命の洗濯
インビジブルマン引退後も私は騎乗依頼を勝ち取ろうと懸命に努力をし、自分を売り込んだ。
しかし、それにもかかわらず翌週土曜日は騎乗0、日曜日に1つ乗れただけだった。
それも馬の運命を賭けた最後の3歳未勝利戦で、人気薄の馬だった。
(それでも私は勝たなければ。私を信じて乗せてくれたわけだから。)
私はそう思いながら懸命に頑張ったけれど、15着(シンガリ負け)になってしまった。
オーナーさんからはレース後にこの馬を戦力外にすることを告げられた。
(助けてあげられなかった…。ごめんね…。)
私はこの後の運命も知らずに馬運車に乗せられて行く馬を見つめながら、謝った。
翌週は土日共に騎乗にありつけず、私は失意のままに栗東で過ごすことになった。
世間では秋のGⅠ戦線を目指す馬達が続々とレースに復帰してレースを盛り上げ、雑誌ではスプリンターズSの話題も出てきた。
『セントウルS圧勝のイントゥザバトル絶好調!スプリンターズ制覇へ向けて視界良好!』
そんな記事が踊る中、私はインビジブルマンのバーデンバーデンCで稼いだ賞金も段々少なくなり、生活も厳しくなっていった。
(何よもうっ!ここまで私を見捨てなくったっていいじゃない!みんなには隠しているけれど、また父から仕送りしてもらう羽目になるじゃない!)
私は自分に振り向いてくれない人達への悔しさ、さらには彼らを振り向かせられない自分への悔しさと懸命に闘いながら毎日を過ごした。
そして翌週。この週も結局騎乗依頼なしで週末を迎えることになってしまった。
世間ではスプリンターズSでイントゥザバトルがどのような勝ち方をするかいうことで盛り上がりを見せる中、私はレースを見る気にもなれず、競馬という言葉を見るのも嫌になりそうだった。
そんな金曜の夕方。私は栗東トレーニングセンターの寮に閉じこもって、腕組みをしながら座っていた。
何もする気が起きず、私と同じく騎乗依頼をもらえなかった騎手の人とも会話する気にはなれなかった。
そんな中、かたわらにおいてあった私の携帯電話が勢いよく鳴り出した。
「誰かしら?」
私が液晶部分を確認すると、相手は木野求次さんだった。
私はゆっくりと上体を起こして電話に出た。
「もしもし、弥富伊予子です。」
『もしもし、木野求次です。』
木野さんは現役を引退して牧場に戻ってきたインビジブルマンの近況について話してくれた。
彼らはこの馬をゆっくり休ませた後、乗馬になるための練習をしていこうと意気込んでいた。
「そうですか。それは良かったですね…。」
『どうしたんですか?何だか元気なさそうですが。』
「…ちょっと…。」
『何か悩みがあるのなら、相談に乗りますよ。弥富さんはもうすぐ競馬場に向かう時間だと思いますし。』
「…私…、競馬場に行かないんです…。」
『えっ?そうなんですか?』
「はい…。」
私は重い口調で、騎乗依頼がもらえなかったことを話した。
『そうですか…。騎手の世界って本当に厳しいですね。』
「はい…。今はもう何もやる気が起きなくて…。正直、この週末をどうやって過ごせばいいのかという気持ちでいっぱいなんです。」
本当なら私はこんなことは話したくはなかった。でも、相手があのインビジブルマンの馬主である木野さんだからこそ、話すことにした。
『それなら、この週末はうちに来てみませんか?インビジブルマンにも会うことができますし、従業員一同で温かく迎えますよ。』
「えっ?」
意外なことを言われ、私は動揺して黙ってしまった。
『ちょっと唐突だったでしょうか?まあ、こちらとしては無理にとは言いません。返事は後でもかまいませんよ。』
木野さんはそう言うと、会話を締めくくって電話を切ろうとした。
「あっ!ちょっと待ってください。行きます。行かせてください!」
私は気がついたらそう言いだしていた。
その後はとんとん拍子で話が進んでいき、週末を木野牧場で過ごすことになった。
私は電話を済ませると早速荷物整理を始め、翌日の朝に待ち合わせ場所である名古屋駅に向かうことになった。
木野牧場では求次さんに妻の笑美子さん、彼らの娘さんである可憐さん、笑美子さんの父である津軽睦夫さん達が温かく迎えてくれた。
私は競馬場にいられない悔しさを抱えていたためか、事務所で彼らと話をしている時、表向きには笑顔で接していても、内心では
(どうせ私の気持ちなんか知らないくせに。)
と考えていた。
それは木野さん達も気付いていたと思う。それでも彼らはにこやかに接してくれた。
そうしているうちに悔しさから少しずつ開放されていき、落ち着きを取り戻すことができた。
会話が一区切りついた後、求次さんは私に
「せっかくここまで来たんですから、インビジブルマンに会いに行ってみませんか?」
と問いかけてきた。
「えっ?いいんですか?」
もちろん。君にとっては決して忘れられない馬でしょうし、遠慮なくどうぞ。」
「では、お言葉に甘えて、会いに行かせていただきます。」
私がそう言うと、求次さんは娘の可憐さんにインビジブルマンのところへ案内するように頼んだ。
「は~いっ!分かりました~!」
彼女は茶目っ気たっぷりに応えると、私のところに来て
「それじゃ弥富さん、透明人間のところに一緒に行きまShow~!」
と言ってきた。
(※可憐さんはインビジブルマンを「透明人間」と言っています。)
私は(この人の言葉遣い、何とかならないものかしら。)と思いながらも、快く「はい。」と応え、一緒に行くことにした。
インビジブルマンは事務所兼自宅から少し離れたところに新しくできた乗馬施設で、乗馬になるためのトレーニングを受けながらのんびりと過ごしていた。
私は乗馬施設で働く従業員の人に了解を得た上で、馬のもとへと歩み寄っていった。
「久しぶりね、インビジブルマン。私のこと、覚えてる?」
そう言いながら馬のおでこをなでると、インビジブルマンは嬉しそうに鳴いてくれた。
どうやら、馬も私のことを覚えていてくれたようだった。
「私は大変な時もあるけれど、何とか騎手として頑張っているわ。あんたも早く一人前の乗馬になれるようにマイペースで頑張ってね。」
「ヒヒーーン。」
その後、私は時間が経つのも忘れて、この馬のそばにい続けた。
従業員の人の話によると、インビジブルマンは屈腱炎の不安がまだ残っていることもあって、乗馬としてデビューできるのはまだ先になりそうだと言うことだった。
また、一応乗馬施設という名前はあるものの、実際に乗馬デビューした馬がいないため、まだ名ばかりの状態だった。
さらに、彼らも元々は競走馬の生産や育成を担当していた身で、乗馬を担当していたわけではないため、手探りの状態だった。
(※インビジブルマン号物語にも書いたことですが、この従業員は津軽睦夫さんの働いていた競走馬生産牧場で働いていた人達で、牧場閉鎖後、路頭に迷っていたところを睦夫さんの呼びかけでここで働くことになりました。)
まだ乗馬施設としての収入もないため、自分達の人件費や馬の管理費ばかりがかさんでしまい、これまでにインビジブルマン達が稼いだ賞金を切り崩しながら過ごしている状態だった。
彼らは後ろめたい気持ちを持ちながらも、何とか自分達を採用してくれた津軽睦夫さんやオーナーの木野求次さん達に恩返しをしたいという気持ちだった。
(そうか…。みんな苦労しながら頑張っているわけなのね。私ばかりが苦労していたわけじゃないんだ…。)
私はインビジブルマンのそばでしみじみとそう思った。
私は木野牧場で一夜を過ごした後、翌日の午後に栗東へと戻っていくことになった。
「皆さん、本当にお世話になりました。交通費まで支給していただき、本当にありがとうございます。」
私は木野牧場の皆さんの前で、深々とおじぎをしながら言った。
「こちらこそ、どういたしまして。弥富さんが元気になったのでしたら、こちらとしても嬉しいです。」
「またいつでも遊びに来てね。お待ちしているわよ。」
求次さんと可憐さんは笑顔で言ってくれた。
私は栗東に着くまでの間、インビジブルマンや木野牧場で出会った人達のことをずっと思い出しながら過ごしていた。
この土日はそれまで走り続けてきた私にとって、命の洗濯になりました。
レースは一切見ていませんでしたが、たまにはこんな時もあっていいのではないかと思います。
とは言え、栗東に帰ればまた厳しい現実が待っています。
正直、目的地が近づくにつれて、段々不安が大きくなってきてしまいました。
ちなみに、スプリンターズSでどの馬が勝ったのかは、想像にお任せします。
木野牧場にはインビジブルマンの他に、トランクバークとトランククラフトがいるのですが、話が必要以上に長くなるのでカットしました。
個人的には入れられなくて悔しかったです。