2頭のなつかしい再会
1月中旬。世間では正月気分もすっかり抜け、成人式も終わり、1月も半分が過ぎていった。
GⅠ戦線をにぎわせた馬達はほとんど休養に入ってしまい、顔ぶれは寂しくなってしまったが、私は気を抜くことなく仕事に励み、騎乗依頼にありつこうとがんばり続けた。
そんな中、父の所有馬達の近況は次のとおりだった。
ミラクルシュート(5歳)… 25戦4勝(1600万下)一旦は私のお手馬になったものの、私のインフルエンザによる休養とその後の不振が響いて、再び赤嶺君に取られてしまいました。
クリスタルリング(5歳)… 18戦3勝(1000万下)毎回私が乗っていますが、1000万下の壁にぶつかっています。
ザビッグディッパー(4歳)… 9戦1勝(500万下)骨折のため、現在放牧中。
クリスタルロード(3歳)… 2戦0勝(未勝利)私が気性の荒さを改善しようと奮闘しています。
そんなある日、クリスタルロードが中京競馬場で行われる3歳未勝利戦(ダート1800m)に出走することになった。
私がそのレースの出馬表を眺めていると、ふと「フロントライン」という名前の馬がいることに気がついた。
「あら?聞いたことあるわね、この馬…。」
私はふとそう思い、父や母、そして成績について調べた。
馬名の脇には「父 ホワイトマズル」、「母 スペースバイウェイ」と書いてあった。
(スペースバイウェイって、去年道脇牧場に行った時にDVDで見たし、たてがみをお守りとしてもらってきたあの馬だわ!)
私ははっとして、その馬のことを思い出した。
不幸な過去をいくつも背負いながら、それでもあきらめずに走り続け、道脇牧場の従業員にあきらめないことの大切さを教えてくれた馬として語り継がれているスペースバイウェイ。
その馬が自身の命とひきかえに残してくれた仔がこのフロントラインだった。
その後、フロントラインは母がかつて母が所属していたのと同じ、美浦の星厩舎に所属することになった。
そして1ヶ月前の12月にデビューして13頭立ての12着になり、現在1戦0勝という成績だった。
さらに、クリスタルロードとフロントラインは母が姉妹で、2頭とも道脇牧場の生産馬であるため、久しぶりの再会を果たすことになった。
馬が果たしてそれに気付くのかどうかは分からないけれど、私は「良かったね。再び会うことができて。」と、この2頭の名前に向かってささやいた。
ちなみにクリスタルロードの予想欄は白三角が2つ。フロントラインは全くの無印だったけれど、私はレースで2頭が1、2着になることを切に願った。
レース前日の夜、私は中京競馬場の調整ルームで、フロントラインに乗る予定の久矢大道騎手と話をする機会があり、思い切ってスペースバイウェイやフロントラインのことについて聞いてみることにした。
久矢騎手は最初こそ「そんなことを聞いてどうするんだ?」と言っていたが、やがてスペースバイウェイのことについて話してくれるようになった。
「あの馬は僕にいくつもの試練や苦労、そして喜び、感動を与えてくれた馬かなあ。体が弱く、とても競走馬なんて無理なんじゃないかと言われていた馬があれだけ走ってくれて…。だからこそ、悲しい最期を遂げたと聞かされた時はショックだった。道脇牧場の人からたてがみを分けてもらった時には思わず泣き出してしまったよ。」
「そう…。思い出深い馬だったのね。」
「ああ。だからこそ、フロントラインと出会った時には、何としてもこの馬を活躍させてみたいと思ったんだ。デビュー戦は惨敗だったけれど、あきらめずにがんばっていれば、きっとスペースバイウェイが後押ししてくれる。そして、勝利へ導いてくれるって、信じているんだ。」
「そうなのね…。」
私は自分からは多くを語らず、久矢騎手の話にじっと耳を傾けている形だったが、フロントラインにぜひがんばってほしいと思っていた。
翌日。2レースの3歳未勝利戦(14頭立て)で、4枠5番のクリスタルロードは単勝11.9倍の5番人気。6枠9番のフロントラインは単勝86.5倍の13番人気だった。
見るだけで緊張の糸が切れそうな倍率だったが、久矢騎手の表情にはあきらめの雰囲気などみじんも感じられなかった。
彼は調整ルームを出る前に
「スペースバイウェイは未勝利戦で何度も屈辱的な単勝倍率を突きつけられ、何度も悔しい思いをしながら這い上がってきたんだ。だからどんな倍率だろうと、絶対にあきらめない。狙うは1着。それ以外は考えていない。」
と言いながら気合いを入れていた。
(私だって負けない。道脇牧場の人達の思いや、母馬であるダイヤモンドリング、馬主である父、そして相生先生の思いを背負っているんだから。)
そう思いながら、私も気合いを入れてこのレースに望んでいった。
ちなみに外の気温は2℃しかなく非常に寒かった。
こんな中で外にいたら風邪をひいてしまいそうな状況の中、クリスタルロードはレースがスタートすると中段につけ、何頭もの馬の様子を見ながら1コーナーを回っていった。
前方にいる馬の中に9番の馬はいないため、フロントラインはどうやら後方にいるようだった。
クリスタルロードは問題となっていた気性の悪さを見せることもなく、ペースをしっかりと守ってくれた。
(よし、この調子で行けば十分に勝負になるわね。フロントラインには悪いけれど、勝利はもらうわよ。)
私はしっかりと折り合いをつけながら2コーナーを回りきり、向こう正面を走っていった。
風がビュンビュンに体を打ちつけ、感覚がなくなってしまいそうな寒さの中、私はいつ前に出て行こうかをじっと考え続けた。
4コーナーに差し掛かると、前を走る馬は1頭、また1頭とペースを上げていった。
(それじゃ行くわよ。クリスタルロード、がんばりなさい!)
私はかじかみそうな手で手綱をしごき、スパートを開始した。
最後の直線。クリスタルロードは懸命に走り続けたけれど、他の馬達もねばり、なかなか順位は上がっていかなかった。
(がんばって!何としても1着を取るのよ!)
私はそう思いながら夢中でムチをビシバシと打ち続けた。
途中の坂で何頭かの馬はバテて後退していき、順位は少しずつ上がっていった。
しかし、先頭の馬はかなりの差をつけていたため、1着は難しそうだった。
それでも私はあきらめずにスパートを続け、少しでも上の順位を目指し続けた。
結局クリスタルロードは3着でゴール板を通過し、多少なりとも賞金を稼ぐことに成功した。
「ご苦労。懸念事項だった斜行もなかったし、今日のところは悪くないだろう。」
「伊予子。人気を上回ることもできたし、ナイス騎乗だったぞ。」
相生先生と父はそう言って私をねぎらってくれた。
「ありがとうございます。でも勝てなかったのは事実ですから、次はがんばります。」
私は笑み一つ浮かべることなく返事をした。
一方、その近くでは久矢騎手が険しい表情をしながらフロントラインの馬主である道脇伸郎さんと会話をしていた。
何を言っているのかは聞き取れなかったけれど、恐らくは
「すみません、こんな結果(8着)に終わってしまって。」
と言っているのだろう。
一方、道脇さんは右手を彼の肩に当ててながら何か声をかけていた。
多分何かねぎらいの言葉をかけているのだろう。
結局クリスタルロードもフロントラインも勝利を挙げることはできなかった。
でも同じ牧場で産まれ、その後生き別れていった2頭が懐かしい再会を果たしたことは私にとって嬉しかった。