表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
16/47

道脇牧場で(前編)

 この章では私が全て地声で会話をしています。

 まだ発音が完璧ではありませんが、その点はあらかじめご了承の上、お読みください。


 小野浦熱汰君に勧められて、ダイヤモンドリングのいる道脇牧場に行くことを決心した私は、今まで以上に治療やリハビリに励んだ。

 家族や熱汰君も陰ながら私を後押ししてくれた。

 また、相生初先生や稚内平先生など、お世話になっている関係者の人達や、赤嶺君をはじめとする仲間の騎手達も、中京競馬の開催が始まるとわざわざ私の家までやってきて、色々と励ましの言葉をかけてくれた。

 その甲斐もあって、私は少しずつ元気を取り戻し、声も段々出るようになっていった。

 そして1月下旬、医師からついに北海道旅行の許可がおりた。

「やっだわ!一生懸命じりょう(治療)をづづけて(続けて)きた甲斐があった!」

 私は医師や他の患者さん達の前で思わず喜びを爆発させた。

(その直後に顔を真っ赤にして恥ずかしがるハメになってしまったけれど…。)

 家に帰った私は、早速道脇牧場に連絡を取り、2日後に飛行機で北海道へと飛ぶことになった。


 道脇牧場のオーナーである道脇伸郎みちわきのぶろうさんは、新千歳空港の到着ロビーで私を待っていてくれることになっていた。

「ええっど、どごにいるのかしら…。だしか(確か)白のズボンをはいでいて、赤のコートを着でいる人が私でずってづたえて(伝えて)はあるけれど…。」

 そう言いながら左右をキョロキョロ見渡していると、

「あの、弥富伊予子さんですか?」

 という声がした。

「えっ?」

 私がそちらの方を見ると、そこには分厚いコートを着ている、50歳くらいの男の人がいた。

「はい。弥富伊予子でず。」

「初めまして。道脇伸郎です。こんにちは。」

「こ、こぢらこそ、はぢめまして…。」

 私はおじぎをしながら緊張気味にあいさつをした。

「君のことは、根室那覇男さんからよく聞いているので、知っていますよ。だから、そんなに堅くならずにもっとリラックスしてください。」

 そう言われると、私はずいぶんと気持ちが楽になった。

 道脇さんはあいさつを済ませると、早速自分の車のあるところへと私を案内してくれた。

 そして私達は車で2時間程のところにある道脇牧場へと向かっていった。


 牧場に到着した時には太陽はすっかり沈んでしまい、辺りは暗くなってきていた。

 そんな中、入り口ではオーナーさんの奥さんである獣医師のケイ子さん、長男の珪太けいたさん、従業員の井王鉄二いおう てつじさんと長谷はせまどかさんが、快く迎えてくれた。

(本当にやさしい人達だなあ。はっきり言ってすごく寒いけれど、何だかすごく命の洗濯になりそうね。木野牧場にいた時のように。)

 私は北海道の冬の寒さに震えながらも、そんな落ち着いた雰囲気を感じ取っていた。


 翌日の午前、従業員の人達が各自で仕事をしている間、私は牧場の事務所の棚にある馬のDVDを見ることにした。

(DVDは道脇さん達が映像を編集しながら作り上げたもので、非売品です。なお、ダイヤモンドリングは牧場の所有馬ではなかったため、置いてありません。)

 DVDはいくつかあり、どれを見ようか迷ってしまったが、長谷さんは牧場を救った競走馬として語り継がれているアンダースローを、井王さんはあきらめないことの大切さを教えてくれたスペースバイウェイを勧めてくれた。

 この2頭はいずれも関東馬だったため、私にはなじみがなかったけれど、私は食い入るように映像を見ながら午前を過ごした。

 なお、先に見たのはアンダースローだった。アンダースローは現役生活が長かったために収録時間が長く、最後まで見るのに時間がかかってしまった。

 一方、スペースバイウェイは現役最後のレースを見たところでお昼ご飯の時間になってしまったため、最後まで見られなかった。


 昼食後、いよいよケイ子さんが私を馬のいるところに案内してくれることになった。

 窓の外には雪が降り積もり、今日も真冬日の寒さになったため、彼女の話では馬はみんな馬房の中にいるということだった。

 また、ケイ子さんは今牧場にはアンダーライン(24歳、牧場開設時からずっと仔馬達を見守ってきた。)アンダースロー(10歳、アンダーラインの産駒であり、1年半前に競走馬を引退した。)、ダイヤモンドリング(10歳、今4頭目の仔を受胎している。)、ダイヤモンドコロナ(1歳、ダイヤモンドリングの3頭目の産駒。)の4頭がいることも教えてくれた。

(※なお、道脇伸郎さんは来月に行われる繁殖牝馬のセリ市で、仔を受胎している馬を1頭買おうとしているそうです。)

(あれ?スペースバイウェイはいないの?)

 私はふとそんな疑問を持ったが、質問しようとはしなかった。

「弥富さんはまずダイヤモンドリングに会いたいですか?」

 ケイ子さんは玄関まで来ると、私にそう聞いてきた。

「はい!ぜひダイヤモンドリングに会いたいです。よろじいでしょうか?」

「いいですよ。では早速行きましょう。」

「はい。」

 私達は玄関から外に出ると、凍えるような寒さの中を歩いていき、馬のいる馬房へと向かっていった。

「さあ、ここがダイヤモンドリングのいる馬房ですよ。」

 ケイ子さんはそう言いながら立ち止まり、その先にいる1頭の馬を指差した。

「案内、ありがとうございます。あの、ごの馬と一緒にいでもいいですか?」

「ええ、いいですよ。ダイヤモンドリングは人見知りをする馬ではないので、きっと快く弥富さんを迎えてくれますよ。」

「では、おごどば(お言葉)に甘えて、中に入らせでいただぎます。」

 私はそう言って、馬房の中に入っていった。

 そこは暖房が効いていて暖かく(といっても私にとっては寒かったが)、馬は快適そうな感じだった。

 ダイヤモンドリングは初対面の私を見ても全くひるむことなく、快く迎えてくれた。

(この馬が、父がかつて所有していて、そして今の所有馬であるクリスタルリングとクリスタルロードの母親でもある馬なんだ。この馬がケガで引退した後にこの牧場に引き取られて繁殖牝馬になり、あの2頭を産み落としてくれたんだ…。)

 私はそう思いながら、馬と一緒の時間を楽しんだ。

 その様子を、ケイ子さんは優しいまなざしで見守っていた。


「ケイ子ざん。ダイヤモンドリング、とても優しぐで、元気いっばいですね。何だか私までたぐさんげんぎ(元気)をもらった感じです。」

「それは良かったわね。一時はすごく落ち込んでいたけれど、すっかり元気を取り戻してくれて良かったわ。」

「えっ?ぞんな時期があったんですか?」

「ええ。今から1年4ヶ月前に、あんなことがあってね…。」

 ケイ子さんはその時のダイヤモンドリングに何が起こったのかを話してくれた。

 それは…。


(後編に続く)


 名前の由来コーナー その9


・ダイヤモンドコロナ(Diamond Corona)(メス)… ダイヤモンドリングが皆既日食の直前、直後に見られる現象で、皆既日食の最中にはコロナが見られることから命名しました。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ