みはね、ハピバ
「峰・晴香さ~ん」
「は~い」
大学就職課の女性職員に呼ばれた小柄で幼顔の女の子は、ポニーテールを左右に振りながら、見惚れる男の子達の視線にも気づかずに窓口に立った。
「峰は私ですが、書類に不備がありました?」
「いいえ、でも」
職員の言い回しが微妙だったので聞いてみたのだろうが、聞かれた彼女は何だか言いにくそうに口ごもり、1枚の書類を突き出した。
「この会社なんですけど」
「ああ、プレジデント貿易さん、それがどうかしました?」
「本当にここの面接を受けるおつもりですか?」
「ええ」
「どういう会社かご存知?」
「高級外車の輸入販売をする会社です」
「それだけ?」
「はい」
晴香は自信満々に答えるが、職員は困ったような顔を隠そうともしていない。
「もしかして、やくざ屋さんの会社だったりします?」
「いいえ、わが国最大商社の完全子会社、何の問題もありません。 この会社には、ね」
「ならよかった」
変な会社だと困ると思って聞き返したのだろうが、問題ないと聞いて安心しただけで、思わせぶりな言葉は聞いていないようだ。
「1.000万以上の高級外車のみの輸入販売をしています」
「そうなんですか?」
「防弾仕様の大統領専用車なども扱っていると聞いたことがあります」
「すご~い」
「世界中から買い付けるからでしょうか、外大生が多い職場です」
「なるほど」
職員の女性は言葉を選んで話しているが、これではうちの大学レベルでは入れないという事が伝わらない。
「社内の共通語は英語です。 失礼ですが英会話は?」
「ああ、留学生のボブが、晴香の英語は芸術的だって褒めてくれました」
「そ、そう……。 うーん、第2外国語の方は?」
「ドイツ語はギリギリですけど、単位取れました」
「は~」
これでも伝わらない。
元気いっぱいに答える晴香に、ため息をつく職員が対照的だった。
「一応言っておきますが、ここの内定を取るのは本社より難しいと言われています」
「ああ、それなら大丈夫です」
「そ、その、根拠をお聞きしても?」
自信満々で答える晴香に、この会社とのパイプやコなどが有るのかもしれないと、いや、それしかないと思われる。
ならば、聞いていいのかと迷うのも無理はなかった。
だが……。
「そちらの紙の会社と、面接日と場所が同じなんです」
「は~?」
「しかも、午前と午後、無駄な時間の節約で、超ラッキーって感じです」
「…………」
もはや、何を言う気力も残っていない、机に突っ伏した職員を攻める人などいないだろう。
しかし、晴香はそんな職員を不思議そうに眺めるだけだ。
もっとも、晴香とてそんな会社の内定が取れるとは思っていなかった。
まあ、ついでというか、話のネタにという軽い気持ちで受けただけだ。
しかし……。
内定が来てしまった。
理由はいまだ不明だが、車の良さを熱く語った記憶はあった。
晴香の両親は暴走族と呼ばれた世代で、父が関東○○連合の特攻隊長、母が○○レディースのヘッド、という職に就いていたらしいと聞いていた。
よくは知らなかったが、車好きは両親の影響だったのだろう。
何はともあれ、合格は合格だったのだが、問題はそれ以外が全滅した事だ。
「ははは」
引きつった笑いの晴香は、その時初めて事の重大性に気が付いたのだった。
入社式の日、ビルは分かったが場所が分からなかった。
案内板が英語だったからだ。
更に、もらったパンフも、話される演説も、隣で交わされる私語も……。
新人研修では何も学ばず配属になった。
配属先はお客様コールセンター。
ここは、ここだけは日本語だったのだ。
仕事は、お客様の問い合わせや苦情処理。
空き時間には、長者番付や社長名鑑片手にイベントの案内コール。
失敗は多かったけど、まあ、なんとか居場所を確保したし、やさしい同僚にも恵まれていた。
「フランス語でもドイツ語でも、そればっかり聞いていればすぐに覚えるって」
「そうそう、何なら英和辞典を丸暗記しちゃえばいいのよ」
「私イタリア語でそれやった。 覚えるだけだから簡単よ」
ま、まあ、頭脳レベルの差はいかんともし難いが……。
「みはね、ちょっと来い」
「はい」
いきなり部長に呼ばれて、ピョコンと立ち上がった。
小柄だが俊敏で、飛び跳ねているようにも見える。
その為、みね・はるかの、みねはが、みはねとなり、定着してしまった。
「何でしょうか?」
「罰として、明日から3日間イベントにいて来い」
「はい?」
声が裏返ってしまっている。
心なしか引きつった顔には、何の罰なのか思い当たるフシが有り過ぎて聞けないと書いてあった。
「罰は冗談だが、人手が足りなくてな、準備があるから7時からだ。 今日はもう帰っていいぞ」
「場所は、何所ですか?」
「横浜だ」
渡されたパンフは勿論英語だ。
後で、誰かに見てもらおう。
しかし、横浜なら少なくとも2時間はかかる。
7―2は5時だから、4時起き……。
叱責ではないと喜んでいる場合では無かった。
「あ、あの、どうして、私、なん、です、か?」
何とか抗議したいのだが、段々声が小さくなってしまう。
「なあ、みはねはその理由を聞きたいのか? ええ?」
「い、いえ、けっこうです。 イベントに行かせていただきます」
「わかればいい」
シッシッと手を振られてしまった。
部下掌握力の高い部長だ。
どういえば反論できないかを知っている。
みはねはトボトボと席に戻り、帰り支度を始めた。
「みはね、ファイト」
「うん、ありがと」
同僚に励まされ、帰路につこうとしてすぐに戻ってきた。
まだ場所を聞いていなかった。
「はるか、もう4時半よ、起きなくていいの?」
「げっ」
母親に起こされ一瞬で目が覚めた。
目覚ましは……誰かが止めていた。
歯を磨きながら髪をブラッシングするという荒業を駆使し、食パンを咥えながら服を選び、飲み込みながら着替えた。
お母さんから手渡された弁当を紙袋に入れ、なんとか5時に家を出た。
乗った時はすいていた電車の中も徐々に混み始め、人の波は容赦なく小柄な晴香を襲い、目的の駅で……下りられなかった。
次の駅で反対ホームから乗り込み、ようやく目的の駅に着き、吐き出される人の波に身をゆだねて改札を抜けた。
地図を頼りにようやく会場に着くと、既に1日分の体力を奪われたみはねに、部長の容赦のない怒鳴り声が飛んできた。
「遅いぞ、みはね」
「はい、すみません」
疲れていても条件反射で飛び跳ね、ロッカーへと急いだ。
といっても、入れるのはショルダーバッグとお弁当の入った紙袋だけだ。
すぐさま取って返すと、肉体労働が待っていた。
倉庫から持ってくるパンフレットは1箱20キロ。
それを50箱、台車を使うとはいえ、積むのも降ろすのも手作業だ。
1番高かった洋服には汗のシミが出来ていたし、ヒールに包まれた足はあちこち擦り剥けて痛い。
怒涛の1日が終わり、帰りに100均一の店を見つけ、カット判とサンダルを買った。
「お昼出るなら、そう言ってよね」
家に帰ってくるなり母親に言われたが、食べる暇がなかったという元気さえ無く、半泣きでうなずいて脇をすりむけた。
とりあえずシャワーを浴び、ベッドにダイブすると、夕飯も食べずに眠ってしまった。
翌朝、お腹がすいて暗いうちから目が覚め、キッチンでパンをかじりながらみそ汁を作った。
ご飯のタイマーを確認し、卵焼きを焼く。
家族分の食器を出しながら今日の作戦を練った。
イワシを焼きながら、ジャージとシューズを持って行く事にした。
ノリを出しながら、お昼は○○○ーメイトにしようと決めた。
そして、早く家を出ればいい事に気が付いた。
『段どり八分』
2日目の晴香は完璧な一日を過ごした。
そして……問題の三日目を迎えていた。
「みはね」
「はい」
「展示場に立て」
「はい?」
「ぐずぐずするな」
「は、はい」
モーターショウなどでは、車の横に女の子が立っている。
レースクイーンやモデルなどだが、プレジデント貿易の場合は、ミスコンで準ミス以上という制限も付いていた。
たしかに、晴香をかわいいという男性は多い、とても多いと言ってもいいだろう。
しかし、すれ違うほとんどの男性が振り返るかというと、疑問が残る。
それほどレベルが高いのだ。
これで美女軍団の中に入れとは、いじめ以外何物でもない。
だけど、悲しいかな拒否権はない。
何故立たされるかの説明すらなかったが、誰かのピンチヒッターだろう。
「ハ、ハイレグ」
「みんな履いているでしょ」
「あ、でも」
「タイツの生地が厚いから大丈夫」
「……はい」
更衣室と書かれた扉の中で、みはねはもはや、されるがままだった。
美女軍団の中に、ポツンとみはねが立たされた。
だが、初めてのセクシー衣装に顔を赤くした可愛い女の子。
男性たちがほっておくはずがなかった。
「こっちに来ないで~」
みはねの願いもむなしく、瞬く間に人が集まり、取り囲まれたみはねはますます顔を赤くする。
「可愛いね、名前は何というの?」
「初めて見る顔だ、車の説明をしてほしいな」
「いやいや、君自身の説明を」
「いやいやいや、車が先だよ」
一斉にかけられる言葉や視線にパニックになる。
車のドアを開けようと屈んだだけで視線を感じる。
見世物、いやらしい視線、泣きそうになる。
逃げ出したい気持ちを、ギリギリの理性で我慢していた。
仕事だ、これは仕事だと自分に言い聞かせるように車の説明を始めた、その時だった。
「きゃっ」
誰かの手が、腕に触れた。
お尻でも胸でもない、ただ腕に触れただけだった。
それでも、ぎりぎりの緊張状態にあったみはねの限界を超えるには十分だった。
「も、もう、いや!」
突然の叫び声に、周りにいた人たちが固まった。
みはね自身も、しまった、という驚きの表情だ。
仕事だ、逃げるという事も、泣くという選択肢さえも許されない。
「買う人だけにして!……買う人だけ……買う人……お願いします」
勢いで言ってしまった。
しかし、とんでもない事を言ってしまった。
段々声が小さくなってしまう。
静まり返った会場にBGMだけが流れていた。
「僕は買うよ」
若い青年が口火を切った、それからだった。
「私も買うつもりだよ」
「わたしも」
「俺もだ」
あちこちから声が上がった。
みはね自身も何が何だか分からないまま、それでもこれを逃してはならないと開き直った。
拙いながらも懸命に説明を始めたみはね。
いやらしい視線は相変わらずだが、そうでない視線も多い。
夢中で説明するみはねと、熱心に耳を傾けるお客たち。
イベントは大盛況のうちに幕を下ろした。
「つ、つ、つかれた~」
更衣室で着替え、ロッカールームで座り込んだみはねだった。
打ち上げの誘いは断った。
一緒に帰ろうと言われても立てなかった。
「あ、お昼食べられなかった」
長い時間座り込んだ末、小さな口からポツリと言葉が漏れた。
だけど、それが妙におかしくて、みはねにようやく笑顔が戻った。
「帰るか」
よこいしょと立ち上がり、ロッカールームを後にした。
既に照明が落とされたビルの中、通用口で警備員に挨拶をして外に出た。
「おつかれさん」
通用口を出た所に外車が止まっていた。
いや、それよりなにより、高そうなスーツに身を包んだイケメン君がいた。
最初に車を買うと言ってくれた人だ。
「あ、ありがとうございます」
誰だかはわからない、無難に答えた。
「俺だよ高梨一樹」
「は、はあ?」
イケメン君の屈託のない笑顔が眩しい。
しかし、いきなり名乗られても……。
助けてもらった恩はあるけど、恩に着せられると厄介だ。
男の子と付き合うのが苦手なみはねは、こういう時の返事が困る。
「小学校の時、5年で転校したけど、忘れた?」
「え、え、一樹って、もしかして、おもらし一樹?」
「お、おい、それはないだろう」
「あははは、一樹だ、お久しぶりです」
面影が残っていた。
何年振りだろう。
10年?
もっと?
懐かしい顔だった。
「もう、送ってやろうと待っていたのに」
「そっか、ごめん」
「い、いいけど」
何気なく外車に手を置くしぐさが決まっていた。
それに、顔を赤くしているのがかわいい。
「お腹すいた、かな」
「任せろ」
電車に乗らなくていい、それだけで気分が楽になりお腹がすいてきたのだが、満面の笑顔が返ってきた。
ドアを開けてもらって車に乗り込むのは、ちょっといい気分。
今日買ってもらった車には負けるが、これだって1.000万クラスの高級車だ。
シートはゆったり本革仕様、車内にはミント系のかすかな香り、音楽はボカロ。
問題の横顔は、おお、合格。
やがて、2人を乗せた車は横浜のネオンに融けていった。
みはねに春の予感!?
♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡ハッピーバースデー♡♡♡♡♡♡みはね♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡




