エルフと鳥と、世界一の魔法使の娘
令和元年5月2日、当作品の参加企画「プロジェクト・ストラベル」を発表致しました。
下部ランキングタグよりリンクを張っております。企画内容はそちらをご覧ください。
参加希望の方は、乾マイページのツイッターから! あるいはなろうでDM下さっても反応します!
肌を刺すような夏の日差。その日差を浴びようと、思い思いに腕を広げる草木の葉たち。
雲ひとつない青空の下、それでもぱっと見た印象ほどは暑さを感じない。爽やかな風のせいなのか。茂る木々の枝が作る木陰のおかげか。柔らかい土に尻を受け止められたエルフの少女は、その痛みに耐えながらしばし周囲を見回し、ここがどういう世界なのかを見回して過ごした。
「……メル、大丈夫だった?」
肩に止まった青い鳥シェルフィが、少女――、メルに話しかける。
「痛かった」
眉間に皺を寄せながら、メルは答える。
腕輪は二人を安全な場所へ導く。そう、メルはシェルフィから説明を受けていた。
「はずなんだけど、あんまり安全じゃない場合もあるの?」
「うーん……、メルの尻の守備力とここの柔らかい土の攻撃力に鑑みて、総合的に危険値に達する程のダメージは受けないっていう判断じゃないかなぁ」
「緩すぎない? そもそもダメージゼロのやり方を選んで欲しいんだけど」
首を傾げるが、それ以上シェルは答えようとしない。この鳥、やっぱり説明書としては欠陥品だと思うなぁ。はぁと大きく、メルは失礼な溜息をついた。
――ガサガサと、音がした。
あれ、これは風の音とかじゃないな。メルなりに慌てながら、しかしどう見てものんびりとした動作で後ろを振り返る。
灌木の茂みを掻き分けて、少女がこちらを覗きこんでいた。
自分の好きなハーブティと同じような色をした長い髪の、緑の瞳の少女。外見年齢では自分と同じくらいか、少し下か。白いブラウスの胸許に赤いリボンタイを結び、腰から下は茂みの陰、恐らく紺色のロングスカートを履いている。
「あ、あの、大丈夫ですか?」
おずおずと怯えたような目で、しかしメルのことを気遣ってくれるのだった。
「あ、うん。大丈夫。お尻が痛かったんでちょっと休んでただけだから」
答えて、立ち上がる。手に持った白銀の杖に体重をかけ、よっこいしょと年寄りじみた掛け声。パンパンと空いた左手で尻を叩くと、顔にかかった玉子色の長い髪をかき上げ、ポニーテールを背中に回して表情を整えた。
「せっかくだから、ちょっと教えてもらってもいいかなぁ? 実は探し物をしてるんだけど」
「え? 探し物、ですか?」
「ええ、探し物。この世界で、何か特別な剣か、鏡か、宝石の噂って聞いたことない? あるいは特別な人の噂とか」
「……それ、全部探してるんですか?」
少女は目を丸くして、メルの質問に質問で返してよこした。なんとなくきょとんとしたその顔に、かわいらしさも感じてしまう。
「ティリル、どうしたの?」
と、もう一人分声がした。
声の主はすぐに姿を現す。ティリル、と呼んだ香茶髪の少女を求めてきたのだろう。小走りに近付いてきた黒いロングヘアの彼女が、メルの姿に気付くまでには、三秒ほどの間があった。
「ん? ええと、誰さん?」
そしてようやく気付いたと思えば、ずいぶんフランクな話しかけだ。
「あ、ええと、誰さんでしたっけ?」
ティリルはティリルでまた質問を重ねてくる。ああひょっとして、この子は少し天然なのかな。メルは心中で一人納得した。
「まだ自己紹介とかはしてなかったよね。
私はメルロンド・アァデンフョルム。この鳥はシェルフィよ」
「あ、ホントだ、ご挨拶してませんでしたね、すみません。私はティリル・ゼーランドです。こちらはルームメイトのミスティ」
「ミストニア・ルーティアです。ええと、どなたか存じないけどよろしくね、メルロンドさん」
二人は清々しい笑顔で、メルに手を伸ばし握手を求めてきた。この世界は握手の文化がある世界なんだな、と冷静に分析しながら、メルは笑顔を作って二人の手を握り返す。自分の手は少し汚れていたけれど、二人とも気にかけず、土くれが付いた手を振り払う素振りも見せなかった。
「で、メルロンドさん?」ミスティが、改めて視線をまっすぐにメルに向けた。
「メルでいいよ」
「ああ、じゃあメルさん。えっと、見た感じこの学院の生徒じゃない気がするんだけど、ひょっとして不法侵入者さんなのかな?」
穏やかな口調で、質問された。
どうやら敵意はまだないようだけれど、多少の警戒はあるのかもしれない。肩のシェルが、軽く羽を動かす。慎重にね、という合図だろう。わかってるよとほんの僅か肩を持ち上げて返事にした。
「ここは学院なのね。っていうことは、二人は学生さん。不法かどうかって聞かれたら、手続きは取ってないから不法なのかもしれないわね。でも悪気はないの。ただ探し物をしていたらここに出てしまっただけだから」
「出てしまった? っていうかどこから入ってきたの?」
「異世界から、直接」
べし、とシェルが羽でメルの顔を叩いた。
痛ぁい、と鼻を押さえる。瞬間の出来事に、ティリルが慌てながら「大丈夫ですか」と近寄ってくれた。
「えあ、う、うん。大丈夫。ちょっと鳥に怒られただけ」
「は、はぁ」
シェルがまた、ひとつ深い溜息をついた。メルの失言を憂いてのことだろう。そもそもメル自身は、自分の発言を失敗だなどとは思っていないのだが。
「そういえば、メルさんは探し物をしにいらしたんですよね。ええと、剣と、鏡と、宝石と、あと人でしたっけ?」
「なにそれ。多くない?」
ミスティも、ティリルと同じ感想を抱く。多いかなぁ、多いか。うん。なんとなく納得しながら、メルはそれぞれ詳しく説明しようと口を開き、――そして遮られる。
「ちょい待ち。込み入った話になりそうだしさ。場所、変えない?」
さすがに暑いわ、と手のひらで自分を仰ぎながらミスティが提案した。そういえば、とメルも先ほどから額を汗が走っていることに気付く。素直に頷き、彼女の後について歩くことにした。
案内された先は、人の疎らな食堂。今は食事時ではないらしい。隅の方の席に三人と一羽陣取ると、他の声はほとんど聞こえない位置になった。「今日は闇曜日だしね。みんな外に出ちゃってるんだと思うよ」とはミスティの言。闇曜日の意味は分からないが、人がいないのは望むところだ。メルもシェルも、人混みや喧騒は得意ではない。
「それで、剣と鏡? あとなんだっけ?」
「ミスティ、宝石と、人だって」
「ああそれか。剣なら何でもいいわけ?」
そんなわけない、とメルは首を横に振った。シェルを机の上に下ろしたので、首を動かしやすくなった。鳥は頼んだハーブティについてきた焼き菓子をつついて食べている。あげた覚えはないのになぁ、とメルは小さくため息をついた。
「私が探しているのは、特別な法具。世界を渡る力を持つ、特別なものよ」
「世界を渡る?」
「そういえば、先程も仰ってましたよね。異世界からいらした、とか」
「ええ」素直に頷く。手の甲をシェルがつついてくるが、軽く弾いて無視した。
「異世界って、どういうこと?」
ミスティが、眉をひそめた。
「あなたたちの住むこの世界は、数多ある世界の中の、たった一つに過ぎないわ。誰の住む世界もそう。通常、世界はとても広くて、その外側なんてものを観測できる人は滅多にいないけれど、でもどの世界にも果てがある。そして、その外側には別の世界が。この世には数えきれないほどの世界が存在しているの」
「あなたは、別の世界を観測できるっていうことですか?」
「んー、正確には観測はできないわ。探し物を追って、様々な異世界を渡ることができる。それが私の力」
さらに正確に言えば、私の力でもなく、持っている腕輪の力だけどね。補足する。どうしてそこまで正直に話しちゃうのかなぁとシェルは完全に呆れ顔だ。構わない、この二人は信用に足ると判断したのだ。メルは首を傾げる青い鳥を捕まえ、無理矢理翼を広げさせる。
「ちなみにこのシェルは、ただの鳥じゃなくて腕輪の守人」
「うでわの」「もりびと」ミスティとティリルが声を連ねて復唱する。仲が良いのだなぁ、とつい口許を綻ばせてしまう。
「はい、シェル。自己紹介」
「ちょっと! こんなとこで軽々しく僕のことまで喋っちゃうなんて!」
掴まれた翼を振りほどき、シェルが不満を顕わにする。ただ、その一挙動だけで自己紹介としては十分だった。意思の疎通がとれる鳥。何を語るより雄弁な一場面だろう。
「鳥が……」「喋った……?」本当に仲がいいなぁ、この二人。
「えふん。……ま、まぁ。そういうわけです。鳥が喋るのがおかしい世界もあるし、黙っていた方がいいと、僕は思ってたんですけどね」
「本当に異世界から来たんだ」
ミスティが目を輝かせた。ああ、これがその証明になるのかと、メルは奇妙な心持でこめかみに指を当てた。
「で、とりあえず特別な力の宿った法具を探しているわけなんですけど、お二人は何かご存じないですか?」
シェルが話を続けた。
その隙をついて、メルは彼の食べ残しの焼き菓子に手を伸ばす。「ああっ」と不満げな声が聞こえたけれど、気にしない。
「聞いたことないわねぇ。特別な剣とか鏡とか?」
「私も、です。特別な人って言われたらシアラ・バドヴィアかなって思いますけど」
「シアラ・バドヴィア?」シェルが聞き返した。
「ふぃあら・わろうぃあ?」メルも口を動かす。菓子を咀嚼しながら。
「あなたたち、本当に異世界の人なのね。シアラ・バドヴィアを知らないなんて」
ミスティが感心して息を吐いた。だからそう説明した、と思ってみても仕方がない。異世界の存在を想像すらしたことがない人が、自分たちのことを異世界人だと、何をもって実感するかは逆にメルの立場では想像し難いところだ。
「バドヴィアは、世界一の魔法使と称される伝説の人物よ。このエネアの大陸全土を巻き込んだ全島戦争を、ほぼ独力で終結させた、稀代の英雄」
「魔法使? この世界にも魔法があるんだ」とメル。
「魔法がない世界、ていうのもあるの? 想像できないけれど」
「あるわ。むしろ魔法がない世界の方が多いかもしれない」
「そうなんですか?」ティリルが驚きの表情を見せた。
「この世界の魔法の仕組、簡単に教えてもらえる?」
「え? ええ、いいけど」
少し訝りながら、ミスティが口を開いた。この二人の関係性だろうか。大事な話はミスティが口を開くような気がする。
ミスティの説明の要点をまとめる。つまり、この世界には『精霊』という名の、目に見えない微細な物質が存在している。これは不思議な特性を持っていて、人の意に反応し、実際の現象を変化させる。
「ただ、これには特性があって、精霊を反応させられる人、つまり魔法を使える人は限られている。生まれつきの部分が大きくて、魔法適性のある親の子は、やっぱり魔法が使える割合が高いわ」
ふむふむと頷きながら、頭で話を整理する。
頭で話を整理しながら、人差し指を立てて一つ炎を出してみる。
ぼっとこぶし大の炎が指先に灯った。
「え、あなた、使えるんだ!」
「そんな大きな炎をそんなに簡単に……。すごいですね」
身を乗り出して見つめられると、メルも少し居心地が悪くなる。彼女はエルフの血筋。大体の魔法は、見聞きしただけで使いこなすことができるのだ。
しかし、これは――。
「メルの魔法の才能は、この際どうでもいいよ。とりあえずこの世界でも魔法が使えるってことが確認できれば十分だ」シェルがばっと羽を広げた。「それより、そのバドヴィアって人物の話が聞きたいな。世界一の魔法使? 会いに行けるかな?」
「え、そりゃ無理よ」
期待を込めたシェルの言葉に、ミスティが素気無く答える。
ええ、なんで? 思わず子供のような言葉づかいで聞き返してしまった。対する二人の回答は、単純で非常に明快。
「だってバドヴィアは」「もう、死んじゃいましたから」
「バドヴィアの遺物?」
書物があちこちに散乱し、足の踏み場は書物の表紙の上ばかり、という雑然たる部屋。食堂を出たメルが、再び二人に案内されたのは、この地震の後の書庫のような部屋で一人机に向かっている、頬のこけた老人の元だった。
「はい。この方が、何か特別な力を持った法具か、そういう人を探しているんだっていうことで」
「誰だ、そいつは」
「あ、ええと、成り行きで協力することになった、ほとんど知らない方なんですけど……」
少し困った顔で、ティリルがメルの紹介をぼやかした。
ごまかすのが下手だなとは思うが、選択肢自体は正解だろう。誰彼構わず自分の正体を明かされるのは望まないところだし、学院的に見ればメルは不法侵入者だ。
「ちなみにこちらはフォルスタ師。この学院の教師で、バドヴィア魔法論研究の第一人者よ」ミスティがこっそりと耳打ちしてくれた。なるほど、と頷いてみるが、実際よくわかってはいない。
「ふん。まあ、興味もないがな。
バドヴィアが剣だの鏡だの、何かしらの法具を用いていたという話はないな。もちろん一人の人間だったから、気に入りの小物などはあっただろうが、私もそこまで込み入った話はしたことがない」
フォルスタは、あらゆることに興味薄そうに、鼻を鳴らしてそう言った。メルが何者でも興味はない。そのこと自体はありがたかったけれど、メルの目的にも興味を向けてくれていないのは少々不満だった。
「……知らないんじゃしょうがないよ。こんな爺さんにもう用はないんじゃない?」
ぼそっとシェルが、辛辣な感想を残す。
同意するものの、口を開く迂闊さは注意しないといけない。ぐりぐりと、鳥の体を頭で押してやった。
「何ならお前自身の方が持っているんじゃないのか? 何か、渡されたものとかないのか」
フォルスタがティリルに言う。この老人は、ティリルには多少興味を向けるらしい。
「あの、先生。お忘れかもしれませんが、私、母と直接何か話した記憶は」
「にしても、父君を通して受け継いだものとか、何かないのか?」
右手を口許に当て、えぇと難しそうな声を漏らすティリル。その様子を眺めながら、メルは一つ疑問を抱いた。ティリルの父母が、何の関係があるのだろうか。
「シアラ・バドヴィアはティリルのお母さんなのよ」
「え」
思わず声を漏らす、メルとシェル。
この世界における、バドヴィアなる人物がどれくらいすごいかは理解した。それはもう、魔法の実力に照らせば神人かもしれぬと十分に疑えるほど。
その血を引く実子であれば、ひょっとして、ティリルにも神人の力が使えるのではないか? 異世界を渡り、作り出すための法具を齎してくれるのではないか。
「いやでも、あのぼーっとした娘が?」
シェルが眉間に皴を寄せながら、期待を現実に引っ張り戻してくれた。うん、そうだよね。もしそれだけの才能を持っていたとしても、あの娘だと、開花させる前に寿命が来ちゃう気がする。
とりあえず何も思いつかなかった様子で、ティリルは自分の師に頭を下げながら研究室を退室しようとする。会釈だけして、メルも彼女に従った。
「お母さんからもらったものなんて、洋服しかないです。お父さんは剣を持っていたけど、ウェルにあげちゃっていたし……」
「ウェル?」
「あ、幼馴染なんです。二つ年上の、男の子」
ふぅん、気のない返事をする。その剣が法具の可能性もないわけではないけれど、話を聞けばウェルというその少年は十代前半にはその剣を振り回していた、という。求める法具、そう簡単に扱える代物ではないと思うのだ。
「あら、ゼーランドさんじゃない」
廊下を歩いていたところ、背後からティリルが名を呼ばれ、振り返る。
黒髪の、釣り目の女性が胸を張りながら立っていた。半歩後ろに、ツインテールの背の低い女性と、ベリーショートヘアに穏やかそうな表情の背の高い女性、三人。
声が届いた瞬間、振り返る前に、メルは空気がひりつくのを感じた。腕組みをしてこちらを、とりわけティリルを睨みつけている黒髪少女たちが、好意的でないことはすぐに把握できたけれど、顔も確かめる前からティリルとミスティも臨戦態勢を取っていたのは少々意外だった。この二人でも、誰かに強い敵意を抱くことがあるのか。長閑で穏やかな印象だったのだが。
「……何の用ですか。アルセステさん」
「おお、怖い。挨拶をしただけじゃない」
欠片も怖がる様子を見せず、アルセステ、と呼ばれた黒髪が目を細める。
「そちらの方は誰? まさか部外者じゃあないでしょうね?」
「だったら何? あんたには関係ないでしょ」ミスティが挑発的に答える。
「大ありよ。学院内に部外者を通すなんて、許されることではないもの。もし本当にそうなら、さっそくあなたたちのことを追放しなくちゃ」
「にしし。ずいぶん大胆だよねー。今センセーのとこから出てきたでしょ?」
独特な笑い方をする、これは向かって右側のツインテイル。
「まさかフォルスタ師もこの件に加担されてるいるのですか? とんでもないですね」
こちらは左側のベリーショート。なるほど確かに鬱陶しい。ティリルとミスティが敵意を剥くのもわかる。
「私はメル。この場所にはたまたま迷い込んだだけよ。探し物を見つけたらすぐに出ていくわ」
「あら、そうなの」
メルが少しきつい口調で言うと、素っ気なくアルセステは鼻を鳴らした。メルが本当に部外者かどうか、そんなことはどうでもいいらしいと、人の感情に大して鋭くないはずのメルでもすぐにわかった。
ああ、ちょっとムカつくな。メルは上唇をペロリと舐め上げ、もう一度アルセステらを睨みつけた。やっちゃおうかな、と右手に魔力を集め始めたが、シェルに翼で顔をはたかれ止められた。
「あ、あなたたちは何か見なかったかなぁ? 鏡とか、宝石とか!」
そして、シェルは器用にメルの声色を使ってアルセステたちに話しかけた。憎たらしいほどうまい。ティリルとミスティすらも、シェルが喋ったことに気付いていないようだ。
「さあ、知らないわ。というかあなたの探し物は、鏡なの? 宝石なの? はっきりしないわねぇ」
「にひ。宝石なら、ゼーランちゃんが盗んだんじゃないの?」
眉を顰めるアルセステに、キシシと歯の隙間から空気を零すツインテイル。そんなことしません、と本気で主張するティリルがかわいらしい。そもそも盗まれたものではないのだから、そんな可能性は欠片もありえないのだ。
「そういえばゼーランドさん。以前のお洋服には、何やら、胸元に赤い宝石をつけていらっしゃいませんでした?」
今度はベリーショートが言い出した。
「以前の? 宝石が付いた洋服なんて私――」
「あれじゃない? ティリルが編入してきた日も着てた、黒のケープとスカートの」
反論しかけたティリルに、ミスティがふと記憶の照合を求めた。予期せぬところから言われ、ティリルがきょとんと動きを止めた。まさかミスティが、ベリーショートの言葉にかぶせるような言葉を口にするとは思わなかった。そんな表情だ。
「黒のケープとスカートって……。え? ユリから着てきた服?」
「うん、多分そう。あの服、確かケープのボタンに宝石がついてなかった?」
「え……。自分でも全然気付いてなかった。でも、だとしても最初からだよ! あの服は、元々お母さんの服だったって言って、お父さんがくれたものなんだもの」
「わかってるわよ」ティリルの必死の弁解に、ミスティが苦笑しながら答える。「いちいち言わなくていいの」
メルは、その話を聞いて、ひとつの可能性に辿り着いた。耐え切れず、場の雰囲気を全く無視して、ティリルに話しかける。
「ねえ、その宝石のついた服って、見せてもらえない?」
「え……、お部屋にしまってありますけど、来てくれればすぐに出せますよ」
「ほんと? よかった。その服、件のシアラ・バドヴィアにもらったっていうことなのよね?」
「あ」
メルが、気付いたことを口にすると、ようやくティリルとミスティも口を開けた。
「そうですね。確かにあれも、バドヴィアの……、お母さんの持ち物だった」
「そうとなったら見に行きましょ。もう、それくらいしか思い当たらないでしょう」
うん、と頷くティリル。そうか、じゃあこれが違ったらこの世界は諦めるべきかと、メルも覚悟する。落胆には慣れている。そこまで大きな期待はかけぬが、可能性が0より大きいものを見逃す気もない。
「ちょ、ちょっと待ちなさい! 私のことを無視しようなんていい度胸ね」
「ああ、悪いね。ちょっと急用ができたんで。用事があるならまた今度ね」
「あ、あとアイントさん。あなたのおかげで思い出せました。ありがとうございました」
あとを追いかけてきそうな剣幕のアルセステに、ミスティがぞんざいに右手を振る。ティリルはそのあと、メルが初めて聞く名を口にしたが、恐らくベリーショートの名前だろう。
踵を返した二人は、それ以上何も言わない。ろくに自己紹介もされなかった自分が、挨拶を残す筋合いでもないだろう。メルもシェルを肩に乗せたまま、会釈一つ残さずティリルたちの後を追う。
「なんて失礼な! あなたたち、あとで覚えていなさいね!」
ヒステリックな声を上げるアルセステ。早足に階段を下りていくティリルとミスティが、「アルセステさんのあんなところも珍しいですね」「ってかあんな常套セリフはないでしょ」などと話している。
肩の上のシェルが一応、形式だけ、「あんな態度で大丈夫だったの?」確認した。
「ああ、いいのいいの。金持ちの権力者の娘で、自分の気分で周囲の人間を操れるって思ってる腐った奴とその取り巻き。気を遣う必要なんか欠片もない連中なんだから。メルもごめんね、ヤな思いさせちゃって」
「いいえ。それは構わないわ」
いざとなれば魔法で吹き飛ばせたし。内心に抱いた言葉は、なぜかまたシェルに読まれたらしい。細い足でげいんとメルの頬を蹴り飛ばしてきた。なんでこの鳥は、自分の頭の中を正確に読んでくるんだろう。怪訝な思いを拭えないまま、メルは二人の制服少女に従い、ある建物の一室へ入っていった。
玄関を開けてすぐのリビングルーム。右手側には洗面所と浴場が据え付けられているのが見え、奥にはカーテンで仕切られた小部屋が二つ。正直、メルが拠点と構えている丸太小屋よりも見すぼらしい部屋にも見える。
「ようこそ、ここが私たち二人の部屋よ。そして――」
「向かって左手が私の寝室です。ちょっと待っていてくださいね。今その上着を持ってきます」
そう言ってぱたぱたと、ティリルは左側のカーテンの奥へ入っていった。
残ったミスティが、リビングの壁際に置かれたテーブルから椅子を一つ持ってきてメルに勧めてくれた。
ほんの一分足らず。さて何の話をしようか、お茶は出ないのか? お茶菓子は? などと考える余裕があったかどうか。いそいそとティリルがカーテンを避けて戻ってきた。
「これなんですけど……」
そう言って取り出した、白い大きな襟の黒いケープ。ボタンがついているようには見えないが、目当ての宝石はどこにあるんだろうか?
「ここです、この部分に……」ティリルが襟の裏をめくってみせてくれる。複雑なつくりの襟をよく見てみると、表の布に隠れる形で内側に一つ、赤いボタンがついていた。
「洗って干すときしか見ないし、学院に来てから着る機会も減ったので、すっかり忘れていました。そういえばここのボタンには宝石がついてたんですよね」
「よく見せてもらっていい?」
メルが手を伸ばすと、ボタンがふと、光を放った気がした。怪訝に思いながらさらに、服の襟をつかんで持ち上げる。
「え、嘘……っ?」
ティリルが驚く。
「まさか本当に……!」
ミスティが拳を握る。
メルの手に反応して確かにボタンは煌々と輝きを放ち、やがてその光は部屋中を包むようになって、そして――。
「結局、あの光はなんだったのかしら」
夕方。二人と出会った校舎裏の茂み。
メルとシェルは、ティリルとミスティの見送りを受けながら、来た時と同じ場所へ戻ってきていた。
「恐らく、バドヴィアとやらの残存思念が私の魔力に反応したのね。でも、さすがに死後何年も経った人? 光を放っただけで全部霧散しちゃったみたいだけど」
それっぽい説明を、訳知り顔で残す。正直、確証はない。メルにしてもこの世界の魔法摂理を十全に理解しているわけではないのだ。たぶんそうだろう、くらいの話を残しておけば、多分「ふうんなるほど」で納得してもらえるだろう。
「あくまで人間のレベルではものすごい魔力量だと思うけどね。神人の法具、って程じゃなかった。あれも僕たちの求めているモノじゃなかったってことだね」
そうそう。シェルの語る結論の方が、よっぽど大事なのだ。
「残存思念……。そんなものが反応することがあるんだ。これはまた、新しい研究テーマになりそうね」
あれっ? 研究とかするの? ごめん私の適当理論、その研究テーマを云十年とか迷宮入りさせちゃったりしないよね? 少しだけ、メルは心中で後悔した。
「まぁ、そんなわけで私たちは帰ります。また次の世界に行って、今度こそ本物の法具を見つけなきゃ」
「はい。応援しています。お役に立てずに申し訳なかったです」
ティリルが申し訳なさそうに顔を曇らせた。
気にしないで、と微笑む。何もない世界の方が当然、圧倒的に数が多い。手ぶらで帰るのが自分たちの常なのだ。気に病むことはない。
「それに、二人にはこれ以上ないくらい協力してもらったもの。役に立ってないなんてそんなことはないわ」
「そう言ってもらえたら嬉しいです」
「法具とかいうの集めたら、今度は狙った異世界に来られるようになるんでしょ。そうしたらまた、挨拶に来なさいよね」
さっぱりとしたミスティの挨拶。なかなかに好ましい、とメルは目を細めた。
「ええ、必ず。千年かかるかもしれないけど、必ず挨拶に来るから、あなたたちも長生きしてね」
「……無茶言わないでよ」
「せ、せめて八十年くらいでがんばってください……」
二人の引き攣った笑みを最後の土産に、メルはポケットに隠していた腕輪を取り出し、魔力を込めた。
うっすらと世界が霞み、二人の友人の姿が消えていく。
「なかなか居心地のいい世界だったね」
転移の途中、シェルが嬉しそうに呟いた。
「確かにね。目当てのものはなかったけど」
「次の世界に期待しよう」
小さく頷き、目を瞑る。
そしてもう一度開いたとき、メルの目には、見慣れた自分の世界の風景が映り込むのだった。