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ありがとう、ドーンフラワー(前編)

 騎乗停止が明けた私は、再び週末になると競馬場で馬の背中にまたがる日々になった。

 まず騎乗したのは去年初勝利を挙げた直後に故障を発生したドラゴンポンドの復帰戦、3歳以上500万下だった。

 ただ、まだ馬体重が重く、十分に仕上がっていなかったために、単勝倍率130倍で最低人気だった。

 結果も14頭立てのシンガリ負けで、タイムオーバーを免れるのが精一杯だった。

「すみません。こんな結果で。」

 私は調教師や馬主の人達に頭を下げた。

「気にするな。仕上がり途上だったことに加え、ドラゴンポンドがまだトラウマを持っているようだ。今回はレース感覚を戻せただけで十分だ。」

 調教師さんは明るい表情で応えてくれた。

 私も3週間ぶりの騎乗となっただけに、レース感覚を取り戻すにはちょうどいい機会になった。


 翌週にはクリスタルロード(未勝利戦)、クリスタルリング(1000万下)、ザビッグディッパー(500万下)に立て続けに騎乗した。

 結果はそれぞれ3着、4着、9着だった。

 クリスタルロードは8頭立ての7番人気だったため3連複、3連単では多少なりとも波乱を巻き起こした。ただ、それ以上に斜行しなかったことが私には嬉しかった。

 とはいえ、通算勝利数はまだ30勝。GⅠに騎乗するためにはあと1つ勝たなければならない。

 そしてGⅠレースに乗れるようにして、最高の下克上を巻き起こしていきたい。

 私は未だ遠い目標を見据えながら、目の前の勝利を目指した。


 その週の月曜日。栗東トレセンにいた私のところに、一人の女性がやってきた。

 その人はドーンフラワーの馬主である夜明 夕さんだった。

 彼女は相生先生や網走 じょう騎手に会って色々話をした後、私のところにやってきた。

 そしてやっとご遺族の方への支払いが完了し、和解も成立したことを話してくれた。

「良かったですね。これでやっと安心して暮らせますね。」

「はい、これも全てドーンフラワーのおかげです。」

 さらに夜明さんは、ご遺族の方が、亡くなった自分の子供がドーンフラワーに乗り移り、レースで後押しをしていたのではないかと思えるようになったこと。

 それ以来、憎むばかりだった心境にも変化が出てきたそうだ。

 そして、他の人達からの説得もあって、秋華賞でついに和解が成立したことも打ち明けてくれた。

「私達はあのレースでもう吹っ切れました。私としては、次のエリザベス女王杯(GⅠ)をドーンフラワーの引退レースにするつもりです。」

「えっ?でもまだ3歳でしょう。早過ぎませんか?」

「もう十分です。この度GⅠを制覇してくれましたし、思い残すことはありません。この馬が引退し、今度のセリで売却したら、馬主資格も返上しようと思います。」

「いいんですか?そんなことをして。」

「はい。売ればかなりの値段がつくでしょう。そのお金で私達は静かに暮らしたいと思います。」

「そうですか。寂しくなりますね。」

「確かにそうかもしれません。でも、死ぬよりも苦しい日々からやっと開放されましたし、これを新しい人生の始まりと考えています。」

 夜明さんは全て吹っ切れたような穏やかな表情で言ってきた。

 私もそれを見て、安心することができた。

「では、新しい人生を明るく生きてください。きっと亡くなった方も、相手ご遺族の方も、そしてあなたの息子さんもそれを望んでいるでしょうから。でもまだエリザベス女王杯がありますから、もう1回だけ馬主としての夢を追いかけてもらえませんか?私もそのレースに騎乗できるように頑張りますから。」

「でも、ドーンフラワーには網走譲騎手が騎乗する予定ですが?」

「多分そうなると思います。でも私だってこの馬に騎乗して2戦2勝の実績がありますし、わずかでも可能性があるならあきらめないつもりです。」

 私は力強くそう言い切った。

「そうですか。では弥富さんも頑張ってくださいね。私が馬主をやめてからも、ずっと応援していますから。」

「はい。頑張ります。」

 私と夜明さんはお互い笑顔で約束をした後、解散していった。


 その後も私はレースで騎乗するたびに全力を尽くした。

 しかし勝利を挙げることができないままエリザベス女王杯の週を迎えることになってしまった。

 悔しいけれど、あと1勝が届かず、ドーンフラワーの引退レースでの騎乗は夢と消えた。

(届かなかった…。もし31勝を達成してGⅠに乗れる状態になって、依頼が来なかったのなら少しはあきらめもつくけれど、その条件をクリアすることすらできなかった…。)

 私は込み上げる悔しさを懸命に抑えながら、このレースを見守ることにした。


 そんな中、夜明さんはドーンフラワーがエリザベス女王杯で引退し、その日の最終レース後に引退式を行うことを表に打ち明けた。

 夜明さんの事情を知る由もない世間の人達は一斉に驚いた。

「何で引退なんだよ?早過ぎるぞ!」

「まだまだ十分に走れるじゃないか!」

「調教でもいいタイムを出しているのに!」

 そんな声が響く中でも、夜明さんは引退を撤回することはなかった。

(夜明さん、ドーンフラワーの現役を続行させるのなら、別の馬主に明け渡すという手段もあったけれど、やっぱり引退させてしまうんだ。そして今後の生活費をセリで稼いだら、本当に馬主から卒業してしまうのね…。)

 私はみんなの知らない理由を知っているだけに、みんなとは違う考え方でこの引退報道を見届けた。


 エリザベス女王杯は18頭のフルゲートで行われることになり、ドーンフラワーは7枠14番に入った。

 人気を分け合うことになるであろう、ユーアーゼアは5枠9番。3歳牝馬3強の一角であるネバーゴナミスユーは6枠12番になった。

 一方、古馬の有力馬であるユーウィルビリーヴは7枠13番、トランクプリンセスは3枠5番になった。

 古馬では他にもトランクカレン、ゴールデンコンパスがおり、私としてはクイーンSを思い出させるような顔ぶれになった。

 下馬評では3歳馬有利と言われる中、古馬の陣営はいかにして3強を崩すかが焦点になっていた。


 レース当日、1番人気は意外にもドーンフラワー(単勝4.2倍)だった。

 2番人気はユーアーゼア(4.6倍)、以下、ユーウィルビリーヴ(6.9倍)、ネバーゴナミスユー(7.5倍)、トランクプリンセス(9.8倍)と続いた。

 阪神JF優勝馬トランクビートは単勝56.4倍で、1年前の栄光が嘘のような転落ぶりだった。


私は福島競馬場に行っている赤嶺 安九伊あぐい君の代わりに、京都競馬場でミラクルシュートに騎乗することができた。

(レース名は山科特別、ダート1400m。ちなみに赤嶺君はチョウゼツカワイイがエリザベス女王杯を回避したために、このレースで騎乗できなかったことをかなり悔しがっていました。)

 稚内 平先生からはこれまで赤嶺安九伊君がどのような騎乗をしていたのかを色々教えてもらった。

「それじゃ、後のことは君に任せた。頼んだよ。」

 先生は代打騎乗にもかかわらず、私に精一杯の期待をしてくれた。

「はい。赤嶺君の分まで頑張ってきます!」

 私はそう言い切って、レースに望んでいった。


 結果は道中後方待機から見事に追い込みを決めて勝ち、私の勝利数はついに31になった。

「伊予子、おめでとう!これで31勝達成だ!お前が以前からこだわっていた数字に辿り着いたな!これで来週からGⅠにも乗れるぞ!」

 父、根室那覇男は大喜びしながら私を祝福してくれた。

「はい。でも、遅すぎました。できれば先週達成したかったのですが…。」

「なあに、チャンスはこれからいくらでもやって来るさ。」

 全てを知っている父は、落ち込むこともなく、私を元気付けてくれた。

「そうですね。では、私はこれから気持ちを切り替えて、エリザベス女王杯を観戦することにします。」

 私はそう言うと、検量室に向かっていき、今週の仕事を終えた。


 そしていよいよエリザベス女王杯の発走時刻が近づいてきた。

 自由の身になった私は馬場が見えるところに行き、ゲートの後ろにいるドーンフラワーを見守った。

(ドーンフラワー、今までありがとう。どうか無事に馬場を1周して、夜明さんのところに戻ってきてね。そして、たった2戦だけだったけれど、私に素敵な思い出を授けてくれてありがとう。そして網走譲さん、お願いします。私の分まで頑張ってください。)

 私が手を合わせながらそう願っていると、いよいよファンファーレが鳴った。


(後編に続く)


 名前の由来コーナー その14


じょう… ファミコンゲーム「たけしの戦国風雲児」の「あばしり城」から命名しました。インターネットで懐かしのテレビゲームのサイトを見ていて、この名前に辿り着きました。網走騎手はインビジブルマン号物語で登場して以来、延々と下の名前がないままでしたが、この度やっと決めることができました。


安九伊あぐい… 名鉄(名古屋鉄道)の阿久比あぐい駅から命名しました。鉄道が開業してから約50年後の1983年に開設された駅ですが、急行停車駅となり(それまで急行が停車していたとなりの駅は普通のみの停車に降格)、2008年には特急停車駅にまで昇格しました。それがこの作品のテーマでもある下克上に通じるような気がしたので、採用しました。


 この2人の下の名はなかなか決まりませんでしたが、やっと表に出すことができました。

 ちなみに安九伊は当初、椋岡むくおか元騎手の下の名前に設定していましたが、思ったより登場シーンが少ないため、赤嶺騎手にゆずる形になりました。


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