無鉄砲
今年最初のGⅠレースである、フェブラリーSがいよいよ近づいてきた。
出走を予定している有力馬はつぎの通りだった。
コバノニッキー(5歳、オス)
ハリアライジン(4歳、オス、地方馬)
トランクメルボルン(6歳、オス)
トランクトニージャ(6歳、オス)
ユーウィルビリーヴ(5歳、メス)
去年のジャパンカップダートをレコードで勝ち、1番人気間違いなしのコバノニッキー。
地方馬としては史上2頭目の中央GⅠ制覇を目指すハリアライジン。
なかなかGⅠレースを勝てず、何とかタイトルを取りたいユーウィルビリーヴ。
前走の有馬記念惨敗からの巻き返しに燃えるトランクメルボルン。
その有馬記念を勝ち、このレースを最後に種牡馬入りが決まっているトランクトニージャ。
私が乗る予定のミリオネアと比べて、どの馬も実績は上回っているため、見れば見る程、自分に勝機はあるのだろうかという気持ちになった。
(でもやるしかない。通算31勝。今年はまだ未勝利で、このままでは騎手としての未来はなくなってしまう。その状況を打破するにはこのレースで好走するしかない。やってやるわ!)
私は出馬表を見ながら気合いを入れ直した。
フェブラリーSは出走可能頭数を超過したが、ミリオネアは競争除外になることもなく、出走にこぎつけることができた。
そしてクジの結果、7枠13番に入った。
(うーーん…。ちょっと外枠になったわね。まあ、スタート直後の芝コースを長く走ることもできるし、できるだけスタートでダッシュして前につけたいわね。そうすれば他の馬に包まれなくて済みそうだし。とにかく高い人気は望めそうにないし、玉砕覚悟で前を走ってみようかしらね。)
私は枠順が決まるとすぐに自分で作戦を立て始めた。
一方、稚内平先生は7枠13番になったことを知ると、すぐにフリンダース・スペンサーさんと電話で連絡を取り、色々と話し合いを始めた。
稚内先生の考えた作戦は偶然にも私の考えていたこととピタリ一致していた。
『ワッカナイさんはそういうストラタジー(作戦)で行こうと思っているワケですね。』
「はい。弥富騎手もそれでいくことでしょう。とにかく後ろから行ってはまず勝負にはならないでしょうからねえ。」
『分かりました。今回のGⅠ出走は確かにムテッポーですが、それでも出していただき、ありがとうございます。少しでも良い順位を取れることを期待しています。』
「こちらこそ。レースではベストを尽くしてきます。」
先生は会話を終えると受話器を置き、今度は私を呼んで作戦について打ち合わせを始めた。
お互い考えていることは同じだっただけに、話はトントン拍子で進んだ。
フェブラリーSが行われる週の土曜日。私は京都競馬場で2レースに騎乗した。
内訳は次の通りだった。
・2レース、3歳未勝利戦… クリスタルロードに騎乗、1着。
・7レース、3歳以上500万下… ドラゴンポンドに騎乗、15着(シンガリ負け)。
この日、私は久しぶりの勝利を挙げ、やっと通算勝利数を伸ばすことができた。
たかが未勝利戦ではあるけれど、私には嬉しくてたまらなかった。
(これで明日に向けて明るい材料ができたわ。まだ引退危機を回避できたわけではないけれど、長いトンネルを抜けることができて本当に良かった。)
私はクリスタルロードに心から感謝をしながら、新幹線で東京へと向かっていった。
翌日。いよいよGⅠフェブラリーS当日となった。
この日は朝からきれいな青空に恵まれ、芝、ダート共に良だった。
競馬場は早い時間から多くのお客さんでにぎわい、異様な雰囲気に包まれていた。
この場所に集結した騎手達も網走譲騎手、坂江陽八騎手など実績のある人達が勢ぞろいし、私は思わず萎縮してしまいそうだった。
彼らはメインレースの前に行われる10レースのうち、ほとんどのレースで騎乗し(網走騎手にいたってはこの日全レース騎乗予定です)、端から見ればメインのことなど考えていられないような多忙ぶりだった。
一方で私の騎乗予定はと言えば、たった1レースだけだった(もちろんフェブラリーSです)。
栗東所属の騎手が敵地である関東の競馬場で依頼を勝ち取ることは容易ではない。
それは分かっている。とは言え、1レースだけというのは屈辱的なことだった。
かたや、赤嶺安九伊君は土日とも東京競馬場に滞在して昨日は6レース、今日は一流騎手が勢ぞろいする中でも4レース騎乗を勝ち取っていた。
彼はすでに通算92勝を挙げており、私との勝利数は引き離されていく一方だった。
ただ重賞は2勝しかなく、GⅠ未勝利だけれど。
(※ただしGⅠで2着、3着に入ったことがあります。前者はオークス、後者は阪神JFで、両方ともチョウゼツカワイイに騎乗しています。)
(…まあ、メインまで一切騎乗できないのは悔しいけれど、フェブラリー一本に絞って物事を考えられるわね。とにかく集合がかかるまではゆっくりと過ごすことにしましょう。)
私は時には真剣に作戦を考え、時には時間をつぶしながら、調整ルームの中で過ごした。
そしていよいよ待ちに待った号令がかかり、私はパドックに姿を現した。
オッズを見た限り、ミリオネアはどうやら16頭立ての14~15番人気になりそうな状況だった。
(まあ、仕方ないわね。とにかくベストを尽くしてみせるわ。このままでは新人騎手に追いやられてしまいかねないし…。)
私は焦る気持ちを懸命に抑えながら、ミリオネアにまたがった。
1番人気は予想通り7枠14番コバノニッキー(網走騎手騎乗)となり、2番人気は5枠9番トランクトニージャ(坂江騎手騎乗)となった。
ユーウィルビリーヴは8枠15番、トランクメルボルン(久矢騎手騎乗)は2枠3番、赤嶺君が乗っているトランクプリンセスは3枠6番。地方馬ハリアライジンは1枠1番(ちなみに12番人気)。GⅠ馬でありながら最低人気という屈辱を突きつけられたトランクビートは3枠5番だった。
ミリオネアの単勝は最終的に80.5倍となり、15番人気となった。
「…まあ、単勝万馬券になると思ったが、何とかこの数字でおさまったな。」
「厳しいですね。予想はしていましたが…。ワッカナイ先生。」
「でも出走したからには勝つ可能性はある。とにかく彼女を信じることにしよう。」
「私もです。最高の下克上を見せてほしいですね。」
稚内先生とフリンダースさんは一緒に腕組みをしながら私の方を見つめていた。
(※15番人気の割には意外に低い倍率ですが、これは父、根室那覇男がミリオネアにかなりの額を賭けていたからだそうです。さらには小野浦熱汰君や椋岡先輩もこの馬に賭けていたそうです。後で知ったことですが。)
そしていよいよファンファーレが鳴り、発走時間がやってきた。
(いよいよね…。怖いけれど、とにかく1600mを走りきるしかないわ。怖いのはみんな同じなんだから。さあがんばって、ミリオネア!私だって、)
私は顔が青ざめそうなほどのプレッシャーを感じながら、ミリオネアと一緒に13番ゲートに入っていった。
名前の由来コーナー その16
・コバノニッキー(オス)、ハリアライジン(オス)… どちらもフレデリック・スカーレット先生から寄せられた名前を1字だけ変更したものです。
先生から寄せられた名前はニッキーの「ニ」が「リ」、ハリアの「ア」が「マ」でしたが、前者は現実のGⅠ馬の名前に似過ぎで、恐れ多くて使えず、後者は現実の競馬で使用されている冠名を無断使用したくなかったため、このようになりました。