表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
10/47

初めての重賞

 2014年現在、セントウルSはGⅡとして行われていますが、この作品ではインビジブルマン号物語とリンクさせるために、GⅢとなっています。

 あらかじめご了承ください。


 小倉2歳Sが終わって夏競馬が終わり、翌週からは阪神競馬場と中山競馬場で秋競馬が開幕した。

 有力馬は秋のGⅠ戦線に供えて続々と栗東に帰厩してきて、坂路やウッドチップを走るメンバーはどんどん豪華になっていった。

 そんな中、阪神の開幕週ではGⅠスプリンターズの前哨戦であるセントウルS(GⅢ、芝1200m)で、私は相生初先生から直接騎乗依頼を受けた。

「先生、本当ですか?本当に私をそのレースでインビジブルマンに乗せてくれるんですか?」

「ああ。前回のバーデンバーデンCでの実績もあるし、逗子一弥君は中山競馬場に行く予定だからな。それで君に騎乗をお願いしたい。乗ってくれるか?」

「もちろんです!精一杯がんばらせていただきますっ!」

 相生先生は、このレースがインビジブルマンの引退レースになることや、勝利まではあまりこだわっていないことも伝えてくれた。

 それを差し引いても重賞に乗ること自体、初めてだったので、私にとっては嬉しい知らせだった。

(よおし!やってやるわ!たとえ先生はエキシビジョンのつもりでも、私は本気で勝ちに行くわ!バーデンバーデンCの時もそうだった。あの時のようにもう一度下克上を達成してみせる!)

 私は両手をぎゅっと握りしめ、気合いを入れた。


 レース当日、それまでワクワクしていた私は、発走時間が近づくにつれて段々緊張の色が濃くなってきた。

(落ち着くのよ、私。たとえセントウルSで勝てなくても、怒られたりはしないわ。重賞に乗れる。それだけでも幸せだと思わなきゃ。)

 そう自分に言い聞かせながらも、やっぱり負けたらこれから騎乗依頼がどんどん減っていく一方になるのではという不安が頭をよぎった。


 第10レースが終わってしばらくすると、いよいよ私はセントウルSに騎乗するために、パドックに姿を現すことになった。

 2枠を表す黒の帽子をかぶり、木野牧場の所有馬であることを表す勝負服に身を包んだ私は、あいさつを済ませると、3番のゼッケンをつけたインビジブルマンのところにやってきて、馬にまたがった。

(この馬でバーデンバーデンCを勝ってから、多少なりとも騎乗依頼も増えたし、何とか騎手としてやっていく自信がついたわ。たった2回の騎乗で終わってしまうけれど、インビジブルマン。あんたには感謝しているわ。本当にありがとう。でも、できることならもう一度夢を見させて。私も全力を出し切るから。)

 私はこの馬に感謝をしながらパドックを周回した。

 ふと周りを見渡すと、フェンスの一角に

「ありがとう、インビジブルマン。おかえり、トランククラフト」

 という横断幕がかけてあった。

 その後ろには木野牧場を経営している木野求次さん、笑美子さん、そして可憐さんがこちらを見ながら立っていた。

「弥富さーん、透明人間を無事に走らせてねー!」

 可憐さんはにこやかな表情で手を振りながら、私に声をかけてきた。

(※彼女はインビジブルマンを「透明人間」と呼んでいます。)

(うーん。やっぱり関係者の人も、勝利まではあまり期待していないようね。まあすでに7歳だし、4年半の間、屈腱炎と闘いながら走り続けてきた馬だし…。)

 そんな雰囲気を感じ取りながらも、やっぱり私は真剣に勝つつもりでいた。


 距離が1200mと短いだけに、私はレースがスタートすると先行策を取ろうとした。

 しかしすぐに他馬に抜かれていき、一見すると差しのような状況になってしまった。

 最も、このレースはGⅠスプリンターズSの前哨戦で、有力馬がたくさん出走しているため、正攻法では苦しいことは百も承知していたけれど…。

『断然1番人気の7番イントゥザバトルは前から4~5番手と絶好の位置につけました。』

『ブレーヴストーリーとファンタジーパワーがイントゥザバトルをピッタリとマーク。』

『10番手辺りに3番インビジブルマンがいます。』

 アナウンサーが16頭の馬の名前を読み上げた頃には、各馬はすでに3コーナーまで達していた。

 その中でイントゥザバトルは外に持ち出しながら馬群を割いていき、スパートを開始していた。

 一方、私が乗っているインビジブルマンは手綱をしごいても全く伸びる気配がなく、先頭との差がどんどん開いていった。

(うーーん…。あきらめたくはないけれど、こうなっては厳しいわね。どうしようかしら…。)

 打つ手が見つからない中、私は手綱を動かし続けた。

 最後の直線。イントゥザバトルはブレーヴストーリーやファンタジーパワーらを振り切り、さらには前を走っていた馬も交わして先頭に立った。

 後は横綱相撲を見せて、差を引き離していく一方だった。

『イントゥザバトル先頭!強いぞこれは!3馬身差をつけた!もう騎手は手を動かしていない!スプリンターズに向けて死角はなし!イントゥザバトルゴールイン!』

 アナウンサーは最後の直線で、イントゥザバトルの強さばかりを強調する結果になった。

一方、インビジブルマンは走るのを嫌がっているかのように後退していき、結局ブービーの15着でのゴールとなってしまった。

 シンガリの16着には、同じ木野牧場の所有馬であるトランククラフトになった。

 インビジブルマンはこれが引退レース、トランククラフトは長期休養明けの初戦だったので、仕方ない一面はあったが、木野さんには申し訳ない結果になってしまった。

「あ~あ。よりによってこんな結果になるなんて…。」

「まあ、無事に走ってくれたし、これで良しとしましょう。」

「はあ~い。」

 可憐さんと笑美子さんは、笑顔で私達の方を向きながら会話をしていた。

 そのかたわらでは、相生先生と求次さんの2人がほっとした表情で会話をしていた。

「木野さん。インビジブルマン、ついに現役生活をまっとうしましたね。」

「はい。屈腱炎を抱えながらよく頑張ってくれました。割出君を始めとする関係者の人達のおかげです。」

「どういたしまして。でもレースの結果は残念でしたね。」

「インビジブルマン15着、トランククラフト16着では確かにそうでしょうね。でも結果は二の次ですから、こちらとしては気にしてないですよ。」

「こちらも今は気にしてないです。最もレース直後はさすがにちょっと残念でしたけれど。」

「まあ、最後に勝って終わるってことはなかなかできませんからねえ。でも重賞勝ち馬という勲章が色あせるわけではないですから。」

「そうですよね。」

 みんなが勝負のことを忘れてにこやかに話をする中で、私は寂しい気持ちが込み上げてきた。

(これでこの馬にはもう乗れないのね…。初めてオープン特別を勝ち、初めて重賞に乗せてくれた馬だけれど、これからは自分の力で実力馬への騎乗を勝ち取らなければ…。そういう意味でも、やっぱり少しでもいい順位で終わっておきたかった。)

 私はこれからの不安を感じながらもそれを相生先生や木野さん達の前ではひた隠しにし、笑顔で会話に応じた。

 そして会話を済ませると、検量室へと向かっていき、今週の騎手としての仕事を終えた。



 4年半にも及ぶ屈腱炎との闘いがついに終わり、現役を終えることができたインビジブルマン。

 正直、馬を無事に馬主さんに引き渡せたことは良かったです。

 でも、下克上を巻き起こして、私を引退の危機から救ってくれた馬がいなくなってしまうのは寂しいことでした。

 お手馬を再び全て失った状態でこれからどうやって頑張っていけばいいのか…。

 私は表情にこそ出しませんでしたが、心の中では途方に暮れながらインビジブルマンを見送りました。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ