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05.あの子は一等星(1)

「ありがとうございます。七百円のお納めです」

 

 巫女装束を身に着けたわたしは、参拝客からお金を受け取り、〝縁切守〟と書かれた御守りを両手で手渡す。受け取った女性は「ありがとう」と言って、それを丁寧な手つきでバッグにしまった。彼女は少し離れたところで待っている友人の元へ、「お待たせー」と言って駆けていく。

 ……友人たちと楽しそうに笑い合っている彼女にも、断ち切りたい縁があるのだろうか。


「真紘くんには、あの人の悪縁も見えてるの?」

「……まあ、なんとなく。上司と反りが合わへんとか、そんな感じちゃう?」


 袴姿で竹箒を持っている真紘くんが、そう答える。彼の言葉が真実なのかどうかは、わたしにはわからない。鳥居をくぐって石段を下りていく彼女の背中に目を凝らしてみたけれど、やっぱり私には何も見えなかった。

 並べているお札が少なくなったので、在庫を出そうと足元にある引き出しを開ける。薄紙に包まれたお札を手に取ると、真紘くんが「それ違う」と言った。


「似てるけど、ここに並んでるのは引き出しの一番右下。ピンクの紙に包んであるやつ」

「あっ、そうなんだ。ありがとう」


 わたしがお礼を言うと、真紘くんはふいっと視線を逸らした。彼とももっと仲良くなりたいと思ってはいるのだけれど、やっぱりなかなか目が合わない。



 糸霧神社でのアルバイトを始めてから、一週間が経った。わたしの業務内容は、境内の清掃、おみくじや御守りの販売、参拝客の案内などだ。住宅街の奥にひっそりと佇んでいる神社だから、そんなに忙しくないのでは、と予想していたのだけれど、思っていたよりも訪れる人は多かった。

 着慣れない巫女装束は、可愛いけれど肩が凝る。先日は足袋と草履でほぼ半日立ちっぱなしだったため、足が棒になってしまった。


「小桜さん、お疲れさまです。何か困っていることはありませんか」


 社務所の中から出てきた、真紘くんの伯父さん――(かすみ)さんが、声をかけてくれた。わたしは「いえ、まったく」とかぶりを振る。


「とっても楽しいです。真紘くんが親切にいろいろと教えてくれるし、助かってます」


 神社の仕事を何もしらないわたしが上手くやれているのは、真紘くんがうまくフォローをしてくれているからだ。彼はぶっきらぼうだけれど、わたしが困っているとすぐに察知して、助け舟を出してくれる。

 褒めたつもりだったのだけれど、真紘くんは眉間に皺を寄せて、「おれは、べつに」と口元をむにゃむにゃさせた。


「今日は朝からバタバタしていて、疲れたでしょう」

「たしかに……思ってたより、忙しいですね」

「はは。うちの神社、縁切り界隈では意外とコアな人気があるんですよ」

「どんな界隈やねん」


 霞さんの発言に、真紘くんがボソッと突っ込みを入れる。霞さんが「ネットで調べたら、すぐに出てきますよ」と言うので、わたしはスマートフォンを取り出して[糸霧神社 縁切り]と検索してみた。

 公式らしいホームページの下に、[糸霧神社の縁切りの効果とは? 縁切りは怖い? 呪われるって本当? 調べてみました!]という、中身のなさそうなアフィリエイトブログがヒットする。さらにスクロールしていくと、実際に訪れた人の口コミが出てきた。


[この神社に参拝してすぐ、苦手だった同僚が異動になりました!]

[モラハラ夫と無事に別れられました]

[身体を壊し、ブラックだった職場から離れることになりました。効果は絶大ですが、縁切りのためには手段を選ばないので注意です]

[借金を抱えるほどのギャンブル中毒だったのですが、この神社でギャンブルとの縁を切ってもらいました]


「わあ、すごい。効果があるって言ってる人がこんなに」

「まあ、偶然もあるんやろうけどねえ。中には、実際に真紘が縁を切ってあげた人もいるんちゃうかな」

「そうなの? 真紘くん、すごいね」


 わたしが言うと、真紘くんはちょっと怒ったような顔で、フンと鼻を鳴らした。


「べつに、すごくない。おれにできるのは、縁を切ることだけやし」

「でも、充分すごいよ。わたしみたいに、困ってる人を助けてあげられるかも……」

「ほんまに、そう思ってる?」


 そう言った真紘くんの手には、いつのまにか日本刀が握られていた。親指で金具を押し上げると、カチンと小さな音がする。鞘に手をかけて引くと、鈍く輝く刀身が現れた。


「おれがその気になったら、小桜さんが大事に想ってる人との縁も切れる。一度切れたらもう、おれの意思では結び直すこともできひん。怖いやろ?」


 淡々と語る真紘くんの声は暗く、わたしは思わず身を引いてしまった。そんなわたしを見て、真紘くんは少し悲しそうに眉を下げる。彼がぱっと掌を広げたときには、刀は消えていた。


「……ごめん。わかってなさそうやったから、ちょっと脅しただけ。そんなことせーへんから、安心して」


 わたしは何度も、こくこくと首を縦に振る。わたしだって、真紘くんが本気でそんなことをするとは思っていない。

 何を言っていいかわからず口ごもっていると、「すみません」という声をかけられた。振り向くと、二十代後半ぐらいの女性が立っている。縁切り神社を訪れるのは、何故か圧倒的に女性が多い。


「……ここで。縁を切ってくれるって、聞いたんですけど」


 彼女の顔を真正面から見て、わたしは思わず息を呑んだ。髪が長くて背の高い、上品な雰囲気のある綺麗な人だ。それでも目は血走っていて、どこか鬼気迫る雰囲気を感じていた。

 わたしがたじろいでいると、彼女は前のめりになって詰め寄ってくる。


「ねえ、そうなんでしょう? 私、ネットで調べたんです。ここに来たら、どんな手段を使ってでも、絶対に縁を切ってくれるって」

「あの、えっと……」

「お願いします。彼を、あの女と……奥さんと、別れさせてください」

 

 その言葉だけで、わたしはなんとなく状況を理解してしまった。テレビドラマでよく見るやつだ、などと場違いなことを考える。圧倒的に人生経験が足りないわたしは、こういうときにどういう反応をすればいいのかわからない。

 オロオロしていると、強い力で両肩を掴まれた。


「早く、あの女を地獄に落としてください。あの女のせいで、彼が不幸になってるんだもの。私が、私だけが、彼を助けてあげられるの……!」


 噛みつかんばかりの勢いで捲し立てられて、わたしはたじろぐ。血走った目で睨みつけられて、一歩も動けない。その場で固まっていると、わたしの肩を掴む手を、誰かがやんわりと振り払った。


「無理です」

 

 真紘くんが、わたしを庇うように彼女の前に立ちはだかった。彼女は目を見開いたまま、真紘くんの方を見る。


「……無理って……どういうこと?」

「そもそも縁切りにおいて、他人の不幸を望むのは御法度です。そういう願いは聞き入れられません」

「そんなっ……!」

「それに」

 

 なおも食い下がろうとする彼女を制して、真紘くんは淡々とした口調のまま続けた。

 

「本当に彼が奥さんと別れたがってるなら、彼自身がここに来て縁切りを願うべきです。……そうしないのは、理由があるんじゃないですか」


 真紘くんの言葉に、彼女は「そんな」と真っ赤な唇を震わせた。真夏だというのに、身体が小刻みに震えている。


「……何も知らないガキが、わかったようなこと言わないで! 何も……何もっ、知らないくせに!」


 彼女は金切り声で叫ぶと、手にしていた絵馬を、こちらに向かって叩きつけた。カツン、と音を立てて、石畳の上に落ちる。まるで、般若のような表情だった。


「お気持ちはお察しいたしますが、落ち着いてください。神様の御前ですよ」


 穏やかなバリトンの声が響いて、彼女ははっと我に返ったように瞬きをした。霞さんが、ニコッと彼女に笑いかける。


「あ……す、すみません。失礼しました」


 霞さんと目が合った途端、まるで毒気を抜かれたかのように、彼女は頬を赤らめた。恥入った様子で、乱れた髪を片手で直している。


「ゆっくり、お話を伺います。本殿にご案内しますから、どうぞこちらへ」


 霞さんに促されると、彼女はまるで催眠術にかけられたかのように、フラフラと歩き出した。茫然とそれを見送っていると、隣で真紘くんがガシガシと頭を掻く。


「……まあ、そうやな。おれみたいなガキに、そんなこと言われんの嫌やろうなあ」

「……」

「小桜さん、大丈夫?」


 固まっているわたしの顔を、真紘くんが心配そうに覗き込む。わたしの身体は、まだ小刻みに震えていた。声も出せず、わたしは無言で頷く。

 あんなにも剥き出しの感情を目の当たりにしたのは、初めての経験だった。ある程度は理解していたつもりだったけれど――ドロドロとした怨念を抱いて、この神社にやって来る人もいるのだ。

 わたしはおそるおそる、先ほどの女性に投げつけられた絵馬を拾う。そこに書かれたものを見て、短く息を呑んだ。そこには、おそらく――〝彼の奥さん〟に対する呪詛が、長々と書き連ねられていた。

 絵馬を見た真紘くんは、「うわ、えぐいな」と眉を顰める。わたしは震える声で、真紘くんに尋ねた。

 

「……縁切りの神様は……こんなお願いは、叶えてあげないんだよね?」

「神様は知らんけど、おれには無理やな。おれは、今そこに見えてる縁しか切れへんから。あの人に不倫男の前まで連れて行かれて、さあ切ってくれ、って言われたら、できんこともないけど」

「……頼まれたら、するってこと?」

 

 真紘くんは「どうやろな」と肩を竦める。曖昧な返答に、わたしは少し不安になった。

 ……彼が持っている力は、使い方によっては、すごく怖いものなのかもしれない。


 三十分ほど経ったところで、本殿から霞さんが戻ってきた。なんだかやけに、真剣な表情をしている。霞さんとアイコンタクトを交わした真紘くんは、ぐっと唇を引き結ぶ。彼の手の中に、日本刀が現れた。


「真紘、こっちへ」

 

 霞さんに呼ばれ、真紘くんは本殿の中へ入っていく。糸霧神社の本殿の内部は、外からは見えないようになっている。お祓いなどは、あの中で行われるみたいだ。わたしはまだ一度も、足を踏み入れたことがない。

 しばらくすると、真紘くんが本殿から出てきた。彼の腰には、例の刀がぶら下がっている。

 その後ろをついて出てきた女性は、なんだか憑き物が落ちたような顔をしていた。


「……あの、ありがとうございました」


 彼女は霞さんと真紘くんに向かって、ぺこりと頭を下げる。霞さんは目を細めると、頬に笑い皺を浮かべて微笑んだ。


「あなたがこれからどう生きるかは、あなた次第です。あなたのこれからの人生が、より良いものになることをお祈りしています」

 

 霞さんの言葉に「はい」と頷いて、最後にもう一度だけお辞儀をした彼女は、鳥居をくぐって石段を下りていった。


「真紘くん」


 わたしが真紘くんに駆け寄ると、彼の腰に下がっていた日本刀が、ふっと消えた。


「……もしかして、あの人の縁を切ってあげたの?」


 わたしの問いに、真紘くんは「うん」と頷く。おそらく、彼女と不倫相手との縁を切ってあげたのだろう。彼女がここを立ち去るときの、晴れ晴れとした表情を思い出して、わたしはホッとする。


「縁切りって、やっぱり……怖いものじゃ、ないんですよね」


 わたしの言葉を聞いて、霞さんは「ええ」と微笑んだ。


「この神社の神様は、嫉妬に狂って恋敵を呪い殺した……みたいな話も、一説にはありますが。そもそも私は、縁切りは他人を不幸にするためのものじゃないと思てます。禊ぎとか厄落としに近いもの、ちゃうかなあ」

「禊ぎ……ですか」

「縁切りっていうのは、何かとお別れをして新しい自分に出逢いたいっていう、前向きなものやと考えてます。この神社に来る人は、〝他人ではなく、自分を変えたい〟と思ってる人もたくさんいるからね。私はそういう人たちの、後押しをしたいと思ってるんですよ」


 ……たしかに、そうだ。わたしも、真紘くんが縁を切ってくれたおかげで、こうして糸霧神社でアルバイトを始めることができた。

 素直な気持ちで「素敵ですね」と言うと、真紘くんはなんだか苦虫を潰したような表情を浮かべた。


「でも、おれはやっぱり……縁切りなんて、そんないいいことばっかりじゃないと思うけど」


 真紘くんが、ポツリと呟く。その横顔に、隠し切れない悲しみが隠されているのを感じて――どうしてそう思うの、と尋ねることはできなかった。


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