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第二話 激推しファン


 東京にある有明テニスの森公園屋外コートエリアにて、全世界から集ったプロテニスプレイヤーが覇を競っている光景は、たまたま通りかかった人からしてみれば圧巻に映ると思う。


 ただプロテニスプレイヤーにとっては日常の光景にすぎない。基本的に全世界を飛び回って大会参加してポイントを稼ぎ、ときには食事や時差ボケに苛まれながら勝利を重ねてランキングをあげていかなければならない。

 最終的に目指すところはそれぞれで違うが、四大大会でいい結果を残すことがプロテニスプレイヤーの本懐だ。


 今日の大会は下から数えたほうが早いランクの大会。そこで私はかつてないほどいい調子で勝利を重ねていた。


「ゲームウォンバイ、6-4」


「よしっ、首皮一枚!」


 思わずガッツボーズを取った。これでワンセットマッチという短い試合を四回乗り越えた。南米系の新人を下したところで、私は賞金の獲得を約束された。


 十位以内の入賞で700$。優勝賞金は4000$にもなる。ここは大会のグレードでいえば下から二番目程度だが、日本での開催ということで世界中から様々なプレイヤーが来日していた。環境や観光的にも日本は人気の場所だという事情もある。


 ここで負けるわけにはいかない。今朝の出来事をふまえてなおさら覚悟がともった。


 次の試合まで一時間ほどある。栄養補給、ストレッチ、対戦相手の情報を確認していくことにした。


「次は……日本人ね。それにプロ三年目か」


 名前は春野朱美(はるのあけみ)。まだ二十歳で戦績の方はまずまずといったところだ。アジア中心の大会を回っているところを見るらしく、世界ランキングは300位台にいた。私より上だった。


 プレイスタイルはベースライナー。主にストロークで攻めていくタイプのようだ。この世代は特にベースライナーが多い気がする。おそらくそういうプロ選手に憧れた口だろう。私は早々にストロークの才能がないと見切りをつけて様々な形で展開していくスタイルになった。たとえストローカーが相手でも勝つよう常に仕上げてきた。


「次勝てば賞金が上がる。ランキングも上がるはず。ここが正念場」


 情報収集を終えたあとは試合まで待つだけだ。目をつぶって五月入りたての風を感じたいた。


 自分の道は自分で切り開く。

 昔からずっとそうやってきた。

 子供の頃からプロで勝ち続けるための覚悟を磨いてきた。

 確かに今は世界ランキング最底辺の女だ。

 たかだか一度の躓きがなんだ。

 

 私はこれから頂点にまで上り詰めて、そしてーー。


「なつみさーん、こっち向いて〜〜❤️」


 なんか聞こえるが気のせいだと思おう。試合に集中だ。余計な甘ったるい声に惑わされないだけのトレーニングは積んできたはずでーー。


「次勝てばランキング上昇間違いなし! がんばれがんばれ、なつみさん❤️ イケイケどんどんなつみーさん❤️」


 ああだめだ。腹の奥からムカムカがこみ上がってきた。


 甘ったるい声で私の名前を呼んで、意味の分からないことを口走る()()()に違いない。


 彼女の容姿が目に入った。

 ピンクベージュのボブカット。レディースのセットアップの服装。赤渕のメガネが無駄に目立っているが、目鼻たちはアイドルと思わせるほどの隠しきれない要素がにじみ出ている。

 女の手に持っているうちわには肖像権ガン無視の私の顔写真に、煌びやかな装飾が施されていた。端から見れば仕事帰りのアイドルファンにしか思えない。


 ちゃんと注意せねばならない。一人の大人として、プロとして集中の邪魔をしてはいけないと。


「あのさ、ちょっとだけ黙って欲しいんだけど」


「わっ、わあああっ、なつみさんがこっち見てるぅ。かわいい、かっこいい、愛しい〜〜❤️。かわち、かわち〜〜❤️」


「いやだから……」


「これ見てください! 夏海さんのかっこいいところを切り取って団扇にしてみたんです。次の試合でひとつのプレイ毎に掲げますからね」


「だ、か、らああ〜〜〜!!」


 もうたまったもんではない。私はその女に駆け寄って指を突きつけた。


「そういうのやめろって私何度も言ったでしょう!? つーか、なんで毎度毎度現れてくるのよ!」


 彼女はぽっと花が開いたように頬を染めて言った。


「決まってるじゃないですかー。わたしがあなたのことを愛しているからです」


 いじらしい眼差しで見つめられた。大半の異性が挙動不審になってもおかしくないかわいさ。だが私は動じない。たとえ愛の告白をされたとしても、平然と突っぱねることなんて余裕で。


「ああああ、愛してるとかっ、平然と言わないで!!」


 できるわけがなかった。愛しているなんて言われ慣れていない、というかほぼ彼女が初めて言われた。

 親や友人を除いて、私というテニスプレイヤーを応援してくれる人なんていなかった。 


「ふふ、そういうところがかわいいんです」


 彼女のなぜか私のファンだと語るこの女。そういえばOL風の格好で来たのは初めてな気がする。普段はもっとラフな格好だった気がする。そのたびに顔の印象が隠れるような感じでいながら、私に黄色い声をあげている。こんな応援のされかたをしたテニスプレイヤーは私が初めてだと思う。


 出会いは一年くらい前。

 彼女は突然の嵐のように降ってやってきた。日本のとある大会に参加した際、彼女は一回戦からずっと私の試合ばかりを見ていた。「冷やかし」か「本当に暇潰し」かのどちらかで、「ファン」の可能性は一割も思っていなかった。


 日本人でトップレベルに活躍している人ならいざ知らず、最高で100位ぐらいまでのテニスプレイヤーは、突出した容姿や経歴がない限りは注目すらされない。だからその日の大会の決勝で突然、応援をはじめたときはびっくりしてしまった。ちなみに大会には負けた。


 試合後、負けた私にねぎらいの言葉をかけるのと同時に「ファン」であることをカミングアウトされた。正直、私は心の底から舞い上がってしまった。最初の方は彼女を大事にしよう、頑張って試合の結果を出そうと思ったものだ。


 それから次の試合に来るようになってから彼女は弾けた。


 遠慮という遠慮がなくなり、私に対しての声援や歓声も持て余すことなく発露しだした。私としては応援してくれるのはうれしいが、試合中ものすごく悪目立ちするのだ。影響が自分だけならいい。相手にまでパフォーマンスに影響を及ぼすようになって、一部界隈で私がとんでもないファンがついているとささやかれるようになった。


 何度も派手な応援をやめるように注意はしてみたものの、それに屈するような彼女ではなかった。いまではSNSで「夏海応援アカウント」なるものを立ち上げているらしい。


 ちなみに、彼女の名前は知らない。

 それぐらい知ってもいいと思うかもしれない。ただ自分を好きだといってくれる人の名前を知ってしまったら、何か決定的な道へそれてしまいそうで聞けなかった。


 そもそもだ。

 別に嫌というわけではないのが正直なところだった、


「そろそろ行くわ。いい? くれぐれもほどほどの応援でね頼むわね!」


 次の試合が近づいてきたので、一応彼女に釘を差しておいた。立ち去ろうとした瞬間のことだった。

 

 背中にコツンと何かがつかった。次に温もりがやってきて、おなかの前に細い腕ーーいやその認識は一瞬で消え失せたがーー巻き付いていた。


 動揺を見せないために気を張ってみるが、残念ながら平静を装うだけの知識と経験がなかった。


「ちょっ、あんた。抱きつくのはやり過ぎーー」


「夏海さん。がんばれ」


 切実な声だった。何かを言う気が失せていく。この言葉を即席で返すのは失礼だと感じた。

 

「わたしのパワー、少しだけ注入しましたから。絶対に勝ち上がってきて」


 温もりが離れていく。歩調が早く遠ざかっていくのを耳にしながら、夏海は素直にこう思った。

 負けられない。

 たったひとりでも応援してくれるなら、勝利を望んでいぶてくれるなら。



 しかし私の願いとは裏腹に、次の試合はゲームカウント6ー4、6ー3というスコアで敗退してしまうのだった。



ーーーーー

ーーーー

ーーー

ーー



「……なんで」


 有明テニスの森から離れることができず、時刻は夕刻を迎えていた。結局、私と試合した春野朱美が優勝した。彼女はこれから勝ち続ける。私の直感がそうささやいていた。


 だとしても勝てない試合ではなかった。技術や経験は私が上回っていた。相手の分析も間違っていなかった。なのになぜ負けたのかいまいち分析し切れていなかった。


「もう私は、勝利に見放されてしまったの?」


 ふと父の言葉がよぎる。

 いつまで続ける気だ。

 あれは自分が自分に問いかけてるようでそれから目を背けたかったのではないか。


「なんでよ。私は、青春も生活も全てテニスに捧げたのに。それなのに、勝利一つすらつかめない」


 よくて準優勝を繰り返してかろうじて活動資金を得ているだけのテニス。そんなテニスがしたかったのか。プロのテニスプレイヤーになったからには、様々な大会で勝ち進み大きな大会で優勝を積み上げ、いずれは四大大会で名を刻む選手になるものではないのか。


 いつからこんな場所に甘んじるようになった。

 下の大会でくすぶって、崩れ落ちないようにしがみついて、それが私の求めていたテニスだというのなら、父の言葉は正鵠を射ているではないか。


 そこまで考えて、ようやく現実が目の前にやってきた気がした。もう口に出した方がいい。この言葉で苦しい思いから解放されるなら。


「私にはテニスの才能が……」


「ーーありますよ。夏海さんにはそれだけのテニスがあります」


 ふと目の前でそんな声が聞こえた。いつの間にか私はうつむいていたようで、目の前に誰かが立っていたことすら気づかなかった。


「あんた、どうして」


「推しが落ち込んでいるのに、励まさないファンがどこにいるんです」


 どこか誇らしげに彼女は言った。私を励まそうとしてくれているのはわかる。けどいまは、彼女の気遣いがむなしくさせるばかりだった。


「……でも事実よ。ここ何年も結果出してなくて、下の子たちがどんどん勝ち上がっていって。あんた、ファンなら知ってるでしょ。四年前に私を徹底的に倒した日本人女子テニスプレイヤーを」


「ええ、よく知ってます」


「そいつは今では世界ランク十位よ。そりゃ、私なんかボコボコにしちゃうに決まってる。人生全部捧げても届かないところなのよ。もう答えははっきりしてるじゃない!」


 全ては四年前に思い知らされた。

 決意するなら早くしたほうがいい。

 人生を間違わないならそれにつきない。

 そう言おうとして彼女をみた。おおよそ初めて、私のファンを名乗る女の真剣な顔で問いかけていた。彼女は言った。


「夏海さんは本気でそこへ行きたいんですか?」


「え?」


 一瞬、理解が追いつかなかった。いままで私が言ったことに対しての返答としては論理が飛躍している気がしたが、不思議と胸の中に入る一言だった。


「ずっと試合を見てきたからわかります。このときなにを考えているのかなーとか、どういう試合展開をしていくのかなーとか。でももっと本質的に、夏海さんにはないものがあります」


「私にはないもの……?」


 だからそれはテニスの才能で、と答えようとする前に彼女が言い放った。


「夏海さんは勝ちたいと思って試合をしていません。”勝たなきゃいけない”、”負けてはいけない”と思っていませんか?」


 腑に落ちる前に拒絶反応がでた。私は勢いよくたって彼女にまくしたてた。


「私は勝ちたいと思って試合をしてるわ! それに勝ちたいってことは、勝たなきゃいけないし、負けてはいけないってことでしょ」


「いいえ。それらは似ているようで似ていません。その証拠に夏海さん、三回戦で勝ったときにこう言いませんでしたか」


 ふと彼女の言った言葉でその台詞は思い浮かんだ。


「首の皮一枚……」


「これが勝ちたいと思う人の台詞とは思えません。一人のファンとして言わせてもらいます。この”負けマインド”を矯正しない限り、夏海さんが今後プロで活躍できる可能性はゼロです」


 全く持っての正論だった。反反抗心が彼女の一言ずつ溶かすような抑揚と言い回しで納得させてきた。

 だが残ったのは頭を覆いたくなるような絶望だ。前提として自覚できなかったことを顕在化できたとして、いったい私になにができるのだろうか。メンタルトレーニングを行うことか。それで本当に以前のように戻れるのだろうか。


「……負け癖が直って、前のように活躍できるか考えてるわ、私。世界ランク100位までいけたときの自分になれたらって。でもそれがすでに負けてるのよね」


 これは立派な現状維持だ。生存には必要で「生きていく」ためには足枷になることもある。



 口出せば簡単だった。ちょっと恥ずかしさが残るが、宣言としては上場だと感じた。宣言は覚悟を作り出す。そういえば子供の頃、練習前に目標を宣言させられたっけ。


「さすが夏海さん! 自覚すればあとは改善できます。これでわたしの活躍の場ができますね」


 自分自身の弱点を浮き彫りにさせた彼女に心からの感謝をしようと思ったところで、不穏な言葉をかぎ取ってしまった。わたしの活躍の場?

 すると彼女は懐からカードサイズのレザーケースを取り出し、そこから一枚の紙を差し出した。


「申し遅れました。株式会社クインテットの鈴井冬香(すずいふゆか)ともうします。最近できた会社なのですが、これから夏海さんをめいいっぱいサポートさせていただきますので、よろしくお願いしますね!」


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