クビを宣告されていくジョッキーたち
フェブラリーSの翌週、私が小倉競馬場が土日合わせて12レースに騎乗した。
その週は2月の最終週で、今月限りで引退が決まっている騎手達にとっては現役最後の週でもあった。
私はその人達とすれ違う度に、彼らの悔しい表情を目の当たりにした。
彼らは口には出さなくても
「弥富さんお願いします。1レースでいいから騎乗機会をお恵みください。」
「本当は引退なんかしたくないです。もう一度チャンスをください。」
「弥富さん、引退危機からGⅠ制覇という下克上を達成したからといって、いい気にならないで。」
「あんたがクビを気にしなくて済むようになった一方で、僕達は本当にクビになってしまうですよ!」
と言いたげな表情で私を見つめていた。
(注:いい気には一切なっていません。)
私だって2年前の今頃や、声が出なくなった時などは本気で引退を考えていただけに、彼らの気持ちはすごく理解できた。
実際にやったわけではないけれど、私は本気でこの土日で乗るレースのうち、彼らに1レースずつ分けてあげたい心境だった。
しかしここは勝負の世界。私にとっては下克上を達成したご褒美の騎乗依頼であっても、その馬は関係者の人達によって大切に育てられ、彼らの期待を一身に背負っている。
馬主さん達や調教師の人達も、何人もの候補がいる中から私を選んでくれている。
そして、この馬のためにお金を賭けてくれた人達もいる。
その馬自身も、このレースでどの騎手がどんな作戦を立てながら騎乗するかで、勝てるかそれとも負けてしまうかが決まる。
そしてそのレースがその馬の人生の分岐点になるかもしれない。この勝利をきっかけに大活躍をして、幸せな人生を過ごせることになるかもしれない。この敗戦をきっかけに泥沼にはまり、実力を十分に発揮することなく戦力外になり、哀れな末路を迎えるかもしれない。
だからこそ、私自身も情けを見せるわけにはいかなかった。
(ごめんね。何もしてあげられなくて…。でも私だって確かに先週GⅠを制し、今週は騎乗依頼をたくさんもらえたけれど、ここで結果を出さなければ来週何レース騎乗できるかも分からない。1ヵ月後には週末をトレセンか実家で過ごすことになるかもしれない。1年後には再び戦力外の危機に陥っているかもしれない。だからこそ、もらったチャンスは1つたりとも無駄にはしたくないの。)
私は心を鬼にして自分に与えられた仕事を全うすることにした。
レースでは時々
『このレースは○○騎手の現役最後の騎乗になります。』
というアナウンスが流れることがあった。
(あっ、この人、私にすがるような表情でレースをゆずってくれるようにお願いしてきた人だわ。)
私はアナウンスを聞く度に彼らとすれ違った時のことを思い出し、心が締め付けられるような気分になった。
とはいえ、感情に浸っているわけにはいかない。
そのレースが私の騎乗するレースであれば、どうやってその馬を勝たせるかということを考え、乗らないレースであれば、これから騎乗するレースの作戦を考えるしかなかった。
レースが終わり、最後の騎乗を追えた騎手達は、みんな泣いていた。
乗った馬達はみんな人気薄で、好走した例は皆無だった。
しかしたとえその人気薄の馬で勝ったとしても、もう引退という運命を変えることは不可能だっただろう。
でも、最後の最後まであきらめない気持ちは、私の心に痛いほど伝わってきた。
(どうか希望を失わないでね。これが人生の最後となるわけではないのだから。)
私はそう思いながら、レースを終え、うつむきながら引き上げていく彼らの後ろ姿を黙って見つめていた。
日曜日の最後の騎乗を終えて、小倉競馬場を去っていく時、私はクビを宣告されて騎手人生を終えていった彼らのことで頭がいっぱいだった。
できることなら彼らと会って話をし、少しでも傷ついた心を癒してあげたかった。
でも、今話したところで彼らは私のことを人気薄でGⅠを制し、下克上を達成した英雄としか見てくれないだろう。
私はそんなつもりではないけれど、彼らがそう考えてしまう以上、会って話をするわけにはいかなかった。
結局、帰りの新幹線の中で私ができることと言えば、父や母や弟、そして小野浦熱汰君にメールで自分の気持ちを打ち明けることだけだった。
しばらくすると、何通かの返事が私のスマートフォンに届いた。
最初に返信してくれたのは意外にも弟の政永だった。メッセージは次のとおりだった。
『こっちは志望校に合格できるかどうか分からない状況だけに、クビとか戦力外は言ってほしくなかったなあ。でも、こっちだって誰かを不合格にしなければ自分が不合格になってしまうし、正直、自分が生き残ることで精一杯なんだ。その点では伊予姉と似ているかな?とにかくこっちは試験頑張るぜ。』
自分ではついつい忘れていたけれど、彼は今受験シーズンの真っ只中だけに、自分のことで時間を取らせてしまい、私はかえって申し訳ない気持ちになった。
そう思っていると、今度は小野浦君から返信が来た。
『僕自身もクビを経験しているだけに、確かに辛いことだよなあ。でも時間がたては彼らなりの新しい道が見つかるさ。僕だって、これまでまわりから色々言われながらもイベントスタッフとして頑張ってきたし。』
その後は母、空子と父、根室那覇男からも返信が来た。
『本当に色々なことがあるものね。でも私でよければいくらでも相談に乗るから。遠慮なくメール送ってね。なんなら、明日実家に帰ってくる?政永の受験の邪魔にならなければ、歓迎するわよ。』
『芸能界だって限られた仕事をみんなで奪い合う世界だから、その気持ちが父さんにもよく分かる。僕も毎年この世界を去っていく人達を見てきた。だが、自分としては彼らを見捨ててしまうのではなく、何か支援できることがあればと思っている。幸いこないだのフェブラリーSでかなりの払戻金を手に入れることができたから、そのお金を何らかの方法で彼らの役に立てられればと、今考え中だ。』
これらの文章を読んでいくうちに、私は少しずつ立ち直っていくことができた。
そして明日の月曜日に日帰りで実家に帰ることを決め、同じ新幹線に乗っていた稚内先生にそのことを伝えた。
先生もそのことに同意してくれて、私は早速母にそのことを伝えた。
月曜日の夜、再び栗東トレセンに戻ってきた私は早速ミリオネアのところに行き、状態について確認をした。
そして今週からどのように調教をしていくかを考えた。
(この馬はこれから現役引退までずっとGⅠ馬という称号を背負って走っていかなければならない。ボクシングで言うなら、これまでは挑戦者という立場だったけれど、これからは嫌でもチャンピオンとして見られることになる。その称号に恥じないように走らせていかなければ…。)
私はこれまで付きまとっていたクビを宣告されていったジョッキーたちのことをそっと頭の片隅にしまい、勝負師としての表情に切り替えた。