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あと1勝

 9月。夏競馬で走った馬達は休養に入り、秋のGⅠ戦線をにらむ有力馬達はトライアルや前哨戦に向けて調整を行っていた。

 そんな中、私がお世話になっている主な馬達の近況は次のとおりだった。


 ミラクルシュート(4歳)… 21戦3勝(1000万下)

 クリスタルリング(4歳)… 16戦3勝(1000万下)現在放牧中

 ザビッグディッパー(3歳)… 8戦1勝(500万下)現在放牧中

 クリスタルロード(2歳)… 9月の阪神開催最終週でデビュー予定

 ドーンフラワー(3歳)… 9戦4勝 一旦短期放牧に出して息抜きした後、秋華賞に直行する予定。

 ミリオネア(5歳)… 20戦5勝 稚内厩舎で調整をしながらどのレースに向かうかをフリンダースさんと協議中。


 そんな中、私は新馬戦(ダート1200m)でクリスタルロードに騎乗することになった。

 レースは12頭立てになり、クリスタルロードは7枠9番に入った。

 相生先生の話では

「素質は感じられるがこの馬は晩成型のようだから、今回は勝敗よりもレースに慣れてもらうことに重点を置いてほしい。」

ということだった。


 金曜日の午後には、父から

「いよいよこの馬もデビューだな。僕は東京で夜遅くまで仕事をした後、翌日朝一番の新幹線に乗り、タクシーで競馬場入りするつもりだ。楽しみにしているぞ。」

 と連絡が来た。

(そうか。忙しい合間をぬって父も駆けつけてくれるんだ。頑張らないと。)

 私はレースに向けて気合いを入れると、

「はいっ!期待に応えられるように頑張ってきます。」

 と返事を出し、栗東を出発した。


 当日、クリスタルロードは11番人気で、単勝は40.7倍だった。

(確かにこれでは先生があんなこと言うのも無理はないわね。でも私は今30勝。2週間後の秋華賞騎乗を可能にするためには、早くあと1レース勝たないと。だからどんなレースでも真面目に勝利を目指すわ。父もここに来ているわけだし。)

 私は気合いを入れてレースに望んでいった。


 とは言え、やはり晩成型というだけあってか、クリスタルロードはペースについていけず、後方からのレースになってしまった。

(意気込んではみたけれど、これでは勝てそうにはないわね。やっぱりレースに慣れてもらうことに専念しようかしら。)

 そう思いながら、私は3コーナーを回っていった。

 4コーナー。クリスタルロードは自分からスパートを開始した。

(まあ、ここは玉砕覚悟で馬のやりたいようにしようかしらね。せめてタイムオーバーにだけはならないようにしよう。)

 そう思いながら、私は最後の直線に向かおうとした。

 すると次の瞬間、思いもよらぬことが起きた。

 クリスタルロードは突然頭を上げるやいなや、急に外に斜行を始めた。

「ちょっ!ちょっと!」

 私は慌てて手綱を引き、馬をまっすぐ走らせようとした。

 しかしクリスタルロードは言うことを聞いてくれず、外から追い抜こうとしていた馬に体当たりをしてしまった。

 恐らくむざむざと抜かされていくのが嫌で、このような行動に出たのだろう。

 思いもよらぬ馬の行動に、私はパニックになった。

(ど、どうしよう…。落馬とか競争中止になんかなったら…。)

 私の顔は一瞬にして青ざめ、もはやレースどころの心境ではなくなってしまった。

 体当たりをされた馬と乗っていた騎手がどうなったのかは確認できなかった。

 そんな中で、クリスタルロードは「ざまみろ!」とでも言っているかのように我がもの顔で走り続けた。

(失格になってしまうかもしれないけれど、とにかくゴールだけはしよう。)

 私は静まらない動揺の中で、何とかゴール板を通過した。


 青ざめたままクリスタルロードをクールダウンさせていると、横から1頭の馬が通りかかった。

 そして「気をつけろよ、おい!」という怒りの声が私めがけて飛んできた。

 声の主は赤嶺君だった。どうやら彼が被害馬に乗っていたのだろう。

「ご、ごめん…なさい…。わざとじゃ…。」

 私は震える声で頭を下げ、赤嶺君に謝った。

(どうやら落馬することなく完走だけはしてくれたようね。それだけでもよかった…。)

 最悪の事態だけは回避でき、私は少しだけほっとすることができた。


「やってしまったな、伊予子…。」

 父は私に会うなり、ため息をしながら言ってきた。

「はい…。赤嶺君に申し訳ないです。せっかくお父さんも来てくれたのに、目の前でこんな醜態をさらしてしまって…。ごめんなさい…。」

「まあ、こんなこともあるさ。けが人が出たわけではないし、お前も無事にレースを終えることができた。それが不幸中の幸いだ。とにかくお前のせいではない。」

 父は泣き出しそうな私を懸命になぐさめてくれた。

「うん…。でも…。」

「そんなに引きずるな。とにかくお前はこの後もレースに騎乗するんだろ?」

「うん…。」

「それならその時までに気持ちを立て直せ。今日と明日はまだ騎乗ができる。その間にやれることをやって、ベストを尽くすんだ。赤嶺君もきっとそれを望んでいるはずだ。」

「はい…。」

「ではお前は検量に行ってこい。馬主さん達には僕が謝っておく。だからもう気にするな。」

「はい…。」

 私はおさまらない動揺と闘いながらも、どうにか父に感謝することができた。


 レースは着順どおりに確定となり、クリスタルロードは11着となった。

 そしてその後、私には4日間の騎乗停止処分が下されてしまった。

 ちょうど秋華賞の週まで騎乗停止となるため、この時点で秋華賞でのドーンフラワーの騎乗は不可能となり、たとえ今週勝利を挙げて31勝になっても、最高の下克上への道は夢と消えてしまった。

 これが尾を引いたのか、私は今週、勝利を挙げることなく終わってしまった。

 競馬場を後にする時、来週、再来週を一体どうやって過ごせばいいのか、私は途方に暮れていた。



 あの斜行シーンは今思い出してもぞっとします。

 もしも赤嶺君と被害馬に何かあった場合なんて、とても想像できません。

 とにかく彼も馬も無事で本当に良かったです。

 検量室では赤嶺君に平謝りするばかりでしたが、彼は「僕も怒りすぎた。もう気にするなよ。」と言って、許してくれました。

 それだけでも私は救われました。

 とにかく騎手は危険と隣り合わせの職業なんだなとつくづく思い知らされました。


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