『演目ーーアリアナ伯爵令嬢の華麗なる墜落ーー』
なぁ、そこで見ている君。
そう、君だ。
豪華絢爛、いや、絢爛豪華というべきか。
まさにこの王国でも滅多にないくらいに華やかな社交会を、人が豆粒ほどの距離から見下ろすとは、君はボクと同種の人間みたいだね。
あぁ、ごめん。ボクは……そうだな、オルト。とでも呼んで欲しい。
しがない貴族学習院の使丁をしているんだ。
ただ、この夜の社交会では君は何を得たとしても、君の人生そのものは大して面白みがないんじゃないかい?
え? 分からない?
……君は少し物事を、そうだな。多角的に見ることをすすめるよ。
あぁ、決して君を騙している訳ではないから、そのところは安心してほしい。
別に取って食おうなんて思ってもないしさ。そもそも、君なんて食べてもまずいだけだろ?
ほら、もうすぐ件の社交会が始まる。これが最近、一番の楽しみだったんだよね。
人生を彩る面白さが、この会場の二階から輝いて見えそうだからね。君もどうだい?
「アリアナ! 貴公に話がある!」
ほら、始まった。
見なよ。こんなに貴族の後継が集まる会はそうない。
正直ボクが敵国の諜報員なら、この会場に爆破装置をつけて全員あの世行きにするところだけど。って、別にそんなことはしてないから安心してね。
もし他の国がしたら、逆にボクがなんとかするよ。約束は破らないさ。
うん? この会場? ……君は知らなかったのかい?
って、そんな離れなくとも良いじゃないか。怖い顔もしてないよ。
言ったよね、取って食べないってさ。
あぁ、ごめん。君にも事情があるんだね。悪かった。
君の疑問の答えなんだけど、この会場は百五十年前の帝国と王国の大戦で作戦本部になっていた場所なんだ。
名前くらいは知ってると思うけど……まぁ、一応教えておくね。
この『ドーンハイト迎賓館』は、当時の王国の重要人物全員が、この会場の地下にある居住空間で大戦時は暮らしていたんだって。
だから、帝国の王都侵攻の時もなんとか捕まらずに王国は存続できているわけだ。
「……何です? こんな衆目に大声を晒して。一国の王子たるもの堂々としてください」
おっと、そうだった。この社交会の登場人物を言いそびれていたよ。失敬失敬。これでは一流の演劇がただの三文芝居になるところだった。
まず最初に、大声を出して社交会を止めた男が、奥の一番明るいところの壇上にいるだろ。そう、金髪の男だ。
彼が王国の、確か……三か四番目の王子。そうそう、ロイド君も言っていた。出来損ないで高慢キチな男らしいよ。
ちなみにだけど、ロイド君っていうのはボクのお友達さ。色んな出来事をよく知っている物知りな男でね、ボクも彼にはお世話になっているんだ。
良かったら、君にも紹介しようか? え? 要らない? じゃあ、仕方ないか。
そもそも王子様にそんな失礼な物言いは大丈夫かって?
大丈夫。ボクたちの声なんて、ボンクラには聞こえていないよ。見たら分かるだろ?
あの男、さっきから壇上の袖に視線を配ってるのが見えるかい? あれは、自分に自信がない証拠さ。
この社交会に王子が頼りにしている誰かさんがいるんだろうね。
「き、貴公に言われたくないな!」
ほら、一番噛んだらダメなところで噛む。 大した場数もこなしてない証拠だ。言った通り、ボンクラ王子で間違ってないだろ?
え?
あぁ、王子に応対している彼女のことかい?
ちょっと、ボクも王子については調べていたからね。君に教えたかったんだ。悪かったね。
気を取り直して、彼女はこの社交会の主役だ。名前は忘れたけど、伯爵令嬢だ。
綺麗だよね。王子よりも輝く金色の髪は手入れがされているし、明るい青のドレスも、なかなか彼女に似合っているね。
この仕組まれた社交会に、急にも関わらず気合い入れて来たのがよく分かるよ。
……ホント、フフ、いや、ごめん。
これからのことを考えると面白くてさ。でも、あんなに綺麗な彼女がね。人間見かけによらないよね。君もそう思うだろ?
おお、壇上の袖から大きな紙を持ってきて何をするんだい? 面白そうじゃないか。
「このセレーナ嬢に仕掛けた数々の罠!」
あらら、君の言う通り、紙にびっしり書いてるね。
そうだ、ちょっと待って。
今、開発中の双眼鏡のピントを合わせるからさ。はい、どうぞ。
どういたしまして。
でも、なかなか酷いことが書いてあるね。
『セレーナ嬢に対する暴言一覧』なんて上から下まであるよ。うわぁ、気持ち悪い。全部記録したんだ。寒気がする。
あとは……『セレーナ嬢に対する学習妨害』に『匿名による虐めの報告』まであるよ。凄いね。鳥肌が立つことなんてもうないと思っていたけれど、これはなかなかのものだ。
「それに飽き足らず脅迫や傷害まで行うとは!」
おろろ? そんなこともやってたのかい? それは紙に書いてないようだけど、なかなか周到に追い詰めようと見せたんだね。
ん? あぁ、こっちの話さ。
君は下の階に集中したほうが良い。舞台装置は全部揃ったようだし、あとはもう一人の主役が来ると本格的に始まるよ。
「恥を知れ! 伯爵位の後継ともある貴公でも、これは高等裁判級の事件だぞ!」
壇上から良く通る声だよね。王子よりも劇団員にでもなった方が才能あるんじゃない?
それに、高等裁判ってまだ王国は実施してるんだ。もう時代錯誤も甚だしい裁判形式じゃないか。
なんだって?
あぁ、高等裁判って何かって?
確かに知らなくて当然か。幾分古い話だからね。
別に難しいことじゃないよ。高等裁判って、王族が裁量権を持つ裁判のことだ。それ以外は普通の裁判とか変わらないね。
でも、一番不公平な裁判をしようとするんだね。伯爵令嬢が可哀想だ。
ん? なんで不公平か? ちょっと、ボクが全部説明しているからって聞きすぎじゃないかい? まぁ、ボクは優しいから教えてあげるけどさ。
王族って王様じゃなくてもいいんだ。だから、誰かの都合の良い王族を引っ張ってくることができるわけだね。そんな裁判に公平性なんて担保できないでしょ? 王族は国の象徴であって、法律の専門家じゃないから。
分かったならいいよ。でも、ある程度は察してほしいな。舞台はこれからもっと面白くなるんだから。
「なんですか? その大きな紙は」
伯爵令嬢は大きな紙に近づいて見たね。
「私、これに書かれた一切に心当たりがありませんが?」
あらま、これはこれは。
王子はでっちあげの紙を晒しているのかい? これはいけないことだ。
衆目に晒すべきじゃないのを見られては、王族の品位が下がること間違い無しだよ。
おっと、ここでお出ましか。君も渡した双眼鏡でよく見てみなよ。
今、袖から出てきた女の子。そう、あの黒髪の子。たどたどしい歩き方の白のドレスを着た女の子だ。
彼女はあれだよ。えっと、確か……そうそう、子爵家の娘だね。後継は彼女の兄が継いでいるから、彼女はただのご令嬢だ。
伯爵令嬢は、ちゃんと伯爵家の後継だから、位が全然違うことを考えれば。うん、たどたどしくてもおかしくない。
「きょ、きょ、きょう、迫されたこともおぼえて……も、もうしわけ、ご、ございません」
王子が迎えに行ったけど、気持ち悪い顔だね。よく伯爵令嬢を置いて、そんな顔をさらせるよね。
まぁ、これで全員が揃ったわけだ。
やっと始まる。
いやぁ、楽しみだなぁ。どんな結末になってもボクは諸手を上げて拍手を送るよ。
え? 恥ずかしいからやめてほしい?
冗談さ、ボクはそんなことをできる立場じゃないよ。でも、気分次第ではするかもね。
「貴公、まさかここまでとはな」
おお、ボンクラ王子が頼りにしていたのは、あの女の子だったのか。
あんなに挙動不審なのに、なかなかの策略家だな。
「何がです? 先程も申し上げましたが、こんな衆目に私の覚えのないことを晒してなにを? 私には皆目見当が」
ボンクラの調子が戻ったみたいだね。
女の子一人、肩を寄せてああも変わるとは。
え? 王子の名前? 別に知らなくていいよ。
あいつ、もう後戻りできないだろうし。
でも、伯爵令嬢は、理屈を並べるのが上手だね。
この社交会でもそれが通用するのかどうか。ボクには悪手としか思えないけれど。
「ここまでの衆目を嫌がる貴公こそ、秘匿しないといけない情報があるのでは?」
「伯爵の後継といっても女です。なにもありませんわ」
面白いね。
一方はでっち上げを晒してさも事実だと進めようとするけれど、一方はそれが事実でないと言うんだ。簡単な裁判みたいだ。
「ないことはないだろ! 伯爵家が子爵家を脅迫しているんだぞ!? 立派な犯罪だ!」
言い切ったね。もう戻ることはできない。
これから、この舞台は激しくなる。君もよく見ておくんだ。
「いいえ、ありえませんわ」
「もし、仮に伯爵家が脅迫をするというのであれば、証拠など塵も残らないようにするでしょう。私も知らないうちに、そうなっているはずです」
あれ? それは言わないほうがいいんじゃないかい? そんなこと言ったら――。
「だったら、脅迫された側が俺の隣にいるのだ。セレーナが脅迫されたと言っている! なら、それが証拠だ!」
あーあ、聡明そうな伯爵令嬢は言わなくてもいいこと言っちゃった。
これじゃあ、興醒めだ。
もう、この先の展開はどうもならないな。
ボクはね、このくだらない問答が朝まで続いてくれることを願っていたんだよ。
結末は両者痛み分けってやつ。罵り合って最終的には手も出るような、そんな舞台になるはずなのにさ。
終演時間なんてないのにこれは、ボンクラの土俵に立っちゃうじゃん。ロイド君が頑張った半年間が無駄だよ。あの子が可哀想な目に遭っても、面白くないのにさ。
ここからもっと面白くなる仕掛けとか……まぁ、君にはないよね。知ってる。ちょっと聞いただけだから。
「だから! そんなことありえませんわ!」
「貴公が言ったのだ! 証拠を残さないと! だが、脅迫されたこと。それが唯一の証拠である!」
これじゃあ、ボンクラが詰め切ったらもう終わり。
あんなに綺麗に着飾ったドレスが破れることもないんだろうね。
しっちゃかめっちゃかな会になって、伝説の社交会にすらならない。ただの晒し上げで終わりだ。
「言ったものが勝ちです! 今、私が王子に脅迫されていると、言っていいくらいでしてよ!」
「な、なんでそういうことになるんだ!」
お、おお? これは逆転した?
令嬢がボンクラを動揺させた?
いいねぇ! 面白く! ――ごめん。ちょっと気分が上がっちゃった。
でも安心して。ボクの声は届いていないよ。
ここから壇上まで、結構遠いからさ。昨日のうちにロイド君と確認したから間違いない。
「それに! もう一度言いますが! 私はその晒された紙のことなど何一つ存じ上げませんわ!」
「そ、そんな! 酷いです! わ、私にあれほどのことをして!」
「貴様! セレーナ嬢になんてことを!」
三人がもつれ始めたみたいだ。
令嬢も壇上に上がったね。ご高説垂れるボンクラに我慢できないようだ。
ボクには手に取るように分かるよ。その気持ち。
それに、壇上に上がった伯爵令嬢の目の前には黒髪の子がいる。ちょっと舞台の終幕には早いかもしれないね。
「これほどの会で、私を貶めるだけに時間を使っていらっしゃることを分かっておいでです?」
うん、君の言いたいことも分かる。
こんな会になっているのだから、誰かが止めないといけないって考えているんだろ?
でもさ、無理じゃない? カンカンに熱くなった鉄を触れるようなものだよ? 無理だよ無理。
この会場にいる木っ端貴族の後継じゃ、火傷じゃ済まないからね。
首を突っ込む場面は、君も弁えた方が良い。
うん、そうだね。物わかりの良い人は長生きできる。
「これほど? この会は貴公の断罪の会でもあるのだ!」
あの三人は、君と違って物わかりが良くないだろうけれどね。
壇上に上がった令嬢は恥ずかしいのかな? さっきまでの怒りは双眼鏡越しに見えてこないね。
目と鼻の先にボンクラとずっと、肩を寄せている子爵の子がいるのに。
これから先、もっとこんな場面はありそうだけど、この調子なら、令嬢もあまり場数をこなしてないみたいだ。
あんなに堂々としてるのに、心の内はどうなってるんだろう? ビクビクしてるのかな? 君はどう思う?
君もかい?
こんな会場のどこに緊張する要素があるんだよ。
たかが二百人いるかも分からない会場で、その倍の目を向けられるだけだ。慣れればどうってことないさ。
「本来の用途として、間違ってないだろう! なぁ! みんな!」
あーあ、伯爵令嬢の勢いがなくなったのを、あのボンクラでも分かったみたいだ。
最低限は、人の顔は読めているみたいだ。
また、形勢は再逆転されたな。
令嬢は顔に出る類いの子か。
ロイド君の言う通り、彼女はあまり……良くないね。
「これほどの会をあなた方が、ですか?」
そう言えば、君はちゃんと見えているかい?
あぁ、見えてるんだね。良かったよ、さっきからあまり話さないけど、大丈夫かい?
なるほど、伯爵令嬢に同情してるんだ。
君は感受性が高いんだね。良いことだよ、それは君の心を強くするから。
ボクは、そんなものを持ち合わせていないからさ、少し羨ましくもなるね。
「どうした? 俺達にもこれくらいを差配できる力がある! 貴公など頼らずともだ!」
「この会場をですか? ここがどれほどの歴史ある場所と?」
ちょっと君と話していれば少し進んだか。
ボンクラが有利な時は、ボクも興味ないからさ。見えてるでしょ? あのやってやった感満載のしたり顔。
あれが王国では格好良い側の顔ってさ。昔から王国って美的な感覚が悪いよね。
「歴史? そんなものに縛られるほど、俺は臆病ではない! この俺から! 王国の繁栄を築くのだから!」
でもさ、歴史っていうと遠い昔に聞こえるけど、百五十年前って言われたら案外近いなって思わない?
ボンクラみたいに王国の立場が分かってない奴らがこの国には多いんだよ。
「あなたは! 御身の立場を分かって!」
その点、彼女はよく分かってる。
やっぱり近隣諸国の有力貴族と茶会をしているのは、彼女も危機感があってのことか。
さすが、ドーンハイトの人間だね。この厄介だった建物を建てただけある。
あぁ、ドーンハイトって彼女の家名だね。
さっきから名前も言ってたから、アリアナ・ドーンハイトが名前だ。思い出したよ。
「そ、そうです! 王子がこれからの王国を引っ張っていかれるのです!」
まぁ、子爵の女がそんな立場なんて分かるはずもないよ。
蝶よ花よで育った娘、周りのことなんて知らなくて当然だ。
おっと、君も嫌そうな顔をするんだ。
そんなにあの黒髪の子が嫌なのかい? まぁボクの説明が悪かったかもしれないね。
一応は、彼女も被害者ではあるんだ。あんな王子に好かれてしまったことは被害といってもいい。
「あなた!」
「は、はいぃ。す、すみません」
「き、貴公はまたも!」
それに、この会を考えたのはしたたかな彼女なのかもしれないけど、本当に実行する馬鹿が隣にいたんだ。
正気でこんなことができるなんて、まして――。
「何なんですか! 急な招待でもちゃんと来てみれば! こんな!」
そう、急な社交会なんてただの失礼だ。
「急でないと貴公はこの会を調べるだろ?」
普通は誰でも調べるけどね。君もそうだろ?
ただの飲みの席でもさ、誰が来るのか誰と飲むのか。どこで何の料理を嗜むのかくらいは調べるよね。
値段も調べる? 流石だね。君は立派な社会の一員だ。
素晴らしいよ、ボクの周りの連中に、君の髪の毛を食べさせたら少しはマシになってくれるかな?
無理かぁ。ちょっと本気で考えようと思ったけど、やめておくよ。
「急で、かつ信憑性の高い会でないと貴公は来ないだろ?」
ボンクラには賛同したくないけど、急な社交会でも会場の品位があれば失礼を上回る。
今日みたいに、歴史あるドーンハイト迎賓館だったらなおさらだ。
彼女も焦っただろうね。自家が管理する迎賓館で、社交会を明日するって言われるとさ。
自分の家でお友達と婚約者が集まって飲み食いするんだ。聞いてもないし、了承してないのに、まさか。って思うだろうね。
ちょ、ちょっとなにさ! ボクの肩を揺らすなんて、どうしたんだい!?
……本気で言ってる? ボンクラと伯爵令嬢は婚約者だよ? 知らなかったの?
「だからって!」
君ってどこから来たんだい?
まぁ、言うはずもないか。
別にいいよ。ボクだって君には名前しか言っていないだろ? だから気にしてないさ。
でも、肩は揺らさないでね。あまり人に体を触られるのは慣れていないんだ。
「だから? 先ほども言っただろ?」
「この会が貴公の断罪の場であると!」
おお、君に呆れていた間に、ボンクラがこの会の本当の開催理由を言い切ったね。
さぁ、ボンクラのこの一言が、舞台のクライマックスへの合図になるかもしれない。
ワクワクするけれど、ボンクラ優勢なのは癪だな。
「お歴々の……皆様は、知ってらっしゃるのですか?」
そうだよね。こんなこと言い切って、王子といえどもただで済むはずがない。
アホみたいに拍手をしている会場の奴らも、とりあえずそうしておいたら良いかくらいに考えているだけで、今の状況を少しも理解していない。
冷静な奴らはもう出てるだろうし。
「そんなもの! あやつらなど前の世代だ! これからは俺が引っ張っていく! レイヴィアナ帝国なんぞ取るに足らん!」
よく言うよね。これまで散々ふっかけては敗けてきたのに。
知ってる? 三年前の小競り合いのせいで死んだ王国民の数。
三百人なんだって、馬鹿だよね。帝国は戦死者すら出していないのにさ。人だけ多いんだよ王国って。どうしてだろうね。
君には分からないだろうから、答えなんていらないよ。
とりあえず、この先の展開を見逃す訳にはいかないから、ボクらも集中しよう。
「ここまで、ここまで我慢してきたのに」
なんて言ったか聞こえた? 伯爵令嬢の口元が動いただけで分からなかったんだけど、君はどうだい?
なるほど、ここまで我慢をしてきたか。
彼女もなかなか溜まったものがあるんだろうね。あのボンクラ相手ならそうだろう。
あぁ、ありがとう。教えてくれて。
「なんだ? 負け惜しみか? この会の結果はすぐに国王とその周りにも伝える」
ちょっと、さっきまでの腹から出た声はどこにいったのさ。
ここまで全然聞こえないんだけど。
「だから、早く言ってくれ」
あれ? 彼女の口から血が出てるね。可哀想に、よほど耐えられないことを言われたみたいだ。
子爵の子も、伯爵令嬢の口から血が出ているのが見えたみたい。見てみなよ、あの白い顔。死んだ人の顔色になってる。
「ち、血が!」
子爵の子が後ずさって言ったね。
気が動転してるみたいだ。この双眼鏡ならよく見えるよ。
あ、伯爵令嬢がボンクラを張り上げた。気持ちの良い張り手だったね。君はどう思う?
やっぱり君もそう思うんだ。やっぱり、見ててもスカッとするよね。
伯爵令嬢をちゃんと見てごらん。ドレスに血がついたことも気にしていないみたいだし、目なんて血走ってるじゃん。
それに、血で化粧してるみたいだ。
あんな豪快に口元を拭ったらそうなるんだろうけれど、ちょっとボクでも怖いくらいだ。
「貴様が! 王子を誑かしたのか!」
彼女が子爵の子にそう言うのは当たり前だね。だって、そうとしか見えないし。
怖いだろうねぇ。さっきまで冷静に話していた彼女が荒ぶればさ。君だって、子爵の子みたいに震えるんじゃない?
「ア、アリアナ様! な、なにを――」
「問答無用!」
女の恨みって怖いよねぇ。あんな細い腕で同じくらいの女の子を吹き飛ばすなんて。
あぁ、恐ろしい。
「お、おい! 警備! アリアナが乱心し――」
それで、張り手に動揺して声も出ていなかったボンクラは、ようやく何が起こっているか分かったみたいだな。
遅すぎるけど。
「乱心など! この私がするわけないでしょうが!」
だろうね。
なんか双眼鏡越しには、吹っ切れたような顔が見えるよ。
清々しいくらいに、綺麗な体勢で拳を振り上げているようだけど、どこかで習い事でもしていたのかな。
あぁ、すっごいねぇ。ホントにしっかり、これほど綺麗に拳が左頬に入るところを見られるとは。
本当に、君は良いところで、良いものを見られたと思うよ。
「もう、もう! うんざりよ! もうたくさん!」
あらら、もう壇上には伯爵令嬢しか立っていないね。
「私は学習院を抜けます! 王族に手を出したのです!」
「ここから一生を修道院で暮らす事にします!」
ボンクラと子爵の子の容態、そこまで悪そうでもないか。
思いのほかお二人とも丈夫だったみたいだ。
ん? そうだね。彼女は可哀想だ。
婚約者が他の女に懸想しているなんて、知っていても我慢してたんだろうし。
それでも、こんな会で矢面に立たされるなんて。
どんな悪行を重ねたらこんな醜態を晒されるんだろうね。まぁ、大きな紙に謂われのないその悪行が書かれているんだけど。
待ってよ。そんな目で見ないでもいいんじゃないかい? ボクと君は同じなんだ。こんな遠くから双眼鏡越しに君も見ているじゃないか。
違う? ボクに見せられている?
……まぁ、確かにその通りだ。
でも、今までの話で、ボクが君に強制したことはないよ。全部提案さ。思い出してごらん。
「ここにいる、お前達が目撃者だ! いいな!」
だけど、彼女の最後の大立ち回りは見ないといけないよね。ここまで見てきた君は、彼女が言うこれからの言葉を聞く義務がある。
「このアリアナ・ラ・ドーンハイトは、今日、今を持って! レイノアール王子との婚約を破棄するものとし! 合わせて! 伯爵の後継位を辞退する!」
言ったねぇ。言っちゃったねぇ。
さっきまでの話で済ませておけば、修道院から戻れたかもしれないのに。
後継位の返還もするんだったら、彼女はもう貴族じゃなくなるね。
でも、なんだろうな。なんでこんな大事な将来を決める宣言を笑って言うんだろ?
君は分かる?
いや、いい。君には分からないことだ。さっきから全然分かってないし。
「どきなさい!」
もう、舞台も終幕かぁ。誰も壇上から降りる元伯爵令嬢を捕まえようとしないじゃん。一応は王族への暴行をしたのに。
迎賓館の人間すら、彼女を避けてボンクラと子爵の子の様子を見に行ってるって。
やっぱり、ボンクラは人望がないんだろうか。それとも彼女の怒号に会場のヤツらはビビってるのかな。
君もさっき、肩をビクつかせたもんね。
想定よりもすごく短いけど良いものが見られたよ。
そうそう、渡した双眼鏡は持って返っていいよ。あと、君が王国民なら、その双眼鏡は肌見放さず持っていると良い。
「どけぇ!」
にしても、彼女もなかなかの怒号と剣幕だねぇ。
双眼鏡越しにとんでもない形相が見えるよ。彼女も劇団員になれる素質はあるんじゃないかな? ボンクラと似ているんだ。
今の彼女に言うと殴りかかられそうだけど、お似合いだったんだね。
でも、この舞台の名前は変えないといけないみたいだ。可哀想な伯爵令嬢の転落が、これでは華麗なる墜落になった。
だけど、なんで笑っていられる? それに目も潤ませてさ。これじゃあ――。
「この会にいる奴らは! これからのことを考えられない能無しだ!」
笑いながら泣いているじゃないか。
やべぇな、あの女。人間、あんな壊れ方するんだ。初めて見た。
おっと、もう時間だ。
じゃあね、私はこれから用があるから先に行くよ。
私のことは人には言いふらさないでね。性格の悪いことをしている自覚はあるから、人に言われるのは嫌なんだ。
それじゃあ、ありがとう。
演目――アリアナ伯爵令嬢の華麗なる墜落――を最後まで見てくれた君に、レイヴィアナ帝国から愛を込めて、このオーガスト・ハル・レイヴィアナはまた君と会える日を楽しみにしているよ。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
この話の続きは今は未定です。
あと、皆様にとって、この物語が少しでも時間の無駄じゃなかったと願うばかりです。
最後にお願いですが、この物語に評価を頂けるとありがたいです。
低い点でも構いません。
今後の執筆の指針にしたいと思っています。




