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03.縁の糸を切る神様(3)

 四限までの授業を終えた後、わたしはまっすぐ糸霧神社へと向かった。

 進藤くんからは「関わらない方がいい」と言われたけれど――どうしても、気になったのだ。図書館で勉強するのは、また今度にしよう。

 糸霧神社があるのは、鴨川と高野川が合流する地点の北側、いわゆる下鴨と呼ばれるエリアだ。前回神社を見つけたのは偶然だったけれど、道は覚えていたから迷わなかった。わたしが見たのは幻ではなく、神社はちゃんと、そこにあった。石段の上にそびえる、朱色の鳥居を見上げる。

 額に滲む汗をハンカチで拭いながら、一歩一歩踏みしめるように、石段を上る。先日の記憶よりも長く感じられ、結構気合いが必要だ。このあいだ猛ダッシュで駆け上がることができたのは、火事場の馬鹿力だったのだろうか。ようやく辿り着いた鳥居をくぐると、やっぱり少しひんやりしていた。

 ……さて。進藤くんは、いるだろうか。

 このあいだはあまり余裕がなかったけれど、今度は少し注意深く、あちこち観察してみる。おおよそは、一般的な神社と変わらない。澄んだ水が流れる御手洗に、お参りをする本殿に、御守りやおみくじなどが売っている社務所。立派な御神木の下に、絵馬を掛けるところがあった。何気なくそれを眺めて、ギョッとする。

 

[彼が早く奥さんと別れますように]

[上司の不正がバレてクビになりますように]

[元カノが地獄に堕ちますように]


 その他にも、実名でかなり生々しい願いが書かれているものもある。見てはいけないものを見てしまった気がして、わたしは慌てて目を逸らした。

 こんなにも素敵な、神秘的な空間なのに――ここにだけ、ドロドロとした怨念が渦巻いているような気がして、急に恐ろしくなった。朱莉の言っていた通り、少し怖い場所なのかもしれない。

 ……軽い気持ちでこんなところに来るの、よくなかったかな。このまま帰ってしまおうか。でも、まだ進藤くんに会えてないし……。

 迷いながらも社務所の前をウロウロしていると、背後から声をかけられる。


「こんにちは。何か御用でしょうか?」


 心地良いバリトンの響きに、わたしは慌てて振り返る。

 そこに立っていたのは、紫色の袴を穿いた男性だった。顔立ちは進藤くんによく似ているけれど、雰囲気はまるで違う。口元には柔らかな笑みを湛え、こちらを安心させるような空気を醸し出している。なかなかの美形だ。

 彼が、この神社の神主さんだろうか。進藤くんのお父さん――というには、少し若い。もしかすると、お兄さんかもしれない。

 わたしは怪しい人間ではないことを証明するように、できるだけ礼儀正しく挨拶をした。


「こ、こんにちは。わたし、小桜結依といいます。進藤く……えと、真紘くんと同じ大学で。このあいだ、彼に助けていただいたので、お礼をと思いまして」


 しどろもどろに説明をすると、彼は「ああ、真紘の友達ですか」と嬉しそうに破顔した。


「あの……真紘くんの、お兄さんですか?」


 わたしの問いに、彼はアハハと豪快に笑った。そうすると、頬に印象的な笑い皺が現れる。なんだか、人生経験を感じさせるような皺だ。


「いやいや、伯父ですよ。まあ、あの子の親代わりのようなもんやけど。ここの神社で、神主をしてます」

「そ、そうなんですね。失礼しました」


 そう言われてみると、結構歳上にも見える。わたしが恐縮していると、真紘くんの伯父さんは「どうぞ」と社務所の扉を開けてくれた。

 

「今、真紘はおつかいに行ってるんです。中で待ってください」

「え、でも」

「真紘の友達が来るなんて、初めてかもしれへんなあ。いやあ、嬉しいなあ」


 穏やかな笑みに似つかわしくない強引さで、社務所の中に招き入れられた。中はエアコンが効いていて涼しい。

 どうやらここは、社務所兼自宅になっているようだった。長い廊下の奥には、いくつか部屋があるようだ。広い和室に通されたわたしは、畳に敷かれた座布団の上に、おずおずと正座をする。

 進藤くんの伯父さんは奥に引っ込んだあと、すぐに湯気の立つ湯呑みを持って戻ってきた。


「お茶菓子もなくて申し訳ないけど、真紘に豆大福を買うて来るように頼んでるんです。あそこのはほんまに美味しいさかい、よかったら食べていってください」


 おっとりとした関西弁が耳に心地良い。どうやら伯父さんは真紘くんとは違って、なかなかお喋りなタイプらしい。顔が似ているだけに、なんだか変な感じだ。

 親代わり、と言っていたけど――真紘くんには、ご両親はいないのだろうか。気になったけれど、初対面でそこまで突っ込んだ質問はできなかった。

 わたしは「いただきます」と言ってから、湯呑みを持ち上げて口をつけた。香ばしい匂いのするほうじ茶だ。いつも飲んでいる安売りのティーバッグとは違う、高級そうな味がする。

 そういえば、神社の社務所の中に入るのは初めてだ。お茶を飲みながら、キョロキョロと中を見回してみる。壁に飾られた破魔矢のそばに、〝悪縁切〟と書かれたお札があった。

 ……そういえば、ここは縁切りの神社なのだった。先ほど見た絵馬を思い出して、また少し怖くなる。


「あの、ここって……縁切りの神社なんですよね」


 わたしの質問に、伯父さんは「ええ」と頷く。


「ちょっと珍しいでしょう。京都やと、他に安井金毘羅宮なんかも縁切りで有名やね」

「ああ……聞いたことあります」

「あそこに比べると、ここは小さいし、知名度もないけど」


 そこで言葉を切った伯父さんは、一口お茶を飲んでから、続ける。


「どうしても、人の怨念みたいなところが集まるところやから。縁切り神社なんて不気味や、怖いって言う人も多いですよ。そもそもここが祀ってる神様も、嫉妬に狂って恋敵を呪い殺したっていう逸話があるぐらいやし」

「そ、そうですね……さっき絵馬が目に入って、ちょっとびっくりしました」


 誰しも少なからず抱えている感情とはいえど、他人の怨みつらみを目の当たりにするのは、ショックを受けるものだ。伯父さんは悲しそうに眉を下げて、やれやれと首を振った。

 

「縁切りはほんまは、他人の不幸を願うものじゃないんやけどね……小桜さんも、ここが恐ろしいと思いますか?」


 恐ろしい、と言われると――そうかもしれない。絵馬を見たときはその怨念の深さに驚いたし、望んでもいないのに大事な縁を切られてしまったらどうしよう、と怖くなったのも事実だ。

 それでもこの場所には、何故だか不思議な居心地の良さがある。わたしは少し考えた後、「いいえ」とかぶりを振った。


「たしかに絵馬を見たときは、ちょっと怖いと思ったんですけど……わたし、ここが好きです」

「そうですか。それは嬉しいなあ」

「心が落ち着くし、それになんだか涼しいし。あと、わたし……ここで、真紘くんに助けられたので」

「ほう、なるほど。何かあったんですか」

 

 伯父さんはそう言って、興味深そうに身を乗り出してくる。その視線に促されるように、わたしはポツポツと話し始めた。

 

「……わたし。少し前まで、バイト先の人間関係に悩んでて……たまたま、ここに行き着いたんです。そしたら真紘くんに会って、彼が日本刀で何かを切ってくれた途端に……苦手な人との縁が、切れたんです」

「……そうでしたか。真紘が」

「あれはきっと……真紘くんが、わたしを助けてくれたんですよね?」


 思わず「助けて」と溢したわたしに、「わかった」と頷いてくれた。あのとき彼は間違いなく、他人から押しつけられる好意に怯えて、煩わしい人間関係に雁字搦めになっていたわたしを、引っ張り上げてくれたのだ。

 伯父さんは優しい笑みを浮かべたまま、しみじみと呟く。


「小桜さんは、あの子が持っていた刀が見えたんやねえ。あれは、他の人には見えへんはずなんやけど」

「……え?」

「あの子は……真紘はね、不思議な力を持ってるんですよ」


 それってどういうことですか、と尋ねようとした、そのとき。ガラガラと引き戸が開く音とともに、「ただいまー」という声が聞こえてきた。パタパタという足音の後、目の前の襖が開く。


「伯父さん、よもぎだんごは売り切れてたわ。代わりにわらび餅買うてきた。なんか、夏限定なんやっ……て……」


 進藤くんは、そこでようやく、わたしの存在に気付いたらしい。口をあんぐりと開けて、その場で固まってしまう。


「……あ、あの……お邪魔してます。突然ごめんなさい」


 わたしがそう言ってぺこりと頭を下げると同時に、彼が持っていたビニール袋がドサッと畳の上に落ちた。

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