復帰
2月上旬。馬の調教に乗れるまでに回復した私は、栗東のいくつもの厩舎に赴き、クリスタルリングやミラクルシュート、クリスタルロード、ザビッグディッパーに乗せてもらうことになった。
当初、稚内平先生は私がミラクルシュート、ザビッグディッパーに乗ることに難色を示していたが、父の懸命な説得により、最終的に私が乗ることに同意してくれた。
私は騎乗のチャンスをもらえたことに感謝をしながらも、これを逃してなるものですかとばかりに、懸命に馬を鍛えた。
もちろん、ただやみくもに鍛えるだけでなく道脇牧場で学んだとおり、馬の気持ちを理解しながら調教することを心がけた。
そんな努力が少しずつ実を結んだのだろう。クリスタルリングとクリスタルロードを管理している相生初先生は
「君、しばらく休んでいたにもかかわらず、以前より腕を上げたな。やるじゃないか。」
と言ってくれた。
「本当ですか?相生先生。」
「ああ。休養している間に色んなことを学んだようだな。これならクリスタルリングの次走は君に依頼しても良さそうだ。」
「本当に、私に乗せてくれるんですか?」
「まあ、実力もさることながら、君のお父さんからのお願いでもあるからな。しばらくは君にチャンスを与えるつもりだ。実力を証明できれば、クリスタルロードにも乗せてやる。」
「ありがとうございます!精一杯がんばらせていただきます!」
私は満面の笑みを浮かべながら、相生先生に深々とおじぎをした。
12月の落馬事故以来、約2ヶ月ぶりにレースに復帰した土曜日、私は京都競馬場で1鞍だけ騎乗することができた。
観客席では父の根室那覇男を初めとする、家族が駆けつけてくれた。
復帰戦は3レースの3歳未勝利戦で、15頭立ての9番人気の馬に騎乗し、9着に終わった。
できれば人気よりも上の順位を取りたかったけれど、それでもとにかく復帰できたことが嬉しかった。
「伊予子!よくがんばったぞ!」
父は引き上げ場所に戻ってきた私に向かって、声援を送ってくれた。
それに気付いた私は、声を出して返すわけにはいかなかったけれど、とりあえず父のいる方を向いてコクッとうなずいた。
翌日は東京競馬場での騎乗を控えていたため、検量を済ませるとすぐに移動の準備を始めた。
そして京都駅から新幹線に乗って、東京へと向かっていった。
翌日、私は東京競馬場でバレンタインS(1000万下、芝1400m)に騎乗した。
この日はこの1鞍しか予定がなかったが、そこで乗る馬はクリスタルリングだった。
会場には当然のごとく(?)父が駆けつけていて、私がパドックに姿を現すと
「伊予子!気合いを入れろーー!期待しているぞーー!」
と声をかけてきた。
(んもーーーっ!!お父さん、応援していることくらい分かっているから、そうやって私に大声出すのやめてよおっ!ったく親バカなんだから!)
私は顔を赤らめながらクリスタルリングにまたがり、馬の調子を確認した。
(※ちなみに母と弟は自宅に戻っており、会場に駆けつけたのは父だけだった。)
14頭立ての6枠9番からスタートした私とクリスタルリングは、後方集団に入っていった。
「うーーむ…。中段待機の指示は出していたが、思ったよりも後ろだな…。」
腕組みをしている相生先生は向こう正面にいる私を見つめながら、厳しい目つきでそう言った。
「どうでしょう?6番人気(単勝13.2倍)ですが、うまくいきそうでしょうか?」
意外と心配性な父は、顔をしかめながら先生に問いかけた。
「僕は彼女を信じるまでです。」
「……。」
先生の放つオーラに圧倒されたのか、父はそれ以上何も言えなくなってしまった。
そんなやりとりが行われている中、私は後ろから3~4頭目辺りを走りながら3コーナーに入っていった。
コーナーでは内に入り、ラチ沿いいっぱいを走り続けた。
そうしているうちに何頭かの馬は遠心力で外に振られていき、少しずつ順位を下げていった。
その甲斐あって、クリスタルリングはスパートをすることもなく浮上することができた。
(さあ、ここまではうまくいっているわ。でも、大事なのはここからよ。あんたはここから前に行きたがる馬だから。でもここでかかってはだめ。我慢しなさい。特にここは直線の長い東京競馬場なんだから。)
私は祈るような気持ちで言い聞かせながら馬を走らせた。
それが通じたのか、クリスタルリングはしっかりと抑えてくれた。
各馬が4コーナーに差し掛かることには、スタンドからの声援も段々大きくなっていった。
「さあ一気にスパートしろ!差し切れ!」
まだ仕掛けようとしない私めがけて、父は怒鳴るような大声を出してきた。
そんな中で私は冷静に内を走り続けた。
4コーナーを回り切って最後の直線にやってくると、私は少し外に持ち出してスパートを開始した。
この時点ではまだ7~8番手辺りを走っており、前まではまだ距離があった。
(頑張って、クリスタルリング!最後まであきらめてはダメよ!)
私は手綱を懸命にしごきながら一頭ずつ横を走る馬を追い抜いていった。
前方には懸命に逃げ切りを図ろうとする馬と、猛スピードでゴボウ抜きをしていく馬がいた。
そんな中でも、クリスタルリングはあきらめずに伸びていき、入着賞金がもらえる5番手にまで浮上した。
だが、少しでもたくさんの賞金を得るためには、こんなところで安心するわけにはいかなかった。
坂を上り切る頃には3番手まで上がり、残りはあと2頭だった。
しかし、猛スピードで追い上げていった馬はすでに先頭に立ち、クリスタルリングとは4馬身の差をつけていた。
(くっ…。もう1着は無理そうね。でもまだ2着の可能性はあるわ。この位置からではギリギリだけれど、何とか頑張って!)
私は夢中になってムチを振るい続けた。
いよいよゴール。先頭の馬は約3馬身のセーフティーリードをつけており、騎手はすでにスパートをやめていた。
そしてそのまま余裕でゴールしていった。
一方、クリスタルリングは2着を死守しようとしている馬を懸命に追い続け、ついには並びかけた。
そしてゴール板を通過する瞬間に追い抜いたように見えた。
でも本当に2着に浮上したのかまでは自信がなかった。
2着と3着では賞金もかなり違う。これまで休養していた私にとって、その5%にあたるお金は大きかった。
(お願い。何とか2着のところに9が灯って!)
私は馬をクールダウンさせながら懸命に願った。
2コーナーで馬を止め、直線を引き返す時には、すでに着順掲示板に数字が並んでいた。
恐る恐る2着のところを見ると、そこには確かに「9」の数字が点滅していた。(3着との差はアタマ)
(やったわ!勝てなかったけれど、復帰した週に賞金を稼ぐことができたわ!)
私はそう思いながら、無意識のうちに右手を上げていた。
「弥富さん、6番人気で2着に入ったのはいいが、勝ったわけでもないのにガッツポーズはいかんな。」
引き上げ場所では、相生先生が笑みを浮かべながら、それでも厳しい表情で私に語りかけてきた。
「えっ?私、そんなことしていましたか?」
先生に言われて、私はやっとそのことに気がついた。
「うむ。傍から見ている人からすれば『何を血迷ってんだ。』と言いたくなる感じだったぞ。」
「す…すみません。」
私は顔を赤らめながら頭を下げた。
「だが、よくやってくれた。これならクリスタルリングは根室さんとの約束どおり、君に任せても良さそうだな。」
「えっ、あ、あの…。ありがとうございます…。」
私は言葉に詰まりながらも、再び頭を下げた。
「伊予子、よく頑張ったな。えらいぞ!レースが終わったら、父さんとおいしいものでも食べに行こうか?」
父は勝ったように喜びながら、私の肩をポンとたたいた。
「はい。では検量を済ませたら関係者入り口で合流しましょう。」
私はそう言い残すと、足早に検量室へと向かっていった。
(今週は土日あわせて2レースしか乗れなかったけれど、9着と2着ならまあいいでしょう。とにかく復帰は果たせたし、来週はもっと乗れるように努力しないと!)
私は父と合流するまでの間、自分にそう言い聞かせ続けていた。
復帰した週は依頼こそ少なかったものの、馬や関係者の人達にすごく感謝しながら騎乗することができました。
ケガをする前は心のどこかで逃げたい気持ちがあり、いまいち感謝の気持ちが欠けていました。
だからこそ、声が出なくなった時に「もうやめたい」と思ってしまいました。
でも今ではすっかり新しい自分に生まれ変わることができ、この仕事に誇りを持てるようになりました。
ケガに感謝するわけではありませんが、今思えば、あの経験は忘れていた大事なものを教えてくれたような気がします。