クビを宣告されたジョッキーたち
5月。春の天皇賞も終わり、世間では3歳馬の頂点についての話題で盛り上がるようになってきた。
コンビニで売られている多くの競馬雑誌では「今年のダービーとオークスの注目馬はこれだ!」という特集が組まれるようになり、有力馬に騎乗する騎手達のインタビューや写真が掲載されていた。
そんな中で、私の名前が雑誌に載る場所と言えば、「リーディングジョッキー(関西)」のページのみだった。
それも、弥富という名前の横には、1着0、2着0、3着1(ミラクルシュートの未勝利戦)という屈辱的な数字が並んでおり、本音を言えば見るのも嫌なところだった。
(でも、つい見てしまうけれど…。)
しかも、そのその近くには引退していった騎手の名前が私を取り囲むようにして並んでいて、まるで
「さあ、君もこっちへおいで」
といざなっているように見えた。
(あ~、もう嫌っ!)
私は首を横に振りながら本を閉じ、棚に戻した。(←立ち読みかい!by作者)
思えば、4月の騎乗機会はたったの5レースで、結果は1回9着がある以外はすべて2桁着順だった。
(もっとも、すべて10番人気以下の馬だったけれど…。)
その状況は、5月になっても変わらず、騎乗なしに終わるか、未勝利戦の下位人気の馬に乗っては惨敗して、その1レースでその日の仕事は終わりといったパターンだった。
私のまわりからは
「もう限界じゃないの?」
「これ以上続けてもねえ…。」
「いつやめる?すぐでしょ!」
という声が日に日に強くなっているような気がした。
(それでも私はあきらめたくない!第一、引退という選択肢を選んだところで、じゃあ何をすればいいのよ!あんた達が私に新しい道を用意してくれるわけでもないし、口だけで済ませないでよ!)
言っている本人は軽い気持ちなんだろうけれど、私にはその一つ一つが屈辱的な言葉に聞こえた。
それでも私には言い返す力はなく、どう頑張ればいいのかも分からないまま、ただ一人で耐えるしかなかった。
そんなある日の夜、テレビで「クビを宣告されたジョッキーたち」という番組が放送された。
最初はあまり見る気が起きなかったけれど、いざ番組が始まると、私はいつの間にか食い入るように画面を見つめていた。
『今年も、何人もの騎手達が引退を余儀なくされ、競馬界を後にしていった。』
というナレーターのセリフに続いて、まず紹介されたのは去年の12月末に引退を決意した、私と同期の小野浦騎手だった。
彼はデビュー1年目に14勝を挙げ、将来を期待されていた。
しかし翌年、所属していた栗東の厩舎が閉鎖となったこともあって次第に騎乗依頼が減っていき、勝ち星も減っていった。
結局2年目はたったの4勝。3年目となる去年はわずか1勝だった。
そして自身の惨めな転落ぶりを受け入れられないストレスから、11月に暴行事件を起こしてしまい、3ヶ月の騎乗停止処分を受けてしまった。
後日、彼は頭を丸めた上で『申し訳ありませんでした。深く反省しています。』と涙ながらに謝り、復帰に向けて再出発を誓った。
しかし処分明けの時点で減量特典がなくなってしまうため、復帰しても1年目のような活躍はきわめて難しい状況だった。
結局彼は悩んだ末に引退を決意し、ダーティーなイメージを残したまま中央競馬から姿を消していった…。
『現在、彼は就職活動をしながら、野球場でプロ野球のアルバイトの仕事をしている。我々スタッフは、そんな彼の心境について聞いてみることにした。』
「小野浦君、今の状況はどうなんでしょうか?」
「とにかく毎日必死です。プロ野球は毎日開催されるわけではないですから、月に10日あまりしか仕事がないですし、しかもこのバイトだけでは生活費が稼げません。正直、コンサート会場でのアルバイトも加えようと、今考え中です。」
「アルバイトする時、何か言われたことはありませんか?」
「もちろんあります。『ああ、あの一発屋の騎手だった小野浦君?』とか『事件さえ起こさなければねえ…。』とか『君のような人がこんなところで何をしているの?』と言われたことがあります。正直、騎手だったことをひた隠しにしようと思ったことは何度もありますし、事件のことを色々言われてバイトから逃げ出したくなったこともあります。」
「でも、逃げ出さずに続けているんですよね?」
「はい。生活のためには、とにかくこのバイトで稼ぐしかありませんから。正直、事件のこともあって就職は非常に厳しいですし、先のことはとても考えられないです。貯金も少しずつ減ってきていますし、焦りはあります。とにかく今を生きることで精一杯です。」
私自身もデビュー1年目の活躍ぶりはよく覚えているし、目標としている存在だった。
それだけに、小野浦君がこんな状況でもがいている姿はショックだったし、見るのが辛くなってきた。
そう思っている間にも番組は進行していき、別の元騎手の特集に切り替わった。
『これは、ちょうど1年前に行われた日本ダービーのトライアルレースの映像だ。皆さんは、このシーンを覚えているだろうか?』
ナレーターが視聴者に問いかけるように語りかけると、そのレースは最後の直線に差し掛かった。
するとその時、1頭の馬が突然故障を発生して転倒し、乗っていた騎手が落馬をしてしまった。
同時に、観客席からは大きな悲鳴があがった。
『この事故で馬は死亡。乗っていた騎手は一時、意識不明の重体に陥った。この騎手こそが、椋岡騎手だ。彼は一命を取り留めることはできたものの、騎手としては再起不能と診断され、再び馬の背中にまたがることのないまま、引退を余儀なくされた。』
椋岡先輩…。私も彼のことはよく知っていた。
彼は若手ながらデビュー2年目から毎年重賞を勝ち続け、5年目となった去年はGⅠ高松宮記念と桜花賞を立て続けに制し、関西の若手の星だった。
しかし、その1ヵ月後に悲劇はやってきた。
この事故は大きく取り上げられ、私も病室までお見舞いにいった。
病室は彼の無事を願うたくさんの花や手紙で埋め尽くされていて、私自身が驚いたことを覚えている。
『あの落馬事故で、椋岡騎手は全てを失ってしまった。一時は自殺まで考えたこともあるそうだが、現在は立ち直り、大学に入学するために西進予備校に通って勉強に励んでいる。今回、我々スタッフは、放課後の教室で彼に取材を試みた。』
「椋岡君のこの1年間はどういう日々でしたか?」
「一言で言えば『生き地獄』…だったですね…。あちこちを骨折して動くこともできず、まさに天国から地獄でした…。病室では『もう生きたってしょうがない。』と死にたくなったこともありました。」
「そうですか…。ところでその杖は、今でも必要なんですか?」
「はい。これがないと歩いている時に度々転んでしまいます。それでも、1年間懸命にリハビリを重ねて、どうにかここまで回復しましたが…。」
椋岡先輩は悔しさをにじませながらインタビューに応じていた。
『それでも彼は、来春の大学受験に向けて、毎日この西進予備校で懸命に勉強に励んでいる。』
カメラが懸命に勉強に励む姿を映しながら、ナレーターは彼の頑張りについて言及した。
「とにかく命さえ助かれば、何度でも立ち上がっていけます。かつては猛勉強で騎手免許を勝ち取った身ですし、あの時の頑張りを思い出して、もう一度猛勉強をして大学合格を勝ち取りたいです。」
椋岡先輩はあきらめない闘志をみなぎらせながら、そう言い切った。
その後も何人かのエピソードを紹介されて、番組は終了した。
みんな苦境に陥りながらも、努力が報われることを信じて頑張る姿を見て、私も胸が熱くなった。
特に小野浦君は私の友人でもあるだけに、余計に気になった。
私は次第にいてもたってもいられなくなり、彼にメールを送ることにした。
しばらくすると、彼から返事が来た。
内容は次の通りだった。
『そうか、番組見たんだな。僕は見てないけれど…。すまなかったな、みっともない姿を見せてしまって…。』
私はそれを見て、
(やっぱり未だに悩んでいるのね。)
と思わずにはいられなかった。
私は再びいてもたってもいられなくなり、
『そんなことないわ。勇気を出してテレビに出演してくれて、頑張る姿を見せてくれて、すごく勇気をもらったわよ。私も頑張るから、小野浦君も胸を張って仕事をしてね。応援しているから。』
という内容を打ち込んで送信した。
それに対する返事は
『ありがとう…。お前も頑張れよ。応援しているからな。』
だった。
ちょっとそっけない内容だったけれど、私はそのメールで勇気をもらったし、それに彼が少しでも前向きな気持ちになれたのなら、私はそれで十分だった。
その番組と小野浦君のメールから勇気をもらった私は、次の日から積極的に栗東の稚内厩舎や相生厩舎など、いくつもの厩舎に赴き、調教や馬の世話のお願いをした。
もちろん、断られてばかりだったけれど、私はあきらめなかった。
(とにかく、私はあきらめない。どんなにカッコ悪くても、この現状を打破するためなら何でもやってやるわ!小野浦君も椋岡先輩も、恥を覚悟の上であの番組に出演し、必死に頑張っている姿を見せてくれたわけだし。)
私は厩舎の人達に度々嫌な顔をされながらも、燃える闘志を胸に厩舎を回り続けた。
あの時の私はまさに「死に物狂い」、「背水の陣」、「一心不乱」、「窮そ猫を噛む」、「起死回生」という言葉がピッタリ当てはまりそうな状態でした。
とにかく、自分に限界を作ってはならない。限界を超えていかなければ、未来は開けない。
そういうことを、あの体験を通じて学んだような気がします。
名前の由来コーナー その3
・小野浦… 名鉄の内海駅と野間駅の間に設置予定だった駅です。(駅名は仮称。)結局建設途中の状態のまま開業することなく廃駅となり、現在は朽ちたプラットホームだけが残っています。
・椋岡… 名鉄の阿久比駅の近くに2006年まで存在した駅です。晩年は半数以上の普通列車が通過していましたが、その「普通が通過する駅」として、知名度はありました。
この章の本編で登場する「クビを宣告されたジョッキーたち」は、「プロ野球戦力外通告・クビを宣告された男達」や、「俺たちはプロ野球選手だった」を参考にしたものです。
僕自身も会社を解雇され、収入が途絶えたり、時給800円のアルバイトで懸命に食いつないだ時期があります。
この章では、その体験談も活かしてみました。