9「ベリーのパンと猪」
暑い…。。
皆様、熱中症にはご注意ください。
朝、いつもの習慣で日の出前に目が覚めると、ジラも丁度起きた頃のようでベッドの上で大きく伸びをしていた。
「おはよう。腹減った。」
「ん、おはよ。ちょっと待ってて着替えるから。」
眠そうだが食欲はあるようだ。ググッと伸びをすると、ジラに急かされながら急いで着替えてドアに鍵をかけ、食堂に降りる。
日が昇ってないので割と早い方だと思っていたが、既に食堂の半分ほどは埋まっていた。
部屋料金に朝食も含まれていたのでカウンターに行ってサンドイッチを受け取り、人が少ない席を選んで座る。
美味しくないから食べたくない、とブツブツ文句を言うジラを宥めながら、確かに少しイマイチなサンドイッチを、栄養補給だと思い口に詰め込んだ。
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一口食べて残したジラの残り物も食べ終わると、席を立ち部屋に戻る。
先程食べ残したジラが空腹を訴えてくるが、美味しくないからと残すなんて贅沢なものだ。どうせ飲食店が開くのはもう少し後なので、無視して荷物をまとめた。
「ご利用ありがとうございました〜。」
1時間後、宿主の声を背に宿を出ると、だいぶ人通りが増えていた。
「運んでくれ。」
人通りが昨日と比べて多いわけではないのだが、味を占めたのか抱き上げることを望むので仕方なく抱き上げると、腕の中で嬉しそうに耳がピンと立った。
彼曰く、小さくなっていると視界が低くて不便らしい。小型化してもらっているのは私の要望でもあるため、仕方がないかとため息をついた。
飲食店を探しながらしばらく歩いていると、ふとどこからかいい匂いがする。
「ふーん、パン屋か。ジラの朝ごはん、パンじゃ駄目?ついでに昼ごはん買えるし。」
匂いの出処を見ると、店主が焼き立てのパンを売り捌いているのが見えた。
「肉がいい。」
そう言ったジラの目線を追うと、パン屋の2個先に肉屋がある。先に欲しいのを選んでおくと言ったので地面に下ろすと、尻尾をふりふり肉屋に直行していった。
パン屋の前に着くと、既にたくさんの人だかりができていた。朝食のパンを買いに来た主婦の皆様だ。
その迫力に負けて、人だかりの外で右往左往していたが、無理そうだな…と思い肩をすくめた。丁度その時、戦利品を9つ詰めた籠を下げた女性が話しかけてきた。
「そこのお姉さん、そんなところにいたら買えないわよ。」
お、お姉さん…!ここに来て初めて女と認識されたことに喜ぶ。
「そうですよね…諦めようかと思ってたところで。」
「そんな弱気じゃだめだよ。ここの焼き立てパンは美味しいんだから。いいかい、まず買うパンの数分のお金を手に持って。」
何個?と聞かれて一つと返すと、少食ねと言いながら巾着から1ギム(100円)を出させた。
「このお金を手に握りしめて、押し入ろうとするんじゃなくて隙間に潜り込むように前に進むの。
ここは初めて?そう。だったらオススメはベリーのパンよ。ベリー1個と言って店主の手にお金を握らせるの。そうしたら基本買えるわ。向こうも慣れたものだし。」
「なるほど…やってみます。」
右手に硬貨を握りしめ、一瞬できた隙間に入り込むようにして前に進んでいく。ある程度それで前まで来れたが、最後はもはや力の勝負だった。力には自信があったので、人混みを一気にかき分けて店主に腕を突き出す。
「ベリー1個ぉぉぉ!」
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「で、買ったのか。」
「うん。良い戦いだったわ。」
ほくほく顔で紙袋とジラを腕に抱えて、森の中を歩きながらパンを手に入れるまでの経緯を聞かせると、ジラが呆れたように目を白黒させた。
ジラは少々ご機嫌斜めだ。
なぜかと言うと、先程肉屋に一匹で行ってお気に入りの肉を選ぼうとしていたのだが、肉屋の主人は肉を盗みにきた野良犬だと勘違いしたため物を投げつけ、ジラを店から追い出したからだ。
怒鳴られ、野良犬呼ばわりされたジラは大層プライドが傷ついたらしい。
肉付きの良い店主だったようで丸焼きにしてやろうかと思ったそうだが、人に危害を加えないようにという言いつけを思い出したジラは一旦引いて、遠くから魔法で店主の服を引き裂いたのである。
公衆の面前で全裸にされた店主のプライドは粉々だろうが、彼的にはその仕返しは十分ではなかったようで、不満げにしているのだ。
言いつけを守ってくれたことを褒めたら調子に乗り、ご褒美に抱っこしろと言われたので、こうして仕方なくパンの袋と共に抱えて歩いているのである。
「ねえ、そろそろ下ろしていい?昼ごはんの時間になってきたし。」
空を見上げ、太陽の位置を確認してそう言うと、ご飯という言葉に釣られたジラを易々と地面に下ろすことに成功した。
普通森の奥には魔物がおり、繁殖期である春から夏に近づくにつれさらに数を増やす。何故一度も襲われずに深い森の奥を横断できているのかはわからないが、魔物達なりに強い弱いの区別をしているのかもしれない。
お前の無意識に出されてる威圧に怯えてるんだろう、とジラがふんと鼻を鳴らしてそう言った。
ご飯に釣られて私の腕から降りた割にすぐ狩りに行かず、ジッと見つめてくるので、何故かと言う意味を込めて頭を傾げながら見つめ返した。
「…何故言わないとわからない。お前がその隠しきれてない魔力を消さないと飯が寄ってこないだろ。」
痺れを切らしたジラがイライラとしながらそう言う。
「…ああ、威圧って魔力のことなのね。人間相手ではこれくらい抑えとけば、余程わかる人じゃないと気がつかないからいいと思ってたよ。そういえば魔物はこういうのに敏感だって話だもんね。」
慌てて身体の周りから吸収するように魔力を減らす。
ジラはそれでいいと頷いて背を向け、狩りに行ってくると呟くと森に消えていった。
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「タイミング悪いなあ。」
ジラが自分の食料を狩りに行ってしまったので先に食べようかと近くの岩に腰掛け、美味しいと噂のベリーパンに胸を躍らせながら紙袋を開いた丁度その時、木の影から猪みたいなのが現れたのである。
食べるわけでもないのに殺す必要はないと思ったので紙袋を一度鞄にしまい直し、高めの木にするすると登って枝に腰掛けた。
下を見下ろすと、一瞬で手の届かないところに逃げられてしまったことにイライラとしている猪がこちらを睨んでいる。
まぁ…ほっとけば居なくなるよね。
気にしないことにして先程中断した昼食を再開することにする、紙袋からパンを取り出して大きく一口。
「美味しい。」
ベリーの酸味と絶妙な甘さが、ふわふわとして柔らかいパンと見事にマッチしてーー
ドスン、と鈍い音がして座っていた木が大きくブルブルと震えた。
チラリと下を覗くと、先程の猪が木に思い切り頭突きをかましていた。
「あ、止まって止まってーー」
ドスンッーー2回目。
木がみしりと嫌な音を立てた。
「折れちゃうから、待って」
悲しいかな。言葉が通じるわけもなく3回目の頭突きが放たれ、木が大きくミシミシと泣きながら地面に倒れた。
倒れる前に木を蹴って隣の木に乗り移っていたセレナはため息をついて折れた木を見下ろし、ピョンと地面に飛び降りると此方に突進しようとする猪を睨んだ。
猪はほんの少し睨んだだけでその場で動けなくなってしまい、ガクガクと震えている。因みに彼女に威圧とかいうものを教えてくれた人はいなかったので、単に睨んだ際に威圧が無意識のうちに出ていた、ということになる。
食べるつもりはなかったが…夕飯にでもしようか。このまま放っておいても面倒だし。
バンスさんから譲り受けた、彼が昔使っていたという剣を鞘から取り出して構える。
しかしその時、草むらからカサカサと音がなり、五匹の小さなウリ坊が顔を覗かせた。
なるほど。五匹の子供の母親だったわけだ。
「今回は子供に免じて許してあげるから、次からは相手を見極めて攻撃しなさい。お前が死んだら子供たちが路頭に迷うでしょう。」
言葉は理解できていないようだったが、睨むのをやめると猪は子供達を引き連れて一目散に逃げていった。
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「お前って相当変なやつだよな。」
ジラは猪達の件の一部始終を草陰から見守っており、彼らが去った後、咥えていたシカの魔物を下ろした。それをむしゃむしゃと食べながら、ジラが突然そんなことを言い出したのだ。
「ん、どうして?」
口に含んでいたパンをごくりと飲み込むと、不思議に思ってジラに尋ねる。
「お前に会う前は、人間は執拗に魔物を殺したがる野蛮な生き物だと思っていた。」
「うーん、まあ間違いではないわね。」
「でもセレナは本当に必要な時にしか殺さないだろ。」
それは…どうなのだろう。先程だって、子供達が現れなければ殺していたに違いない。でも、普通だったら子供が居たら獲物が増えてラッキーだ、と思うのかもしれない。何故私は彼らを逃すことにしたのだろう。
「まあ、魔物って人間じゃないからね。」
「どういうことだ?お前は人間でも殺さないだろ。」
「それはそうなんだけど…。」
うまく言葉にできない。頭の中で整理して文にするように努力したが、なかなか纏まらなかった。
そんな私をジラは急かさず、黙って私の言葉の続きを待ってくれていた。
ゆっくり、ぽつりぽつりと言葉を紡ぐ。
「世の中には本当に強欲で愚かな人間がいるのよ。人間はね、不思議なことに、同じ種族なのに殺し合って傷つけあう生き物なの。」
「ああ、センソウのことか。」
こくりと頷き言葉を続ける。
「動物を物だとしか思っていない人間は、自分達が動物達より何倍も馬鹿みたいなことをしていることに気がつかないの。貴方が旅に出て、それから暫く経った頃かな。森で子熊を見つけたの。私はその頃にはご飯を充分に食べれていなくて、お腹が空いていて。」
そこで言葉が詰まって黙り込んでしまったが、ジラはゆっくりでいい、と言って私を待ってくれた。
「…子熊が襲ってきたから倒したら、母熊が来たんだよ。取り敢えず木の上に登ってその後2匹まとめて捕まえようとしたんだけど…母親が子供が瀕死であることに気づいた途端、体を寄せて傷口を舐めながら、鳴きはじめたのよ。」
母熊は鳴いていた。
いや、恐らく泣いていた。
心から大粒の涙をぼろぼろと流して泣いていた。その声は聞いているだけでも、沁みるような悲痛と苦しみがじわりじわりと身体を焼く。
母熊の声が響く森の中には、いつものように鳥の鳴き声が軽やかなメロディを奏で、穏やかな風がサワサワと木の葉を揺らしていた。
その時、彼等の当たり前の日常を奪ってしまったことを知った。彼女が空気を吸い込んだ時、隣にいたはずの子供の匂いがすることは二度とない。
全てがいつも通りなのに、愛する我が子だけが消えてしまう。それはとても悲しいことに違いない。
「その時、魔物にも心があることにようやく気づいたの。国の洗脳教育が解けたのね。魔物にはそこらの人間より何倍も美しくて綺麗な心を持ってらっしゃる。」
多分私はあの時、『人』と同等の存在を殺した。きっと、そうなんだと思う。
「ふふ、そんな大層な理由じゃなくてごめんね。」
「はあ…人間がお前みたいなやつばっかりだったらいいのにな。」
人は幼い頃から、魔物は邪悪な生き物であると教えられる。それはほぼ洗脳に近いもので、急に変えられる意識ではない。
きっとそれを、彼も理解しているのだろう。ジラは私の答えを聞くまでもなく、諦めたようにため息をついた。
気を取り直して東へと歩きながら、しばらく会えていなかった時間を埋めるように止めどない会話が続く。そこから1時間ほど歩くと、スアディード国とミル王国との国境までやってきた。
木を切って砂利を敷いただけの、道幅1メートルほどの細い小道のような国境をぴょんと飛び越えれば、30分ほどで王都をぐるりと囲むようにある街に着く。
人目のない今のうちにジラに小さくなってもらい、腕に抱えて歩き出した。




