17
アガットが執務室の扉をノックする。
時間帯は深夜になっていた。
「入れ」
執務室には、オルキディアの他に家令のマルスが控えていた。
「遅くなりました」
「疲れているところ悪いね」
オルキディアがアガットを労るような言葉を掛ける。
「いえ...申し訳ございませんでした。フェリスさまの同行の件ですよね」
「叱るつもりはない、状況を知りたいんだ。それと怪我などはなかっただろうか?」
アガットは事の仔細を話した。聖女が悪いわけではないが、アガットの中では納得がいってなかったのもあり、気付かないうちに色が変わるほど、手のひらを握りしめた。
「ありがとう、次からはフェリに関する件は最優先で聞くから遠慮せずに私のもとに来てほしい。マルスも同様だ。腕の傷に関しては擦り傷程度なら心配ないと思うが、後で確認に行く」
「アガット、内鍵を開けておいてくれ」
「かしこまりました」
アガットと、マルスが頭を下げた。
「あと、アガットにも伝えておくが、私は急遽行くところができて明け方には城を出る。フェリに伝える暇がないから、アガットから伝えておいてくれ。」
「私からは以上だ、何か聞いておきたいことはある?」
「あの、ひとつだけよろしいでしょうか?」
「なんだ?」
「じつは、フェリスさまが厩番のノアという青年の安否を心配しておられまして。ノアさんがどうなったかご存知なら教えていただきたいのですが」
「ノアなら、小屋に隣接している厩舎に備蓄していた藁の山に隠れていたらしく無事だったようだよ。フェリが気にしているのなら伝えてやるといい」
アガットはお礼を言って執務室をさがった。
アガットはフェリスの部屋に戻って、起こさないように静かに内鍵を開けてから、侍女専用の部屋に戻る。
メイドが勢いよくドレープのカーテンを開け放つ。朝の日差しが、突然瞼に射し込みフェリスは目が覚めた。
眩しくて、寝返りをうつと隣に人が寝ている気配がして目が覚めた。
際どい姿の聖女が目を開けた。
「アイレさま?」
「フェリスさん、おはようございます」
聖女アイレが、昨日購入したベビードールを着用して、ベッドに眠っていた。
「ここは、私の部屋のはずですが....」
アイレが、メイドに嬉しそうに話し掛ける。
「また少し、聞こえるようになっているわ。ほんの少しだけど....」
「それは良うございました、さすがは聖女さまです」
そう言いながら、メイドが顔を拭く布をアイレに手渡す。
「フェリスさま、私ども使用人には、昨夜メイド長から、今後この部屋はアイレさまがご使用になると通知がありましたが」
メイドがフェリスに強く言った。
フェリスは目を丸めた。寝起きで頭があまり働いていない。
「あら、聞いてなかったわ。そうだったの?」
昨日、討伐前にアイレが隊員に向けてしたスピーチの内容が使用人の間にまたたく間に広がり、一気に使用人の心を掴んだ。
討伐後の隊員の話などからアイレがオルキディアに懸想していることを知ったメイド長とコック長が、アイレに心酔するあまり、周りを巻き込み、一丸となってアイレの想いを成就させるべく協力し合った結果がこの部屋の移動だった。
深夜遅くに、作戦を立て決行をしているので稚拙な思いつきに杜撰な計画だが、みんなが聖女アイレのためにやったという自負を持っていた。
一度部屋を移しさえすれば、聖女さまを追い出すようなこともできないだろうと思いつき、しばらくそうしていれば、男女のことなので二人の距離が近付き上手くいくのではと考えてのことだった。
家令にもわからないようにフェリスの部屋に、アイレを移す計画は、たまたまオルキディアが今朝早くから王都に発ったことも、ことを上手く運ぶ要因になった。
「急に部屋を移るのは大変でしょうから、私はフェリスさんと一緒でもいいですよ」
アイレがフェリスに微笑む。
「それでは、旦那さまが夜にこちらの部屋にお越しになった時、不都合でございましょう」
メイドが知った顔でアイレに忠告した。
フェリスがびっくりして聞き返した。
「え...?もう夜のお渡りがあるのですか?」
「あれ、フェリスは夜の訪れはまだないの?」
アイレのほうも不思議そうに聞き返す。
あらぬ噂が立たないように、フェリスがきっぱり否定する。
「婚姻前にそのようなことになろうはずが、ございません」
アイレは、深夜フェリスの部屋で、続き部屋から入ってきたオルキディアと鉢合わせたので、てっきり二人は部屋を行き来する間柄だと思っていた。
なにせ内鍵はフェリスのいる部屋からしか掛からない。
アイレは、昨夜ちょうどベビードールを身に着けていた。
部屋に入ってきたオルキディアは、アイレを見て一瞬固まって、脱兎のごとく自室に戻って行った。
アイレはオルキディアの慌てた姿を思い出して笑った。
「キディ、照れてたのかな...かわいい」
アイレはハプニングでも、オルキディアにベビードールを見てもらえて満足だった。
フェリスはアイレの反応を見て、大いに誤解した。
(前回もアイレさまの部屋がここに移ってから、二人の仲が急接近したように見えたけど....そうだったのね__当時平民だったアイレさまが愛称呼びを許されていたのは...王都に行かれる前に、二人はすでに男女の関係にあったのね。)
(討伐後は気が昂ぶるとおしゃっていたし、昨夜この部屋にアイレさまが移ってこられる手筈になっていたなら、深夜に訪れがあってもおかしくはないわね...知らされていなかった私は、図々しくこの部屋で眠っていて全くわからなかった。)
「私のお部屋は、西側の奥かしら?」
「よくご存知ですね…」
メイドが目を丸めた。
(ふふ...以前もそうだったもの。)
「アガットと一緒に、午前中には部屋を移るわ」
「今からすぐお移りいただきます。持ち出すものはそんなにございませんでしょう?」
メイドが侍女専用の部屋へ向かい、ドアをノックした。
アガットは、フェリスがノックをしたと思い恐縮して出てきた。
「フェリスさま、申し訳ございません。寝過ごしてしまいました」
アガットは、昨夜オルキディアに呼び出されていたので就寝したのが遅く侍女にあるまじき寝坊をしてしまい、ようやく身支度を終えたところだった。
フェリスが笑顔で、アガットに告げた。
「それは、大丈夫。今からお部屋を移るの。アガット付いてきてくれる?」
「そうなのですか?」
フェリスはアイレに向き直った。
「アイレさまは、お耳の具合が少し良くなられたようで良かったです。なにかお力になれることがあったらおっしゃってください」
フェリスはカーテシーをして部屋をさがった。
西の奥の部屋は、城の西側にあるので夕方は日差しが入り込んで暑い。
落ち着いたアイボリーの壁紙に木製の調度品とベージュのカーテンが掛かっている。
「なんだか、カーテンも家具もですが...地味な感じですね」
フェリスは二度目なので見慣れていた。
「ここは西の部屋だから、良い家具は置けないのよ。日焼けしちゃうでしょう」
「こんな急に移動なんて、しかもオルキディアさまから何も言われていないのはおかしいです。私、確認してきます」
「いいのよ、言ったでしょ。私二度目なのよ、以前もこの部屋だったの」
「とりあえず、お召し替えを....ナイトドレスの上にガウンを羽織っただけで城内を移動なさるなんて、男性の使用人とすれ違わずに済んでよかったです」
「そうね、今日は、何を着ようかしら...」
「前にお申し付けの通り地味なワンピースを、顔見知りのメイドの子に頼んで購入してきてもらっております。衣装ルームのドレスは持ち出せなかったですがこちらは私の私物ですので、今持ってきております」
「まあ、よかった!さすがアガット準備がいいわ」
アガットが大きな袋から3点ほど取り出す。
その中からアイボリーのワンピースを手に取る。
「これにするわ」
「中にコルセットもパニエも付けなくていいのね」
「そうですね」
アガットがナイトドレスを脱がせて、アイボリーのワンピースを着せる。
フェリスの胸元にあった傷が薄くなってきていた。
「フェリスさまの、胸元にあった傷が薄くなってきています。どういうことでしょう?」
「そういえば、そうね。突然できたのだから突然消えてもおかしくないのかしら...もしかしたら昨日アイレさまが治癒の力をお使いになった時、私もそばにいたから影響をうけたのかも....」
「いずれにしろ、良かったです」




