1「春誕生の伝説」
更新遅くなり大変申し訳ありません…。この話から第二章に入っていきます!
今日も夜が明ける前に目が覚めた。外はまたぼんやりと薄暗い。
ここに来てから、早くも三ヶ月が過ぎようとしていた。季節はちょうど、冬から春へと移り変わろうとしている。
ところで私の名前だが、恩人に対して申し訳ないと思ったが本当の名を教えなかった。万が一のことがあった時、二人に迷惑をかけられないと思ったからだ。私は二人に「マリ」と名乗り、身寄りがない平民で、この森に迷い込んだのだと説明した。名前以外はあながち間違ってはいない。身分は剥奪されたし、確かに私はこの森に墜落して迷い込んだのだから。
ドアの隙間から差す明かりから、すでに二人が起きていることがわかった。体を起こして伸びをすると、部屋を満たしていた甘酸っぱいベリーのような香りを大きく吸い込み、今日のお菓子はなんだろうかと予想をする。最近の習慣だ。
寝巻きから服に着替え髪をいつも通りおさげに結ぶと、ベリージャムクッキーと予想して扉を開いた。
「おはようございます。」
台所に立っているカーナさんに挨拶をすると、手を粉で白くしたカーナさんがこちらを振り向いて朗らかに笑った。
「おはようマリちゃん。今日はジャムクッキーだよ。」
予想が的中して喜びながらテーブルに視線を向けた。
そこにはもう焼き上がった、可愛い形をしたジャムクッキーが並べてある。オーブンにはもう一枚天板が入っているのだろう。香ばしい香りがオーブンから漂ってきていた。
次に焼くためのクッキーの型抜きをしていたカーナさんに顔を洗ってきますと言うと、タオルを一枚取り出し外に出た。春が近づいていると言ってもまだ随分と冷たい空気にぶるりと身を震わせて、魔道具である水道のような機械に魔力を流す。そうすると蛇口から冷たい水が出てくるのだ。冷えた水で顔を洗うとすっきりと目が覚める。
タオルで濡れた顔を拭いながら、魔道具とは便利なものだとしみじみと思った。
「マリちゃん、朝食用意できてるよ。」
家の中に戻ると机に朝食が乗せられていた。
こんがりと焼けたトーストにたっぷりとバターを塗ったそれは絶品だ。
時間がないので、味わいながらも急いで食べると、貴重な砂糖の代わりに蜂蜜がたっぷりと入った紅茶を一気に飲み干して席を立った。
明日は春を呼ぶお祭りの日だ。前々から準備を続けていて、今日準備がギリギリ終わらせられるかというところ。だから今日は街の人々もみんな早起きなのだ。
そう、春を呼ぶ祭りといえば、スアディード国にいる精霊の話をしないといけない。
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ここにはサラマニカ王国の教科書や本などには載せられていない、雪の精霊と呼ばれる精霊がいる。何故載せられていないかというと、雪の精霊は深い雪の降る森の中で暮らしているため滅多に彼らの姿を見た者がいなかったからだ。存在するかすら不確定な精霊なので載せられていなかったのだろう。
そんな雪の精霊がスアディード国で沢山見られる理由として、春誕生の物語が挙げられる。
昔々、スアディード国は長い冬と短い夏しかない小さな小さな国であった。
寒さの厳しいある日、食べ物が足りなくて空腹で苦しむ国民のために国王自らが狩りのために森に入った。余程食べるものがなかったのだろう。魔力を食糧とすることもできる魔物が精霊を捕まえているところに遭遇する。慌てて助け出した王様は、精霊が怪我をしていたため城に連れて帰り、数少ない食べ物を分け与えた。
人々の手厚い看病により元気になった雪の精霊は、森へと帰っていった。
後日助けた精霊と雪の精霊王から深く感謝をされ、雪の精霊達はお礼としてこの国に加護を授けた。そうしてスアディード国に春が誕生した。
確かそんなお話だ。内容がどこまで本当なのかはわからないが、この国が確かに雪の精霊の加護を受けている。
サラマニカ王国で暮らしてきたためか精霊の加護を受けている人間なんてとても少ないものだと思っていたが、この国では結構多くの人が加護を持っていた。不思議なことに生まれた時から加護が付いてる人はほぼいないが、後天的に付く人が多いのだとか。
雪の精霊が加護を授ける基準としては、心が清らかな子であること。子供に対して「いい子にしないと精霊様から嫌われるよ」という脅し文句があるほどだ。だからかは知らないが、この町にはいい人ばかりで、見ず知らずの私にもとても親切にしてくれた。そんなことを言ったらサラマニカ王国にもいい子はいただろう。けれど、私が住んでいた国に精霊はほぼいなかった。だから彼等に加護が付かなかったのだろう。精霊達はサラマニカ王国に好んで近づかない。
まあそんな理由でこの国の人々は雪の精霊を見ることができ、意思疎通をすることができる。
他の精霊達が属性別にそれぞれの力を持っているように、雪の精霊達は雪を自由に扱う力を持っていた。それを使ってスアディード国に春をもたらしてきたのだろう。
春を呼ぶ祭りのメインは、簡単に言えば雪の精霊達が集まり樹々や家々に積もる雪を一度に退かすという内容のものである。雪の精霊達がキラキラと集まりながら雪が空に舞い上がる光景はそれは美しいのだと聞いているが、雪を退かしただけで春が来るのだろうかとふと思ってしまう。まあ、私が知らないだけでそういう力を持っているのかもしれないけれど。
そもそも関わることが少なかったし、関わったとしても一般的な精霊魔法というものを使ったことはないので、属性に沿った力を使えるということ以外の能力については詳しく知らないのだ。根本的な問題として、私は雪の精霊を見ることができない。
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昨日夜遅くまで作業をしてようやく作り終えた飾りをバッグに詰めて自室を出る。ちょうど最後の天板の生地にジャムを乗せていたカーナさんの手伝いをして、それを焼いている間にせっせと焼きあがったクッキーを籠に詰めていった。
最後のクッキーが焼き上がったころ、早くから準備をしに神木様のところに行っていたバンスさんが戻ってきた。
神木様ーーそれは雪の大精霊が住むとされる樹齢千年ほどの大木のことだ。その神木の管理をするのが「管理人」という仕事。管理人は雪の大精霊によって決められており、命じられた者とその配偶者は死ぬまで神木様を守り続けなければならない。それに選ばれたのがバンスさんだったのだ。配偶者であるカーナさんも同じく管理人としての仕事を担っている。
焼き上がったばかりのクッキーを一枚食べてしまってカーナさんに怒られ、しょんぼりしていたバンスさんに、私の分だと渡されていたクッキーをこっそりと分けてあげた。
普段あまり表情の変化が分かりにくいバンスさんが、クッキーを頬張ると、目尻を下げて幸せそうに口の端を持ち上げるのだ。その顔を見るのが楽しくて小動物にご飯をあげる感覚でどんどんと口に放り込んでいると、カーナさんに「マリちゃん、爺を甘やかしたらダメだよ!それにあんたも!マリちゃんが優しいからって。断らないといけないよ!」と、今度はバンスさんと二人でお叱りを受けた。クッキーが一枚残っていたので袋を上着のポケットに入れると、準備の続きをしようと席を立った。
その後も色々とドタバタし、どうにか全員準備を終わらせて外に出ると、すっかり日は昇っていた。3人で一列になって小さな小道を歩いていく。夜に少しだけ降っていた雪はすっかり止んで、空には澄んだ青色が広がっていた。
ーーーー
町に着くと、あらゆるところで人々の話し声が聞こえた。町の中心ともいえる噴水のところで仕事に戻るバンスさんと別れて、カーナさんと、町の人たちの準備の手伝いを始めた。パン屋のおばあさんが小麦粉を荷台で運んでいたので、代わりに工房まで運び終え一息ついた時、町の人気の定食屋「太陽食堂」の看板娘、リアがお店の扉を開き駆け寄ってきた。
「マリちゃん、昨日頼んでいた飾り作れた?」
「はい、一応…。」
昨日頼まれていた飾りをバッグから取り出すと、リアは嬉しそうににっこりと笑った。
「ありがとうマリちゃん!…とても素晴らしいわ。うちの装飾品屋の叔父さんがマリちゃんをスカウトしたくなる気持ちがわかるわね。」
うんうんと頷きながらあまりにも褒めるので少々居心地が悪く感じてきたその時、リアがお父さんに手伝いに呼ばれ、ありがとうと手を振りながら店に戻っていった。
ちょっと安心してふうと息を吐くと、背後からこちらへやってくる足音が聞こえた。
「マリちゃんが昨日夜更かししてたのはこのためかい。人のことだけじゃなくて、自分のことも気にかけてあげるんじゃよ。」
視線を上に上げれば、こちらを微笑みながら見下ろしているカーナさんが隣に立っていた。
「私が好きでしていることなので問題ありませんよ。」
「でも、無理はしないようにしておくれ。」
頭をぽんぽんされながら無言で頷くと、手伝いに呼ばれたので慌てて後ろに駆け出した。
ああ、カーナさんといると、マリという仮面が剥がれ落ちそうになる。
パン屋のおばさんの手伝いで小麦粉の袋を店の中に運び込んでいると、カーナさんがみんなに笑顔でクッキーを配っているのが視界に映った。老若男女、みんな優しくて朗らかなカーナさんが大好きなのだ。笑顔で礼を言いながら受け取り、美味しそうに頬張っている。
カーナさんも、受け取る人も皆キラキラとした笑顔を浮かべていた。
あぁ、あそこに入れるようになりたいだなんて、自分には到底無理な話なのに。そう、いつもそうだったのだから。
お昼時、クラスメイト同士で集まって昼食を食べているのが少し羨ましかった。4年生になってからはダイアナと食べていたが、それまでの3年間、一人で外で食べることがほとんどであった。
一度、その輪に入ろうとしたことがある。
今思えばどこからそんな勇気が出たのかと驚くが、混ぜてくれと話しかけたのだ。
その後のことは、予想通りであった。みんな私の顔を見た途端話を止め、怯えたように震えて蜘蛛の子を散らすように逃げていき、誰もいなくなった食堂の一角で一人昼食を食べたことは記憶によく残っている。
私がいると、人を不快な気持ちにさせてしまうらしい。家族といる時もそうだった。父と母と妹で仲良く談笑している中に入り込むと、父は優しく迎えてくれたが後の二人は目に見えて嫌な顔をする。
袋を運び終え壁にもたれかかると、ポケットからクッキーの袋を取り出す。一口かじれば口の中でふわりと解けて、少しの酸味と甘味が広がる。
「ああ、…美味しい。」
影が長く伸びて、パレットに赤や青や紫、橙色の絵具が混ざり合うまで町中が準備に明け暮れた。
ここまで読んでいただきありがとうございました!
そして時間がかかるかもしれませんが、お待ちいただけると幸いです。




