06.あの子は一等星(2)
水曜日の夕方も、糸霧神社でのアルバイトだった。
神社でのお勤めを〝アルバイト〟と表現するのが適切なのかは、よくわからない。〝助勤〟みたいな言い方をすることもあるみたいだけど……神主である霞さんが〝アルバイト〟と言っているのだから、構わないのだろうか。
巫女装束に着替えた後、境内の掃除をしていると、社務所から出てきた霞さんがわたしに声をかけた。
「小桜さん、すみません。少し外出します」
霞さんはいつもの白い着物とは違う、少し豪華な金色の模様が入った装束を身に纏っている。小脇に抱えたバイクのヘルメットが、なんだかアンバランスだ。
「どこかに行かれるんですか?」
「出張祈祷……とでもいえばいいんでしょうか。直接ご自宅に出向いて、お祓いをさせていただくんです」
「わっ、そんなこともあるんですね」
「二時間ほどで戻ってきます。何か困ったことがあったら、真紘に言ってください」
「はい、わかりました」
霞さんは「いってきます」と言って、石段を下りていく。ここに住んでいる霞さんと真紘くんは、毎日この石段を上り下りしていることになる。それはなかなか、大変だろうな。
一人残されたわたしは、チラリと社務所に目を向けた。霞さんと真紘くんは、神社の敷地内にある社務所兼自宅に住んでいるらしい。神社の中に住むなんて、なんだかちょっと想像できない。他のご家族を見たことはないから、きっと二人暮らしなのだろう。
……そういえば、真紘くんのご両親って、どこにいるのかな……?
そんなことを考えると、社務所の中から真紘くんが出てきた。いつもの白い着物と袴姿で、げんなりした表情を浮かべている。
「うわ、今日あっつ……夕方やのにまだ暑い……」
「あ、真紘くん。そういえば今日も学校来てなかったみたいだけど、何してたの?」
「寝てた」
堂々とサボりを白状した真紘くんに、わたしはちょっと呆れてしまった。試験も近いというのに、ずいぶんと余裕だ。今の時点で、どれくらい単位取得できてるんだろう。このままだと、留年しちゃうんじゃないかな……。
真紘くんはチラリとわたしの方を見ると、口元をむにゃむにゃさせたあと、「てか、名前」と呟いた。
「名前?」
「いつのまに、名前で呼んでんの?」
少し考えて、すぐわかった。真紘くん、という呼び名のことを言っているのだろう。わたしはここで働き始めてから、彼のことをファーストネームで呼ぶようになっていた。
「霞さんもおんなじ苗字だし、ファーストネームで呼んだ方がわかりやすいと思って……嫌なら、戻すけど」
「べつにいいけど……小桜さんって、結構他人との距離感近い? その気もないのに、男を誤解させるタイプやろ」
「そ、そうかな……」
面と向かって指摘されたことはないけれど、真紘くんが言うなら、そうなのかもしれない。店長から好意を向けられたのも、わたしの態度に問題があったのだろうか。
項垂れたわたしに、進藤くんは慌てて「いや、小桜さんが悪いわけじゃない」とフォローしてくれた。
「……ごめん。おれ、失言多いな」
「ううん。全然、気にしてない」
「と、とにかく。おれは絶対に勘違いしたりせーへんから、安心して」
「そんな心配は全然してないから、大丈夫だよ」
わたしがきっぱり言い切ると、真紘くんはほっとしたように表情を緩めた。「同世代の女子との距離感って、わからんな……」と頭を掻いている。
「そういや……伯父さん、出掛けてんの? この方向やと、大野さんとこかな」
真紘くんは何かを辿るように視線を動かす。わたしは目を丸くして、「どうしてわかるの?」と尋ねた。真紘くんは片手を軽く振ってみせる。
「自分と繋がってる縁を辿っていけば、伯父さんがいる場所はだいたいわかる」
「わっ、すごい。そんな特殊能力まであるんだ……かくれんぼ強そうだね。便利?」
「そうでもないよ。おれが繋がってる縁、伯父さんだけやもん」
「えっ……」
彼はさらりと答えたけれど、わたしはちょっとショックを受けた。霞さん以外の誰とも縁が繋がってないなんて、そんなことあるのかな。霞さん以外の家族とか、友達とかいないのかな。
動揺しているわたしをよそに、真紘くんはわたしの手から竹箒を奪う。
「掃除は俺がやるから、やらんでええよ。接客やりたくないし」
そういえば真紘くんは、極力人と関わる仕事を避けているように見える。御守りやお札を売ったり、簡単な案内をしたりするぐらいなら、わたしでもできるけど……本格的に縁切りを頼まれたら、わたしにはどうすることもできない。
「でも、ほんとに困ってる人が来ても、わたしじゃ何もできないよ」
「そうでもないやろ。おれができることも、ほとんどないし」
「嘘。あんなに、すごい力を持ってるのに?」
「おれにできるのは、人と人との縁を切ることだけ」
……ここに来る人のほとんどは、それを求めてるんじゃないかなあ。
真紘くんの言わんとしていることがよくわからず、わたしが首を捻っていると、「すみません」と呼びかけられた。わたしは慌てて、声のした方を見る。
「あ、はい。ようこそお参りくださいました」
そこに立っていたのは、制服姿の女の子だった。白い半袖のカッターシャツに紺色のベストを合わせて、チェックのスカートを穿いている。何度か見かけたことがある、この近くにある公立高校の制服だ。
御守りかおみくじでも買いに来たのだろうか、と思っていると――彼女は神妙な表情で、口を開いた。
「縁を、切ってくれるって聞いたんですけど」
「え?」
「ここって、縁切り神社なんですよね。お父さんが言ってました。ここに行けば、悪縁を切ってもらえるんだって」
彼女は、はきはきとした口調で言った。真剣な目で、まっすぐにこちらを見つめている。
「そ、そうですけど……」
あまりに深刻な声の響きに、わたしは戸惑う。糸霧神社を訪れるのは女性が多かったけれど、こんなに若い子が一人で来ることはあまりない。
「私、友達との縁を切りたいんです」
そうきっぱりと言い切った彼女の顔を、わたしはぽかんと見つめ返した。
鎖骨ぐらいの長さの髪は栗色に染められていて、高校生のわりにはばっちりお化粧をしていた。アイシャドウと口紅の色も濃くて、スクールメイクと呼ぶには少し派手だ。わたしが高校の頃なんて、化粧のやり方もわからずに、ほとんどノーメイクで通学していたのに。
以前やって来た女性のような鬼気迫るものはないけれど、遊び半分という雰囲気でもない。
……友達との縁を切りたいって、どういうことなんだろう。そんなの、簡単に切らない方がいいんじゃないかな。
どうすべきか迷って、わたしは真紘くんの顔を見た。彼は困ったように軽く頭を掻いて、「わかりました」と頷く。
「……えーと……とりあえず、話聞きます。こちらにどうぞ」
真紘くんはそう言って、社務所の方向を指す。このあいだのように、彼女の話を聞いてから、縁を切ってあげるのだろう。わたしにできることは、おそらく何もない。
掃除の続きをしようと竹箒に手を伸ばすと、真紘くんはわたしの袖をぐいぐい引いて、小声で囁いてきた。
「……小桜さんもついてきて」
「え? どうして?」
「場の空気を盛り上げつつ、あの子が不快にならへんように、悩みを聞き出してもらえたら助かる」
さらっと、ハードルの高いことを依頼してくる。わたしが戸惑っていると、真紘くんは心底困り果てたように言った。
「女子高生と二人で話すなんて、絶対無理。くそ、なんでこんなときに伯父さんおらんねん……」
「ええ……自分もつい最近まで高校生だったくせに」
「三大おれが苦手なものは、ホラー映画、酢豚のパイナップル、それからギャルや」
「酢豚のパイナップル、わたしは好きだよ」
ひそひそ話を交わしているわたしたちを、彼女は不思議そうに眺めている。真紘くんに「お願いやから」と懇願され、わたしは彼の後ろについて行った。