閑話「帰宅」 sideおじさん
お久しぶり?です。
今回はおじさん目線。多分次話も他の人物目線かもです。
朝日が窓から差し込んできて目を覚ました。
「……朝か。」
嫌な夢を見た。またあの日の夢。
ゆっくりと身体を起こしてダラダラと朝食の用意をする。
ずっとそうだ。
田舎に引きこもってから、何かが物足りない。胸の内に溜まった重い何かをため息とともに吐き出す。
伸びをして朝の散歩に行こうと扉を開けると一通の手紙が置かれていた。
「また騎士団の奴らか。もうあれから5年も経ったのにしぶとい奴らだ。」
しかしいつもと違う質感の手紙にふと違和感を覚え封を裏返して送り主を見る。
「クラシス家…マルティスか…。」
ギリッと歯を噛みしめる。
今更何の用があるというのだ。
赤黒い封蝋があの日を彷彿と思い出させる。突然襲ってきた吐き気で気分が悪くなって、浮かんできた光景を振り払おうと頭を強く振る。
封を開けると二枚の紙が入っていた。ざっと目を通すと一枚目には私の妹のこと、二枚目には自分の娘に剣を指導してほしいということが書かれていた。
彼女の娘を一目見てみたいという願望とともに、押し潰れそうな罪悪感が溢れて胸を埋め尽くす。
私は彼女の娘に顔向けなどできるだろうか。
無理に、決まっている。
ビリビリと紙を破き捨てる。
紙はあっという間に全て風に乗せられて飛ばされていった。
日が首元をヒリヒリと焼いていた。とっくに日は昇ってしまい夜明けの涼しさが薄れていた。明るくなった空を見上げる。遠くの空には雨雲がかかっていて、近いうちに一雨降りそうだ。
なんだか今日は何もする気が起きなくて、飲みかけのコーヒーをそのまま放置して寝転んで窓の外を眺めた。
窓をつたう水滴。
空が黒かった。雲が落ちてきて、そのまま自分を押し潰してしまいそうだった。
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またか。
最近毎日のように届く手紙にうんざりする。一度断りの手紙を出さなければわからないのだろうか。
ただただ自分の娘へ剣の指導を求める手紙。
本当は、迷っていた。
これが隠居生活に終止符を打ってくれるのではないかと思っていた。でも最後の一歩が踏み出せないまま一ヶ月ほどが過ぎた。
ある日の朝。いつものように置いてある手紙が今日はなんだか厚い気がして訝しげに封を開け中身を確認する。
紙に大きく書かれていた内容を読んで、しばらく動けなかった。しかしこの時、私は一度だけクラシス家の少女に会いに行くことを心に決めたのだった。
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久しぶりの馬車に揺られて砂利道を走る。硬い椅子に座るとすぐに尻が痛くなってしまった。この五年間であっという間に歳をとったような気がする。
流れ行く景色はやがて街並みへと変化した。山の麓の小さな町。遠くに見える女と少女の姿。
女は赤子を、少女はバスケットを持っていながらも硬く結ばれた二人の手。
水にさざ波が立ったかのように心が震えた。
美しかった。
眩しかった。
懐かしかった。
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花の咲いた小道が見える。
小さな少女が見える。
綿のように柔らかな手。少し力を入れたら砕けてしまいそうなほど儚い。
鈴のなるような笑い声。
満開の花のような笑顔。
愛しいこの子を大切に、大切にして生きていこう。
そう心に誓った。
景色が切り替わる。
そこは小さな部屋だった。
ベッドの脇にうずくまり、頰を涙が止まることなく滑って、少しヒリヒリとする。
そっと、小さな頬を両手で包み込む。
彼女が目を閉じたら、そのまま空中に消えていってしまいそうだった。
嗚呼、この子を守っていこうと、そう、決めたのに。
行かないでくれと叫んでも、届かない。
瞼が閉じて、だんだんと手の温もりがなくなっていく。
お願いだ、私を置いて、逝かないでくれ。
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目の前に大きな影が現れた。
無理だ、もう間に合わない。身体中が軋んで、素早く剣を振り上げることもできなかった。
すると目の前に、突然漆黒がたなびいた。
と、思ったら次は視界が真っ赤に染まる。
地面に新たに紅い花が咲いた。
倒された影と共に、あの人は崩れ落ちた。
嘘だ。私は人を守るために、強くなったのに。
あの子に、約束したのに。
互いの背を預け前線を守って来た戦友。
ああこの人には旦那も、まだ小さな子供もいるというのに、何で何も守れないような奴を庇って死んだんだ。
どうして、どうしてまた目の前で大切な人が死んでいくんだ。
もう、無理だ。
足掻いても足掻いても誰も守れない。
頭を振り、現実に意識を向けた。
昔のことだ。
愛しい娘と素晴らしい騎士団長。
そのどちらも守れなかった、愚か者の話。
気だるげなまま王都の門までやってきた。出発してからもう五日も過ぎていた。
部屋の引き出しにしまってあったからか、あまり姿が変わっていない身分証を取り出す。
憂鬱だ。
門の入り口まで歩いていくと列の向こうに見慣れた顔を見つけた。今日はアイツ、門番担当なのか。よりによって知り合いにあたるなんて運が悪い。
ローブのフードを目深く被り列に並び、自分の番が来ると出来るだけさりげなく身分証を出す。門番が中心に見るのは犯罪歴と職業だけだ。だから運が良ければ名前は見られない。
「ランス…あれ、もしかして団長ですか!?」
秒でバレた。仕方なくフードをとると、老けましたねと失礼極まりないことを言う。
団長という言葉につられて、ゾロゾロと騎士団メンバーが集まってきた。
ここで騒ぎ出しそうな雰囲気だったので
「ここは出入りの妨げになるからダメだ。」
と言ったら笑顔で提案された。
「じゃあ今日は飲み会っすね!おいみんな!今日は団長の奢りだー!いいっすよね団長!」
期待の眼差しで見つめてくる後輩たちに溜息が出る。
「はぁ……今日だけだぞ。」
周りから歓声が上がった。
そんな後輩たちを見て呆れながらもさっきまであった気の重さが少し消えているのに気づいた。
口元に浮かぶ笑み。
騎士団員に囲まれながら行きつけの居酒屋まで歩く。
夕陽があたりを優しく包み込んでいた。
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夜明け前。
飲み潰れた後輩たちを送ってから久しぶりの家に向かう。
持っていた家の鍵で扉を開けると馴染み深いカチャリという音が聞こえた。静かに扉を開くと影が覆いかぶさった。ゆっくりと視線をあげる。
「か、母さん…。」
目の前にそびえ立つ仁王立ちの母という壁。
その顔には怒りがありありと浮かんでいた。
「このバカ息子!」
乾いた音が響く。怒られる覚悟はしていた。
「この、意気地無しめ。本当に、本当に心配かけて。」
普段全く泣かない母親の涙に戸惑い、自分がどれ程の心配と迷惑をかけていたか思い知らされる。
「悪かった。」
背中をさすってやろうと伸ばし手をパシッと振り払われた。相変わらずの母に少しほっとする。
すると部屋の奥から重い足音が近づいてきた。柱の陰から現れたのは眉を吊り上げた妹であった。
「兄さん?クラシス家の騎士から兄さんが帰ってきたと聞いて今日は休みを取ってきましたよ。」
「あ、あぁ…。」
殺気がすごい。下手に動けば殺されそうなほどヤバイ。
「それで?なんか言うことがあるんじゃない?」
「迷惑をかけて申し訳ありませんでした。」
「それだけじゃないでしょ?」
「もうしません!」
サラの顔がフッと半分呆れたように崩れた。
「ただいま、でしょ。」
しばらく涙が止まらなかった。
やっと家族みんなが泣き終わると家族報告会が行われた。
「私は四年前からクラシス家で主にセレナ様のメイドとして働いてる。お母さんは小さな雑貨屋を経営してるわ。」
驚いた。サラは平民なのに公爵家の、それも長女の専属メイドなどになるなんて相当な苦労が必要だろう。
母さんは昔から手先が器用だったが人と話すのが上手くなかった。しかし経営しているのだったらそれなりの人付き合いが出来るようになっているということだ。
どうやらこの五年間で大きな変化があったらしい。
「兄さんのせいよ…。」
私の考えが筒抜けだったのかサラが呆れた声で言った。
「それで、セレナ様は今七歳。姿は…そうね、近いうちに見るだろうからお楽しみで。とても聡明で優しい子よ。表情は慣れない人が見ると無表情に見えてしまうけど。」
団長にそっくりなのだろうか。それともマルティン似なのか。
「あ、そういえば明日はセレナ様の最初の剣の授業だから。絶対行ってね。」
「まぁ、最初だけは行くがただの小娘だったら教える気はない。」
「あらまぁ。命の恩人の娘よ?その態度はどうなのよ。」
責めるような目で睨んでくる。
昔から実力のない者には教えないという主義を貫いてきた。だから騎士団の中でも私が隊長を務める第一軍団は全員相当強い騎士が集まっている。他の騎士達の憧れで、国や国民からも信頼されているのだ。
たとえ恩人の娘だとしてもやはり実力のない者には教えられない。これは譲れないのだ。
「まぁ、いいけど。明日分かるわよ。だから今日はゆっくり休みなさい。はい次、お母さんの報告。」
「私は三年前に店が立ち並ぶ大通りに前の店が潰れて空いた土地を買って、一昨年から雑貨屋開いたんだ。」
するとサラが目を輝かせながら言った。
「お母さん凄いのよ?雑貨がとても可愛くて性能も使い勝手もいいから爆発的な人気が出て、お姫様の文房具や小物を作ってくれって王家から直接依頼が来たのよ!」
王家から直接…ということは王家御用達のお店になっているということだ。
「私にも商売の才能があったのね…。」
とか呑気に言っている母さんはやっぱりどこか抜けていると思う。でもそんなふわふわしたキャラもお客さんに人気なのだとか。
「で、私が居ない間に二人とも大出世をしていたのか。」
「まぁ、そういうことね。」
妹が優雅に紅茶を注ぎ、くれた紅茶を一口飲んだ途端口の中に広がる甘みと香りに目を見開く。おそらく今まで飲んだ中で一番美味しい紅茶だ。こんなに苦味のない紅茶など飲んだことがない。
「どう、美味しいでしょ?」
と誇らしげな顔をする妹に頭が下がる。
この五年間、二人とも血の滲むような努力をしていたのに対して私は今まで何をやっていたんだろうと思う。
「なぁ、今からでも騎士団に戻れると思うか?」
「さぁ、やってみたら?あんたが引きこもってた間に副団長のシラクが鍛錬を重ねて凄く強くなってる。もし五年間一度も剣を握ってなかったら今のあんたじゃ敵わないでしょうね。」
剣を握らなかったことを少し後悔した。確実に今のシラクには敵わないだろう。また猛スピードで鍛錬を始めなければ。五年間の差を埋めるのには時間がかかるかもしれないが、いつか必ずまた団長の座に戻れるように。
やっと物足りないものが何か気付いた。
そして、今から、それを取り返すために生きるのだ。
「やっぱりあんたはそうでなくっちゃね。」
ふと気付けばニヤリと笑うサラと全く同じ表情が顔に浮かんでいた。
人にはそれぞれいろんな悩みや過去がある。