稼いだお金の10%を貯金せよ
まずい、今月もピンチだ、、、
僕、アレン・トーマスは自分の財布の中身を確認して、ツーっと頬に汗が流れた。
なぜお金がないのだろう。つい先月も、いやその前の月もそのさらに前の月も全く同じことを考えていたことを僕は思い出した。
お金は確かにあった、ついこの間までは財布の中の硬貨が擦れあってジャラジャラと音を立てていたはずだ。
宮廷からいただいたお給与は3週間前にもらったばっかりなのにもうお金の底が見えている。というより正しくは底が干上がってしまいわずかばかりの硬貨がきらりとむなしく光っている状態である。
まずすぎる。これが僕一人だけの話であるならば、友達に頭を下げて居候させてもらったり、食費を抜いたりしてなんとかやり過ごすことができたかもしれない。
しかし、今や僕だけの問題ではないのだ。今も僕の帰りを待っている最愛の妻を飢えさせてしまうことになるであろう。
なんとかしなくては。
もっと寝る間を惜しんで働いたらいいのだろうか、上司に気に入られ昇進できるように取り計らってもらうか、しかし僕の仕事はそんなに給料よくないし、そんな親しい上司のコネもない。
軽くなった財布をポケットにしまいながら、どうしたらお金に苦労しなくて済むのか、とりとめのない考えが頭の中をグルグルと回り、思考の渦に飲み込まれそうになったとき、愛する妻が待っている我が家に着いたのであった。
「おかえり、アレン。お仕事お疲れ様」
「あ、ああ。ただいまエミリア」
家に入ると、僕の美しくて愛しい妻、エミリアがまるで向日葵が咲くような笑顔で迎えてくれた。けれども暗い闇の渦に溺れかけていた僕にはその笑顔が眩しすぎて、ぎこちない返事しか返すことができなかった。
「どうしたの?なにかあったのかしら?」
妻は首を捻りながら僕にそう尋ねてくるが、その質問に答えようにもどうしても僕の中の小さなプライドが邪魔をして、お金がないことをうまく言葉にできず、またその後ろめたさからつい視線が彼女の顔から明後日の壁の方に流れていくのだった。
「ねえ、ほんとに何かあったんじゃないの?」
「な、なにもないよ」
「あやしいわねぇ、、、」
「いや、ほんとに君が気にするようなことではないよ!」
そう言ってジリジリと僕との距離を詰めてくる妻に対して、僕は玄関の扉が背にあるため逃げることもかなわず少しのけぞりながら精一杯そう答えたのだが、その瞬間、彼女は綺麗な柳眉をキュッと吊り上げたのだった。
「嘘ね。だって貴方の視線が右上に流れる時はなにか後ろめたいことを隠しているときだもの。仕事で何かミスをしたの?また何か変な魔道具を魔道具屋のおじさんに買わされたの?それとも、私に言えないようなことをしてきたのかしら?アレン、キリキリ吐きなさい!」
完敗だ。僕を問い詰めてくる妻に対してどう取り繕ったところで質問に答えるまで逃してはくれないだろう。僕は己の小さなプライドの敗北を認め、素直に自分の現状を彼女に吐くことにした。というか吐かなかったらそこの壁に立てかけてある聖剣の鞘で僕はタコ殴りにされてしまう。
「怒らないで聞いてほしい。お金が、お金が今月ももうなくて、、、、、」
最後の方は蚊の鳴くような声だった。僕はモソモソと口を動かし、自分の今の現状を妻に伝えた。一方で彼女はどんな話が来てもいいように身構えていたのか、鳩が豆鉄砲を浴びたような表情で僕を見た後、自分の頭に手を当てて、深く、それは深くため息をついたのであった。
「呆れた。お金がないからしょぼくれてたのね」
「はい、、、おっしゃる通りでございます」
そうして、僕から事情を聴き終えた呆れ顔の妻はそう言って聖剣を片手に再度ため息をついた。ちなみに壁に立てかけていた聖剣をいつ彼女が手にしたのかはずっと彼女の顔を見ていたはずの僕にもわからなかった。ほんとに殴り殺される寸前だったのかもしれない。
「なあエミリア、どうして僕は毎日毎日一生懸命に働いているのにいつもお金のことを考えて、苦しい思いをしているんだろう」
僕は妻の呆れ顔を見ながら、彼女への申し訳なさと自分の情けなさでそうポツリと思わず弱音をこぼしてしまった。
「んー、そろそろかなと思っていたけど、やっとそのことに気づいたのね」
ところが、妻はそう言ってニヤリと頬を歪めた。ちなみにそんな表情すらも絵になるような美しさを彼女は秘めていたことをここに申し添えておく。
「いい?アレン、貴方はお金についての知識を勉強する必要があるわ」
「お金の勉強だって?そんなもの毎日の生活で使っているから勉強するも何もないと思うんだけど」
「そうね、けどそれは甘いわね。アレンはお金について知っているのではないわ。お金を使っているだけになっているのよ。それはお金の表面にすぎないわ。そうしてお金から逃げているといつかアレンもお金の奴隷になってしまうわ」
「奴隷だなんて!ちゃんとこうしてお仕事もしてお金を稼いでいるじゃないか!いったいどこがお金の奴隷になるっていうんだい!」
僕は思わずそう言ってしまった。お金の奴隷だなんてひどすぎる!家族のために毎日汗水たらしてお仕事を頑張ってお給与をもらっている僕がお金の奴隷だなんてあんまりだ!
「それを今からあなたに教えてあげるわ。ちゃんと付いてきなさいよ」
エミリアはそう言って僕に指を突き付けてキッチンのある部屋へと戻っていった。妻の好戦的な笑みと自信に満ちた表情は彼女が現役の剣聖だった頃と同じで、まるであの頃に戻ったかのような錯覚を覚えた。僕はしばらくそこに立ち尽くし、妻のご飯ができたと声が聞こえてきてようやくのろのろと動き出すことができたのであった。
「それで、エミリアはいったい僕のどこがお金の奴隷にだなんていうんだい?」
夕飯を食べ終えて、エミリアが淹れてくれたホットミルクを口にし、一息ついたところで、ソファーに座った僕の隣に腰かけたエミリアに対して僕はおもむろに尋ねた。
「そうね。少し長くなるから私の話を最後まできちんと聞いて欲しいわ」
「わかった。最後まで話を聞くことを約束するよ」
今ではすっかり長くなった髪を耳にかけながら、僕の瞳をじっと見つめて、彼女は語りだした。
「この世の中には、お金とお友達になっている人とそうでない人が存在するわ」
「お金と友達だって?」
「そうよ。前者はお金のことをよく勉強してお金を正しく使っているわ。それに対して、お金に使われている人というのは、せっかく稼いだお金をただただ浪費している人になるわ」
貴方のようにね。言葉にはしなかったが横目で見える彼女の目と表情が、雄弁にそのことを伝えているように僕は感じられた。
「日々頑張って稼いできたお金を欲しいものとかにそのまま全部使ってしまう人っていうのは、アレンに分かりやすく伝えるなら、常に魔力を放出し続けている感じね。いざという時には魔力、ここではお金なんだけど、その力がなくて空っぽという状態よ」
「なるほど、危険な状態というわけか。魔力の管理は、外で魔物とかと戦う時、生き残るためには必ず必要だからね」
「そう。それをお金で考えてあげたらいいと思うわ。常にどこかしらの余裕がないと心がカリカリしちゃうわ」
「それはいつも感じていたよ。ただ、考えてはいたけどもどうしてかお金が貯まらないんだ」
そううなだれる僕にエミリアは優しく微笑みこうアドバイスをくれた。
「まずは絶対に貯めるお財布を作ることをオススメするわ。もらった給料の10分の1をもらった日に分けておいて、残りの10分の9で日常生活をおくること。そうすれば意識しなくても10分の1を貯金できることになるわ」
「たったそれだけの金額でいいの?もっと劇的な改善方法を説明してくれるものだと思っていたんだけど、、、」
ついそうつぶやいてしまうと、エミリアはずいっと僕に顔を寄せ、真剣な眼差しで僕の顔を見た。
「いい?アレン」
「う、うん、、、」
「貯金は地味なの」
「地味、、、」
「そう、地味。コツコツと毎月毎日それが習慣になるまで刷り込み続けること。それがお金に好かれる第一歩になるわ」
正直に言うと、どんな話を聞かせてくれるのか楽しみにしていたんだけど、案外シンプルな話で拍子抜けしてしまった。けれども、その時の彼女の目は本気だった。そんなエミリアの表情すらも愛おしく感じてしまうのだから、僕の目はだいぶ妻に侵されている。
「ちなみに10分の1に取り分けた財布はどうしたらいいのかい?」
「あら?私が預かるわ。それなら貴方のつい引き下ろそうという甘い誘惑にもしっかり対応できるわ」
「そ、ソレハアンシンダ、、、」
なんということだろう。元剣聖が金庫番をかって出てくれるというのだ。これは僕も泥棒も物理的にお金を取ることができない合理的なシステムになっているな。と、来るか来ないか分からない泥棒に対して少しの同情を覚えながら、僕の給与を取り分けて貯金する生活がスタートしたのであった。
「バビロン大富豪」より