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厩舎と騎士の宿舎は近かった。
騎士の宿舎は、討伐隊の隊員の宿舎より大所帯なので建物自体が大きい。
高さもあり、一番上が見張り台を兼ねていた。
その横に、立派な厩舎がありさらに奥にこじんまりとした小屋があった。
フェリスと、アガットは厩舎を一回りして中の様子をうかがう。
ノアが元気なら仕事をしているだろうと思ったからだ。
すると奥の小屋から話し声がして、しばらくすると聖女アイレとメイドが出てきた。
アイレは最初、二人に気付かずにこちらに向かって歩いてきていたが、フェリスの姿を認めると、急に笑顔になった。
「お見舞いに来てくれたのね!」
アイレの声が無駄に大きい。
近くの騎士宿舎の騎士が何事かと、窓を開けて顔を出したくらいだ。
フェリスは騎士と目があったので頭を下げた。恐らく夜勤に備えて眠っていたのだろうと推測する。
「あの、アイレさま...もう少し小さな声でも…」
「あ、ごめんなさい。耳が遠いからつい自分の声が大きくなっちゃて」
今度は声を調整して小さめの声で話す。
アガットは、アイレの言い分に首をひねった。
朝、部屋から自分たちを追い出した時も、さっき廊下ですれ違ったときも、普通の声だったわ…と心のなかでツッコミを入れた。
「今、様子を見てきたけど不便そうだったわ。フェリスさんがお見舞いに行ってくれたら喜ぶと思うわ、お願いね」
そう言ってアイレとメイドは立ち去った。
「では、やはりオルキディアさまはフェリスさまに心配を掛けまいと無事だとおっしゃのでしょうか?」
「どっちにしろ、挨拶に行こうと思っていたのだから、そこはもう気にしないでいましょう」
フェリスは小屋の前に立って見回した。
かなり年季が入っていて、嵐がきたら倒壊しそうな見た目だった。
「騎士宿舎に空きはなかったのかしら?随分と待遇が違うのね」
木造の小屋は粗末な作りで、人が生活しているようには見えない。ここで生活しているノアを想像するとフェリスは胸が熱くなった。
引き戸をノックする。
「御免下さい、ノアさんフェリスです」
少しの間の後に、中から声がした。
「_ど、どうぞ」
引き戸は、重たくて滑りが悪い。
目の前に狭い土間があり、すぐに上がり框がある。右手側に簡単な台所と、左手側にお手洗いがあった。
入って真正面にある簡易ベッドに、横になっているノアがいた。
中も外観と同様に、とにかく全てが古めかしくて哀れを誘う。
入ってすぐに部屋の奥が見通せる。狭すぎて生活感があるような、ないようなそんな雰囲気の部屋だ。
ノアはアイレの言うとおり腕に包帯を巻いていた。
「狭いところで悪いけど、どうぞ入ってください」
ベッドの上から、体を起こしてノアが気だるそうに言った。
「お邪魔しますね」
上がり框をまたぐと、床板がミシミシと鳴る。
すぐ目の前に簡易ベッドがある。
アガットと簡易ベッドの目の前に座る。
「お見舞いに参ったのですが、その怪我はやはりあのときの…私のせいで負わなくて良い怪我をさせました、申し訳ございません」
アガットが膝を進めて、果物の籠を差し出す。
「これよければ...」
ノアが果物をちらと見た。
「果物は好物ですが、このとおりナイフも持てませんのでお気持ちだけで…お持ち帰りください」
フェリスがアガットを困ったように見た。
籠の果物は全てナイフを使って、皮を剥く物ばかりだった。
「ちょっとお待ち下さい、ナイフを借りてまいります」
アガットが責任を感じて申し出た。
ベッドの後ろの壁に、体を起こすのも辛そうに寄りかかっているノアを見て、少しの間なら席を外して2人きりにしても問題ないと判断した。
直ぐ隣の騎士宿舎にならナイフぐらい置いてあるだろうと思う。
「すぐに、戻りますから」
「ええ、アガットお願いね」
アガットが小屋を出た直後に、ノアがベッドから起き出して、フェリスに素早く当て身を食らわせた。
ベッドの下に隠していた薬瓶を開け、手際よく布に染み込ませ、フェリスの口元を布で覆い薬を嗅がせた。
そのまま体を抱え、ベッドを動かして床板をずらし、その下にフェリスごと潜り込んだ。
床板とベッドを元の位置に戻す。
床板の隙間から少し光が入り込む。
ノアは密着したフェリスの首すじに、鼻を強く押し付けて匂いを吸い込んだ。
頭が煮えたぎって、後先考えられなくなっていた。
アガットが、隣の騎士宿舎から借りた果物ナイフを携えて戻ってきた。
部屋に誰もいないのを見て、フェリスの名を何度か呼んでいたが、その後慌てて騎士宿舎に駆けていった。
ノアは、フェリスを抱きしめながら、ベッドの下にある収納スペースで息を潜めていた。
しばらくそうして過ごすうちに、だいぶん体の火照りが収まってきた。
さっき来たアイレにもらった食べ物に、興奮するようなものが混ぜられていたのかもと、冷静に考える一方、もう後戻りはできないと考える。
アイレが小屋から出ていった直後に、明らかに怪しい風体の男が持ってきた封筒の中身が、不意に気になりだす。
いろんなことが真っ暗闇の中思い出された。
幼馴染のアイレと、オルキディアと3人で遠乗りしたことや、つい先だってフェリスと二人乗りしたこと、その時の感触が思い起こされると、フェリスを抱く手に力が入る。
人のものだと思うと、余計に手放したくないような気にもなる。
そのまま時間が過ぎていく。
フェリスがようやく目を覚ました。
真っ暗な中で、体をがんじがらめにされて動けない。
声を出そうと息を吸い込むと、大きな手が口を覆う。
「静かに」
ノアの声がフェリスの耳元に、吐息とともに聞こえる。
フェリスの心臓が早鐘のように打つ。
(落ち着かなきゃ...ノアはなぜこんなことを?)
「ノアさん、どうしてこんなことを?」
フェリスが相手を刺激しないよう、小さな声で尋ねる。
「この間、馬に二人乗りしたときにあんたが欲しくなってね。あいつにそそのかされてこんなことをしているというわけだ」
「ノアさん、私はこんな格好だけど貴族の娘なの」
「らしいな、聞いたよ」
「そう、もし私に政略結婚の価値がなくなったらどうなると思う?」
「…どうなるんだ?」
「私は自害用の毒を持たされているの、それを使うことになるわ」
「まさか...そんな事させるかよ、もったいない。オレが娶るよ」
「バカね、そんなことになったら、あなたも私も処分されるわ」
ノアが息を飲んだ。
「逃げれば...そういや、あいつがあんたを攫って逃げろって。そうだよな、こんなところであんたを手篭めにしたくなんかない、やる時はそうだな...もっと明るいところがいいな、このままサルマン領を出よう」
「アルモアダ伯爵家と、サルマン辺境伯が見逃すと思う?草の根分けても探すと思うわ、面子のために私とあなたを処分するでしょうね。それにあなたの家族もそろって処分される。あなたそれでも私が欲しい?」
フェリスが精一杯に強気を装う。
(だいぶん話を盛っているけど…なんとか、思いとどまってもらわなきゃ。)
「くそ、欲しいかと言われれば欲しいが…親を巻き添えになんてできるかよ」
(よかった...解放してもらえそうだわ。)
「だが_もう手遅れだろう?」
二人は狭い空間で身を寄せ合って、囁くように会話を続ける。
「どうしてそう思うの_」
「男と二人で何時間も姿を消しているんだ。それだけでも、あんたが傷物になったと噂になるってあいつがそう言った」
「ね、さっきも言ってたわね...あいつって誰?」
「次期サルマン辺境伯夫人だとよ」
(やられたわ、アイレさまの策略ね...)
「とりあえず、ここから出ましょう」
「悪かったな、いっときの感情で考えなしだった」
ノアが床板をずらして先に上がり、それからフェリスを引き上げる。
床板をもとに戻して、ベッドを元の位置に戻す。
窓の外はもう暗くなっていた。
「私が足を滑らしてこの床下に落ちてしまって、気を失っていたことにしましょう。ノアさんも助けようとしたけど、怪我をしていて一緒に落ちたことにすれば__幸いこの床下はけっこうな深さがあるし...」
「言い訳には、厳しくないか?」
(厳しいけど、噂程度なら揉み消すはず。純潔ならアルモアダ伯爵家としては、まだ私の使いみちがあるもの。私は領民のためにも、必ず家のために政略結婚をしなくてはいけないのよ)
「大事なことは、付いた嘘を突き通すことよ。怪しいと思っていても、それを追求できる方は王都に行って今はいらっしゃらないもの」
「__そうね、でもうまく人に見付からずに部屋に戻れたら、部屋でずっと眠っていたことにしてもらうわ」




