フラワーGⅠ出走
秋のGⅠ戦線の間、私は騎乗にありついた週もあれば、騎乗なしの週もあった。
ありついたとしても大抵は人気薄の馬だったが、それでも乗れるだけありがたかった。
11月のある日、私は1鞍だけ騎乗依頼を受け、福島競馬場にやってきた。
乗る馬は以前騎乗したことのあるドラゴンポンド(2歳未勝利)だった。
人気は10頭立ての8番人気と低かったが、奇襲戦法で逃げに打って出た私とドラゴンポンドは何とそのままダート1150mを逃げ切った。
第1レースというだけあってお客さんは少なく、場内が少しどよめいただけだったが、それでも私にとってはドーンフラワーの新馬戦以来の勝利だけに、素直に嬉しかった。
「弥富さんやりましたね!」
馬主さんは大喜びで私を祝福してくれた。
「ありがとうございます!これからも頑張りますので、よろしくお願いします!」
私は深々とおじぎをしながら、乗せてくれたお礼をした。
「期待していますよ。ドラゴンポンドをよろしくお願いします。」
馬主さんは今後の騎乗依頼に前向きな発言をしてくれた。
しかし嬉しい体験はその時だけで、他は凡走して悔しい思いをするばかりだった。
騎乗にありつけなかった週末には、栗東を離れて実家で過ごすこともあった。
「何か打ち明けたいことがあれば、遠慮なく言いなさい。家族なんだからね。」
「ここに来たら仕事のことは忘れて、楽しく過ごしてくれよ。姉貴。」
母や高校生である弟はやさしい表情でそう言ってくれた。
もちろんこれに甘えてはいけないのは分かっていた。
でも木野牧場におじゃまして以来、時には命の洗濯をして気分転換をすることも必要だと感じていただけに、私は家族と楽しく過ごすことにした。
(※父、根室那覇男は仕事で多忙なため、留守にしていることが多く、一緒に過ごすことができませんでした。)
12月。今週は2歳牝馬のGⅠである、阪神ジュベナイルフィリーズが行われることになっていた。
出走馬の中には、私が過去に1回だけ乗ったことのあるドーンフラワーもいた。
(あの馬、GⅠに出走するんだ…。何だかうれしいなあ…。)
たった1回といえども、お世話になった馬が大レースに出てくるのは嬉しかった。
ただ私は通算12勝なので、GⅠと言えば雲の上の存在で、単に見物するものに過ぎなかった。
(早くGⅠ騎乗が可能になる31勝まで辿り着きたい。31勝したからといって必ずしも乗れるわけではないけれど、まずは騎乗可能な状態にならなければ…。)
私は遠い遠い目標と向き合いながら、それでもあきらめたくない気持ちでいっぱいだった。
16頭立てとなった阪神JFで、ドーンフラワーは2枠4番に入った。
(ここまで3戦2勝。前走はGⅢファンタジーS4着。)
単勝は4.1倍で、僅差の1番人気。2番人気は4枠7番のユーアーゼアで、単勝4.3倍だった。
3番人気の1枠1番トランクビートの人気も僅差で、単勝5.0倍だった。
私の今日の騎乗は5レースで終わっており、本来なら競馬場を離れても良かったが、私は阪神競馬場に残って、ドーンフラワーを見守ることにした。
レースがスタートすると、ドーンフラワーに乗っている網走騎手は先行策に出た。
しかし、事前の情報では逃げに打って出るはずだった13番のトランクゾーンはわずかにスタートで出遅れたこともあって、先頭に立てなかった。
人気の一角、トランクビートはドーンフラワー同様に先行策に出たが、トランクゾーンが前に出てこないのに気付いたのか、後ろに控えていった。
結果、ドーンフラワーが押し出されるようにして先頭に立った。
会場はわっとどよめき、アナウンサーも
『これは意外な展開だ!』
と興奮気味にしゃべっていた。
トランクビートは中段に控え、その横には赤嶺君騎乗の16番チョウゼツカワイイがいた。
逃げをあきらめたトランクゾーンは4、5番手につけ、ユーアーゼアと並走した状態だった。
ドーンフラワーは初めての逃げに戸惑ったのか、それとも網走騎手が懸命になだめているのか、レースはスローペースになった。
『前半800mを通過。タイムは49秒フラット。かなりのスローペースです。』
『先頭は相変わらずドーンフラワー。』
『ユーアーゼアは3番手。4番手のトランクゾーンはここで鞍上、坂江陽八の手が動き出した。』
『トランクビートは中段のまま、まだ動く気配なし。外にはチョウゼツカワイイ。』
外回りの3コーナーを過ぎ、先頭が4コーナーに差し掛かっても、トランクゾーンが上がっていく以外、順位はあまり動かなかった。
(騎手の人達はここからどう動いていくのかしら?特に、網走さんはぶっつけ本番の逃げでこのまま逃げ切るつもりなのかしら?私が騎乗していたら、「どうしよう。どうしよう。」って思いながらあたふたとしてしまうところだけれど、彼はこういう状況でも冷静に騎乗をしているのかしら?)
私は意外な展開になっても慌てない(であろう)一流騎手の腕前を、じっくりと観察することにした。
ドーンフラワーが4コーナーを回り、最後の長い直線に姿を現すと、場内にはいよいよ大歓声が響き渡った。
「ドーンフラワー!このまま逃げ切ってくれーーっ!」
「ユーアーゼアーー!交わせーー!お前が軸なんやでーーっ!」
「こらあぁっ、トランクゾーン、坂江も伸びんかワレーーッ!」
「トランクビート、いつまでも中段におらんと、上がってこいやーーっ!」
「チョウゼツカワイイ、超絶すごいところを見せろーーっ!」
興奮した観客達は口々に叫びながら馬と騎手達をにらみつけるように見つめた。
(どうやらドーンフラワー、このまま逃げ切ってくれそうね。勝ったらますます私にとって遠い存在になっていきそうだけれど、馬主の夜明さん達のことを考えれば、仕方がないわね。)
私は馬の脚色を見ながら、ドーンフラワーの勝利を確信した。
するとアナウンサーがいきなり
『外からトランクビート!すごい脚だ!』
と興奮しながら叫びだした。
私はそれを聞いて、(えっ?)と思いながら後方を見た。
すると確かにトランクビートが外から猛然と追い上げてきた。
(まだ2馬身近く差があるけれど、まさかここから差し切れるの?もう残りは6~70mよ。)
私は半信半疑になりながらトランクビートに注目すると、その馬は1頭だけ早送りをしているかのように前に出てきた。
そして、ユーアーゼアをやっとの思いで抑えきったドーンフラワーに並びかけ、ちょうど並んだところがゴールだった。
場内からは悲鳴のような、怒号のようなものすごい歓声があがり、阪神競馬場は興奮のるつぼと化していた。
『先頭はどっちだ!?ドーンフラワーか?それともトランクビートか!?』
アナウンサーが絶叫してしばらくすると、ターフビジョンにはレースのリプレイが映し出された。
ドーンフラワーがユーアーゼア、トランクゾーン、チョウゼツカワイイを引き連れるようにしてゴールに迫ってくる中、大外からはトランクビートがドーンフラワーと並びながらゴールに接近してきた。
そして決勝線に先に鼻がかかったのは…。
……トランクビートだった…。
「やったーーー!」
「獲ったどーーー!」
「こん畜生めーー!」
「あとちょっとだったのにーー!」
場内からは喜びと悔しさが飛び交い、ものすごい歓声がこだました。
ドーンフラワーの調教師である相生 初先生は厳しい表情をしながら悔しがっている中、かたわらでは馬主である夜明 夕さんとその関係者の人達が泣きながら悔しがっていた。
(本当に勝負って、残酷なものね…。わずかの差であっても勝者と敗者を決めてしまい、人々を喜ばせたり、悲しませたり…。でもいつかは私もGⅠの舞台に立ち、そして馬の上で一喜一憂できるようにならなければ…。)
私は未だ遠い、遠い目標と向き合いながらも、何としても這い上がっていきたいと思い続けた。
(※その後、レースはトランクビートが1着。アタマ差の2着にドーンフラワー、3着にチョウゼツカワイイ、4着トランクゾーン、5着ユーアーゼアで確定しました。3~5着はハナ、ハナ差の決着です。)
このレースの終了時点で、網走騎手は今年120勝(GⅠも今年4勝)を挙げており、リーディングジョッキーをほぼ確実なものにしています。
私と同期の赤嶺君は減量特典がなくなったにもかかわらず、今年18勝を挙げ(通算66勝)、このレースでは9番人気のチョウゼツカワイイを3着に押し上げる活躍を見せました。
それとひきかえ、私は通算勝利数がたったの12(今年3勝)です。
正直、ネットなどでは競馬ファンから
「○○騎手は頑張っているのに、弥富騎手はだらしないな~。」
と度々言われ、嫌な気分になることが何度もありました。
私は他人と比較されるのはあまり好きではありません。
しかしここは勝負の世界である以上、どうしても比較されてしまいます。
辛いことですが、これが現実である以上、耐えていかなければいけません。
とはいえ、私はファンの人に比較を勧めているわけではありません。
どうか軽い気持ちで比較をして人を傷つけないよう、言葉には十分に注意をしてくださいね。
名前の由来コーナー その6
・トランクビート(Trunk Beat)(メス)… 「トランク」は冠名、「ビート」はPCエンジンのゲームソフト「スーパースターソルジャー」のSTAGE7のBGM「Menacing Beat」から命名しました。「メナーシングビート」でも9文字なので馬名としては使えるのですが、menaceが「脅威、危険」という意味なので、これは不採用にし、ビートだけを採用しました。
・ユーアーゼア(You Are There)(メス)… イギリスの少年合唱団「Libera」の歌う「You were there」という曲から命名しました。辛い時や落ち込んだ時にはよくこの曲を聞いて、励みにしています。