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第七話 遭遇




 目が覚めると、全身にやけに温かいを感じた。いい毛布を使っているのだろうな、と思い体を起こすと、何かが体を滑っていった。


 細いのにどこか引き締まっている。私の太くなっている腕とはまるで違う。女の子が理想とする腕がそこにあった。


「……え」


 意識がはっきりしだし隣を見た。すうすう、と寝息をたてる女の子がそこにいた。ピンクベージュのボブカットでメガネはしていないが、あいつなのは間違いなかった。


「な、ななななっ、なんで私のベッドに……?!」


「ん、んんっ〜〜〜。……あ、夏海さんおはようございます〜」


 体を起こした彼女の装いを見えて思わず悲鳴を上げそうになった。薄い衣のようなものを纏っているだけで、肌の露出が多かった。全身とまじまじと見てしまうのもしょうがない。だってこんな格好知らないし。


「あれ? なんで隣にいるんですかぁ。だってわたしのベッドはあっちで……あ」


 そこでようやく、鈴井冬香は己の状況を知ったらしい。元々相部屋ではあった。ただしベッドは二つあり真ん中にパーテーションを仕切ることもできる構造だった。


 鈴井冬香のベッドは向かい側だ。なぜここに、とは私の台詞である。だがそれを指摘するのは彼女の様子を見てやめておいた。みるみるに顔を真っ赤にして、いまにも泣きそうになっていたから。


「ちちちち、違うんです夏海さん!? こんな無理矢理みたいな変態さんなことある訳ないじゃないですか!? ただ抱きまくらないと眠れなくて、つい抱き枕のある方に行ってしまっただけで、本当にそれだけなんです〜!!」


「……ちなみにその抱き枕と私を勘違いしたのはなんで?」


「決まってるじゃないですか、夏海さんの勇姿をそこに写したからでーー」


 それを聞いた私は彼女に手がでてしまった。

 全力のデコピンをくらった鈴井冬香は悲鳴を上げてもだえるのだった。






 午前十時の集合時間に集まった私と鈴井冬香。

 今朝のこともあってお互いに口を利くのに躊躇が入ってしまっている。春野は私たちを見比べて首を傾げながら言った。


「どうしたんですか二人とも。気まずい感じ出てません?」


「いいえなんでもないわ。時が経てばきっと解決するから」


「そうですか。ま、それより練習つきあってくださいね。今日はクラブの人と試合の予定を組んでいまして、よかったら夏海さんもどうかと」


 そういえばこのクラブには練習試合をマッチングしてくれるシステムがあるらしい。最初に聞いたときは驚いたが、試しにアプリを覗いてみるととても便利だと感じた。自分のプロフィールやプレイスタイル、経歴などを元に、自分が求めている相手との試合の申し出が可能とのこと。さすがにこのテニスクラブに滞在している者としか試合は行えないが、たまにプロがやってくることもあるので腕を試すジュニアの選手は後を絶たないらしい。

 とてもおもしろい機能ではあるが、私は私の練習を行う必要があった。


「ありがたいけどお断りするわ。しばらく試合は控える予定だから」


 ここ一週間、鈴井冬香と二人きりで「負け癖」の克服に動くつもりだ。このテニスクラブには専用の施設があるらしい。カウンセラーとかつけられるのかと考えると気が気でないが、やらなきゃ今までと同じ試合しかできないだろう。


 春野と二時間ほどの練習に付き合った後、午後は鈴井冬香とともにトレーニングエリアへ移動し、三階にある「メディケーションルーム」の一室へと入っていく。


 ここは瞑想のための部屋とのこと。スポーツ選手はなにも体力や技術をあげるだけでは足りない。ときにはメンタルを鍛えることも必要なのだ。現に私はメンタルが著しく問題がある。自覚した今、どんな方法で改善するのか個人的な興味がある。自分のことなのに他人事のように思ってしまうのは、本格的なメンタルトレーニングをするのは初めてだからだ。


「見てください夏海さん、このタブレットで好きな環境音や背景にセッティングできるらしいですよ」


 鈴井冬香がタブレットをいじくって部屋の景色を変えていく。アトラクションシアターなど使われるような高密度の映像投影技術をたかがメディケーションルームに使うなんて贅沢きわまりないと思った。ビーチ、森林のコテージ、テニスコート、都市の中など、タップ一つで実際に景色を変えられるのは感嘆するものがあった。


「ったく、浮かれてるわね。一応適した形にしたら?」


「となれば、ひとついいものがありますよ」


 鈴井冬香はそう言って新しい景色を投影した。真っ白なスクリーンに一瞬だけ戻ったかと思いきや、周囲が一気に黒に染まりだした。


「わぁっびっくりした! てか、ここって……」


 驚いて悲鳴を上げてしまう。そうなってしまうのも仕方ないだろう。いま映し出されているのは地上のどこにもない景色だからだ。鈴井冬香が言った。


「はい。わたしたちがいつも見上げているものです」


 真っ暗とはいったが、正確には違った。下は白みがかった地面に立っていて、目の前に映る景色はどこまでも壮大な青が存在していた。


「月の上まで投影できるのね。作られた映像なのかしら」


「いいえ、現在進行形でリアルタイムで撮影している映像みたいです。わたしたちはいま、本当に月の上にいるんです」


 心を奪われるとはまさにこのこと。人類は二回目の月面着陸には成功していない。だからこれは月面を走査するロボットからの映像なのだろうと想像はできた。


「しばらく見入っていたいわ」


「わたしもです。……でもこのままお話をします」


 月を見ながら鈴井は語り始めた。私も静かに聞き入った。


「二週間後にカルフォルニアで行われるツアー大会で、夏海さんには是非優勝をねらっていただきたいと考えています。すでにエントリーも済ませました」


「それまで負け癖の改善ともちろん技術体力もあげていくっていう寸法ね。いい期間ね、二週間」


 一週間では焦りが出てしまうし、一ヶ月だと路頭に迷う。二〜三週間あたりが準備の上ではちょうどいい。ふと鈴井冬香がこんなことを言った。


「テニスの自主練は禁止です。わたしといるときはメンタルトレーニングのみを行ってください」


「どうしてよ、必要なことでしょう?」


「焦りから出る練習はいいパフォーマンスをもたらすとは思いません。テニスは春野ちゃんとの手伝いで十分です。もちろんそこは関与できませんししませんので、春野ちゃんの手伝いに集中してくださいね。サボるとここにいられなくなりますし」


 鈴井冬香の意見も一理あると感じた。イップスの原因がテニスから来るものなら、練習をしたところで「負け」を想起させてしまう結果になるのではないか。


「けど練習しないとさすがに不安になるわ。毎日やってたことだし」


「そうです、毎日やっていたことを勇気を持って断つんです」


 勇気を持って断つ。人生の大事な選択肢を自ら切り捨てるような決定的な感じだろうか。たとえば高校進学を切り捨てるとか、大企業の就職の内定を辞退するとか。いやいまいち自分の人生に置き換える事柄ではなかった。私は当たり前のように高校へ行ったし、企業の就職なんてしたことがない。


 テニスの練習はほぼ毎日行っていた。とはいっても、一人でできる練習なんてたかがしれているが、それでも有効な練習法をあみだし実行してきた。もはや生活に馴染みすぎていて手放すことすら考えられない。


「一見、いいことをしていると思っても、実は良くないことだったなんてことは意外と多くあります。本当のことをいえば春野ちゃんのお手伝いも断って欲しいんです。これから二週間、夏海さんにはテニスというもの忘れて欲しいとすら思っています」


「だったらテニスクラブなんて連れてくんじゃないわよ」


「あはは、ですよねー」


 そもそもが矛盾していた。テニスを遠ざけたいのに最高峰のテニスクラブなんて連れて行くなんて。おそらく鈴井冬香もこの場所へいけるチャンスがここにしかないと考えたのだろう。


「けどあんたが何かしらの意図を持っていることは理解した。私はそれに気付くことができるか、そういうところかしら」


「ふふ、わたしはこうしてイチャイチャできるだけで嬉しいです」


「やっぱりそういう魂胆か! デコ出しなさい」


「あ、やだ、それマジで痛かったやつ〜〜!」


 そうしてメンタルトレーニング一日目は終わった。ほぼだべっていただけで、瞑想や自己理解のような本格的なものはなかった。なによりそれが何日も続いた。


 朝起きて、午前は春野との練習、午後は鈴井冬香とメディケーションルームだべったり、トランプしたり、人生ゲームしたり・・・・・・と、ほぼ遊びの時間を過ごした。午前中も球拾いや道具の準備がメインで春野の相手はリーが行っていたのでラケットにはさわっていない。


 不安はあった。渇望ともいえるかもしれない。のどが渇いたら水を飲むように、私の中にテニスができないことから生まれ出る感情が強くなっていった。


 これで本当に正しいのだろうか。確信を持てないまま一週間が過ぎた頃、春野たちは試合のマッチングができたとのことで練習はお休みになった。試合を見に行くことも考えたが、テニスを強く想起させてしまうかもしれないと思いやめた。


 空いた時間で私は何をしようかと路頭に迷っていた。鈴井のところに向かおうかも考えたが、彼女は朝食を済ませてからすぐにテニスクラブの外へ出かけてしまっている。ご丁寧にレンタカーを借りてだ。


「……暇ね」


 何気なく独り言をつぶやいてみる。暇と口にするくらいの暇を持て余している。こういうときは練習にでていたがそれは禁止されている。やろうと思えばできるが、それでは彼女に申し訳が立たない。


「そういえば敷地内の散策ぜんぜんできてなかったっけ」


 私はスマホのホーム画面でFTCフェイタルテニスクラブというアプリを開いた。これはFTC利用者が行えるサービスで、試合のマッチングもここで行える。その中の敷地内のマップを確認すると、私の現在位置と周辺の項目が表示された。


 敷地全体からいうと南東あたりが女性の宿泊棟で、私は基本的にこのエリアか中央付近にあるトレーニング施設しかいっていないことにある。ほかにも興味深いエリアがたくさんあったのでそちらのほうを散策しようと足を進めることにした。


 いまこのFTCにはアマプロ問わずどれぐらいの人数が滞在しているのだろう。私が見た限りでは女子エリアで百数人程度。男子やVIPエリアへは行っていないのでちょろっと覗いてみようか。


 南東側から北上するとテニスの施設とは思えないものが並んでいた。バスケットのコートやサッカーのグラウンド、スケートボードやクライミング、パルクールなどのエクストリームスポーツ施設もあった。そこでトレーニングしている人は割といて、これもテニスのパフォーマンスに活かされるのだろう。


 不思議とおもしろいなと感じている自分がいた。テニスをする人も様々で、和気藹々とテニスをしている人や、本気でトレーニングをしている人、それを見ている人。テニス一つとっても様々な人の営みがあった。私は今更ながらそんな事実を実感した。


「私はどこにいるの」


 なんとなく自分の立ち位置を確認したくなった。プロテニスプレイヤーで世界ランキング395位。最近スポンサー契約が打ち切られとある女のサポートを受けてかろうじて選手生命を維持できている。


 プロとしてあり続けるためにテニスをするのだろうか。でもなんでプロとしてあろうとする。テニスをするだけなら、仲間内で楽しむ道だってあるはずのなのに。


「プロを選んだその先に、何を手にしたいのよ。自分のことなんだからはっきり言葉にしなさいよ」


 考えるといつも自分のふがいなさに行き着く。気持ちを見失っているとでもいうべきか。最初にあった頃の闘争心や熱が年々少なくなってきている気がする。最近では


「違う。先延ばしにしてたのはきっと……」


 ちょうど男性エリアを越えてVIPエリアにさしかかろうとしたときだった。


 私は注意を奪われた。


 予感というのだろうか。この先、VIPエリアに耳を引く打球音がしていた。


 ほかの音と圧倒的に違う。美しく無駄がないのに感情的で、ひとつひとうが私の心をかき乱してきた。


「まさか」


 私は走った。

 そのエリアが特別な許可が必要なことも知らないまま、その打球がする方へ向かっていく。

 何組かVIPエリアでトレーニングをしていた。中には有名なプロテニスプレイヤーがいた気がしたが、それら全てをノイズとして排除してひとつの答えを探し出す。


 そうしてVIPエリアの奥のコートに二人のテニスプレイヤーが打ち合っていた。客席ができており、たまに大会でも開かれるのかと考えられる。二人が放つテニスから目を離さないように階段を下りていく。


 手前側に金髪をひとまとめにした背の高い女性が強烈なフォアハンドを繰り出していた。


 奥には黒髪のボブカットでサンバイザーをつけた女が、バックハンドで難なく打ち返す。


 私は黒髪の女をもっと見たくて、いつのまにか一番下にいた。そうして、彼女の顔が視界に入った。


「ーー間違いない」


 四年前と顔つきが変わっているが、全身の細胞が訴え叫んでいる。あの女の姿、繰り出すプレイの一つひとつが鮮やかによみがえってくる。なんだかあのときの状況を呼び起こしたように。


 激しいラリーの末、手前側の女が体勢を崩した。そこをすかさずあの女の左フォアハンドがテニスボールを叩いた。打球は猛烈な音を響かせてコートへ着弾し、私のそばを通り過ぎていった。


 私はその場から動くことができなかった。一刻も早くその場から消え去りたいのに、彼女のプレイが見逃すことを許してくれなかった。


 手前の金髪女が英語でなにやら悪態を付きながらボールを拾いに観客席の中へと入った。私のことは一瞥したくらいでそのまま近くにあったボールを拾った。


 しかし向こうは違った。向こう側のコートにいるあの女は観客席の方へと目を向けてーー正確には私の方を見ていた。



 そう、なぜか見ていたのだ。


 日本人プレイヤー最高峰のテニスプレイヤーで女子テニス世界ランク10位。なによりつい先日、無期限活動休止を発表したはずの彼女がなぜどうしてこの場所に。


 これから目標としていた相手ーー加藤五十鈴と四年ぶりに目があってしまった。


 そう認識した瞬間、私はようやく金縛りから解けたように全速力でその場から去った。


 通り過ぎていく人々の怪訝な顔。

 壊れていく呼吸と魂。

 その全てがあの邂逅で引き越した、倉本夏海の全てだった。

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