07.あの子は一等星(3)
真紘くんは女子高生を社務所の和室に通すと、自分は机を挟んだ対角線上に座る。わたしは彼女の正面に腰を下ろして、尋ねた。
「えっと……お名前、訊いてもいいですか?」
わたしの問いに、彼女はしゃんと背筋を伸ばして答えた。
「二宮鈴音です」
「その制服、たしか……今宮神社の近くにある高校ですよね。見かけるたびに、可愛いなーって思ってたの」
「あ、はい。葵川高校の二年です」
それを聞いた真紘くんは、ボソッと「おれの母校や」と呟く。そこから話題を発展させるのかと思いきや、そのまま黙ってしまったので、わたしが後を引き継ぐ。
「二年生なんだ。じゃあ、わたしたちよりふたつ下ですね」
「え、めっちゃ歳近いやん。おねえさん、関西弁じゃなさそうやけど、どこの人ですか?」
「わたしは長野出身で……わたしたち二人とも、府立大の一回生なんです」
わたしが言うと、彼女は「うわあ、頭いいとこや」と笑う。そうすると、ふっくらした頬に小さなエクボができて、とても可愛らしかった。
「鈴音ちゃんは、前から縁切り神社のことを知ってたの?」
わたしの問いに、鈴音ちゃんは神妙な表情で頷いた。
「……お父さんから、糸霧神社の効果はほんまもんやから、軽い気持ちで願ったら絶対あかんよって、何回も言われてたんです。縁の糸を切ってくれる神様がおるんや、って」
わたしは隣の真紘くんを、チラリと横目で見る。〝縁の糸を切る神様〟は、女子高生と目を合わせられずにあさっての方向を向いていた。
「私、なんか怖くて……できるだけ、縁切りさんには近づかへんようにしてました」
その気持ちは、少しわかる気がする。わたしだって、もし実家の近くに縁切りの神社があったら、漠然としたイメージだけで敬遠していたかもしれない。
そんな、縁切りに恐怖心すら抱いていた彼女が、わざわざここを訪れてまで切りたい縁は――一体、どういうものなのだろうか。
「でも、思ってたより全然怖いとこじゃなくてびっくりしました」
「うん、大丈夫だよ。このおにいさんも、人見知りなだけで優しいから……」
「おにーさん、もしかして私のふたつ上ってことは、数学タニセンじゃないですか? バスケ部の松岡さんって知ってます?」
歳が近いとわかったからか、鈴音ちゃんの口調も砕けて、ずいぶんとリラックスした空気になった。前のめりになって、ぐいぐい質問してくる。
「い、いや、全然わからん……おれ、知り合いおらんかったから……」
女子高生のコミュ力に、真紘くんは困惑している様子みたいだ。助けを求めるような視線をこちらに向けてきたので、わたしは話題を軌道修正した。
「えっと、本題に戻るけど。友達と縁が切りたいって……どうして? 何か、トラブルでもあったの?」
鈴音ちゃんは、唇を真一文字にぎゅっと引き結んだ。しばらく自分の膝を睨みつけた後、意を決したように顔を上げる。
「……二年になってから、同じクラスになった子がいるんです。中西亜子っていうんですけど。名簿順だから席が近くて、すぐ仲良くなって」
そう言って鈴音ちゃんは、黒いリュックの中からスマホを取り出して、SNSのページを開いた。「ほら、この子」と見せてくれた画面には、自撮りらしい写真が表示されている。テディベアのマスコットを片手に、ポーズをとっている制服姿の女子高生。彼女の顔を見て、思わず声が漏れた。
「うわ、可愛い子……」
鈴音ちゃんが縁を切りたいと思っている友達――亜子ちゃんは、本当に可愛かった。アイドルやモデルと言われてもおかしくない。顔のパーツひとつひとつ完璧な位置に収まっていて、それでいて人形のような無機質さもなく、少し目が垂れる笑顔が愛らしい。
鈴音ちゃんがSNSのページをするするとスクロールしていくと、自撮りの写真がたくさん出てくる。どれを見ても隙のない、完全無欠な美少女だった。
画像を眺めながら、鈴音ちゃんが溜め息混じりに言った。
「……信じられへんことに、実物はもっと可愛いんです」
「この子のこと、苦手なの? 意地悪でも、された?」
わたしの問いに、鈴音ちゃんは力なく首を横に振る。
「ううん。亜子、めっちゃイイコで……優しいし明るいし、可愛いのに気取ってへんし。亜子のこと嫌いになる人なんて、この世におらんと思う」
「それなら、喧嘩とか?」
「全然、そんなんじゃなくて……」
画面をスクロールしていた、鈴音ちゃんの指が止まる。そこには、お揃いのテディベアのマスコットを持っている鈴音ちゃんと亜子ちゃんが映っている写真があった。
鈴音ちゃんは不愉快そうに眉間に皺を寄せると、スマホの画面を伏せてしまう。
「……亜子のこと、嫌いになったわけじゃない、けど」
鈴音ちゃんは苦しげに息を吐くと、両手で顔を覆ってしまう。そして、喉の奥から絞り出すような声で言った。
「……このままやと私、自分のことが、どんどん嫌いになる……」
そのとき、真紘くんの顔色がさっと変わった。もしかすると、鈴音ちゃんの纏う縁が、彼女になんらかの悪影響を及ぼしているのが見えたのかもしれない。店長との悪縁が、わたしを苦しめていたみたいに。
「鈴音ちゃん」
両手で顔を覆っている鈴音ちゃんのそばに、わたしはすっ飛んでいった。そうっと背中を撫でてあげると、彼女は肩を震わせる。
「ごめ、んなさいっ、私……」
言葉を詰まらせる鈴音ちゃんに、「いいよ、気にしないで」と囁いてあげた。顔を覆った手の中から、嗚咽が漏れ聞こえてくる。
ややあって、温かい湯呑みが目の前に置かれた。弾かれたように顔を上げると、仏頂面の真紘くんが立っている。
「……これ、どうぞ。伯父さんが買うてきたやつやけど、まあええやろ」
真紘くんはそう言って、どら焼きの袋を鈴音ちゃんに手渡した。きっと彼なりに、彼女を慰めようとしているのだろう。
鈴音ちゃんは鼻を啜りながら、「ありがとうございます」と言って、大きな口を開けてどら焼きに齧りつく。
どら焼きを食べ終わって、温かいお茶を一口飲むと、鈴音ちゃんはようやく落ち着きを取り戻したようだった。
「……ごめんなさい。なんか、頭ぐちゃぐちゃになってしもた」
鈴音ちゃんは、アイシャドウのラメが混じった涙を素早く拭う。
「とにかく、私……もう、亜子と一緒にいるの、しんどいんです」
「ど、どうして? そんなにイイコなら、縁なんか切らない方が、いいんじゃないかな……」
鈴音ちゃんはわたしにチラリと視線を向けると、唇の端を歪に持ち上げて、自嘲気味に笑った。
「……おねえさんは、可愛いから……きっと、わかんないですよね」
「えっ」
「自分が明らかに引き立て役になってるのがわかるのって、しんどいんですよ」
わたしが戸惑っていると、鈴音ちゃんは苦しげに息を吐いて、喉の奥から絞り出すように言う。
「亜子と二人の写真投稿したら、あんまり親しくない中学の友達とかからも、いっぱいいいねされるんです。普段、私のSNSなんて見てへんくせに。コメントとかも、鈴音の友達可愛いなって、そればっかり。亜子と一緒に、クラスの男子と遊んだときも、私の隣に座った男子から〝なーんや、ハズレか〟って顔される。並んで歩いてても亜子にだけ声かけられたりとか、お揃いの服着てても友達が褒めるときのテンションが全然違ったりとか。……そういうの、わかるんです」
「そ、そんなこと……」
「亜子と仲良くなるまでは、そんなん気にしたことなかった。でも、最近は鏡見るたびに思うんです。鼻の形が気に入らへんとか、なんでこんなに人中が長いんやろうとか、顎のラインが丸いのが嫌とか、歯並び全部矯正したいとか。亜子と比べて、なんでこんなに可愛くないんやろって、そんなことばっかり、ずっと考えてる……」
わたしは、何も言えなくなってしまった。
鈴音ちゃんは、決して不器量な女の子ではないと思う。それでも彼女が友人に対して抱くコンプレックスを、考えすぎだと笑い飛ばすことはできなかった。わたしだって鏡を見ながら、似たようなことを考えたことはある。
「……亜子は、ほんまにイイコなんです。でも私、亜子も私のことブスやと思ってんのかなとか、私のこと引き立て役にしたいんかなとか、そんな卑屈なことばっかり考えてる」
「……」
「こんなんやったら、亜子と友達になるんじゃなかった。私、もう無理や。亜子と縁切りたい」
そう言い放つ鈴音ちゃんの声には、深刻な響きがあった。ずっと黙って聞いていた真紘くんが、ようやく口を開く。
「……事情はだいたい、わかりました。たぶんおれなら、二宮さんとその友達との縁を切れます」
いつのまにか、真紘くんの手には日本刀が握られていた。しかし鈴音ちゃんは、刀に見向きもしない。きっと、彼女には見えていないのだろう。
「ただ、ちゃんと考えて。ちょっとでも迷いがあるんやったら、今日は帰ってください。大事なことやから、一時の感情で決めへん方がいい」
真紘くんは、鈴音ちゃんと視線を合わせながら言った。彼は女の子と目を合わせるのが苦手だと言っていたけれど、大事なことを話すときは、まっすぐ目を見てくれるのだ。
鈴音ちゃんはしばらく下を向いて、考え込んでいるようだった。ややあって、「……わかりました」と立ち上がる。
「あの、今日は、帰ります。……えっと、また、来てもいいですか」
「あ、はい。もちろん」
社務所を出た鈴音ちゃんは、最後にもう振り向くと「どら焼き、ごちそうさまでした」とお辞儀をした。鳥居をくぐる背中のリュックには、テディベアのマスコットがついている。さっき写真で見た、亜子ちゃんとお揃いのものだ。
わたしはふと、自分の耳についているイヤリングに触れる。友達とお揃いのものを持つのは、ちょっとくすぐったいけれど嬉しいものだ。
……そんなに仲良しなのに、本当に縁を切っちゃってもいいのかな……?
隣にいる真紘くんにそっと視線を向けると、彼は真剣な表情で手の中にある刀を見つめ、じっと何かを考え込んでいた。