紫陽花ゆかり
また、変死者が出ます。苦手な方はご注意ください。
ちなみに、青い池は九州、霧島の大浪池がモデルです。
一度見たら忘れられない青さです。
周囲が2キロもある大きな火口湖。
三日月岩はないですし、瘴気も発しませんが。
ゆかりの正体がわからないというお問い合わせを何件か受けました。
加筆してみましたが、これでいかがでしょうか?
小屋に入り有無を言わさず単衣を脱がし、隅に投げていた自分の着物で包んだ。髪の毛の水分をできる限り絞り、囲炉裏の熾火に木切れをくべた。立てた片膝に女をもたせかけ素肌の上半身で抱きしめる。
「しばし許されよ、身体を温めるだけです」
女は別段抵抗もせず、
「あなた様が濡れてしまいます……」
と囁いた。
「よかった、耳たぶの血は止まったようだ。身体がもう少し温まったら手当をします。私は薬屋なので、そこいらを歩きまわれば、止血や殺菌に使える蓬や金盞花が見つかると思います」
「あの、死ぬ女にそんなご親切、過分です」
「貴女は死なない。何故なら貴女の浴衣は岩の上にあるからです。しきたりでは、浴衣を乾かしてから女性をお訪ねすると聞きました。雨で乾かないから探せなかっただけ、私は貴女を娶ります」
「そんな……」
「私では嫌ですか?」
「そんなこと……」
「私のうちに来てくれますか? 小さな薬屋ですが。あ、名前は高橋屋左近と言います」
「村では誰もが、婿などくる筈がない、私の目が不自由なことを聞き知って逃げ帰ったんだろうと噂していました」
「貴女は痩せ過ぎだ。滋養のあるものを食べ、目に良い漢方を処方しましょう。もしかしたら光が戻るかもしれない」
「そんな、私はあなた様の身代を食い潰してしまう、私なんかにお薬など……」
「あの浴衣を縫ったのはどなたですか?」
「私……ですけど」
「それだけ聞けば十分です。私の留守に薬草干しの仕事くらいできるでしょう。後は隣で笑っていてくれればいい」
「そんな……」
「貴女は『そんな』しか言わない。今布切れ一枚に包まって男の腕の中にいる事実がわかっていますか? 貴女の名誉のためにも、相手は見ず知らずの男より一刻でも早く婚約者にしてしまったほうがいい」
女が肩を震わせて笑った。
「貴女の名前は?」
「ゆかり……紫という字です」
「ああ、紫陽花の紫ですね。叔母さんは苦しい生活の中で心を込めて反物を選んだようだ。貴女の死を望んだりはしていません。そして御山も私の死を求めていたわけじゃない。よかった」
紫には左近の言葉の後半は理解できなかった。けれど左近の腕の確かさに自分の心も解けていく思いだった。
「私は生きていいのですか?」
「もちろんです。私と来て下さい。村の者に見せつけて、『御山の胆試し』は然るべきふたりが結ばれるためにあるのだと証明しましょう。そして妹と親友、弟のように可愛がっている男にも会って欲しい。追って叔母さんにはご挨拶に伺いましょう。それでいいですね?」
「はい……」
「やっと欲しい言葉が貰えた」
「それにしても、貴女の身体はちっとも温まらない。まだ濡れているところまである。大丈夫ですか? 心配です」
左近は抱きしめていた腕に力を入れた。
「あの、私はいつも体温が低めで、もう大丈夫ですから」
「反対に私は、身体が熱くてたまらない。あなたのせいです。私は冷たい男だとよく言われるのですが……」
「左近様はとても温かいです」
「貴女の肌は気持ちいい。私の熱を冷やしてくれますか、貴女のせいなのですから」
左近は軽口を言った。紫は言葉通りに受け取ったようで
「では私が干乾びてしまうまで、こうしていましょう」
と微笑んだ。
ふたりは終の伴侶を見つけた柔らかい陶酔に浸っていた。
数日後、左近の死体が青池の掘っ立て小屋で発見された。全身が、ぺかぺかに光る透明な包帯状のものでぐるぐる巻きになっていたそうだ。
検死は隣村の医者に任された。口内には粘液が詰まり、皮膚呼吸をも奪われたための窒息死との診立てだった。
が、左近の顔は村の誰もが今まで見たことのない、幸福感に充ち溢れていた。
彼の首元に水分を完全に奪われ小さく小さくなった軟体動物が貼り付いていたことには誰も気付いていない。
義兄であり親友だった男の法要を終えた住職は、裏の御山を振り仰いだ。寺は雨後の、滴るような深緑に抱きかかえられている。
「これがアンタの意志なのかよ?!」
胸に巣食った季節外れのうすら寒さは、両拳を固く握りしめても拭い去ることはできなかった。
読了ありがとうございました。
結末、書き加えました。怖いのは異種婚姻ではなく、「我知らず何かに操られること」だと思うので、こちらを強調するために。
「御山の計らい」は機能しているのです、、、