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第六話 世界最高峰のテニスクラブ



 プロのテニスプレイヤーは世界各地の大会を回ってポイントを獲得していく関係で、旅支度に慣れている。私は遠征用に90Lのスーツケースにテニスバッグという装いで成田から出国した。ちなみに鈴井冬香は後に合流するらしい。


 機内は初めて行くであろう旅行客が騒いでいたが、私はいつものように耳栓とアイマスクにネッグピローを装着して「無」の状態を作った。移動は意外と体力を持っていかれるので、しっかり眠って体力を温存させるのが鉄則だ。時差ボケにもいろいろと対応しなければならないのが、時差のある国のつらいところだ。


 約十時間の旅路をおえて、入管で足止めを食らうことなく到着ロビーを出ると、見慣れた顔を発見した。彼女は私を見つけて手を振った。


「夏海さーん、こっちです」


 春野朱美はスポーティーな私服姿で出迎えた。こちらは落ち着いた色のトップスとジーンズというシンプルな格好。


「悪いわね迎えにもらって」


「いえ、とんでもないです。あ、ご紹介しますね」


 春野が隣に立つの女性を目で促した。ショートヘアでクールな印象の三〇代ぐらいの女性だ。アジア系の顔たちで一見して日本人に近しい感じだが、やはり細かいところは違っていて別の国の人だと断ずることができた。


「私のコーチを務めてくださっているリーさんです。日本語はできませんが、英語がはなせますのでそちらで話をしていただけると」


「リーデス、ナイストゥーミティートゥー」


 リーが手を差し出してきたので、同じように手を出しながら英語で応えた。


「こちらこそ。突然の申し出を引き受けてくださって感謝します」


「ハルノにいい経験を与えてくれると聞いた。お互いに刺激しあっていけたらいいと考えている。・・・・・・君のコーチは来ていないのかな?」


 リーが周囲を眺めて落胆を示した。どうやら彼女の興味は鈴井冬香にあるらしい。私は愛想笑いを強めて言った。


「あとで合流する予定です。それまでお楽しみにしていただければと」


「そうか。君より年下のコーチと聞いてたからね、親睦を深めたかったのだが仕方ない」


 正確にはコーチではないのだが、という言葉は胸の中で秘めておいた。これ以上、リーを混乱させたくなかった。それから春野たちが手配した小型のバスに荷物などを載せて空港を出発した。


 車内では春野とリーの会話が繰り広げられていた。


「ハルノ、課題のクリアは済ませたか」


「まだまだ。リーのあれは無理難題だよ。もう少しヒントちょうだいよ」


「答えだけを求めるな。私にだって答えはない」


「言いたいことはわかるよ? 自分で問題を見つけてそれを解決することが成長に繋がるのは実感としてあるけどさ、自分の弱さを見つけろなんて普通の選手はしないんだよ。相手に見つけてもらうもんだと思ってたから」


「だから言われるんだ。日本人は甘ったれだって」


「あ、それ立派な人種差別なんだから。あーあちゃんと録音しておけばよかったなあ。せっかくアメリカにいるんだし」


 とはいいつつ、二人のあいだには楽しそうな雰囲気が出ていた。密なコミュニケーションとはああいうことを言うのだろう。対して私は過去のコーチとここまでやっていたか考えた。


 高校まではテニススクールの講師がコーチをしてくれたが、プロまでは厳しいと判断して他の人を紹介してくれた。


 次の人は契約上で二年まで、その次の人は向こうの都合で一年。四年目に付いてくれたのはプロ経験のある人だったが、私が調子を落とすとすぐに離れていった。

 

 それからコーチはつけていない。お金がなかったのが第一の理由ではあるが、自分のことは自分で始末をつける方が性に合っていたからだ。


「・・・・・・あいつをコーチに・・・・・・」


 コーチとはプロテニスプレイヤーにとって必須だとは思う。しかしあの女がその適正を持っているかどうか判断が付かない。それ以前にファン上がりのコーチなんて聞いたことがないし、彼女に人生を預けられるかどうか判断しなければならない。


「能力はありそうなのがまた悩ませるのよね」


「もしかして鈴井さんの話ですか?」


 前の席に座っていた春野が振り返って聞いてきた。すぐさまうなずいて肩をすくめた。


「今回の旅費はあの子が出してくれたの。コーチというかスポンサーというか、変な感じなのよ」


「うーん、別に役職にこだわる必要なんてないんじゃないですか。私とリーだって選手とコーチの関係ですけど、たまに遊んだりしますよ」


「へえ、珍しいわね。人間的な気も合ってるのかしら?」


 貴重な存在で関係を春野はすでに構築できている。まさに奇跡が目の前で体現しているかのようだった。


 こちらもあまり関係同士で気負うことはないのかもしれない。最初の通り、ファンと選手であっても。



ーーーーーー

ーーーー

ーー



 空港からアウトバーンで一時間半で広大な空と畑が目に入ってきた。海が近く、建物もあまり多い方ではなかったので、都市郊外に出たらしい。


 その施設の入り口を越えて玄関前に到着すると、白髪の老人が出迎えてきた。


「ようこそおいでくださいました。我がテニスクラブ、フェイタルテニスクラブへ。歓迎しますよミス朱美、ミスリー」


 彼はテニスクラブの従業員のヘンリーと言うらしい。施設の管理全般を任されているとのことで、私たちは玄関先から個室へ移動する合間にテニスクラブの説明を受けた。


「当テニスクラブの敷地はテニスコート五十五ほどありまして、プロアマ問わず様々な人たちがテニスを楽しむ場所となっております。もちろんプロの方にも満足いただくようなプログラムやクラブ内トーナメントも用意されています」


「さすが世界最高峰のテニスクラブ。有名選手もトレーニングに参加しているだけあります」


 リーが世辞の言葉を放った。このクラブの存在は知っていたが、プロであっても易々と入れる場所ではなかった。なのに鈴井冬香は春野という存在を利用し、彼女の付き人という立場で入ることができたわけだ。


「ハハハ、日本人だとやはりミス五十鈴が有名かな? 特別なトレーニングをする際にはご贔屓にしてくれたものさ。・・・・・・まあ、活動休止をしてしまったのは残念だが、いずれコートに復活するだろう」


「ええ、そのときが楽しみですよ」


 私は居心地の悪さを感じた。ヘンリーにとっては謝辞の言葉のつもりだろうが、リーはそれがおもしろくなかったらしい。剣呑な雰囲気が全身から出ていた。加藤五十鈴はいわばライバル。彼の言い方は最初から相手にしていないようにも聞こえた。


 そんなこんなで施設の自慢話を合間に私たちはとある場所へと到着した。


「ここが宿泊棟だ。お二方は個室、お付きの人は二人部屋とのことだが」


「はい、あとで知人が合流する予定になっています」


 私がそう言うとヘンリーは気の抜けた返事をしたあと「どうかよき滞在を」と言って離れていった。時刻は正午を回ったあたり。旅を疲れを癒したいところだが、二十そこらの少女は元気が有り余っているようで、きらきらした目を私に向けた。


「夏海さん、ちょっとだけでいいんで慣らしませんか」


「その顔、ちょっとだけで済む?」


 首を何度も盾を振る春野。リーを見るとため息ついでに肩をすくめていた。どうやら止める気はないらしい。私はやれやれと思いながらテニスバッグを下ろした。


「本当に慣らしだけにしておいてよ。こっちは旅の疲れをちゃんと癒したいんだから」


「もちろんですよ。丸一日もラケット握ってないの気持ち悪くないですか?」


 それから私たちは近くのコートで軽く・・・・・・いやだいぶハードな練習をした。私の立場は春野への球出しやリターンの相手。どうやら普段からやっている基礎トレーニングが彼女にあるようで、ベースライナーとしての基盤がここから来ているのかと感心するばかりだった。


 正午から結局夕方になるまでやって、ちょうどエネルギーが切れ始めてきた頃にリーが切り上げるように言ってきた。春野はまだ物足りないらしいが、お腹の音がよく聞こえはじめ私たちは夕食を取ることとなった。


 宿泊棟には食堂が完備されており、長期滞在者は好きなだけ食べることができる。しかしここはアメリカ。日本のような和食は期待せずに行ったのだが、なんと天ぷらや焼き魚、味噌汁まで用意されていた。リーが言った。


「和食はスポーツ選手にも人気ですね。私も寿司が大好物です」


「日本食もワールドワイドになったものねえ。ま、白飯だけいただきますか」


 食事に気をつけてはいるものの、洋食和食といったふうに分類することはしていない。スクランブルエッグに味噌汁とか、鯖味噌に中華スープとか別に気にして食べることなんてしない。


 私はふと、食堂に来ているほかの滞在者を見てみた。国際色豊かで全員がテニスのために来ているとなんだか胸が熱くなった。言葉は通じ合わずとも、一つの競技が人と人をつないでくれる。そんな感慨とともに、私はふと気になることを春野へ聞いてみた。


「ジュニアの選手が多いのかしら。大人の人はあまり見かけないわ」


「あくまでテニスクラブですから。第一線を進んでいる人はそれぞれのホームで活動しているんですよ。人気なのはアメリカやオーストラリアのような広い土地がある場所です。私そこに自分の家とテニスコートを作るんです。あとはすてきな旦那さんと毎日楽しく過ごします」


 考えていることがこちらにも伝わってくるほど、春野の夢は鮮やかな色味を帯びていた。春野は自分の夢を疑っていない。ある意味で若い人間が持つ特権なのかもしれない。


 ただかつての私と決定的に違うところは、先ほど言った疑いがないところだ。いつのまにか私は道を選ぶときに疑うようになっていたことを、彼女と話す度に思い知らされてしまう。倉本夏海はいつから迷ってしまったのだろう。


「・・・・・・私は」


 改めて、本当に改めるようなことでもないのだが思ってしまう。

 数ある仕事、芸術、スポーツの中でどうしてテニスを選んだのだろうと。




ーーーーーー

ーーーー

ーー



 一日目が終わった。移動の疲れとテニスの疲れがどっと押し寄せて、お風呂に入る体力すらなかったので軽くシャワーを浴びて床についた。

 明日から本格的に私はメンタルトレーニングにはいるのだろう。その前に春野の練習につきあう役目も忘れてはならない。その義理を果たしつつ、自己の改善に努めるのはなかなかのハードなスケジュールだ。


「・・・・・・いろいろと疲れた。私なんか見向きもされてないもの」


 世界ランク300位台なんて今日来ていたジュニアの子たちと何ら代わりはないのだろう。ここで悔しいという感情が出ないのが選手として欠陥なのではないか、とぐるぐると思考を行き来している。


「ったく、こんなときぐらい、あいつのわちゃわちゃが恋しいわ・・・・・・」


 コート内ではただ喧しかったあの声援が、不思議なもので一人になると求めている自分がいた。なんて都合のいい頭だろうか。必要なときに求めるなんて。


 ともかく本番は明日からだ。おやすみなさい。

 その翌日、ちょっとした波乱が待ち受けていることをこのときは知る由なかった。


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