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夕食後、アガットが湯浴みの支度をする。
「アガット…コルヌイエ伯爵とアイレさまをどう思う?」
フェリスは、窓際の椅子に掛けて日課になっている窓から外を眺めていた。
「コルヌイエ伯爵については、かなり常軌を逸した方だと思います。あの執着は狂気ですね。さ、そんなことより、今日は一階のお風呂が使える日ですから急いで下りましょう」
フェリスとアガットは、3日に1回だけ塔の一階にある浴場を借りて入浴することができた。
借りられる時間帯が決められていたので、アガットはフェリスを急かす。
最初のうちは、清拭だけだったがマルスが手配をしてくれた。
夜も更けてそろそろ就寝という時間帯に、オルキディアとノアが訪ねてきた。
「こんな時間に女性を訪ねるなんて、非常識です」
アガットが2人を追い返そうとしているのを聞いて、フェリスが苦笑した。
フェリスは、ガウンを羽織って扉の近くまで出向いた。
「アガット、こんな時間にお見えなのだから大切な話なのでしょう」
ノアがフェリスの就寝着に頬を染める。
絹のテロりとした白の生地のナイトドレスに、少し大き目の同色のガウンを羽織っている。
「どうぞ、中へ」
小さな丸テーブルには椅子が2脚しかなかったので、フェリスは断ってベッドの端に腰掛けた。
アガットがハーブティを準備しにキッチンに向かう。
オルキディアが、フェリスに自分の羽織っていた上着をもう一枚重ねてから椅子に座る。
「フェリ、1週間後の星祭で君を領民に紹介しようと思っている」
「それから_」
オルキディアがノアの方を向いて、続きをノアに促す。
「あの時はすみません...実はアイレからあなたと二人きりになって、何時間か隠れているように言われたんです」
「あの小屋は、オレらの隠れ家みたいなもので、あそこに住んでるわけじゃありません。オレと、オルキディアさまと、アイレは身分は違いますが、馬を通して仲良くなった幼馴染なんです」
「オレは、アイレから話を持ちかけられた時あなたを攫って逃げるのもいいかなって思ったんです」
「あなたが貴族でオルキディアさまの婚約者だと聞いたけど、あなたは気安くて全く貴族然としたところがなくて...しかもアイレが…あなたが婚約破棄されたら、オレのものになるって上手いこと言うもんだから……身の程わきまえず、すみませんでした。一緒に馬に乗ったときの、あなたの柔らかさが忘れられなくて」
オルキディアが、最後の一言に顔を顰める。
「ノアさん、オルキディアさまから罰を受けたのでしょう?」
ノアは黙った。
罰は失恋だった。
「私の方は、それで十分よ。最初に無理を言ってあなたを危険にさらしてしまったし。これでこの話題は幕引きにしましょう」
(あの討伐の時、アイレさまが馬に乗れない私を同行させるのに厩舎にいたノアさんを強引に連れ出せたのは幼馴染だったのね。)
「私も、かなり話を大袈裟に言ってあなたを脅すようなことを言っちゃたから…二人で逃げたら私たちだけじゃなくて、ノアの家族も処分されちゃうとか。あれは嘘よ、ごめんなさいね」
「フェリ、嘘じゃないさ。ノアと逃げていたらそうなっていたよ」
オルキディアの目はノアの方を見ている。
(え...さすがにノアの家族は関係ないんじゃ…)
3人が微妙な空気になったところで、アガットが丁度いいタイミングで紅茶を出す。
フェリスが先に口をつける。
「よろしければ、どうぞ」
オルキディアは、ティーカップを優雅な仕草で口に運んだ。
フェリスがオルキディアの洗練された仕草に見惚れて、それを誤魔化すようにノアに視線を移した。
ノアは緊張しながらカップのハンドルを握る。
繊細なティーカップのハンドルは、ノアが普段使い慣れているものと全く違い戸惑う。
フェリスがノアの手元を見てハラハラして、声をかける。
「ノアさん、お作法は構わないから火傷しないように気をつけて持ってくださいね」
そう言ってフェリスが微笑んだ。
ノアがフェリスの方を見て、頬を染める。
「フェリ、君は少し自重するべきだ。無愛想なくらいがちょうどよい。君が何気なく向ける微笑みで、勘違いする者が出ては気の毒だろう。__コルヌイエ伯爵とかね」
ノアがオルキディアの方を向いて目を見開く。
自分を相手に嫉妬しているオルキディアを見て驚いた。
そばで控えていたアガットが思わず声を上げる。
「オルキディアさま、それはフェリスさまがコルヌイエ伯爵を誘惑したとでもおっしゃっているのですか?」
フェリスが口元だけ微笑んで、瞳は静かに怒りの色を湛えた。
「...それで、ノアさんの謝罪の件でいらっしゃたのなら、御用はお済みですわね。お引取りを」
オルキディアは自分がみっともなく嫉妬をして、フェリスを怒らせてしまったことに遅れて気が付いた。
「フェリ...私が悪かった。君がノアを見る目が慈愛に満ちている気がして、ちょっと嫉妬して意地悪なことを言っただけだ」
オルキディアがテーブルを回って、ベッドに腰掛けているフェリスの足元に跪いて許しを請うた。
「...そういうのは、アイレさまとなさってください」
フェリスがツンとそっぽを向いた。
「君、まだ聖女アイレと私がなにかあると思っていたのか...」
フェリスの顔が羞恥心で赤くなる。
フェリスが嫉妬を口にしたことでオルキディアの口元が緩む。
「フェリ、ナイトドレスの裾に口付けたら、許してくれるかい?」
フェリスの顔がさらに赤くなる。
オルキディアが満足そうに、フェリスの横顔をみつめる。
「_もう、怒っておりません」
そばでアガットとノアが呆れた顔で見ていた。
オルキディアが立ち上がり、ノアの肩に手を置いた。
「さて、そろそろお暇しよう」
ノアが立ち上がって、オルキディアの後を追従する。
フェリスが、見送るために席を立つ。
「おやすみなさいませ、オルキディアさま、ノアさん」
「おやすみ、フェリ」
「お、おやすみなさい」
ノアは、フェリスに思いがけず言ってもらえた就寝の挨拶に幸せを噛みしめていた。
フェリスは二人を見送ってから、オルキディアの上着を借りたままだったのを思い出した。




