競馬場以外での週末
2週間の騎乗停止になり、週末に競馬場に行くことが不可能になった私は、週末になる度に栗東トレセンを離れることにした。
最初の週は金曜日の夕方に実家へ行って1泊し、母や弟と水入らずの時を過ごした。
翌日の土曜日には電車を乗り継いでナゴヤドームへ行き、プロ野球のデーゲームを見にいった。
(ちなみに今日、明日でレギュラーシーズンが終わります。)
そこでは今もアルバイトスタッフとして働いている小野浦熱汰君に会うことができた。
私は彼を見かけるなり、会話をし、いつの間にか話が盛り上がっていた。
しかししばらくすると上の立場の人がやってきて
「君、彼は仕事中だ。長話で邪魔をしないように。」
と注意されてしまった。
そのため、私達は試合が終わってから彼とゆっくり話をすることになった。
試合が終わった後、私はスタッフ通用口に立ち、熱汰君を待ち続けた。
彼が出てくると、私達2人は近くのショッピングモールのフードコートで夕食を取りながら会話をすることにした。
そこにはレプリカユニフォームを身につけた人達が大勢いて、かなりの賑わいを見せていた。
その中で私達は空席を見つけて席を確保すると、食べたいものを注文しに行った。
食べ物を持って席に戻ってくると、私は彼の近況について聞いてみた。
「僕か…。僕は相変わらずナゴヤドームでのスタッフさ。野球のスタッフとしてだったら色んな場所をこなせるから、上の人からもかなり頼られている。その努力が認められて、最近はドームだけじゃなくて、各地のコンサート会場でもスタッフをしている。まあ生活が不規則で大変だけれど、何とか生活は成り立っているよ…。」
「そう…。結構頑張っているのね。」
「ああ…。でも貯金をしていくにはまだまだだ。就職活動をしても相変わらずダメだし、プロ野球も今月で終わってしまうから仕事が減ってしまう。正直、君がうらやましいよ。僕と違って、ヤトは騎手を続けた結果、下克上を起こして這い上がってきて、重賞も制覇したんだもんな。」
「そんなことないわ。私も小野浦君のこと、すごいと思っているわよ。あの状況からここまで人に頼られる存在になったんだし。正直、今の私があるのは君のおかげよ。君の頑張りがなかったらあのバーデンバーデンC制覇も、クイーンS制覇もなかったと思う。だから感謝しているわ。」
「よ、よしてくれよ…。僕なんか何も…。」
熱汰君は照れながらも、うっすらと笑みを浮かべてくれた。
その後も私達はこの席で色々話をした。
内容は自体は大したことなかったけれど、それでも有意義な時間を過ごすことができた。
何よりも厩舎の閉鎖以来、人生が狂ってしまい、ずっと暗い思い出と闘いつづけてきた彼が笑ってくれたことが、私にとっては嬉しかった。
だからというわけではないけれど、私は以前彼がメールで送ってきた「ヤト、今度会ったらおごってくれ。」というメッセージの通り、食事の代金をそっと手渡した。
さらにはこれから31勝を達成して大舞台に立ち、GⅠ制覇という最高の下克上を達成することを約束した。
それを聞いて、熱汰君は私の出走するレースにお金を賭けて、応援してくれることを約束してくれた。
生活費も未だひっ迫している中、そう言ってくれたことで、私は
「ありがとう。精一杯頑張って、小野浦君の生活を楽にしてあげるから!」
と言って、彼の手を握りしめた。
「お、おい!ヤト!」
熱汰君は思わず顔を赤らめた。
「えっ?あ、あら!ご、ごめんなさいっ!」
私も思わず顔を赤らめ、慌てて手を離した。
「でも、ありがとうな。」
「こちらこそ。お互い頑張っていこうね。」
「ああ。」
私達はお互い頑張り合うことを約束した後、食べ終わった食器を返却口に運び、そのまま解散していった。
そして再び電車を乗り継いで夜に再び実家に到着し、また1泊した。
翌日には木野牧場に行って、木野さん一家や牧場の従業員の人達と楽しく会話をしながら、テレビで毎日王冠と京都大賞典を観戦した。
観戦が終わると木野牧場を後にして鉄道の駅に向かい、電車を乗り継いで栗東トレセンに戻っていった。
翌週、秋華賞が行われる週の土曜日には、夜明 夕さんに会いに行った。
彼女はドーンフラワーが今度こそGⅠを勝ってくれるか、不安でいっぱいだった。
これまで阪神JF2着、桜花賞3着、オークス3着とあと一歩のところで大レースを勝ちきれずにいたのだから、無理もないだろう。
「網走さんなら大丈夫です。私は彼を信じています。きっと秋華賞を勝ってくれますよ。」
「そうなるといいのですが…。勝てばその賞金で遺族への支払いも完了し、自分達の生活も楽になりますが、もし負けたら…。」
彼女は肉体的にも精神的にも、そして金銭的にも私が想像できないような日々を送ってきただけに、ここまで不安がるのも無理はないだろう。
「大丈夫です。もしもの時には私も金銭面でお手伝いします。さらに父も夜明さんのためにきっとある程度資金援助をしてくれると思います。」
私は父が芸能人で、レギュラー番組も持っている根室那覇男であることを伝え、彼が何頭もの馬を所有している馬主であることを伝えた。
「いいんでしょうか?頼ってしまっても…。」
「父ならきっと協力してくれます。これまでテレビ出演などで稼いだお金を恵まれない人達のために使ってきましたから。」
「でも…。」
夜明さんはどうやら「これは私達の問題ですから。」と言いたげな表情だった。
どうやら自分のことで他人を巻き込みたくないのだろう。
「まあ、とにかくドーンフラワーが勝てば大丈夫です。一緒に応援しましょう。」
「はい…、そうですね…。」
夜明さんは私が会話をする前よりも、少しだけ表情があかるくなった。
私は彼女が再び笑顔を取り戻してくれることを願いながら、京都競馬場へと向かっていく後ろ姿を見つめていた。
秋華賞当日。私はとあるウィンズで椋岡先輩が所属している競馬サークルにゲスト参加させてもらい、一緒にレースを見ることになった。
「弥富さんはどの馬に賭けるつもり?」
椋岡先輩は、競馬新聞を見ながら私に問いかけてきた。
「あの、応援するならドーンフラワーだけれど、騎手だからお金を賭けることはできないわよ。」
「あっ、そうか。悪い悪い。僕は単勝なら7枠14番ユーアーゼア(1番人気)。馬連ならユーアーゼアから流しで1枠2番ネバーゴナミスユー(3番人気)、4枠7番チョウゼツカワイイ(6番人気)、さらには穴で2枠4番トランクビート(9番人気)も買っておく。」
「あれ?8枠17番ドーンフラワー(2番人気)は?」
「君には悪いけれど、外枠だし、この馬は3歳牝馬のGⅠを全て3着になると読んだ。だから外した。」
「何よそれ!私はこの馬を応援しているのに!」
私は思わず頭に血が上り、椋岡先輩に食ってかかった。
「まあまあ。それにしても君がそんなに興奮するとは意外だったな。」
「だ、だって私は…。」
私は昨日、夜明さんの気持ちを聞いてきたからと言いたくなったが、そこは思いとどまり、黙っていることにした。
椋岡先輩はドーンフラワーを外していたけれど、他の部員は多くの人達がドーンフラワーも買っており、私としては救われた気がした。
(※読者の皆様へ。椋岡先輩は大学生なのに馬券買っていいのという疑問はありますが、その点は見逃してください。)
そしていよいよ秋華賞発走の時間が近づいていき、いよいよファンファーレが鳴った。
私を除く椋岡先輩達はみんな手拍子をして、演奏の最後には「ワーーーーーッ!!」と大声を出した。
(ちょっと、それやめてよ!馬にとっては迷惑なんだから。)
私は顔をしかめながら、17番ゲートにおさまっていくドーンフラワーを見守った。
そして偶数番の馬が続々と入っていき、最後に18番のトランクゾーン(15番人気)がゲートにおさまると、いよいよ秋華賞が始まった。
騎乗停止という、騎手としては重い現実を背負ってしまった私ですが、自分なりに有意義な週末を過ごすことができました。
あとはドーンフラワーが勝ってくれればと万々歳です。
さあ、頑張って!ドーンフラワー!夜明さんのために。
私はそう思いながら、秋華賞を見守ることにしました。