減量特典最後の週
物語は今から2年前の時点から始まります。
その年の2月。私は当時、栗東の稚内平厩舎に所属していた。
デビュー以来、この厩舎には本当にお世話になり、所属している馬にたくさん乗せてもらうことができた。
私もその期待に応えようと懸命に努力をし、レースでは常に全力を出し切ってきた。
しかし、デビューしてもうすぐ3年が経つ頃になっても、通算勝利数はたったの9勝だった。
その内訳は未勝利戦が5勝。新馬戦が1勝。500万下が3勝だった。
(特別レース、重賞レースでの勝ちは無し。最も重賞は乗ったことすらなかった。)
3kgの減量特典がある平場のレースでは何とか騎乗依頼にありつくことができ、勝利を挙げることもできた。
だが、負ければ容赦なく乗り替わりとなり、勝っても次走が特別競争だと稚内先生から
「次は別の騎手に乗ってもらう。すまないが馬の将来のために我慢してくれ。」
「今度は減量特典がないレースだからな。君に騎乗してもらう理由がない。」
と言われ、結局容赦なく乗り替わりとなってしまった。
その度に私のプライドは傷つき、悔しさばかりが込み上げてきた。
(何よもう!私に依頼をする時にはおじぎをしながら頼んできたくせに!)
私は心の中ではそう思いながらも、そこは勝負の世界だからと割り切り、稚内先生の言うことにいさぎよく従うしかなかった。
しかし、今はまだ減量特典があるだけ幸せな状況だ。
来月になればその3kgの減量特典がなくなり、平場のレースでも同じ斤量で戦わなければならなくなってしまう。
ただでさえ騎乗依頼が少ないのに、特典がなくなればどうなってしまうのか…。
これまで勝利数が伸ばせないまま、そういう状況に陥った若手騎手は何人もいた。
「本当に悔しいです…。せめてチャンスさえあれば…。」
「自分の実力不足です。あの時もっとがんばっていれば…。」
「活躍する姿を思い描けないのなら、もうここにはいられません…。」
そう言いながら、失意の底で引退していく人達を、私は何度も見てきた。
(最も、一見自分達の実力不足と言いながら、私から見ればまわりの人達がそう思わせたくせにと言いたくなる光景だったけれど…。)
引退した騎手の中には、厩舎で調教助手として採用され、競馬の世界で働き続ける人もいた。
しかし、競馬の世界から完全に身を引き、会社員になるための就職活動を余儀なくされる人もいた。
すでに私と同期の騎手も何人かは引退を決意し、このまま行けば私と同じ年にデビューした栗東所属の騎手は通算49勝を挙げている赤嶺騎手だけになってしまう状況だった。
(私もそうなってしまうかもしれない…。でも志半ばでそんなことにはなりたくない!現に赤嶺君もこれから減量特典がなくなることで危機感を持っているし…。)
私はあせりを感じながら、毎日厩舎に所属している馬の世話をし、いつ騎乗依頼が来てもいいように心の準備をした。
減量特典が適用される最後の週の日曜日、私は京都競馬場で1レースだけ騎乗にありつくことができた。
馬の名前はミラクルシュート。稚内平厩舎の馬で、馬主は芸能人でもある私の父親だ。
出走するレースは3歳未勝利戦(ダート1400m)で、予想としては14頭立ての4~5番人気になりそうな状況だった。
「君ならきっとやってくれると信じている。頼んだぞ。」
稚内先生は、期待を込めた言い方で私に騎乗依頼をしてきた。
「はいっ!精一杯がんばりますっ!」
私は威勢のいい声で返事をした。
ただ、この厩舎では3月から新人騎手を採用することが決まっているため、そうなったら私はフリーにされてしまう可能性が高かった。
今はまだ稚内先生が私に優先的に騎乗をさせてくれるけれど、フリーになれば自分で馬の騎乗を勝ち取らなければならない。
そうなれば一体どうなってしまうのか、それは火を見るより明らかだった。
そんな事態にはなりたくない。
私は何としても勝利にありつき、これからも騎手でいられるようにしようと意気込んだ。
もちろん、9勝が10勝になったところで、状況が劇的に変わることはないだろう。
でも今の自分にできることはこのレースに勝つために全力を出し切ることしかなかった。
私が栗東トレーニングセンターを出発して京都競馬場に向かう準備をしていると、突然「エリーゼのために」のメロディーが流れ出した。
これは私のスマートフォンの着信音だ。画面を見ると、そこには「根室 那覇男」という名前が表示されていた。
「あら、父からだわ。」
私はそう言いながら急いで電話に出た。
(ちなみにこの名前は芸名で、本名は弥富 那男です。)
「もしもし、伊予子です。」
『もしもし。稚内平先生から聞いたんだが、明日は僕の馬がレースに出て、君が騎乗するんだよな?』
「はい。絶対に勝ちます!」
『頼んだぞ。当日は家族を連れて京都競馬場に行くつもりだ。勝ってくれよ。』
「もちろんです。がんばります!」
私は元気に返事をして会話を締めくくった。
翌日。父と母と兄はパドックの会場で、ゼッケン7番をつけたミラクルシュートにまたがる私をじっと見つめていた。
単勝は16.0倍で、14頭立ての6番人気と、当初の予想よりも低い評価になってしまった。
どうやら鞍上が私だからファンの人達も人気を下げたのだろうか。
でも、そんなことは言っていられない。未勝利戦にもかかわらず見に来てくれた家族のためにも、勝たなければ…。
私は父である那覇男達をちらりと見た後、前を行く馬に続いて本馬場へと向かっていった。
レースが始まると、ミラクルシュートはいいスタートを切り、芝コースからダートコースに入る頃には3~4番手辺りの位置につけることができた。
馬も53kgの軽量を活かして気持ち良さそうに走り続けていた。
(よし。うまくいっているわ。馬場はやや重で最後は瞬発力勝負になりそうだから、前半でいい位置につけられたことは大きいわ。このままいって、絶対に勝ってみせる!)
私はペース配分に気を使いながら、4番手を維持し続けた。
そして4コーナー。私は稚内先生との打ち合わせ通り、他馬に注意をしながら手綱をしごき始めた。
最後の直線に入るとムチをビシバシと入れ、ラストスパートをかけた。
(さあがんばって、ミラクルシュート!あんた自身のためにも、そして私のためにも!さらには先生や忙しい合間を縫って駆けつけてくれた父のためにも!)
すでにまわりの馬や騎手のことは頭に入っていなかった。
私は1着を取るために一心不乱にムチを振るい続けた。
そしてゴール。ミラクルシュートが無事にゴール板を通過できたことを確認すると、私は馬のクールダウンを開始した。
それまで全く回りが見えていなかった私は、その時になってやっと周囲を見渡した。
すると、すでに何頭もの馬達が私の前にいた。
(えっ?こんなに馬がいたの?)
そう思っていると、視界には右手でガッツポーズをしながら喜んでいる赤嶺君の姿が飛び込んできた。
(…負けた…のね…。)
私は急に力が抜けていくような絶望感を感じながら馬を止め、引き上げ場へと向かい始めた。
「残念だったな、弥富。ベストを尽くしたとは思うが、及ばなかったな。」
稚内先生は着順掲示板の3着の部分に「7」の数字が点滅しているのを確認して、そう言ってきた。
「すみません。頑張ったんですけれど…。」
私は頭を下げながら、申し訳なさそうに謝った。
「まあいい。みんな頑張っているわけだし、勝てるのは1頭だけだからな。まあ、馬は心配なさそうだから、また来月未勝利戦に出すことにする。今日は以上だ。」
「はい…。」
私が力なく返事をすると、先生は表情を少し緩めて、調教助手の人と一緒にミラクルシュートのところに行った。
その頃、ウィナーズサークルでは区切りの50勝目を挙げた赤嶺君が誇らしげな表情で、馬主さんと調教師さん、厩務員さんと一緒に写真に納まっていた。
結局この日私が手にできたのは3着賞金の5%、わずか6万円あまりのお金だけだった。
その日の仕事を終えると、私は父と合流した。
「伊予子。よく頑張ったな。」
「うん…。でもこれで減量特典が…。」
私は泣きたい気持ちをこらえながら言った。
「分かっている。これからは騎乗にありつくのが一層難しくなることも。だが、父さん達がお前を支えてやるから、心配するな。」
「……。」
父がそう言ってねぎらってくれるのは嬉しいけれど、私は返す言葉もないまま、ただうつむくばかりだった。
これからは平場のレースでも通常の騎手と同じ斤量で戦っていかなければならない。
こんな私が果たして騎手としてやっていけるのだろうか…。
私はどうしていいか分からず、途方に暮れるばかりだった。
それでも騎手である以上、騎手として生きていかなければ…。
あの時の私は、こんな有様でした。
しかし、勝負の世界は容赦をしてくれません。
この後、ただでさえ落ち込んでいた私に、さらに厳しい現実が襲い掛かってきます。
名前の由来コーナー その2
・稚内… 日本全国にある鉄道駅の中で、最北端に位置する駅です。
・平… 日本全国にある鉄道駅(モノレールを除く)の中で、最西端に位置する駅「たびら平戸口駅」から取りました。(2003年に沖縄にモノレールが開通するまでは、日本全国で最も西に位置する駅でした。)
・根室… 日本全国にある鉄道駅の中で、最東端に位置する駅「東根室駅」から取りました。なお、この駅の隣には根室駅がありまして、有人駅として日本最東端の駅となっています。
・那覇男、那男… 日本全国にある鉄道駅(モノレールを含む)の中で、最西端に位置する駅「那覇空港駅」から取りました。
・赤嶺… 日本全国にある鉄道駅(モノレールを含む)の中で、最南端に位置する駅です。ちなみに赤嶺駅と那覇空港駅は隣同士です。
・ミラクルシュート(Miracle Shoot)(オス)… 僕の好きなテレビ番組のタイトルと、司会者が問題を出題する時のセリフを組み合わせました。