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孤独な少女は、生きる意味を探す。  作者: インコりん
一章「エリカ」
24/42

19「エリカ」

今回とても長くなってしまいました。切ろうかと思ったのですが切りどころが分からず…。

吐いた息すら凍るような吹雪が吹き荒れていた。


視界は降り頻る雪で進むたった50cm先さえ見えないほどで、ただただ自分の進む方角を信じて北へ北へと飛び続けるしかなかった。


セレナの意識は過度な寒さと魔法の限度を超える使用により朧げな状態だった。けれど頭のどこかが飛べと言い続けるから、飛んでいた。始めと変わらぬスピードで、いやどんどんとスピードを増して。


身体は既に限界を迎えており、指先一つ動かなかった。けれど、不思議なことに飛んでいた。


お父様を助けたい。


その願いに取り憑かれたのか、動かない身体のどこにそんな力があるのかと疑問に思うほど飛び続けることができた…が。





「…!?」


地上からそれなりの高度を保っていたというのに、突然目の前に何かが現れた。ここの辺りは針葉樹の森だから50メートルを超えるものはないと思っていたのに。今の状態で避けられるはずもなく、ものすごい勢いで目の前のものにぶつかった。


(あまり痛くないな…)


木だったのか、うまく撓って雪がクッションの役割を果たし、大した怪我はしなかったように思えた。が、スピードを落とした身体はどんどん高度を下げていく。持ち直そうとしても身体がいうことを聞かず、立ち並ぶ木に立て続けにぶつかり、その度に木にどっさりと積もっていた雪が空に舞った。


やがてスピードの落ちた身体は降り積もった雪上にばさりと落ちた。雪が深く積もっていたからか、落下の痛みは感じなかった。


早く立ち上がらないと。


そう思ってはいるものの、身体は全く言うことを聞かず雪の上に寝転がったまま動かない。更にだんだん視界と共に意識も霞んでいくようであった。


ここまで飛んでこれたことだけでも奇跡に近いのに、もはやこれ以上飛べるわけがなかったのだ。ぷつりと切れた意識は、海に落ちたように深く深く沈んでいった。



ーーーーーーーーーー





年寄りの朝は早い。


日の出前の5時ごろ、朝食を終え食後の紅茶を片手に窓の外を見ると、昨夜今までにないほど荒れ狂うように降っていた吹雪が少しばかり収まり、ようやく外に出られる程になっていた。



「昼までには晴れそうだね。そうだ爺さん。薪がなくなりそうだから取ってきてくれないかい?」


暖炉の傍に薪が2、3本しかないのを目に留めて頼むと、彼女と長年連れ添ってきた夫はいつものように黙って頷いて外へ出て行った。




彼女の旦那は基本無口だ。別に怒っているわけではなく、単純にあまり喋ることを好まないだけなのだが。


昨日の雪はいつにも増して酷かった。先日街に下りた時に減雪結界の魔道具を買っておいたお陰で屋根が飛ぶようなことはなかったが、それでも雪が分厚く積もっていた。神木様は大丈夫だろうか。日が昇ったら見に行こうと決めたところで扉が勢いよく開かれた。



「婆さんっ、大変だ、女の子が落ちていた。」


「…なんだと?」


肩で息をする爺さんの腕には千切れた服を纏ったか細い少女が抱かれていた。その服には茶色く変色してはいるが、血痕が付着していた。


慌てて少女の濡れた身体を拭き、爺には見せないようにずぶ濡れの服を脱がせてタオルでぐるぐる巻きにすると、暖炉の前に寝かせた。幸いなことに生きているようだ。



「一体どこで見つけたんだい。」


「…昨夜の雪が酷かったから神木様を見に行ったら、積もる雪の量が他の木と比べて少ないことに気づいたんだ。そんな木が何本も線のように続いていて、その木々を辿っていくと一番端の木の下でこの子を見つけた。」


緊急事態だったからかいつもよりよく喋る爺が詳細を話した。どうやってかはわからないが、聞いたところ空から墜落したような状態だ。


どうやって空を飛べたのかという疑問もあるが、まずそもそも何故この子はこんなに薄い服で生きられたのだろうか。木に積もる雪が少なかったということは、この子がぶつかった後に更に積もるほど雪が降ったということ。


だとすると、この子が落ちたのはどんなに早くとも1時間ほど前だろう。なのに爺によると雪には埋まってなかったらしい。それどころかこの子の周りは雪が降っていなかったとかいうのだ。


「なんとも…不思議なこともあるものだね。」




その後タオルで髪を乾かしてやり、身体が温まったのを確認すると私の寝巻きを着せて布団に寝かせた。その頃にはもう日は昇り、雪が太陽の光を反射しキラキラと輝いていた。


眠っている少女の布団の中に湯たんぽを何個か入れてやり、ようやく一息つこうと席につくとすっかり冷えてしまった紅茶を啜る。すると、爺さんがいつもより険しい顔をしながら口を開いた。


「婆さん。あの子の親の捜索もあるし、食料を買い足すためにも町に下りなければならないだろう。」



確かに捜索は急がないといけないし、一昨日町に下りて3日分ほどの買い物を済ましたが、食料は2人分しかない。しかし今日はどうしても町に下りたくない理由が二人にはあった。


「はぁ…だがお前さんも知ってるように、今日は処刑が行われる日じゃないか。私達はあまりあの行事が好きじゃないだろう?」


「確かにその通りだが…私達の心情よりこの子の方が優先されるべきだと思う。」


「うーん…どうやら今回の罪人は晒し首になるらしいじゃないか。町の入り口に処刑場があるし、明日まで置いてあるんだから今日行くと嫌でも首を見ることになる。」


「……。」



罪人だからと言って誰が人の首を見たいというのか。処刑なんてこんな平穏な生活を望む国民が多い国ではなくて、そういうことも大歓迎な血気盛んな国に押し付ければいいだろうに。


「仕方がない。あの子のことのほうが優先じゃな。目覚めて元気になり次第町に下りよう。今日でも、明日でもな。」


紅茶を一気に飲み干すと、それぞれ仕事を開始するために席を立った。



****



身体はポカポカと温かく、柔らかい空気が頬に触れているのを感じた。一体ここはどこなのだろうか。


確か木にぶつかって、雪の上に落ちてそのまま気を失ってしまった気がする。なんでぶつかったのだったか…そうだ、空を飛んでいたのだ。

なんで飛んでいたんだっけ。


「…!?」


思い出した瞬間飛び起きると、全身が強く痛んだ。思わず顔を顰めながら鉛のように重い身体を動かし周りを見渡すと、そこは見知らぬ家のベッドの上であることがわかった。



「おや、起きたのかい。」


扉が開く音がしてそちらを見ると、木のトレーの上にお皿とコップを乗せたものを持った、白髪まじりの茶色の髪に鷲のように黄色い瞳をしたお婆さんが立っていた。



「…ッゴホ、ゴホ、すみません、みず…ほじいでず。」


喋ろうとすると喉が痛んで思い切り咳き込んだ。掠れた声を絞り出して水を頼むと慌てたようにお婆さんが小走りでベッドの傍まできて小さな机の上にトレーを置き、そのままUターンしてどこからか水を汲んできてくれた。それを一気に飲み干すと、冷たい水が喉に染みるようだった。


「…ここはどこでしょうか。」


「スアディード国の端っこだよ。お前さんは空から落ちたのか知らないが雪の上に墜落しててね。神木様にぶつかったのかーー「どうしよう、急がないと。」


「こらこら、どこに行くんだい。急に動いちゃいけないよ。」


お婆さんは急いでベットから出ようとした私をベッドに押し戻すと、まずこれを飲みなさいと温かいコップを手に押し付けた。


「薬湯だよ。取り敢えず全部飲みなさい。瀕死だったんだ。本来ベッドから起きられなくても不思議じゃないのじゃよ。」


貰った薄い緑色のお湯をごくりと飲むと、喉の痛みが和らぎ身体が芯から温まるような感覚がした。そして飲み干す頃にはだいぶ身体が軽くなり、痛みが少し引いてきていた。


「とても身体が軽くなった気がします。ありがとうございます。…あの、今は何時ですか。そしてここから処刑場まではどれくらいでしょうか。」


「ちょうど12時をまわったところじゃな。処刑場までは歩いて1時間ほどだが…もしかして処刑を見るつもりなのかい?そろそろ始まる頃だと思うが、あまりお勧めするものではないよ。」


「始まるところなのですか!?お願いします、道を教えてください。」


「うーん、もともと町に下りる予定ではあったのじゃが、こんなに早くなるとは…。なあ爺さん。」


驚いてお婆さんが声をかけた方を見ると、厳格な表情をした、白髪にオレンジ色の目のお爺さんが椅子に座ってお茶を飲んでいた。いつの間にそんなところにいたのだろう。


「…何故ここで俺に話を振るのだ…。…確かにこんなに早く行くことになるとは思っていなかったが、何か事情がありそうだ。連れて行ってやってもいいんじゃないか?」


「うむ、そうじゃのう。そうとなったら出発するか。そもそもお前さん、まともに歩けるのかい?瀕死だったんだ。立つのすら不安定だろうに。」


「大丈夫です。」


急いで立ち上がると、少し目眩がしたが問題なかった。ああ、早く行かないと間に合わない。


「早く道を教えてください。」


「凄いのう、歩けるのか。ここを出て、目の前に小さな小道がある。それを真っ直ぐ歩けば町に着くじゃろう。」


お婆さんが貸してくれたマントを羽織ると急いで扉を開いて外に出る。目の前には森の奥へと続く細い道があった。何故かそこだけは雪が積もっておらず、綺麗に道が現れていた。


「急いだらどれくらいかかりますか。」

「走ると30分くらいじゃろうな。」


先に行っていますと言い二人に背を向けると、返事も待たずに地面を強く蹴り道の先へ駆け出した。


背後からお婆さんの声が聞こえる。でも、止まって振り返れるほどの余裕はなかった。




スピードをどんどん上げて、走って走る。


「間に合え…。」


もし、お父様が死んだら。

それを考えるだけでも恐ろしくて全身に鳥肌が立った。


もうこれ以上何も失いたくなかった。お父様がいなくなれば、自分に残るものは何もなくなってしまう気がした。


勿論人間はいつか死ぬ。けれどそれは、今じゃない。


冷たい空気が肺を凍らせていくようだった。マントのフードを目深にかぶると、深呼吸をする。


大丈夫。大丈夫だ。


そう言い聞かせないと走れそうもなかった。早く行かないといけないと言う気持ちとともに、もし間に合わなかった時のことを考えると立ち止まってしまいたくなる。


この時間が今までで一番恐ろしいと感じた。町までの道のりが果てしなく長く感じた。



ーーーーー



息を切らしながら走り続けると、森から出たのか周りは木がなくなり、真っ白なキャンバスに一本線を引いたような道が続いていた。やがて、小さな町が見えてきた。


町を確認すると、スピードが自然と上がった。針が肌を突き刺すような風が吹き付けるが、気にしている暇はなかった。そのまま飛び込むように町に入ると、右側には人気のない処刑場が広がっていた。


「よかった、まだ始まっていなかっ、、」


処刑場の柵の前には罪状を書いた木の板が並べられていた。その下にはずらりと並んだものは…。



「いや…だ…嘘だ、嘘だ!」


駆け寄って順に顔を確認する。そしてすぐにその中からよく知っている顔見つけた。



「ぁ…」


銀髪。それは私の髪の色と全く同じ色だった。一歩一歩、ゆっくりと銀髪の男性の前まで歩く。


ぺたりと座り込むと、丁寧に顔に積もった雪を払った。


「いやだ……。」


人違いだ。その髪に雪でも積もっているに違いないと必死に髪を払い続けるが、雪が落ちてもその銀色は落ちることはなかった。


「いや…いやぁぁ!」


信じたくなかった。だって、お父様が死ぬわけがない。ほら、きっと背後から抱きしめて、大丈夫だと言って笑顔で笑ってくれる。


そう、信じていたのに。



「…どうして来ないのよ…だって、だって…」








死んだんだ。





なんて簡潔でわかりやすい答えだろう。当たり前だ。この顔は何度見ても私の父親、誰よりも愛していたお父様だった。

 

嗚呼、私がいけなかった。あそこであんな木にぶつからなければ間に合っていた。落ちても立ち上がってすぐに飛べば助けられたのに。


私は、楽な道を選んだんだ。


疲れていた。眠りたかった。いっそこのまま、死んでしまってもいいとすら思えた。ここで立ち上がらなければ、お父様が死んでしまうとわかっていたのに。助けられないとわかっていたのに。私は、一緒に死ねるならそれでいいと思ったのだ。


しかし今、お父様は死んだのに私は生きて、のうのうと息をしている。


(…最低だな。)



精霊の加護だとか、明快な頭脳だとか、魔法の才能だとか。そんなのいらなかった。だって、どんなに才能があったって大切な人を守れなければ意味なんかないじゃないか。


久しぶりに見た、シワの増えたお父様の顔にゆっくりと触れる。気温がとても低いからかあまり腐敗が進んでいない顔は、まるで生きているようであった。けれど、氷のように冷たい肌は命の灯火が既に消えたことを示している。


眠るように閉じたまぶたの先にある緑色の瞳は、もう二度と見ることができないんだ。もう二度と、あの優しい笑顔で笑いかけてくれることはないのだ。








どれくらい、そこに座っていたのだろうか。



「お前、そこで何している!」


分厚い毛皮のコートを羽織った中年の男が処刑場の中から慌てたように飛び出してきて、大声で怒鳴った。


「…貴方、名前は?」


「はぁ?…なんで俺が先に答えないといけないんだ。」


視線を男に向けて問うと、予想外の答えだったようで間抜けな声を出したがすぐに取り直した。


「まあいい。俺はこの処刑場の処刑人だろうが。で、お前は誰だ?此処らでは見ねぇ顔だな。」


何処かが、ぷつりと切れた気がした。



「処刑人…お前か。お前が殺したんだな…お前が…お父様を…。」


怒りで血がどくどくと流れて、視界が赤く染まったようだった。怒りのままに男に向かって飛びかかる。男が慌てて腰にぶら下げていた剣を引き抜いて構えるが、それを軽々と避け手首を足で蹴りつけると簡単に剣を手放した。雪の上に落ちるまえにそれを片手で受け止めると、男を地面に叩きつけて首に刃を突き付ける。


そして驚愕と共に怯えたような表情を浮かべる男の顔を憎しみを込めて睨みつけた。


「お前なんか…!」


死んでしまえ。


殺すつもりで剣を高く振り上げた。






 



しかし刃はいつまで経っても男の首に届くことはなかった。音すら立てずに男の傍に落ちた剣は、厚く積もった雪の中に沈んだ。


こんなの、ただの八つ当たりだ。

この人は悪くない。仕事なのだから。


悪いのは、シェリー達なのに。


何をしているのだろう私は。怒りに任せて無実の人間を私は殺そうとしたのだ。そんなの、あいつらと同じじゃないか。


怯える男を一瞥すると、ぼんやりと立ち上がり背後に顔を向ける。そこにはやはり呆然とした表情を浮かべたお爺さんとお婆さんが立っていた。



驚愕で見開かれている目と半開きの口を見て、善意で助けた女が罪人の娘だったなんて、不運な人達だと哀れんだ。いや、聖女様を虐めた罪で国外追放をされたわけだから私も罪人なわけだ。罪人なんかを匿っているなど周りに知られたら二人に迷惑をかけることは目に見えていた。



「…お世話になりました。本当に、ありがとうございました。」


先程の男がよろよろと立ち上がり衛兵達に助けを求めるためか処刑場の建物の中へと歩いていく。衛兵が来る前に逃げようかと町の出口へと向かうすれ違いざまに、二人にお礼を呟いた。




すると後ろから強い力でぐいと手を引っ張られた。


「…どこいくんだい。怪我人を放っておくほど心根の腐った人間だとは思われてないと願いたいんだけどね。」



そして次の瞬間、何が起きているのかわからなくなった。でもそれはとてもとても懐かしい感覚だった。


そうだ、抱きしめられているんだ。


じんわりとお婆さんの温かい体温が伝わってきてやっと理解することができた。


「ちょっとこれをつけておきなさい。あと、これを羽織っておくれ。」


お婆さんは腕を解くと、困惑して固まっている私にそう言いながら金色の腕輪を左手首に嵌めて、茶色の毛皮のコートを着させた。


「これで周りからは私と同じ茶髪と黄色の目の、おさげの少女に見えるようになっている。いいかい、今からお前を私の姪っ子ということにするから、合わせておくれ。」


有無を言わせぬその言葉に無言で頷く。

 


すると直ぐに処刑場から鎧をつけた男達が5人ほど出てきた。辺りを見渡していた先頭に立った男がお婆さんとお爺さんを視界に入れると、朗らかに笑って手を振りながら近づいてきた。


「おお、カーナ様、バンス様。お越しになっていたのですね。今日は処刑の日なので来ないと思っておりました。」


名前に様付けされている。二人はいったい何者なのだろうか。


「今日は姪っ子が遊びにきたから町を案内しようと思って来たんだよ。」


「カーナ様に姪っ子が居たなんて知りませんでしたよ。お嬢さん、よく来たね。この町は田舎だから大して何もないけど、みんなフレンドリーで明るい人が多いよ。そうだ、もう少し山を下れば王都があるから時間があれば行ってみるといい。」


おじさんがニコニコしながら握手を求めてきたので恐る恐るその手を握ると、ぶんぶんと大きく腕を揺らされた。


「よく私に似ているだろう。明日辺りにでも王都に連れて行く予定じゃよ。」


「そうなんですか。お嬢ちゃん、楽しんできてくださいね。」


「はい、ありがとうございます。」


するとおじさんが、ところで…と切り出し急に真剣な顔になった。


「先程処刑人のタンクが変な女に殺されそうになったとか言うので来たのですが、長いフードを被った長身の女を見ませんでしたか?」


「いいや、そんな女は見てないよ。」


「ですよね。姪っ子さんも小さいですし…。どうせ嘘だろうと思っていたんですよ。ほらやっぱり嘘だったんだなタンク。」


私は小さく見えてるのだろうか…と訝しげに思いながらタンクと呼ばれた処刑人の男が今回は本当なんだと喚いていているのをぼんやり眺めた。


「タンク、普段から嘘ついていたら本当のことでも信じてもらえなくなるぞ。では私達はここらで失礼するよ。暗くなる前に買い物を済ませて帰りたいからね。」


「ああ、お引き留めして申し訳ありませんでした。王都に行くときにここを通ることになるでしょうから、また明日会いましょう。」



手を振って彼等と別れたあと、

住宅街でお婆さんは知り合いに挨拶をして、その度に少しずつお喋りをしながら一通り衣服と食料の買い物を済ませた。


申し訳ないからと断ったのに、いいからいいからと買われた服が詰まった袋を両手に、三人で帰路を辿る。



黙りこくったままの私にお婆さんとお爺さんが心配そうな、何か聞きたそうな視線を向けているのを感じた。けれど、私はそれを無視した。今話す気力はなかったからだ。


家に着くと、余っていたという一部屋をお婆さんが貸してくれることになった。部屋の片付けをしているうちに、窓から空をオレンジ色に染め上げる夕日が見えた。




静かな夕食が終わり、初めて火で温められたお風呂に入った。部屋に戻ると暖炉に火が入れてあり、暖かい空気で満たされていた。明日お礼を言おうと決めるとベッドに寝転がる。窓から差し込む月明かりが綺麗だった。


そのまま目を瞑ると、何年も昔のことを思い出した。父がまだあまり忙しくなかった時のことだ。毎日朝起きるとお父様がいて、挨拶を交わす。私は前世では父がいなかったので、小さい頃は自分に父がいることが嬉しかったものだ。


それから仕事が忙しくなって、家に帰ってくる日も少なくなって、お義母様とシェリーから暴力を受けることが多くなった。でも、そのことは言わなかった。言ったらお父様が心配してしまう。私にできることは、お父様の心配事を出来る限り減らすことくらいだった。


学年が上がってお父様に仕事の手伝いをしたいとお願いしたことがあるが、結局大したことはできなかったっけ。公爵家に来る書類を確認したり、手紙を代筆したり。でもお父様は変わらずに忙しそうだった。それが、悲しかった。自分の無力さが憎かった。



お父様に家でのことを言おうと決意し手紙を出したあの日、サラはとても嬉しそうだったけど、私は不安だった。いつまで経ってもお父様からの返信が来なくて、嫌われてしまったのか、見捨てられてしまったのかと思うと怖かった。お父様の存在が私の心の柱となっていたから。


こうして支えをなくした今、どうやって生きていけばいいのかなんて全くわからなかった。お父様こそが私の生きる理由だった。お父様がいるから、どんなに辛いことでも頑張れたのだ。それが今、突然消えてしまった。なのに、なんでだろう。



涙が出ない。



悲しい、苦しい、泣きたい。泣けない。





夜が、更けていく。

ここまで読んでいただきありがとうございました!これにて第一章は完結です。こんなに長くなるとは筆者も想定外でした。

第一章、長かったですがお付き合い頂きましてありがとうございました。次章もよろしくお願いします。




エリカ…冬になると小さいピンクの花を沢山咲かせる。花言葉は「孤独」「寂しさ」。


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