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神様がくれたご褒美

 ジャパンカップが終わった後、トレセンでは体調を崩す騎手が続出した。

 原因はその日、日本の広い範囲が大雨に見舞われ、大勢の騎手達が雨に打たれながら騎乗をするハメになったことで、当然私も例外ではなかった。

 私は日曜日の夜遅くから体調が下降線を描くようになり、段々頭が痛くなったきた。


 翌日(月曜日、休日)になると頭痛はますますひどくなってきた。

 その日はゆっくりと休んだけれど、翌日になっても事態は好転せず、馬の調教も世話もできそうにない状況だった。

「相生先生。今日はこんな状態なので、ちょっと休ませてもらえませんか?」

 私は申し訳なさそうな表情で頭を下げた。

「君もか。すぐに医者に見てもらってこい。」

「えっ?そこまでひどくはないと思いますけれど。」

「それが危ないんだ。実は綾瀬騎手が体調不良を訴えてな、昨日医者に見てもらったら、インフルエンザにかかっているという診断が出てしまったんだ。」

「インフルエンザですか?ちょっと発生が早過ぎませんか?」

「僕も検査結果を聞くまではそう思ったんだが、すでに発生しているそうだ。綾瀬君は医師から許可が下りるまで出勤停止という形になった。病気を広められては困るからな。だから君も今から医者のところに行ってほしい。いいな?」

「えっ?あ、はい…。」

 相生先生の説得を受けて、私は頭痛をこらえながら、重い足取りで病院へと向かった。


 その頃、トレセンの一室に隔離された綾瀬騎手はベッドの中で横になっていた。

「ヘーーックショーーン!!」

「あー、よりによってインフルエンザかあ…。ついてないなあ…。」

「ヘーーックショーーン!!」

「んもーー、頭痛い、のど痛い。体温…39℃。ハァーー…。こんな時、伊予子ちゃんがそばに来てくれたらなあ…。」

「ヘーーックショーーン!!」

「またくしゃみかあ…。ひょっとして、今伊予子ちゃんが俺のこと噂しているのかなあ…なんてね。デヘヘ…。」

(※実際に噂していたのが相生先生って知ったら、ガッカリするだろうなあ…。By作者)


 検査の結果は、私もインフルエンザということだった。

 私は医師から許可が下りるまで栗東トレセンで働けないことになってしまった。

 困り果てた私は、頭痛と熱をがまんしながら新幹線や他の交通機関を乗り継いで、自宅へと向かっていった。


 自宅では母、空子そらこと弟、政永まさなが。さらには私と時を同じくしてインフルエンザにかかって休養となってしまった父、弥富那男(※家では父を本名で呼んでいます。)がいた。

 普段なら家族4人がそろうことは滅多にないことだった。

 私はしばらく仕事に出られないことを悔しく思いながらも、4人が一つ屋根の下にいることはちょっとだけ嬉しかった。

「伊予子、この休養はきっと神様がくれたご褒美よ。」

 母は、ベッドでぐったりと横になっている私に向かってそう言ってきた。

「ご褒美って何よ。こうなることが良かったってことなの?」

「確かに良くない面もあるけれど、それは気の持ちようよ。あんた、先週ジャパンカップに騎乗したんでしょ?」

「うん。」

「1年前、あんたが落馬で声が出なくなって、もう引退したいって言っていたことと比べれば、すごい進歩じゃない。」

「ま、まあ…、そうだけれど…。」

「その進歩を遂げていた1年の間、どんなことがあった?」

「えっと…、小野浦熱汰君と仲良くなって、お父さんのおかげでクリスタルリングやザビッグディッパー、クリスタルロードに乗せてもらえることになって、復帰してから1日に4勝を挙げて、夜明さんの所有馬ドーンフラワーで重賞を勝って、フリンダースさんの依頼でGⅡ(札幌記念)、そしてGⅠ(ジャパンカップ)に乗せてもらえた。」

「そうでしょう。すごく実りのある1年間だったじゃない。」

「まあ…、そうね。いろいろあって忙しく、疲れたりもしたけれど…。」

「だからこそ、神様はご褒美としてここで休養を与えてくれたのよ。」

「そう…かもね。」

「とにかく今は仕事のことは忘れて、家族4人で水入らずの時間を過ごしましょう。」

「はあい。」

 私はそう言うと表情を和らげ、コクッとうなずいた。

 母はにっこりと微笑むと、「それじゃ、私、那男のところに行くわね。」と言って立ち上がり、部屋を後にしていった。


 一方、政永は大学受験生ということもあり、自分の部屋で一生懸命問題集と格闘していた。

「ええっと、金属の表面に光を当てると電子が飛び出す?」

「赤い光だといくら強い光を当てても電子は飛び出さず、紫の光や紫外線だと弱い光でも直ちに飛び出す?」

「この現象は長い間、物理学者の間で説明できないまま未解決であったが、1905年、アインシュタインが光を粒子と考えることで説明に成功した。」

「ううん、難しいな…。そもそも金属の表面から電子が飛び出すなんて、有り得るのか?」

 彼は高校物理の参考書を見ながら、顔をしかめるばかりだった。

(※この現象は「光電効果」と言われています。太陽光発電ができるのはこのおかげです。n型半導体(電池でいう+極)とp型半導体(-極)を密着させた状態で太陽光を当てると、光電効果によってn型の表面から電子が飛び出してp型の中に入ります。光を当て続けると電子が次々とp型に入っていくため、電子は連鎖的に前へ前へと押し出されていき、回路がつながっていればやがて一回りするため、結果として電流が流れます。)

「あー、わっかんねえな。教科を変えよう。」

 政永はそう言うと、物理の教科書を閉じ、今度は化学の教科書を開いた。

「ブリキのおもちゃの表面に傷が入った状態で湿度の高い部屋に置いていたら、サビが生じてしまった。これをイオン化傾向という言葉を使って説明しなさい。って、分かるか、そんなこと!」

 彼は苦手教科である理科を何とかしようと、連日頭を抱えていた。

(※ブリキは鉄の表面にスズをめっきしたものです。鉄はスズよりもイオン化傾向が大きい(イオンになりやすい)ため、傷が入って鉄が露出し、そこに水がかかるとスズよりも先に鉄がイオンになって溶け出します。そして空気中(または水中)の酸素と結合してサビ(酸化鉄)を生じてしまいます。ブリキの保存には注意しましょう。)

 弟がこのような状況に陥っていることを知った私は、何とか手助けをしようとしたが、こんなレベルの高い問題はとても解けないだけに、結局黙って健闘を祈ることしかできなかった。


 結局せっかく家族4人がそろったのに、私達はほとんど別室で過ごすばかりで、同じ部屋に集まるのは食事の時くらいしかなかった。

 でも、たとえ短い間であっても、私は那男、空子、政永と一緒にいられる時間を噛みしめるようにして過ごした。


 週末までには体調はかなり回復し、外を出歩くこともできるようになった。

 しかし医師から許可が下りなかったため、週末のレースに騎乗することはできなかった。

 結局私は土曜日は父と共に家の近所をぶらぶら散歩しながら過ごし、日曜日は小野浦熱汰君と一緒に中京競馬場に行った。

 レースで盛り上がる中、観客席からレースを見守ることしかできないことは悔しかった。

 でも、熱汰君と一緒に過ごせた時間は、私にとって嬉しかった。

 翌日、私はついに医師から許可をもらうことができたため、早速荷物を整理して栗東へと戻ることにした。

(さあ、神様がくれたご褒美の休養は終わったわ。明日から頑張ろう。)

 私は気合いを入れると、まぶしい夕日を浴びながら栗東トレセンのゲートをくぐり、自分の部屋へと入っていった。

 なお、父も同じ日に許可をもらえたため、彼も新幹線で関東へと出発していった。


 名前の由来コーナー その15


空子そらこ… 日本全国にある鉄道駅(モノレールを含む)の中で、最西端に位置する駅「那覇空港駅」で、まだ名前として使用していない「空港」から命名しました。


政永まさなが… 福岡ダイエーホークス(現・福岡ソフトバンクホークス)にかつて所属していた藤井将雄(本名:政夫)投手、そして彼がつけていた背番号15が、2014年現在ホークスの準永久欠番になっていることから命名しました。


 僕は2011年のある日、野球場めぐりで福岡ヤフードームを訪れました。その時、コンコースの15番通路で藤井投手に関するメッセージボードを見て衝撃を受け、帰宅後にこの投手について詳しく調べました。

 彼は不幸な過去をいくつも背負いながらもくじけずに生き、チームの誰からも慕われながら、病におかされ、短い生涯を閉じてしまいました。

 僕は彼が亡くなる直前に残した「皆様へ」で始まるメッセージを読んで感動し、何て心の広い人だったんだろうと思いました。

 特に「その中の誰一人がかけても、今のこの幸せな自分は存在しませんでした。だから、すべての人に感謝しています。」という言葉は、心に大きく響きました。

 そしてこの言葉を忘れないように常に心がけており、物語の中にも取り入れてみました。

・スペースバイウェイ号物語の第37話(第38部分)「この中の誰1人、1頭が抜けても、今のバイウェイはなかったでしょう。」

・本作の第25部分「もしこの中の何一つ、誰一人が欠けていても、あのクイーンSならびに新馬戦の優勝はなかったと思います。」

また、スペースバイウェイ号物語は、藤井投手のエピソードに即発されて執筆に踏み切った作品だったので、彼を知らなかったら文章にしていなかったかもしれません。

 だから、藤井投手には本当に感謝をしています。


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