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フェリスは昼食後、アガットの入れた冷たいハーブティを飲みながら窓から外を眺めた。
外が騒がしい。
庭園を通ってエントランスに向かっている一行が、フェリスの部屋から見えた。
10人ぐらいの護衛が馬車を囲むようにして、城門を通過している。
エントランスに馬車が横付けされると、中からピンクのふわふわの巻き髪に深い緑色の瞳を持つ女性が降りてきた。
(あの方だわ、聖女アイレさま。やっぱりいらしたわ。)
フェリスは椅子から立ち上がり、窓の側から移動する。
落ち着こうと、両手をお腹の前で無意識に組む。
しばらくすると、せわしない足音が近づいてきた。
「よっぽど、慌てているのね。珍しいわ」
部屋の扉がノックもせずに開いた。
「大変です!フェリスさまのおっしゃるとおり聖女さまがお出でになられました」
フェリスは、扉を閉める前に辺りを見回して、誰もいないことを確認した。
「アガット、小さな声で」
フェリスは落ち着くように、アガットの両腕に軽く触れた。
「し、失礼しました」
フェリスはアガットの手を引いて、リビングのソファに座らせた。
ソファから立ち上がろうとしたアガットを、手で制する。
「いいから、座って。小さな声で話したいのよ、座ってくれると話しやすいわ」
アガットは納得したようで、椅子に腰を下ろす。
「アガット...なぜ私が_聖女さまが今日この城に入られることを予見したかと言うとね、私がこの時間を経験するのが二度目だからよ」
フェリスは、アガットの表情をチラリと窺う。
以前よりは、話を聞いてくれそうだとホッとする。
「実は、7の月19日にモストロベアが屋敷に侵入してね、私は絶体絶命な状況に陥って...毒を呷ったのよ」
アガットが持参した宝石箱の底に目をやった。
箱の底に細工がしてあり、毒入りの小瓶が入っている。
「アルモアダ伯爵家に伝わる秘毒薬セルピエンテ、ですか?」
アガットの瞳が揺れる。
「そう、一瞬で苦痛もなく死ねるという毒薬ね。モストロベアに生きながら腹を裂かれる思いをするならと思ったのよ」
「そしたら、不思議よね。目が覚めたら4の月だったのよ」
「それでね、この胸の傷が過去に戻ったことと、なにか関係しているのかなって。アガットなにか聞いてない?あのセルピエンテにそういう過去に戻るような効果があったとか?」
アガットが声を潜めた。
「セルピエンテは、アルモアダ伯爵家に現在4本のみ保有していると聞いております。王家にもその存在を秘匿されている毒で、次期当主のみがその製法を受け継ぐと...」
「そう...私の知っていることと、ほとんど変わらないわね。過去に使った人がいるかしら...?」
「そこまでは、存じません。この毒について、秘密を知るもの以外に口外すると私は消されるんです。フェリスさまの侍女になる時に、誓約書を書きました。なので噂にもこの毒の話を聞いたことはありません」
「そう、手紙では不用心でお父様に尋ねることはできないし…セルピエンテを飲んで時間が戻るわけ....ないわね」
扉をノックする音が聞こえる。
二人はかなり緊張してこの話をしていたので、ノックの音に驚いて心臓が跳ねる。
フェリスは一度息を吐いて、気持ちを落ち着けてから返事をした。
「どうぞ」
アガットがソファから立ち上がり、すぐさま壁に沿って控える。
扉が開いて、メイドが伝える。
「旦那さまが、お呼びでございます。お出で願えますか?」
「ありがとう、すぐに参ります。場所は知っているから、あなたはもう戻って大丈夫よ」
フェリスはメイドに笑顔で告げる。
メイドは一礼して部屋を去った。
「アガットこの荒唐無稽な話をよく信じてくれたわね?」
「フェリスさまのお胸の傷です。そんなはっきりとした傷が突然現れましたし、極め付きは、まさかの聖女アイレさまがお出でになられましたからね!」
「この間からなさっている地味な装いは、なにか意味があってのことだったのですね」
アガットが、今日も紺地に飾り気のまったくない、シンプルなシルエットのドレスを身に着けているフェリスを見てやむを得ず受け入れる。
「そう、なるべく地味にしてアイレさまを刺激しないようにと思っているわ。でも、もう手持ちが無いのよね。アガットなんとかならない?」
「なぜ地味な装いが必要なのかわかりませんが...こちらに少し親しくしているメイドがおりますので、私のものと偽っていくつか買ってきてもらえるように、手配しておきます」
二人は応接室に向かうことにした。
「よく応接室の場所がおわかりになりますね、と言いたいところですが、2度目だからなのですね」
「ちなみに、私はしばらくしたら部屋を移されることになるわ。西側のかなり奥まった部屋よ」
二人は応接室に着く。護衛が扉の前に待機していて、フェリスが来たことを告げる。
「中に通して」
オルキディアの声がした。
「アガットは、ここで待っていて...失礼いたします」