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フェリスは、店内のドレスにざっと目を通す。
この洗練された店には、陳腐で下品なドレスは置いていないようなので、作戦を変更することにした。
上品で露出度の高いものを物色する。
店のちょうど真ん中に休憩用の大きな丸イスが置いてあり、そこにオルキディアが腰掛ける。
アガットは店内の雰囲気を見てホッとした表情で、フェリスのドレス選びを見守っていた。
フェリスは胸元がV字に大きく開いて、肩紐が細いストラップのマーメードラインのドレスを選んだ。
体にフィットするアイボリーの生地の上から、白の透けるレースが重ねてある。
試着室に店のオーナーと一緒に入る。
試着室は壁面が全て鏡になっていて、赤い絨毯が敷いてあり、壁に沿って横長の椅子が備え付けてある。
「この形のドレスは着る人を選びますが、サルマン卿の婚約者さまなら着こなせると思いますわ」
興奮しながらオーナーの女性が言った。
「フェリスと呼んでください。ねえ、あなたの名前はなんておっしゃるの?」
「私は、クライトと申します。フェリスさまの評判は、この辺境にまで届いております」
フェリスは着ていた茶色のドレスを脱がせてもらい、マーメイドラインのドレスを試着する。
フェリスは首だけ後ろを振り返った。
ドレスは膝下から裾に向け広がっている。後ろ側の裾の引きずる部分はドレープもレースもボリュームがあり、華やかだ。オーナーの女性が膝をついて裾を整えていた。
「クライトさん、城にドレスを納入したのはあなたかしら?」
クライトは顔を上げた。
「申し訳ございません、社交界での評判などを聞いてフェリスさまに似合いそうなものをと思いご用意いたしましたが、このドレスをお召になる方には少し子供っぽかったかもしれません」
フェリスは優しい声色で話しかけた。
「大丈夫、あなたの見立ては正しいわ。私はこんな風に肌の露出の多いドレスを身に着けたことはなかったもの。ねえ、あれらのドレスは多分だけどサルマン卿の好みも考慮されているわね」
「もちろんでございます、サルマン卿の好みも考慮したうえで、フェリスさまの社交界での評判やお人柄などを踏まえてご用意いたしました。サルマン卿がこういった扇情的なものはお気に召さないようでしたので候補から外してしまいましたが…」
いま試着しているドレスは、色味が薄いアイボリーで体のラインにかなり沿っているので一見すると、裸の上にレースを纏っているようにも見える。
しかも肩紐がストラップになっていて、背中は大胆に大きく開いている。
(扇情的なものが嫌いって、ちょうどいいじゃない。しかもこれだと胸の谷間の傷がしっかり見える。これを理由に私から婚約を解消してもらえばいいわ。)
クライトが、胸元の傷を見て恐る恐るフェリスに聞いた。
「その、お胸の...お隠しにならなくともよろしいですか?もちろんそんなの気にならないくらいこのドレスを着こなしていらっしゃると私は思いますが」
「いいのよ、こういうものは隠しては後々トラブルになるでしょう?」
フェリスがドレスに似合うような艶やかな笑みをこぼした。
試着室の赤いビロードのカーテンが、クライトによって開けられる。
アガットは、カーテンが開いて姿を現したフェリスが胸元の傷を全く隠さずに、さらけ出しているのを見て驚愕した。
オルキディアは別の意味で驚愕した。
目の前の女性は、可愛らしい花の妖精のようだと社交界で評判の女性とはほとんど対極にいた。
今は、妖艶で男を惑わすほどに艶めいて美しかった。
マシュマロのようにふわふわに見える形の良い胸に、くびれたウエストから続くボリュームのあるお尻は、桃のように丸みがあり、芸術作品のようだが、どんな芸術家が模倣したとしても敵わない生きている美がそこにあった。
言葉もなく見惚れているオルキディアを見て、フェリスは成功したと思った。
(この胸の傷を見て、呆然としているわね。それとも思っていた花の妖精とは懸け離れていて、がっかりしたというところかしら。)
「サルマン卿、見ての通りなのです。原因はわからないのですが...目が覚めたら急に胸元にこのような傷がありましたの」
オルキディアは、フェリスが胸元にある傷の話をした途端に、表情がこわばった。
それを隠すように顔を背ける。
「サルマン卿に相応しくありませんでしょう。この婚約を破談にしてくださいませ」
「は?」
フェリスの言い分にオルキディアが驚いて顔を上げた。
フェリスは妖艶に微笑んだ。
「お返事は、明日で構いません」
(明日なら聖女アイレさまもお見えになるし、ちょうどいいのではないかしら。)
オルキディアが丸椅子から立ち上がり、フェリスの傍に近付き不意に腕を掴んで引き寄せる。
オルキディアがフェリスを優しく抱きしめた。
(ちょっと待って、どうなっているの...前回も抱きしめられたことなんてなかったわ...どうして今__)
「傷のことは....気にしなくてよい。そのようなことでは婚約の解消などしない」
「え?」
フェリスが俯いていた顔を上げた。
オルキディアと目が合う。
刹那、強く抱きしめられた。鍛えられた胸板は思った以上に広くて弾力がある。オルキディアの着ているシャツが薄くてオルキディアの体温が頬に伝わる。
(まずいわ_)
(胸の鼓動が...痛いくらいだわ。以前に抱いていた気持ちが掘り起こされる...)
(好きな人からの、抱擁...抗いがたいわ...)
フェリスは、自分でもわかるくらい頬が火照っていた。
端から見ると、耳が真っ赤になっているのがわかる。
アガットは二人を見て、ようやく安心した。
フェリスはオルキディアの腕の中が気持ちよくて、自分から離れることができないくらいには、オルキディアに心を囚われていた。
(しょうがない...しょうがないわ、以前は好きだった方だもの…)
クライトが二人の様子を満面の笑みで見る。
「まあ、羨ましい熱愛ぶりですわ」
「このドレスがご入用でしたら、もう少しフェリスさまの体に合せて手直しすることができますが、どうなさいますか?」
オルキディアが少し腕を緩めて、フェリスの顔を見る。
フェリスの頬が赤く染まっているのを見て、愛おしそうに手の甲で頬をひと撫でして、優しい目をした。
「彼女がこれが気に入っているならそうしてくれ、出来上がったら城に届けてくれると助かる」
「サルマン卿は、こういったデザインのドレスは好みではありませんよね?!」
フェリスが急いで確認する。
そう思い選んだドレスだ。
オルキディアの目が、情欲の色を滲ませる。
「フェリス嬢が着ると、妖艶で蠱惑的なのに清らかで、唆られるね」
フェリスは、オルキディアの遠慮のない視線にいたたまれなくなり、胸元を無意識に両腕で隠した。
その仕草にオルキディアが目を細める。
「こういうドレスも...お好きなのですか?」
フェリスが、おずおずとためらいながら聞いた。
「そうだね、魅惑的で抗いがたく、目が吸い寄せられるね。認識が変わったよ」
(もう、このドレスの意味がなくなったわ。最悪なことに私の気持ちのほうがオルキディアさまに傾いてしまっている。それに、こんな視線を送られるなんて…)
フェリスは、ようやくオルキディアに離してもらえたので持参した宝石の袋をアガットから受け取る。
(いまさら、いらないとは言えないわね…)
「中に宝石が入っています。足りなければ、後で届けます」
クライトがオルキディアの方を見ながら、フェリスの差し出した袋を受け取っていいものか迷いながら、手を伸ばす。
オルキディアは、袋を持っていたフェリスの腕を、軽く掴んだ。
もう一方の手で、袋を取り上げてアガットに手渡す。
「フェリ、私が一緒に来ているのに君に払わせるわけ無いだろう」
たしなめるような言い方だった。
フェリスは目を見開いた。
「オ...サルマン卿、今私を_フェリと?」
(オルキディアさま、今私をフェリと呼んだわ。どういうこと?フェリスじゃなくてフェリと....以前ならまだしもオルキディアさまにも以前の記憶があるの?)
「うっ...」
オルキディアが片膝を付いた。
「どうなさったのですか?」
フェリスもすぐにオルキディアの傍にかがむ。
オルキディアの様子を確認するために顔を覗き込んだ。
オルキディアが少しの間うつむいて、呼吸を整えてから顔を上げる。
「大丈夫...すまない心配掛けた。フェリス嬢もう帰ろう」
「は、はい」
(フェリと呼ばれたと思ったけど、聞き間違いかしら…)
(それに、思わず膝をつくほどの痛みって__以前は持病などはお持ちではなかったはず。)
フェリスは、大丈夫だと言って立ち上がったオルキディアの背中を見つめた。
「世話になった、店主。ドレスに合う小物類と靴も一緒に揃えて届けてくれ」
オルキディアはクライトに後のことを指示して、3人は帰路についた。




