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2月

 2月。新人騎手は来月のデビューに向けて、厩舎では色々と準備や売り込みをしていた。

 一方で、新人がデビューするということは今月いっぱいで何人かの騎手は戦力外となり、引退していくことになっていくことも意味していた。

 引退した騎手は、調教助手になったりして何らかの形で競馬に関わり続ける人もいる。

 しかし小野浦熱汰君や椋岡先輩のように一切競馬から離れていってしまう人もいる。

 私はもし戦力外になったらどうなってしまうんだろう…。

 今月に入ってから、私はそのような不安を感じずにはいられなかった。


 2月最初の週末、私はクリスタルリングのレース(4歳以上1000万下、京都、ダート1800m)に騎乗することになった。

 あのエリザベス女王杯の週以来、勝利がない私は、何としてもこのレースを勝って自身の騎手としての首をつなげようと意気込んだ。

 一方でその頃、クリスタルリングの生産者の道脇伸郎さんは相生初先生と連絡を取り、色々話をしていた。

「相生先生。クリスタルリングですが、私達としてはうちの牧場に戻して繁殖牝馬にすることも考えているのですが、どうでしょうか?」

『繁殖牝馬ですか。確かに今は現役続行か引退かの決断で悩む時期ではありますが、ちょっと唐突ですね。何かあったんですか?』

「そろそろ新たな繁殖牝馬がほしくなりまして。今、うちの牧場にはダイヤモンドリングがいるのですが、その1頭しかいませんし、今年の繁殖牝馬のセリ市でも、ニーズに合う牝馬を買うことができなくて。それで、クリスタルリングに白羽の矢を立てようかという話になりました。」

『そうですか。僕としてはまだ5歳なので、もう1年現役を続けようと思っていますし、馬主の根室那覇男さんもまだまだ走らせるつもりで考えているのですが。』

「それは僕も知っています。相生先生や根室さんの気持ちをできるだけ尊重したいです。でもダイヤモンドリング1頭だけでは、という意見が妻のケイ子をはじめ、従業員から出ましてねえ…。」

『うーーん…、そうですか…。でもクリスタルリングは間もなくレースですし、僕としては主戦騎手の弥富さんと色々相談をして、勝たせることを考えています。もしだめだったら、その時にまた連絡を取りますので、それまで結論は保留にしてもよろしいですか?』

「分かりました。では、僕としては少し複雑ではありますが、その馬がレースで馬が勝つことを期待しています。」

 このようなやり取りがあったということを、私は全く知る由もないまま、クリスタルリングの世話をしていた。


 レース当日。6枠8番のクリスタルリングは12頭立ての7番人気となり、単勝は19.4倍だった。

(1着はもしかしたら厳しいかもしれない。でも賞金は十分に取れる。とにかく1つでも上の順位を出さなければ。そしてクビを回避しなければ…。)

 私は気合いを入れて、パドックで馬にまたがった。

 しかしスタートでクリスタルリングは痛恨の出遅れを犯してしまった。

(しまった!これはまずいことになってしまったわね。まあでも起こってしまった以上は仕方がない。内につけて短い距離で行けるようにしよう。)

 私は動揺しながらも、1コーナーまでの間にクリスタルリングを内ラチ沿いへと誘導した。

 レースはそのまま淡々と流れ、後方から何とか前に出る機会を伺い続けた。

 しかし3コーナーを過ぎ、4コーナーになってもなかなか前は開かず、結果として残りの距離だけがどんどん減っていった。

(こうなっては仕方がない。一か八か狭い隙間をすり抜けていくしかない。他馬と接触して進路妨害になるかもしれないし、騎乗停止になるかもしれない。でも、やってみるしかない!)

 私は内ラチ沿いを走ったまま、直線入り口でムチを入れ、スパートを開始した。

(さあ行きなさい!少しでも上の順位を取るのよ!)

 私は心の中で精一杯叫んだ。

 しかしクリスタルリングは確かにスパートこそしているものの、伸びは鈍く、なかなか順位が上がっていかなかった。

(ちょっと!これじゃ賞金が…。)

 私はそう思いながらも、最後まで馬を全力で走らせ続けた。


 結果は11着。結局ツキに見放されている状況を好転させることはできなかった。

 悔しさをこらえながら検量を終えた私は、その後、相生先生からさらに追い討ちをかけられるようなことを言われてしまった。

 そう。数日前に先生と道脇さんが話していた、あの内容だ。

「弥富さん、クリスタルリングだが、今日のレース結果を踏まえた結果、僕は道脇さんの意見を尊重してみることを決めた。」

「えっ…?どういうことですか?」

 最初は先生の言っている意味がよく分からず、嫌な予感を感じながら聞き返した。

 その後、その意味を理解した私は、思わず愕然としてしまった。

「そんな…。私だって一生懸命この馬を勝たせようと精一杯の努力をしてきたのに…。」

「まあ、君には酷な話だが、道脇さんにも彼なりの事情がある。僕としてもどちらがいいのか悩んだが、今日のレースを見て決めることにしていた。これから根室さんにも連絡して、そのことを伝えるつもりだ。弥富さん、クリスタルリングの世話、ご苦労だった。」

 相生先生は悔しさを感じながらもそれを表に出そうとはせず、クリスタルリングを馬運車に乗せるために、この場所を去っていった。

 一方の私は、金縛りにでもかかったかのようにその場から動けなくなってしまった。

(どうしてこんなことになってしまうの?私だって一生懸命やれることをやってきたのに…。ミラクルシュートは赤嶺君に取られ、ザビッグディッパーは故障、そしてクリスタルリングは引退…。もう父の所有馬で乗れるのは未勝利のクリスタルロードしかいない…。私、今月いっぱいで引退になってしまうのかなあ…。)

 私は泣きたい気持ちを懸命にこらえながら、重い足取りで歩き始めた。


 去年は17勝を挙げ、重賞も勝ち、GⅠにも乗れた。

 そんな私が引退危機に立たされている…。

 何とかしなければ…。何とかして事態を好転させなければ、本当に引退になってしまう…。

 引退になったら、今度は私が「クビを宣告されたジョッキーたち」に出る羽目になってしまう。

 小野浦熱汰君は恥を覚悟の上で、番組に出演した。

 だけど私はそんな醜態をさらしたくない。

 まして父が芸能人であるが故に、余計にあれこれ言われてしまう…。

 でも、誰も事態を好転させてなんかはくれない。自分で何とかするしかない。


 私は夜、眠れなくなるほどのプレッシャーを感じながらも、それを人前に出そうとはしなかった。

 そしてその気持ちを紛らわすために、すがる思いでミリオネアのことを徹底的に調べ続けた。


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