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第四話 弱さを探して





 テレビやスポーツ新聞、ネットニュースなどで加藤五十鈴に関するトピックが話題をかっさらっていたことを知ったのは、実家で朝ご飯をとっているときだった。


 父が見ていた朝の報道番組で「加藤五十鈴が無期限活動休止を発表」という言葉に思わず食べる手が止まった。


 食事を手早く済ませ、私はすぐさま鈴井冬香に連絡を取った。彼女は数コールの後、眠そうな声で応じた。


「はぁ〜い、あなたのためのわたしでーす。どうしたんですか朝から」


「どうしたんですじゃないわよ! 今朝のニュースを今すぐ見なさい」


「無期限活動休止のことですか? まあいいじゃないですか。ライバルが一人減ったと思えば」


「いいわけないでしょ。どうするのよこれから。あいつを倒すことを念頭にあれこれするはずだったんでしょうが!」


「……夏海さん、自分の立ち位置を理解されてますか」


 急にまじめな声になるものだからびっくりしてしまう。


「世界ランク400位前後をうろちょろしている人と、10位の最前線で戦っている人。野良の試合でない限り彼女と戦う機会はありませんよ」


「ぐっ……」


 正論だった。世界ランク10位の人と公式の試合で戦えるとしたら、マスターズや一つ下の大会だろう。私はまだその参加資格を一つたりとも持っていない。


「あんたの言う通りよ。……てか、やけに冷静よね。仮にも日本女子のトップの活動休止なのに」


「彼女も人間だってことじゃないですか、知らないですけど」


 やけに冷たい反応だなと思った。私にしか興味がない、というわけではなさそうだ。加藤五十鈴を目標にしたのはそっちなのだが。


「ま、いまはこれからのことです。そろそろ試合の疲れも取れてきたところですよね。オフィスに来てください。一応、ラケットとウエアを持ってきてください。あ、いつものルーティンがあったらそれこなしてからでもいいんで」


 じゃあ待ってますね、といって電話は終わった。


「やけに気遣い上手。てかオフィスって確か……」


 部屋に戻って名刺を確認した。マンション名と部屋番号。ストリートビューでもやっぱりと確信した。


「変なことされないでしょうね」


 彼女との二人三脚でやることになるのだろうが、オフィスでなにをされるのかわかったものではない。


 鈴井冬香は私の「負け癖」を変えようとサポートをしたいと言ってきた。となれば、メンタルトレーニングのたぐいになるはずだ。過去、コーチから似たようなことさせられたことがある。正直、劇的に強くなったとか、心持ちが変わった実感は一つもなかった。


 今は間違いなく私に必要なトレーニングだ。もちろんテニスの技術と体力、戦術を磨くのも忘れずに。


 それから私は朝のトレーニングを一時間半ほど済ませてから、私は改めて彼女のオフィスへ向かった。



 実家の最寄り駅から一回の乗り換えで都市郊外へ。

 都内のマンションだったらどんなお金持ちよと突っ込みたくなるが、今から向かうマンションも似たような感想を抱いた。ストリートビューで確認した限りでは立派なマンションだったのだ。実物を見てもその感想が崩れることはなかった。


 マンションのエントランスにあるインターホンで部屋番号を入力。扉が開き、エレベーターで目的の階へ上っていく。なかなかに高いところにあり、街を一望できる景色がそこにあった。一人暮らしをしたことがないので、マンション暮らしは上から人を見下したいからそこに住むのか、なんて穿った見方をしてしまった。


 ともかく彼女の部屋の前に着いた。すると私が到着するとあらかじめ知っていたように扉が開いた。


 顔の印象を隠すメガネとメイクは変わらないが、OLスーツとは打って変わってラフな私服だった。緑のワイドパンツにゆったりとした黒のトップス。胸にアクセサリーをつけたり、妙にいい香りがしたりと、町中にでれば美人を隠せない感じのたたずまいをしていた。正直、顔の印象を隠しても鈴井冬香は美形の部類にはいるのは疑いようがなかった。


「えへへ、あこがれの人を自宅に招く。これぞ推し人生ですよね」


「知らんし。ていうか変なことしたらソッコー帰るから」


「し、しませんって!」


 なんて軽いやりとりがありつつ彼女の自宅の中へ入る。新築特有の木材の香りがまずやってきて、それから透き通った甘い匂いがした。一瞬で心地よさに包まれた。


 やけに間取りの広い部屋だった。明らかに一人暮らしを想定していない作りで部屋が二つもある。そのうちの一つの部屋の前を通ったとき、彼女は言った。


「その部屋には絶対に入らないでくださいね」


「入ったらどうなるのよ」


「罰ゲームです」


「大した部屋ではなさそうね」


 と、冗談でその部屋のドアノブに手をかけようとしたところ、ものすごい勢いで手を捕まれた。張り付けたような笑顔がちょっと怖かった。しかし、これでこの部屋が彼女のウィークポイントだと自らあかしたようなものだ。


 改めてリビングへと案内された。

 部屋に入っていないのでまだなんともいえないが、玄関からダイニング、リビングは生活感がなかった。ソファが一つあるだけでその方向には白い壁があるだけだった。ソファに促されてから、彼女は私の目の前でこう言った。


「さてさて。まずはようこそ私の自宅兼オフィスへ。今後の活動会議は日本にいるときはここで行います。まあ、すぐにお役ごめんになるかもしれませんが。まず今後のことを発表します」


 鈴井冬香はいつのまにか持っていたリモコンを押した。すると部屋が暗くなっていき、天井から白い幕が降りてきた。なるほど、天井にスクリーンが収納されていたというわけか。どんな家だよ。

 

「まず夏海さんの立ち位置を確認しましょう。十八でプロ入りした夏海さんはツアーを勝ち進め、世界ランキング100位まで上り詰めました。しかしあるときを境から調子を崩し始め、今は400位あたりをうろちょろしている感じですね」


「・・・・・・普通なら引退レベルね」


 私の場合、まだスポンサーが付いていたのもあり続けられたのもある。本当に首の皮一枚繋がっている状態でプロテニスプレイヤーをやっていたのか。


「ちゃんと勝負と時の運を持っていることです。さすがわたしの夏海さん」


「誰が私の夏海さんよ。……で、私の負け癖をなんとかするって話でしょ。やっぱりメンタルトレーニング?」


「はい、さっそく始めたい……ところですが、実は今日ゲストを呼んでいます」


「ゲスト? 誰よ」


 思わず怪訝な目になった。てっきり二人三脚で進むものかと思っていたが、


「じゃあ入ってきてください」


 ふいに扉が開き一人の女性が姿を現した。ちなみに絶対に入ってはいけない部屋ではなく、それとは別の部屋からだった。


 テニスウエア姿の女だった。歳の感じは鈴井冬香と同世代あたりだろうか。じゃっかん彼女の方が年下かもしれない。だが若いことに驚くより先に、私は別の驚きに包まれた。


 知っている顔だった。彼女は三日前に対面したばかりの二十歳そこらのテニスプレイヤーだ。名前は確か。


「あの、前の試合ぶりですね。改めまして春野朱美(はるのあけみ)です」


 不安そうな顔で私を見る春野朱美。試合中はポニーテールでまとまっていたが、いまは左右に広がったくせっ毛が印象的だった。試合中は声を上げて鼓舞していたのに、今は小動物のように縮こまっている。この状況もあるだろうが、ここまで顕著だと興味深かった。


「あなた、鈴井冬香に呼ばれてきたわけ?」


「はい。三日前の試合後にコンタクトがありまして……」


「ちょっとあんた。適当な人を連れてくるならともかく、彼女は先日の大会で準優勝したばかりの期待の新人なのよ。大事な時期だってわかるでしょ」


「でも彼女だって喜んで付いてきましたよ。試合の分析を本人と一緒にできるって」


「メリット皆無でしょ。勝った試合に分析できるところなんてーー」


「いえ、それは待ってください!」


 ふいに大声を上げる春野。彼女はそれから申し訳なさそうに目を伏した後、私に向けてこう言った。


「実はあなたとの試合だけは不可解なところが残っていて。……今日はその疑問を解消したくてきました。私にとっても願ってもない機会なんです」


 なるほど彼女は彼女なりの理由でこの家にきたらしい。とりあえず二人きりになって変なことをされなくてよかった。


「夏海さんってば、二人きりになれなくていやだなあって顔してますね」


「あ、お二人ってそういう……。気が利かなくてすみませんでした」


「いちいちツッコむのも面倒になってきたわ」


 もはやあきらめの境地に入ってきた。鈴井冬香の発言に振り回されていては精神が持たない。


「てか、あなたが抱いている疑問というのが気になるんだけど」


「実はあなたの顔を見れば答えがわかると思ってきたんです。だから今は不思議です。どうしてそこまで普通でいられるのかなって」


 なんだか言葉に刺があるような。気のせいではないことを知るのは、次に発した言葉からだった。


「なんで途中から手を抜いたんですか」


 春野朱美は怒りをにじませて言った。不可解なのはこちらの方だった。鈴井冬香は小さくため息を付くだけだった。


「手なんて全く・・・・・・」


「いえ、試合してわかりました。私とあなたでは、圧倒的な技術と経験値の差がありました。実際、前半は全く歯が立たなかったですし。途中で何とか2ゲームは切り返しましたけど、それでもあなたが優位だった。なのにーー」


 それから勢いがなくなっていき、春野朱美はうつむいた。私との試合になにを感じているのかようやくわかりそうな気がした。


「最初はふざけているのかなって思ったんです。でも本気で悔しそうな顔を見て余計にわからなくなって」


「……夏海さん。これからあなたの中に巣くう病理を、朱美ちゃんといっしょに暴きます。わたし一人で明かそうとしなかったのは、わたしを理由に言い訳されるのを防ぐためです。でも現役の立場の朱美ちゃんがいれば嘘はつけませんよね」


 二人の人間から向けてくる物はそれぞれで違うものの、私を発端としている事実は揺らぎようはなかった。特に春野は手を抜かれたことに腹を立っている様子だ。もちろん私はそんなつもりはなかった。だが本当に手を抜いてしまっていたのだとしたら。今からそれを自覚しなければならない気がした。



「まずは映像を見ていただきます。夏海さんの人生を決定づけた四年前の試合をーー」


 それから私たちは過去をみた。

 今をときめくテニスプレイヤーの躍進と、ときめくはずだったテニスプレイヤーの没落を。




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