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夜明さんの過去

 2月の復帰後、桜花賞までの2ヶ月間に6勝を挙げることができた私は、騎乗依頼も増えていき、週末をトレセンで過ごすということはなくなった。

 それに伴って父、根室那覇男所有の馬にもレースで何度か乗せてもらうことができた。

 4月の時点での父の所有馬の成績は次の通りだった。


 ミラクルシュート(4歳)… 15戦3勝(1600万下)

 クリスタルリング(4歳)… 13戦2勝(1000万下)

 ザビッグディッパー(3歳)… 5戦0勝(未勝利)

 クリスタルロード(2歳)… デビュー前


 このうち、クリスタルリングには常に乗れるようになったけれど、ミラクルシュートとザビッグディッパーの主戦騎手は相変わらず赤嶺君だった。

 しかし彼はお手馬が関東に遠征する時に、そちらに行ってしまうことが増えてきた。

 そのため、稚内先生は

「これから赤嶺君が不在の時にミラクルシュートとザビッグディッパーが出走するには、君に白羽の矢を立てようと思う。しっかりと準備をしておいてくれ。」

 と言ってくれた。

「はいっ!しっかりと準備しておきます!そして、彼以上に結果を残してみせます!」

 私は威勢よく返事をして、やる気をアピールした。


 その後、東京競馬場でNHKマイルCが行われた日にザビッグディッパーが京都で未勝利戦に出走した時、私は赤嶺君の代打で騎乗にありつくことができた。

 人気はそれ程高くはなく(14頭立ての7番人気)、結果も5着だったが、私としてはやれることをやりきっての結果だったので、悲観的な気持ちにはならなかった。

 私はその日の夜、この馬のレース振りをメールで赤嶺君に伝えた。

『そうか。ご苦労だったな。参考にしておくよ。次は絶対に勝って君や君の親父さんを喜ばせてやる。そしてこの馬を巡ってこれからも君と競争ができるようにしてやるからな。』

 彼からはこのような返信が来た。

(赤嶺君は完全に自分でこの馬を勝たせる気になっているわね。確かに実績は彼の方が上だけれど、私だって自分で何とかしたいと思っているから、負けないわよ。)

 私は彼のメールを読んで、ますます気合いが入った。


 5月。3歳牝馬のクラシック第2弾であるオークスが東京競馬場で行われた。

 出走馬は18頭のフルゲートとなり、1番人気は桜花賞2着の雪辱に燃えるユーアーゼア(3.3倍)だった。

 そして2番人気は桜花賞馬のネバーゴナミスユー(4.1倍)、3番人気はドーンフラワー(6.0倍)で、この3頭で3強を形成していた。

(前走で2番人気だったトランクビートは11.6倍の5番人気で、3強からはじき出される形になってしまった。)

 他にオークスのトライアルからこのレースに来た馬もいたが、人気はいまいち伸びなかった。

 当日、京都競馬場にいた私は、モニター越しにドーンフラワーを応援した。


 結果は、ユーアーゼアが見事に雪辱を果たして優勝し、ドーンフラワーが3着、ネバーゴナミスユーは4着に終わった。

 2着には人気薄(11番人気)だった赤嶺君騎乗のチョウゼツカワイイが飛び込み、3強の一角を崩すことに成功した。

(トランクビートは6着、トランクゾーンは12着だった。)

 レース後、ユーアーゼアの関係者は歓喜にわく中で、ドーンフラワーのオーナーである夜明さんは、何か写真のようなものを持ち、相生先生と話しながら悲しみにくれているようだった。

(あの人、どうしたのかしら?お金にすごくこだわると思ったら、今度はこんな顔を見せるなんて…。そう言えば、あの人はいつも寂しそうな顔をしているし、何か理由でもあるのかしら?)

 私は、夜明さんとはドーンフラワーの新馬戦の時に話をしたっきりだけれど、彼女のことについてもっと知りたくなった。


 後日、私は相生厩舎を訪れた時に、相生先生に彼女のことを聞いてみることにした。

「先生、夜明さんは過去に何があったのか、教えてくれますか?」

「…。」

 先生は腕組みをしたまま、話すべきか考えていた。

「お願いします。私だって新馬戦では彼女と直接会話をした身ですし、あの時から気になっていたんです。もし私に何かできることがあれば、協力したいです。」

「…分かった。君がそこまで言うのなら、教えることにしよう。」

 先生は重い口を開き、夜明さんの過去について話してくれた。


 夜明 夕さんはかつて何頭もの馬を所有しており、とても明るい人だった。

 そして2年前、1歳馬のセリで、後にドーンフラワーと命名されることになる牝馬を2450万円で落札した。

『この馬は重賞を勝てる逸材ね。もしかしたら、GⅠを勝つこともできるかもしれない。』

 彼女はそう言いながら、この馬の将来を楽しみにしていた。

 しかしそれから2ヵ月後、夕さんの息子さんが車で交通事故を起こしてしまった。

 息子さんは自身も負傷をしながら、救急車を呼び、事故の相手を懸命に助けようとした。

 だが、懸命の努力も実らず、相手は病院で息を引き取ってしまった。

 その後、夜明さん一家はご遺族の方から

『この人殺し!』

『あんた達も死んで償え!』

 と非難され、葬儀にさえ参列させてもらえなかった。

 その後、息子さんは回復を待って逮捕され、現在も塀の中で暮らしているそうだ。

 夕さんが家族で経営していた会社は閉鎖に追い込まれ、彼女達は何もかも失ってしまった。

 さらにご遺族の方々には相当量のお金を支払わねばならず、家計は火の車になってしまった。

『こうなったら、所有している馬も売るしかないわね…。』

 夕さんは力なくそう決意し、持っていた馬を次々と手放していった。

 しかしそれでもお金が足りず、自己破産を宣言するしかないのかという決断を迫られた。

 そんな中、旦那さんからは

『ドーンフラワーだけは残しておこう。この馬はきっと稼いでくれる。だからこの馬に全てを託そう。もし失敗しても、その時に自己破産をすればいいじゃないか。』

 と言われ、この馬だけは残しておくことになった。

 それ以来、夕さんはお金の支払いのためにドーンフラワーの活躍に全てを託し、この馬と心中する覚悟で今日まで生きてきたそうだ。


 その話の内容に私は圧倒され、言葉を失ってしまった。

「夜明さんは悲しい表情をすることが多いし、時に感情的になったりもするが、そういう事情があるんだ。ご遺族の方からは『金を払って済む問題と思うな!』と言われることもあるそうだが、それでも彼女にできることは請求されたお金を支払い、自身も自己破産をせずに済むようにするしかない。そんな彼女の気持ちに応えようと、我々も懸命に努力しているんだ。」

 相生先生は阪神JF、桜花賞、オークスを勝てず、期待に応えられなかった悔しさを懸命に押し殺しながら、会話を締めくくった。

「そうだったんですね…。だったら、私も夜明さんのために、できることがあったら協力していこうと思います。そして、もしドーンフラワーに騎乗することがあったら、絶対に勝てるように努力していきます。」

「分かった。君は現時点ではGⅠに乗ることはできないが、秋華賞のトライアルなら乗れるチャンスは多少なりともあるだろう。その時は頼んだぞ。」

「はいっ!分かりました!」

 現実に乗れる可能性は低いけれど、私は力をこめてそう言い切った。


 それから私はレースで稼いだ賞金の一部を、夜明さんのために寄付することにした。

 彼女からは

「これは私達の問題です!あなたには関係のないことです!」

 と言われてしまったが、私はあきらめなかった。

(何とかして、夜明さんを助けたい。自分に罪はないのにある日突然不幸な運命を背負ってしまい、これまでずっと苦しみ続けてきたんだもの。私だって、引退危機にあった時には父や、相生先生、小野浦君、木野牧場の皆さん、道脇牧場の皆さん、椋岡先輩をはじめとする、何人もの人達に助けてもらった。だから、今度は何としても他人の役に立ちたい。)

 私は心にそう誓った上で、クリスタルリングやミラクルシュート、ザビッグディッパー、クリスタルロードなどの馬を調教していった。



 人は自分のためだけでなく、誰かのために頑張ろうとする時、強さを発揮するものだと思います。

(現に私は翌週のレースで特別競争を勝ち、通算勝利数が22になりました。)

 だからこそ、夜明さんの過去を知ることができたのは良かったと思っています。

 1頭1頭の競走馬達にも様々なドラマがあり、馬達に関わってきた人達にもまた、様々なドラマがあります。

 私もそんなドラマをひしひしと感じながら、1つ1つのレースに騎乗していきたいです。


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