状況を説明した上で、回避も検討するしかないかもしれん。」

 稚内先生は厳しい顔をしながら、回避という言葉を口にした。

(これではGⅠに出られなくなってしまうかもしれない。でも状況は正直に言わなければ。GⅠレースに出ようと思えば除外を気にすることなく出られるけれど、負けても失うもののない記念出走ではないわけだから…。)

 私はそう思いながら、フリンダースさんと連絡を取りに事務室へと向かっていく稚内先生を見つめた。

 正直、GⅠ制覇というものは馬の今後の人生でさえも変えてしまう代償をはらんでいることを見せつけられた。


 ミリオネアの調子はその後も上がることはなく、稚内先生はついに高松宮記念回避という決断を下した。

 もしあのフェブラリーSで2着に敗れていたら間違いなく出走していただけに、私はまたもGⅠ制覇の代償を見せつけられてしまった。

 また、GⅠを制覇したことによって、これからは種牡馬になるための戦いもしていかなければならない。

 血統的には決して悪いわけではないけれど、現時点ではとても種牡馬としての競争に割って入っていくことはできないだろう。

 とにかく競走馬は現役である限り、どこまででも高い目標と戦っていかなければならない。

 私はそんな現実を直視する度に、何度もため息をついた。


 高松宮記念はミリオネアを欠いたまま華やかに行われ、レース後には今年2頭目のGⅠ馬が見事に誕生した。

 私はその日、阪神競馬場で地道に騎乗をこなしていた。

 今週は勝利こそ挙げられなかったものの、クリスタルロードを2着、ドラゴンポンドを3着にまで押し上げることができ、次に向けて確かな手応えをつかむことができた。


 4月。稚内厩舎には新たな2歳馬が入厩してきた。

 その中にはダイヤモンドコロナという馬がいた。道脇牧場の生産馬で、私は牧場で会ったことがあるため、すでになじみがあった。

 母はダイヤモンドリング。クリスタルリングとクリスタルロードはそれぞれ姉と兄にあたる馬だ。

 フリンダースさんはこの馬をセリで競合の末に2000万円で落札した。

 競合した人の中には父もいた。父はどうしても落札したがっていたが、予想以上に値段が釣り上がったため、とうとうあきらめてしまったそうだ。

 稚内先生の話では、フリンダースさんが

「たとえ勝てなくても我慢するので、ぜひ弥富さんに乗ってほしい。どうか乗り替わりだけはさせないでほしい。」

 と言っていたことを伝えられた。

(よおし、やってやるわ!)

 私は気合いを入れてダイヤモンドコロナを鍛えることを決心した。

 しかしその直後、私はフリンダースさんがなぜそう言っていたのかを先生から知らされることになった。

「弥富さん。ミリオネアなんだが、結論から言うと、この度オーストラリアに移籍することになった。」

「えっ?オーストラリアに行ってしまうんですか?」

 私は先生が言っていたことが信じられず、「嘘でしょ?」と言っているような口調で聞き返した。

「残念だが、本当のことだ。フリンダースさんによれば、このまま日本で走り続けるよりも、オーストラリアで走った方がこの馬のためになるんじゃないか。さらに血統的には日本よりも現地の方が重宝されるんじゃないかと判断してな。それでオーストラリア在住の知り合いの馬主に相談を持ちかけた結果、このような結論に至ったというわけだ。」

「そんな…。せっかく私にGⅠタイトルをもたらしてくれた馬なのに…。」

「本人もそれについては『I’m really sorry, Ms. Yatomi.』と言っていた。だからこそ、せめてものお詫びとしてこのようなお願いをしてきたというわけだ。彼の気持ち、分かってやってくれ。」

「……。」

 私はショックのあまりに言葉を失ってしまった。

 自分にビッグタイトルをもたらし、現時点で乗ることができるただ1頭のオープン馬だっただけに、無理もない話だった。

(せっかく引退危機から最高の下克上を達成したのに、こんなことになるなんて…。これじゃ、また1からやり直しだわ…。これからどうしよう…。)

 そう思いながら、私はその場に呆然とへたり込んだまま動けなくなった…。


残りはあと2話です。

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