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小屋の中は、2メートル近くある魔物の死骸が場所を占めている。
外で一際大きな歓声が上がった。
フォルクは場馴れしているので、すぐさま状況確認に動いたが、フェリスとアイレはその場でまだ腰を抜かしていた。
フェリスに至っては、角が腕を掠めるほど魔物と接近したので、未だ恐怖に囚われていた。
フェリスの腕から血が滲んでいたが、ドレスの色が紺色なので一見わからない。
数分後フォルクが動ける隊員数名を連れて、小屋に戻ってくる。
「どうやら、オルキディア隊長がワイバーンを討伐なさったようです。負傷者がかなりいるようなのでアイレさまお願いできますか?」
フェリスが、震える手を押さえつけて、フォルクの指示を筆記帳に書いて見せる。
アイレが筆記帳を見て頷く。
「ええ、怪我人がいるなら私の出番ね」
アイレが震えている足で立ち上がる。健気な雰囲気の聖女を見て、隊員らが心を打たれる。
周囲から口々に「聖女さま…」と感嘆の声が漏れる。
動ける隊員数名が、フォルク副隊長が討伐したモストロボアを小屋から引きずり出して、毛布を棚から引っ張り出して小屋内に敷いていく。
フォルクが、まだ座り込んでいるフェリスの腕を、軽く掴んで立ち上がらせると椅子に座らせて言った。
「聖女アイレさまを身を挺して守ってくれてありがとう。よくやってくれた」
フェリスはホッとしたのと、まさかフォルクから感謝の言葉をもらえるとは思わずホロリと涙が頬を伝わる。
フェリスの目から真珠のような涙が一筋頬を伝って流れる。
フォルクが思わず指で拭おうとしたとき、どやどやと怪我人が運び込まれてきた。
敷かれた毛布の上に10人近くの隊員が運び込まれて横たわる。
アイレが1人ずつ丁寧に声を掛ける。
フェリスはすぐに筆記帳とペンを持って、アイレの後ろに控えた。
ちょうど、アイレが隊員の腕を聖なる力で癒やしているところだった。
アイレが少しだけ、顔をフェリスの方に向けて囁くように告げる。
「大丈夫、見たらわかるからフェリスさんは椅子にかけてていいわ。ここ狭いし」
フェリスは周りをみまわしたが、たしかにアイレ1人がぎりぎり座れる程度でフェリスも傍に控えていると邪魔になりそうだった。
フェリスは言われたまま、椅子にかけて自分の出番がくるのを待った。
しばらくすると、外が騒がしくなった。近くの領民が討伐が終わったと聞いて、衛生用品や飲み物などを持って駆けつけた。
ほとんどが、若い娘だ。
彼女らは、エリート部隊の目に止まりたくて駆けつけてきていた。
その中でもフォルク副隊長はその肩書と、均整な体つきと、優しげな顔立ちで平民の若い娘からの人気が高かった。
隊員の治療はほとんど終わっていて、当てが外れた娘たちは我先にと、体を休めていた隊員に持参した軽食や飲み物を差し出す。
治療を受けた隊員のほとんどが、聖女アイレに尊敬の眼差しを向けているのを、若い娘たちは敏感に感じ取った。
フォルクに、何人かの若い娘が近付く。
「フォルクさま、これよかったら」
「リリずるい、私のもどうぞ」
各々が手作りの軽食や、お菓子の入った籠を押し付けるように手渡す。
「私は、果実酒をお持ちしております。フォルクさまお好きですよね」
「ああ、いつもありがとう。リリさん、フラーさん…ノーチェさんの果実酒は隊員の間でも評判がいいよ」
フォルクが笑顔で、娘たちからの差し入れを受け取る。時折、フェリスを横目でちらちら見ていたのを若い娘たちは当然気が付いた。
今まで討伐隊が女性を同行したことなどなかったので、若い娘たちはアイレとフェリスの存在を忌々しく思う。
そんな中、ただ椅子に座っているだけのフェリスに娘たちからの悪意的な視線が集まる。
フェリスの美しさも女性陣が警戒する要素になった。
フェリスは装いが地味だったので、貴族の娘と思われていなかったが、聖女アイレは隊員らが聖女さま聖女さまと囀るので嫌でもその正体がすぐに知れ、娘たちからの警戒からすぐに外れた。
フェリスは先程から、ノアの行方をそれとなく探していた。
けが人の中にも、窓から見える範囲にも見当たらなかった。
ようやくアイレがフェリスのそばにきた。
フェリスは、紙に書いていたものをアイレに見せた。
「ノアさんの姿が見えませんが大丈夫でしょうか?」
「ノアなら、外で馬の世話をしているんじゃない?」
(え、でもモストロボアに馬が襲われていたのに無事なの?)
小屋の中が急に騒然となった。
一際強い存在感を放ってオルキディアが現れた。
若い娘たちはオルキディアを見て、ため息をこぼした。辺境伯である彼を射止めたいなどと思う、身の程知らずはいなかったが、やはりそれとこれは別で憧れの視線を送る。
そのオルキディアの視線が一点を見つめて、険しくなった。
大股なのにがさつに見えず颯爽と、一直線に聖女のもとに向かったように見えた。
アイレも当然、前回のように自分の貢献を褒めてもらえると思っていた。
「キディ...」
その場にいるもの皆が、辺境伯を愛称で呼んだ聖女とオルキディアの仲をいいように想像した。
フェリスも、オルキディアからの言葉を書き留めようとペンを握りしめた。
「フェリ...」
オルキディアは脇目も振らずにフェリスを見て、腕を掴んだ。
フェリスが一瞬掴まれた腕の痛みで、顔をしかめたがすぐに表情を戻した。
(忘れてたけど、角が掠めていたんだった。ちょっとだけ擦り傷くらいにはなっているかも…)
オルキディアが、フェリスが顔をしかめたのを見て拒絶されたと思い、少し寂しそうな表情をして、掴んだ腕をさっと離した。
「急に掴んで済まない、なぜ君がここに?」
「あの、私にもなにかできることがあればと....」
(アイレさまの通訳とは言いにくい...)
オルキディアのフェリスを見る目が、急に冴え凍るように冷たい色を湛える。
「...それで__どうだった、同行して君にできることがあったかい?」
オルキディアがフェリスを見下ろして放った、低くて冷たい声色が辺りにも響く。
フェリスの目が揺れる。
(非難されているのね...たしかに、そんなになかったわね...通訳も必要なかった。)
オルキディアを纏う雰囲気に、周囲に緊張感が走る。
若い娘たちも、この後の展開を固唾を呑んで見つめている。
フェリスに対していい感情を持っていなかったので、内心ほくそ笑むように見る。
隊員たちは、理由はわからないが紺色の服装の見目の良い女が隊長の逆鱗に触れたと思った。
フェリスは、オルキディアの威圧感に負けないように自分の手を強く握りしめる。
(上に立つものは、こうやって多くを語らずとも、威圧感を纏って周りの空気を支配できるのね....)
「オルキディア隊長、そちらの娘はモストロボアが急襲してきたとき、聖女アイレさまを身を挺して守っておられました」
フォルクが見兼ねて口を挟んだ。
「_フォルクがいたのに、そんな状況になったのか」
オルキディアの目に、今まで見たことないような青い炎が見えた。
静かに怒っている人の瞳だと感じ、フェリスは震えた。
フェリスは自分を心の中で叱咤し、すぐにフォルクを擁護した。
「いえ、フォルクさまのおかげで大事に至らず済みました」
周りはオルキディアの尋常じゃない空気に、誰一人として口を挟むことはなかった。
「君は、わかってない__」
オルキディアの絞り出すような悲痛な声に、周りのものは耳を疑う。
突然、オルキディアはフェリスを縦抱きにして小屋から連れ去った。
周りにいた人たちが呆気にとられて見ていた。
若い娘たちは、フェリスを城で働いている侍女か何かだと思い、オルキディアに連れ出されたフェリスに鋭い視線を送った。
となりで聖女アイレが唇を歪めた。




